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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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冬の予感

 空気が冷たい陸上競技場。ナイター照明が付き始める。

 俺は陸上部顧問の中井と話していた。

 もちろん、教頭が急に部活動を推進させようとした理由についてだ。

「え、栃岡くんがあの切り札使っちゃったの?」

 中井のつけていたサングラスがカタリと外れる。

「あそこで不倫の話題を持ち出さなきゃ教頭も折れなかったですよ」

「はぁーあ、陸上部の予算増加に使おうと思ってたのになぁ」

 ははは、と爽やかに笑う中井。陸上部顧問で100m県記録保持者、もちろん彼も部活動廃絶には反対だったのだ。

「でも、とにかく安心したよ。2年生は今からでも部活やれて嬉しそうだしね」

 中井が指導する陸上部には廃部になった部活から転部した生徒が数多くいる。多くの部活動が復活するなら、それだけ陸上部を抜けていく生徒も多いはずだ。

「陸上部の人数も減っちゃいそうですね、中井先生」

 俺が気遣ってそう言葉をかけると、中井は再びはははと声をあげて笑う。

「そんなのは大した問題じゃない。大事なのはやりたい競技。出したい結果を出せるように、生徒が努力できるかだ。そういう意味で陸上みたいに走る競技は色んな競技に役立つ」

 中井の言葉は重かった。

 駅伝部で都大路しか目指していなかった俺にとって、「みんなが努力できればいい」なんて器の広さは衝撃だった。駅伝よりも、究極の個人競技である陸上。スポーツの最も基礎的なものを極めようと走った中井には、分かっていたのかもしれない。

「好きでもない競技や種目を頑張っても、そんなのは競技じゃないからな」

「は、はぁ。それで陸上部員が減るのも皮肉だとは思いますが」

「寂しいけど、それがあるべき姿だ。駅伝部も部員いなくならないといいけどな」

「やめてください!?」

 せっかく都大路決まったのに辞める人なんていないよね? ましてや転部なんて!

「嫌だー!嫌だー!!」

「じょ、冗談だよ。あれだけ仲いい駅伝部であるわけない」

「で、ですよねぇー!」

 良かった安心した。端から見てそうなら安心だよ。

 ほっと息を撫で下ろす。

「とにかく、都大路は全員が納得できるレースをしたいんです。だから目標は高くしました」

「都大路入賞か。あの男子でも数回しか出来なかったことだぞ」

 中井は二ノ丸高校出身者だから昔の駅伝部も知っていた。俺がいた頃の、男子が強かった駅伝部のことをだ。

「もちろん難しいことは分かってます。でも彼女達のポテンシャルを、今は信じてみたいんですよね」

「本格的なトレーニングを始めたのが4月、そこからうなぎ登りのタイム。確かに分からんでもないな」

 京子と漣は以前から駅伝部に所属はしていたが、トレーニングは全て自己流。体力作りがメインだった。

 サクラと稲穂は1年生だし、信乃と涼風は競技歴自体が浅い。

 都大路まで日はないが、ここからもう一段階化けるのではないかと思っていた。

「北信越が終わってから学園祭、休日があったことがいいリフレッシュになりました。正直、やる気が落ち込んだらどうしようかと思ってましたよ」

「確かに、今のところはやる気があるように見えるな」

 中井は意味深長にトラックを見つめた。そこにはウォーミングアップのために集団ジョギングをする、駅伝部の選手がいた。

「どういうことですか、中井先生」

「都大路という最大目標を、最後は散り散りになって達成した。そりゃ休みを挟めばフレッシュな気持ちになるとは思う。でもな、やはり大きな目標を達成してしまったチームをもう一度動かすのは、いくら高い目標を定めたところで簡単なことじゃないぞ」

 中井は冷静に、しかし鋭く指摘をした。

 中井の言う通りだった。「都大路入賞」は俺が主導で決めたことに過ぎない。それに全員が付いてこれているのだろうか?

 分からない。確認しても「はい」としか言わない真面目な部員の心を、確認することは出来なかった。

 沈黙が続いてしまったので悪いと思い、俺は話を続ける。

「北信越の後にも言われたんですよ。週間スポマガの記者さんに、『都大路では何を目指すんですか』って。自分、そのときは慌てていたし、結局今でも納得できていないんです」

「難しい問題だよ。指導者1年目のコーチが、才能だけでどうこうできるものじゃない」

「ははは、才能頼みなんすかね俺……」

 苦笑いをした。うーん、ここにきて経験不足か……

「とりわけ今まで『学校の部活を消す教頭を見返す』くらいの気持ちでみんなやっていた。その精神的目標まで達成されちゃ、もう力抜けちゃうよ」

「精神的目標ですか」

「身も心も燃え尽きてないと、いいけどな」

 それっきり、沈黙。呆然とトラックを見つめる中井。

 気まずくなってしまった俺は、中井にそれじゃあと言ってその場をあとにする。駅伝部のポイント練習が始まろうとしていたのだ。

 雪が降るんじゃないかと思うくらい冷たいトラック。駅伝部員達は半袖Tシャツにアームウォーマーをしたり、長袖Tシャツを着たりと服装を工夫する。しかし長ズボンなんて履かずに、もっぱら短いランニングパンツ。

 試合に近い服装をすることが結果的に試合に近い練習になる。寒いのは重々承知だから終わったらいつも速攻で帰宅なのだ。

 いつもと変わらぬ意識の高い様子を確認する。中井のさっき言ったことを気にしながらも、ストップウォッチを首から外す。

「今日は8000mのビルドアップだ。集中していこう」

 はい、とまばらな返事が聞こえる。この寒くて真っ暗な中、ナイターでやる練習はどうしても気持ちが下向きになってしまう。

「京子、漣は最初からガンガン攻めてくれ。稲穂は前を追って、サクラは距離を詰めていこう」

 みんなに的確に指示を出していく。俺的にすごく冷静に声をかけていたはずだが、冷静じゃないメンバーがいた。涼風だ。

「センセー! 私は私は!?」

「涼風はサクラを追って走ろう。サクラと信乃もだけど、3km区間は前を追う展開が多くなる。しんどい中で体を動かす練習をするんだ」

「オッケー。んじゃ、調子良ければサクラに追い付いていいんだね?」

 今日の涼風はやけに積極的だ。

「まぁな。ただ、追い付いたことに満足して最後にダレちゃ意味ないぞ」

「そんなことないって! サクラ、私に負けないように、頑張ってよね」

 涼風は闘志メラメラだった。京子や漣、稲穂がただ前の練習をこなそうとしているのに対して、なるでレースに臨むかのようだ。

 サクラは微笑んだ。

「イエス。スズカゼ、私もマエを追うノデ、スズカゼもファイトデス!」

 真っ白な肌は火照っていた。それはウォーミングアップをしたからなのか、それとも嬉しかったからなのか。

「それじゃスタートしよう。オンユアマーク!」

 駅伝部員が一斉にスタートラインにつく。そのただならぬ熱気を感じたのか、陸上競技場のトラックにいた人は退けようとする。

 その静寂を見逃さなかった。

「スタート!」

 一斉に走り出す部員たち。

 今日も練習はそれぞれで設定は決められていたが、京子と漣は3'40~50、稲穂は3'45~55……というように変域が作られている。

 これは自分のペースで走ってもらいたいからだ。

 駅伝には駅伝の走り方がある。高校駅伝のような短い距離で、都大路のような難コースを攻略するには、厳密にタイムを守ることは要らない。必要なのは、体力という制限のなかで限界に挑戦する力だ。

 一定の感覚を、詰めすぎないように開いていく部員たち。しかしみんな、前のランナーをひた追いながら走っているのだ。標準は定まっている。

 低温のコンディションではやる気も上がってこないのではないか、との不安はなくなった。みんな集中して淡々と走っている。

 しかし俺は、それを理解しながらも敢えて声をあげる。

「京子! イーブンで走れるなら、もっと上げられるはずだぞ! 稲穂も漣達との感覚を詰める意識で走れよ!」

 もう都大路まで時間がない。もう一段階の成長をするためには、駅伝の走り方を極めないといけない。

 フィニッシュ地点からみんなを見守る。

 水銀灯に照らされたトラックにはただならぬ緊張感がある。気温は5℃くらいのはずなのに、駅伝部員の熱気はそんなの関係ない。

 汗をびっしょりかいた京子と漣目の前を通過していく。ナイター照明に照らされているせいかスピード感がある。

 動いてるな、と感じた。県大会や北信越以上にだ。気温は下がっているのに身体は引き締まっているように思える。

 続いて稲穂が通過する。彼女も彼女で、ここにきて1段階レベルが上がっているようだ。

 稲穂の次はサクラはやってきた。後続の涼風との差は一定に開いている。

 しかしサクラはフィニッシュラインに近づくと急にスピードを落とした。まだ5周もあるのになんで、と思ったが立ち止まった。

 サクラはランニングウォッチもストップを押す。まだ火照った頬に汗が滴り落ちていた。

「どうしたんだ? どこか痛いのか!?」

「ウェル、ヒザが……痛いデス」

 走るのをやめたサクラは明らかに引き摺った歩きをしていた。

 ひょっとして古傷か?

「どれくらい痛いんだ」

「ーーーーア、リトル」

 申し訳なさそうに目を泳がせるサクラ。

「少しだけ……じゃ、なさそうだな。少しだけの痛みで止まってしまうほどサクラは敏感じゃないさ」

「オウ、ノー。コーチは何デモ、お見通しデス」

 サクラが足を痛めるのは2回目だ。地区新人のレースを終えた後に膝の靭帯損傷の古傷を再発。その後アメリカに帰国してなんとか怪我を治して北信越に間に合わせた。

 それが……こんなに早く、再発するなんて。

「タダ、前のジンタイとはチガウ場所デス。マエは前十字靭帯デスが、コレはチョウケイ靭帯。バランスをクズシタ、のデショウ」

 腸脛靭帯はランナーが怪我しやすい場所だ。そして長期化しやすい怪我の場所でもある。

 北信越に向けて一気に仕上げてきたから無理が出たのかもしれない。

「とにかく今日は止めておこう。あとは身体冷やさずにストレッチして待っててな」

「……イエス」

 納得いかない様子だった。でもしょうがない。下手をすれば古傷にまでダメージが出てしまいかねない。

 サクラはため息一つつく。スタート地点に置いておいたウインドブレーカーから自分のものを選びとって着たのだった。

 せっかく復調したサクラが抜けてしまうことは痛すぎる。都大路はサクラの復活がなければ厳しかっただろうし、チームの士気にも影響する。実際、さっきから走っている部員たちもさっきからサクラの方を見ていた。気にならないわけはない。

 そんな気持ちを振り切らせるために俺は声をあげる。

「ラスト2000m切ってきたぞ! 気持ちを切らすな!」

 いつもよりも怒鳴る俺。

 ペースランニングということもあって部員達のペースはそのまま走っていった。

 ほんの数分後には全員が走り終えていた。京子と漣は予定通りほぼ同着。稲穂が続いた。

 それまでは想定通りだったのだが……その次にはあまり差を開けずに涼風が入った。

「涼風、良かったじゃないか!」

 思わず涼風をほめる俺。

「うん! 今日はかなり身体動いた! 秘密練習の成果かな?」

 練習に一喜一憂してはいけない。でも頑張った軌跡は褒めるべきだ。県駅伝から1月で涼風は確実に成長していた。

 動きも変わっていたようだった。前までは運動部の「ランニング」だった。でも今ではすっかりランナーの走りになっている。漣と双子ということもあって走りのセンスはあるんだな。

「ニヒヒ、これで都大路まで一直線!」

 本人も気分が良さそうだ。

 一方で、信乃は調子が悪そうだった。最初から最後まで最後尾を走り、最後もそこまでペースが上がっていない様子だ。設定は涼風と変わらないが予想外の結果だ。

「勉強疲れかもしれません。ここのところずっと机に向かいっぱなしで、背中の張りも感じていました」

 帝大受験というだけあって勉強量が増えたのだろう。さすがに勉強するなとは言えないので何も言い返せなかった。

「ですが、今日の走りは不甲斐ないですね。ここまで気分の悪い走りをしてしまうとは」

「そんな日もあるさ。あくまで本番は都大路だからそれに向かっていけばいい。こんなところで一喜一憂するより、調子の上げ方を考えるんだ」

 誰だって練習でいつも早く走れるわけじゃない。少しはボロボロになることも大事だ。

「……はい。明日の朝練までに少しは調子を戻したいですね」

 各々に感想を口にしつつもみんなすぐクーリングダウンに向かう。ダラダラした筋トレや、プラスのスプリントなんて要らない。練習後は免疫が弱くなるので早く帰らないとだ。

 ボアコートを着たサクラはただ一人その様子を眺めていた。膝を痛めてしまったのだからダウンをするわけにもいかない。

 ちょっと寂しそうに見えたのでさすがにフォローする。

「サクラ、みんなが来るまで体操でもしておくんだ」

「……イエス」

 どうも元気がない。

 無理はないか。いつも走るのが好きすぎるサクラだ。その大好きな走ることで体が痛みをあげてしまっては、楽しいものもそうじゃなくなる。

 大学時代に俺も怪我は何度もしてたからすごく分かるな。少し良くなっては別のところが痛み、また少し良くなっては痛みが出る繰り返し。最初こそ気持ちは続いたけどいつしか走ることそのものが嫌いになったこともある。

 サクラにはそうなってほしくないな。

「サクラ、みんなもう戻ってきたし集合しよう。体冷やしちゃうぞ」

 そう俺はサクラに言うと、彼女を連れて集合場所のフィニッシュ地点に向かうのであった。

 集合場所に集まったメンバーはみな厚着だった。県駅伝で冷たい雨に当たった経験から防水コートやボアコートを用意したのだ。大会の時にやくだつかは

役立つかはわからないがこうして普段の練習から役立てている。

「今日は寒いなかみんな頑張った。筋肉だけじゃなく内臓や気管にもダメージがあるから、帰ってゆっくり休むんだぞ」

 全員の顔を確認したあと、京子と信乃を特に見る。

「京子と信乃は受験勉強もある。風邪引いたら勉強にも支障が出るから十分注意するんだぞ」

 二人ともこっくり頷いた。ここまで来たんだ、努力を無駄にすることなんてしてほしくはない。

「二人だけじゃない、みんなもな。風邪だけは気を付けるんだ」

 最後にみんなに念押しした。

 それじゃあ早く帰ろうか、と言おうとした。その時だった。

「あ、あのー、センセー?」

 漣が不意に質問する。

「どうした? メニューの確認か?」

「今夜から雪マークなんだけど……練習どうするの?」

 雪マーク……あ、天気予報のことか。

 今は11月も下旬。新潟ではそろそろ雪が降り始める。

 去年までは都会でブラック企業生活だったからすっかり忘れてた。

「雪、ねぇ」

 空を見上げると、ひらひらと白く光るものが落ちてくる。

 綿埃のように落ちてくるそれは紛れもなく雪だった。しかも湿気を多く含んだ、大きめの雪。

「新潟県民にとっては、ちょっとキツい季節が始まったな……」


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