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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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マインド・ゲーム

 今日は週に3回ある朝練の日。授業に間に合う7時半に学校の前に集合すると、俺はみんなに指示をだす。

「今日はじっくり走ろうか。北信越が終わって都大路に向けて体を作る時期だけど、無理は出来ないからな。キロ6分かけていいから大きく動かすんだ」

 いつもと変わらず指示を出すときはハキハキと声を出す。

 しかし、みんなは浮かない表情だ。それもそのはずだった。

 心配でしょうがない涼風が尋ねる。

「センセー、大丈夫なの? その、昨日、花方に言われてたこと」

 それは日曜日の鶴ジャスでのことだった。


「久しぶりだな栃岡。この不純異性交遊の写真を教頭に見せりゃあ、お前も都大路に出れなくなっちまうんだよ」

 花方は自信満々に、そして俺を軽蔑するような視線で見つめる。

「生徒に体罰同然の行為をして謹慎で済んでるだけ、ましだと思っていたのに。少しは大人しくしててくださいよ」

「知らねぇよかよ栃岡。教頭は今なぁ、お前をクビにする材料を揃えるのに必死なんだよ」

「なん……だと?」

 頭をハンマーで突かれたような衝撃だった。思わず、書店の通路に目を泳がせる。

 花方は意気揚々としていた。

「教頭は進学重視の学校にしたいのに駅伝部が都大路、全国大会出場だ。しかも駅伝部に入ってから娘の信乃も嫁に行かず大学を目指すようになってしまった。すべては顧問のお前のせいなんだよ」

「それがなんだっていうんだ! だいたい、教頭が敵になったところでーーーー」

「勝手に言ってろ。既に二ノ丸の教師のほとんどが教頭に賛同する者ばかり。言い換えれば、お前を邪魔にしか思っていない者が大半を占める」

「う、嘘だろ」

 急に背骨がなくなったかのように、背中に力が入らなくなる。とめどない恐怖が俺を襲っていた。

「当たり前だ。進学実績が良くなれば二ノ丸高校の評判も良くなり、志願者数も多くなる」

「だから部活動は目障りだし、駅伝部も、その顧問の俺も邪魔ってことかよ」

「話が早いな。もうお前の味方は部活動顧問の10人ちょっとだけだ。校長もこっち側なんだよ」

 おいこら校長! 人のこと駅伝部に呼んでおきながらクビにしようとしてんじゃねぇよ! マジで役に立ってないな!

 校長への怒りが沸々と沸き上がる。

 でも、今はそんなことしてられない。

「花方、お前だって前は体操部の顧問だったはずだ。部活が好きじゃなかったのかよ!」

「好きだったさ、それなりに。誰かさんがしゃしゃり出てくるまではな」

 花方はそう言うと俺の目の前にやってくる。身長178cmの俺が見上げるような大男だ。

 そしてアロハシャツの彼は俺の胸ぐらを掴み、持ち上げる。

「コーチ!」

 そばにいたサクラはヒステリックな声を出す。

 花方はそれを見てニヤリとする。

「明日は保護者会だ。不純異性交遊教師を晒しあげて、盛大にクビにしてやんよ。ふはははははは!」


「ーーー目下の悩みをずばり言うじゃないか」

 掴まれた胸ぐらを撫でる。少しだけ、擦れたところが痛い気がした。

 涼風はそれを見て、いたたまれないような顔をする。

「元はと言えばあたしのせいなんだよ。私がもう少し上手に逃げられたら、栃岡先生は恨まれずに済んだし」

「気にするな。遅かれ早かれ、こうなってたかもしれないさ」

 モヤモヤした気持ちがいっぱいだった。

 でもいつまでもそうしちゃいれない。無理矢理ため息をつき、気持ちを切り替える。

「万が一俺がいなくなっても、朝陽がいるから都大路には出れる。とにかく今は出来る練習をやるんだ。せっかくここまで来たんだからな」

「センセー……」

「いいから今は朝練だ。ほら、早くしないと朝礼に遅れるぞ」

 さぁさぁと捲し立てて全員をジョグに行かせる。

 ペースが速くならないように信乃、涼風を先頭としたメンバーは縦2列でジョギングに出かける。

 その様子を見ると、重たすぎる体を動かして彼女たちについていくのであった。

 二ノ丸高校の校門を出たあとは田んぼの畦道のコースを走る。

 砂利ばかりで走りにくいが、これがいいトレーニングになる。常に硬いアスファルトばかりでは怪我してしまうからな。

 ひんやりする空気に白い息を吐きながら、駅伝部はもくもくと朝の田んぼを走る。

 見渡す限り、土の色が広がる田んぼ。春は青々として、秋口は黄金色に輝いていたのに。春夏秋冬、景色はすぐに変わってしまうものだ。

 俺は今日の保護者会次第では恐らく……いや、ほぼ確実にクビになる。

 今までも何回かいざこざは起こしているし、教師としてすこぶる優秀でもない。俺が作った実績は駅伝部を都大路に行かせたことだけだから。特別仕事が出来るわけでは、決してない。

 クビになったら、次はどう働こうか。またどこかで顧問になる? それとも実家を継ごうかな? いやいや、今ならまだ普通にサラリーマンとしても……

 思いを巡らせていると、目の前から突風が吹いた。11月下旬の冷たい風だ。何も遮るものがない風をモロに食らった俺たちは思わずペースを落とす。

 11月下旬、吹き荒れる冷たい風……そういえば、二ノ丸高校の採用試験を受けたときもこんなときだったっけ。

 思えばあれから1年か。もう随分昔に思えてしまう。この駅伝部はそれくらい濃縮された時間だった。

 名残惜しさに苦笑いをした。はは、1年経ったらリストラね。まったくこうも転職が上手くいかないとはーーーーー

 と思った、その時。

 冷たい風が、急に止んだ。突如として表れた無風状態。

 さっきまで瞑っていた目を開くとそこにはーーーーーー

「パトカー!? そしてあの人はーーーー」

 目の前の幹線道路に、パトカーから降りてきた警察官に職質されているおじさんがいた。

 おじさんというか、その人は防塵マスクにサングラスという超怪しい格好。

 あれ、あの人どこかで見たことあるような。

 その人と警察官は激しく口論していた。

「だから疑うのやめてくださいって! 娘の走る姿を撮ろうとしていたんだってば!」

「そのためになんでそんな怪しい格好をするんだ!」

 こら、と言いながら警察官は男の首にかかっていたカメラを奪った。そしてすぐに中身をチェックする。

「なんだこのおびただしい数の写真は……しかも全部一人の女子高生の写真」

「だから娘の走る姿を撮っていたと言ってるでしょう!」

「それにしてはコソコソしすぎですね。そういえば、最近陸上の大会で選手を盗撮する人が増えているとか」

 おびただしい数の写真、盗撮、陸上の大会……この言葉で、思い出す人がいた。

「うわー! お前はミスター連写だ!!」

 思い出したぞ。秋の新潟県長距離記録会でひたすら連写を繰り返してた防塵マスクの男だ。カメラもSPOR-Tだし、間違いない。

 それを聞いた警察官は咄嗟に反応する。

「やっぱりそういう奴なのか! 君! 早くサングラスを取りなさい! それと防塵マスクも!」

「や、やめてくれ! 今だけはダメだ!」

「いい加減にしなさい! これ以上の抵抗は、公務執行妨害に抵触する恐れがあるぞ!」

 男の動きがピタリと止んだ。

「分かり……ました」

 そう言いながらサングラスと防塵マスクに手をかける男。

 固唾を飲んで見守る俺たち駅伝部。

 男はそれらをーーーー外した。

「栃岡、信乃よ。私も運が悪いな」

「きょ、教頭!?」

 ミスター連写は、歌和村教頭だった。

「娘に見つかるのを恐れて、隠れて写真を撮っていたらこんな目に遭ったのさ。こんなことなら、もっと堂々とするんだったよ」

 残念がる教頭の声。いつも俺に対して浴びせていたような威勢のよさはどこにもない。

「普段あれだけ駅伝部には反対していたが、娘の頑張る姿は見たいものだよ」

 そう教頭が話した瞬間、信乃はガックリとひざまずく。

 畦道のジャリっとした音が聞こえる。

「お父様…… いつも朝練のときや大会のときに来ていたのは知っていましたが、こんな風になるとは…… ドン引きです」

 信乃は怒りも呆れも通り越して、引いていた。

「信乃、すまなーーーーー」

「歌和村家の恥です。警察のお世話になるのを子どもと生徒、そして先生に見られるなんて。早く捕まってください」

「しなーーーー」

 教頭は何も言えない様子だ。寒さもあってか顔面蒼白で、もう全身に血が回っていないようだ。

「ほら君。よく分からないけど署でじっくり話を聞かせてもらうよ」

 警察官はそんな教頭や俺たちのことは気にせず、自分の仕事をする。肩の力が完全に抜けて教頭はフラフラした足取りでパトカーに連れられていく。

 さすがにかわいそうに思えてきた。そりゃ怪しい格好をして娘を追いかけたり、警察官に抵抗するのは悪いことだ。

 でも教頭という立場から部活動を反対している以上、素直に応援できないのは当然だろう。生徒や俺が見ている前で誰も教頭をフォローしないのは、学校の管理職としてはあまりに不憫だ。

 やれやれ、教頭は駅伝部にとっては敵みたいな存在だったのにな。

 俺はため息1つついて、駅伝部のみんな掻き分けて警察官のところにいく。

「すみません。でも撮る目的は娘さんだけでしたし、たまたま他の女子高生が写ってたとしても全員うちの生徒のはずです。教頭先生は親として、教師として気持ちが先走っちゃったんですよ」

「と、栃岡ーーー」

「警察官さんに口で抵抗しちゃったのは教頭先生が悪いとは思いますが、弁解の範囲だと、端から見てて思います。今回は事情を聞くだけにしてもらえませんかね?」

 警察官は、掴んでいた教頭の腕を離した。

「まぁ学校の職員さんがそう言うのなら。あれ以上抵抗するなら署に連行でしたけど、どうやら厳重注意で済みそうですね」

「配慮、感謝します」

「ただ罪を軽くしたわけじゃないですよ。今後もこのように、公序良俗を乱すことがあったらもっと厳しい措置が待っていますよ」

 誠意ある警察官は教頭に念押しの注意をする。うん、悪いことはいけないよね。駅伝部のみんなも警察官さんの言うことは聞こうね!

 俺は体が冷めないうちに駅伝部をジョグの続きに行かせると、事情聴取が終わった教頭と二人きりになった。

「栃岡くん、本当に恥を見せてしまったな」

 残念がる教頭の顔。さすがに警察沙汰になったら懲りたようだ。

「とんでもないですよ。今日は保護者会もありますし大変なーーーーー」

 保護者会。

 その言葉を口走った瞬間、俺の脳内にとっておきの作戦が浮かんでしまった。

 駅伝部……いや、この学校の部活、全部を救うとっておきの作戦が。

「教頭先生、お願いがあるんですよ」

「な、なにかね、栃岡」

「今日の保護者会、私も出席してもいいでしょうか?」


 放課後。

 二ノ丸高校の会議室には、学校の管理職と保護者、そして駅伝部顧問の俺がいた。

 保護者は1,2,3年生の保護者から選挙で選ばれた各クラス2名が代表となっている。実はこれは教頭によって仕組まれた不正選挙で、ほとんどが勉強重視政策に賛成派だ。

 つまり、この場所で根っからの部活動推進派は俺だけ、だ。

 午後6時。会議室に集まった全員に向けて、教頭が挨拶をする。

「皆さん、どうもお集まりいただきありがとうございます。えー、本日の議題ですが……部活動の廃止についてです」

 ワックスでガリガリに固めた頭をかきながら、教頭は話を進める。

 いいぞ、さぁ教頭よ。思う存分働いてもらおう。

 教頭は覚悟を決めたかのように一度深呼吸をすると、保護者に向かってボソボソと話しを始める。

「まず単刀直入に言います。部活動を推進させます!!」

 教頭は、キッパリと言い切った。

「これまで一貫して勉強重視の方針を続けてきましたが、それでは効果に限界があります。生徒の自発的な意思を尊重するうえでも、部活動は推進するべきです。どうぞ、保護者の皆さんもお分かりいただきたい」

 保護者は一瞬唖然としたが、その後に隣同士でボソボソ話始める。何事だ、急にどうしたんだと。

 しびれを切らしたのか、3年生席に座っていた保護者が立ち上がる。アニメでしか見たことないような三角形の眼鏡をしたおばさんは、ヒステリックに叫ぶ。

「どういうことですの! 部活動が沈静化すると共に、成績が上がっていると言ったのは教頭先生でしょう! コロコロ方針を変えて、子供たちを実験道具にするんじゃありません!!」

 あまりに大きな声だった。そのキリキリした叫びに、教頭も怯んでしまう。

「そ、それは……」

 たじろいだ教頭。しかし、そんなことしている暇はないのだよ。

 そばに座っていた俺は立ち上がり、教頭に耳打ちをする。

『教頭先生ー。今朝のこと、保護者さんたちにばらしていいんですか? 警察沙汰のこと。みんなビックリするだろうなー』

 その瞬間、教頭の体がブルッと震えた。首もとが鳥肌になっていたのがよくわかった。 

 教頭はコホン、と咳払いをして、進める。

「そんなことございません。文化省の新課程を導入した以後は、特に自発的行動をするとの指針が国から出ています。部活動はその格好の場所なのです」

 対する保護者は、まったく怯まない。

「部活動はあくまで学校の正規活動ではないと言っていたでしょうが! 教頭先生! 受験シーズンを前にして、一体何を考えているんですか!?」

 三角形眼鏡の保護者はキレまくりだった。さすがに会議室の雰囲気がやばくなる。

 立っていた教頭は、側に座った俺に耳打ちをする。

『と、栃岡! いくら今朝の恩があるからといっても、もう限界だ!』

 教頭はもう必死だった。でも……

『限界なんて言葉はアスリートの前で禁句、ですよ』

 そう言いながら俺はスマホをささっと動かして、ある画像を開いた。そしてそれを、教頭に見せつける。

『ヨーコちゃんも、教頭先生のこと頑張れーって言ってますよ?』

 ヨーコちゃんとは、教頭の不倫相手のことだ。俺が涼風に初めて出会った梅雨時の職員室で話題になった教頭の不倫だが、俺は事前にSNSのツーショットをスクショしておいたのだ。

 教頭は「なぜ、それを」と言わんばかりの顔だ。残念でしたな、こういうときのためにとっておいた切り札が役に立ったぜ。教頭はなにも言わずに俺の耳元から離れると、再び話始める。

「お言葉ですが、正規の教育活動だけでは高校生レベルの成長には対応しきれません。こちらからどんなに魅力的なものを用意しても、それは彼らにとって教科書に過ぎないのです。自分でやりたいことが多すぎる彼らには足りません」

 うおぉ、教頭がなんかいいこと言い始めたぞ。

「これまで私達は進学実績ばかりに目を置いてきました。それが学校経営にも、生徒のキャリアにも良いと考えて、です。しかし、保護者(みなさん)を非難するわけではないですが最近の生徒さんたちはあまりに世界が狭すぎる。現に私も、娘をそう育ててしまった」

 信乃の顔が頭に思い浮かぶ。河田にお嫁に行くことだけを考えていた頃の信乃を。

「ですが、娘が駅伝を始めてからはそれが変わったのです。毎日朝早くから夜遅くまで練習し、毎日汗まみれのシャツを自分で洗濯し、勉強も負けたくない……そんな娘はいつしか自分で進路希望を考えられるようになり、今度帝大を受験します」

 教頭は三角眼鏡保護者をガン見して、力強く話す。

「それでも部活動が間違いだと、言うのですか?」


 保護者会の翌朝。

 俺は登校する生徒たちの横で、ある貼り紙をしていた。

 おはようございます、そんな生徒の明るい声に返しながら。

「あ、栃岡先生! おっはよーございます!」

 俺にめがけて、わたたたと走ってきた生徒がいた。2年生で生徒会長、吉村だった。

「おはよう、そのマフラー新しいのだな」

「さすがよくチェックしてますね~! 栃岡先生、朝からお仕事ご苦労さまさまです! 何を貼ってーーーーー」

 掲示板に目を向けて吉村は、言葉を失った。

 そこに書いてあった文字は、

「『部活動総復活。3年生を除く全生徒、積極的に部活動に参加せよ』って、これ、どういう意味ですか?」

「言葉の通りだよ。今日から二ノ丸高校の部活は全部復活するんだ。昨日の保護者会と教員会議で決まったんだ」

「それって私の公約じゃーーーー」

「ふふふ、良かったな吉村。まぁ俺もちょっと頑張ったからな」

「そういえば、通学路で『栃岡先生が教頭先生と保護者をマインドコントロールした』って噂になってましたけど……一体なにしたんですか?」

「なーに、心理戦(マインド・ゲーム)で負けなかっただけだよ。それよりもさ、吉村」

 俺は手に持っていた画鋲を床においた。

 目の前にいる吉村に、しゃがんで視線を合わせる。

「な、なんですか」

「駅伝部も絶賛新入部員募集中なんだ。前に『公約を叶えれるまでは駅伝部に入れない』って言ったての、忘れてないからさ」

 吉村は目を泳がせる。

「鈍感なのか、鋭いのか、本当に分かんないんだから。もうーーーーーーでも、いいですよ。まだまだ走れませんけど、7人目に、なります」

 吉村はペコリと頭を下げる。

 冷たい風に雪が混じった。都大路まであと1ヶ月だ。


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