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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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憂鬱メイドとかき氷

「……お帰りなさいませ」

 漣はとっても不機嫌そうに呟いた。彼女の姿はメイド服。丁寧に作られた衣装はとても華美だ。

 気に入らないものを着ている漣が、とっても面白く感じられた。

「あはははは!! おもしろ!」

「っせーんだよ!! 地獄に落ちろ!!」

 漣は手に持っていたトレイの角で俺を殴ろうとした。それはステンレス製なのだが、そんなの構わずに俺に振りかざす。

 間一髪のところでなんとか避ける。

「マジで今殺しかけたよね!?」

「いいから黙ってて! 昨日来るなって言ったのに来るとか、本当にあり得ないんだけど……」

 漣は急にモジモジし始めた。

 彼女がやってるのはクラス出し物のメイドカフェのメイド。本当にやりたくなかったみたいで、昨日の帰り道はずっと「明日来たら殺す」と言っていた。にしても本当に殺しにかかるとは、心臓に悪いぞ。

「ま、まぁまぁ。俺は漣に会いに来たわけじゃないから……」

「な、ちょ、そんな……私だって、センセーに会いたいわけじゃないんだからね!」

「はいはい」

「んで……誰に会いに来たのよ」

「吉村だ」

「ち、かーーー」

 さっきまで不機嫌丸出しだった漣の顔は、一気に不安に駈られた表情になった。

 生徒総会後に、泣きじゃくる吉村を慰めてたのを漣に目撃されたことがあった。その日以来、漣に吉村のことを言うといつも急に表情が変わってしまう。オープンキャンパスの時だって、明らかに不機嫌だったし。

 よっぽどそのことは、彼女にとって衝撃的だったのだろうか。吉村は中学の陸上部の同級生だしな。

「……千香に何の用なの」

「漣も分かってるだろう。目下の悩みだよ」

 俺は京子と信乃を連れて漣と吉村のクラスに来ていた。漣はそれを分かっていたので、駅伝部関係であることはすぐに察しがついたはずだ。

「都大路メンバーの、7人目ってことね」

「そうだ。なんとなく察しはついていたんだろ」

 漣はどうやらあまり快くないようだ。

 それもそのはず。自分と寺門の仲が悪すぎたせいで、出崎中学出身の選手はほぼ陸上も続けていない。みんなもう、駅伝に心疲れ果ててしまったのだ。

「……別に、私は止められる立場でもない。でも勧められる立場でもないから」

「漣、いつまでもズルズル引き摺るのはよくないぞ」

「センセーだって、箱根のこと未だに思い出してるくせに」

 図星だった。俺も未だに箱根駅伝に出れなかったことは悔しくて悔しくて、未だに夢に出てくる。

 もちろん新潟ロングディスタンスでたまたま13分台が出たこと、そして二ノ丸高校を都大路に連れていけたことが今の自信にはなっている。だから夢の続きも、ただの予選落ちではなくて、よく分からない結末になっている。

 でも「後悔なんてない、悔やんでない」なんて言ったら嘘だ。今だってもう一度、大学をやり直したいとも思う。

 その気持ちは漣にも見抜かれていたようだった。

「そりゃ、栃岡先生が箱根目指してたのと、あたし達の中学駅伝じゃ話のレベルが違うかもしんない。でもさ……その、私にとっては割とマジで、大きな時間と仲間を失っちゃったから」

「だけどさ、吉村も今は生徒会であんなに生き生きしてるし、いいんじゃないのか?」

 俺はアドバイスのつもりで言ったのだが、漣は気に食わなかったようだ。ああ、もう、と言って地団駄を踏み、廊下の方を見る。

「千香が良くても……私が良くないの」

 憂鬱そうに、漣は俺から目を逸らした。

 なんか、気にしすぎなんじゃないかと思うし、正直めんどくさいとも思ってしまう。もう終わったことだし、割りきるしかないとは思う。

 でも、本人にとっては重大な問題なんだ。他ならぬ部活、仲間……それを険悪なものにしてしまった自分が嫌になっている。そんな感じなんだろう。

 やれやれ……漣にも吉村に駅伝部に入って都大路メンバー入りしてもらうことを説得してもらおうと思ったけど、無理そうだ。ここは俺と信乃、それから京子でなんとかするしかないな。

「分かったよ。ただし、自分が吉村を誘う権利も拒否することも避けたんだから、文句は言ったら筋違いだぞ」

「……言うわけないじゃん」

 はいはい、分かりましたよ。それくらい、もうこの話題に入ってくるのが嫌そうだった。

 漣はしばらく放っておくべきかな。北信越であれだけのデッドヒートを制した翌日、いきなり自分のタブーに触れろなんて無理な話だ。それに今日は学園祭。まだまだ高校生だし、伸ばす羽は伸ばしてもらいたい。

 俺はそばで未だにうつむいていた京子、それから後輩生徒に写真撮影をせがまれる信乃を呼びつけ、吉村を呼び出すことにした。

 このクラスの男子を呼びつけて吉村を呼ばせた。吉村は生徒会の仕事が特にないらしくすぐに店の奥からやってきて、メイドカフェの1席に俺、信乃、京子、そして吉村で座ることとなった。

 吉村はなんのために呼ばれたのか分からないようだった。

「いやー、先生すごいですね!都大路ですよ都大路!全国ですよ!!これで駅伝部の廃部も免れたんですね!」

 爽やかに切った髪をおでこで分けた吉村は、向かい合った俺に向かって高揚していた。

「あぁ、ありがとう。そのことで呼び出したんだ」

「そーいうことですね! 壮行会も全然生徒会で企画しますよ!」

「いや、あの、そういうことじゃなくて……」

 俺がモタモタしているのにしびれを切らしたのか、信乃が咄嗟に口を挟む。

「お願いですが、千香さん。1ヶ月半でいいので、駅伝部に入部して都大路のエントリーに入ってください」

「えっーーーーー」

 さっきまでの明るい声が、急に低くなったのが分かった。

 明らかに目を泳がせながら、居心地悪そうに受け答える。

「えっと……なんで、急に、私なんですか?」

「メンバーが足りないのです。でも他の部活から借りるわけにもいきませんし、ある程度駅伝を知っている人ではないといけない。だからあなたなのです」

 信乃は毅然としている。もしかして、生徒会関係で関わっている吉村と信乃の会話はいつもこうなのかな、と思ってしまった。

「いやでも、すぐに走れるわけないですよ。いきなり走れと言われても」

「走れと言ってるのではなく、メンバーになってくれと言ってるのです。生徒会との両立も、不可能ではないはずです」

「いや……でも……」

 吉村はなかなか首を縦に振らない。よほど何か引っ掛かるものがあるのだろうか。

 この様子は見てられないな。俺も介入しよう。

「急なお願いで混乱させて吉村には申し訳ないとは思ってるんだ。でも、俺達も吉村と同じで、学校の圧力に負けたくないと思って必死に都大路を目指して、それを叶えた。今さらエントリー不足で棄権なんて、いくらなんでももったいない。吉村もそれは分かってるだろう」

 吉村はピクリと肩を動かす。棄権、という言葉に吉村は反応したようだった。

「あ、いや、中学時代のことは、本当にもう後悔とかわだかまりはないんです。今は勉強も生徒会も、充実してますから」

「だったらーーーーー」

「でも、私には……できません」

 吉村は、ハッキリと言った。

「栃岡先生には色んなことで感謝してますし、駅伝部を応援したい気持ちはすごくあるんです。だけど、まだ、公約を全く叶えられていないんです」

 急に強くなった語勢に信乃も驚いたようだった。ただ黙って、吉村の話を聞く。

「私は、二ノ丸高校の部活廃止をストップして、そして部活を通じた充実した学校生活を作りたかったんです。でも、今、それが全く出来てないんです」

 生徒総会のことを思い出した。

 3年生の柏木にぶたれて酷い言葉を食らった吉村。吉村自身は何かしたいと思ってはいるがなかなか学校は変わらない。

「最近では野球部の予算も減っていると聞いてます。でも、何も出来てないんです。だから駅伝部に加入することは……」

「でも吉村、駅伝部を救うことは、学校の部活を守る公約にも繋がーーー」

「栃岡先生や信乃さんが歓迎してくれても、できません。ごめんなさい」

 吉村は握りこぶしを膝の上に力強く作っていた。そこには無念さも、無力さも、自分への嫌悪感もあったようだった。

 ずっと口を閉ざしていた信乃だったが、ようやく口を開いた。

「……分かりました。他をあたります。京子さん、先生、教室に戻りましょう」

 ここまで言われちゃ敵わない。俺も同意見だった。

「吉村、本当に申し訳ない。教員の責任だ」

「いいんです。栃岡先生は、生徒(こっち)の味方じゃないですか」

「そう思われてるなら、本望さ」

 吉村の親切心にすがるしかない自分が情けなくなった。

 ただ権力に押し流されているだけじゃないか俺は。吉村のために何か出来ると思っていた自分が情けない。

 駅伝部が都大路に行けても、駅伝部が生き残るだけで学校全体は何も変化がなかった。教頭をはじめ、二ノ丸高校をガリ勉進学校にしようとする連中がこんなにも生徒を苦しめている。

 信乃は、自分の父親である教頭が気にかかってしょうがないのだろう。吉村の意見に抗いもせず、ただその言葉を噛み締めていた。俺をクビ寸前まで追い込んだ責任と、学校をこんなにしている現状、それから家庭のこと。彼女にかかる不運はあまりに多すぎた。

 教室を出た俺と信乃、それから京子は何も話さなかった。もうそんな空気ではなかった。

 だがしかし、そんな空気にもお構いなしにマイペース全開の駅伝部員がいた。

「やっほー!栃岡センセー!かき氷食べてかない!?」

 彼女の名前は、涼風。1学期末に体操部を抜けて駅伝部にやってくるなり急成長した、実はめちゃくちゃ長距離センスがあるメンバー。

 元気よく話しかけた涼風だったがすぐに察したようだ。空気が険悪だ、と。

「あららー? センセーも信乃さんも京子さんも、どうしちゃったんですかね? ケンカ?」

 空気が読めるんだか読めないんだか分からないな。俺は苦笑いをすると、鬱蒼とした気分でいつまでもいられないと思い涼風に便乗する。

「ちょっと、な。涼風はかき氷店をやってるんだってな?」

「そうだよー! 暖房つけた部屋で冷たい美味しいかき氷を食べる、最高の贅沢をしてるの!」

「地球環境に悪すぎだ」

「耳が痛い…… でも、実際好評なの。開店したときから行列が全く途切れなくって」

 寒い日にかき氷、というのが話題性あったのだろうか。学園祭でそういうのが人気出るのは不思議じゃない。

「すごいじゃないか。いやぁ、人さえ多くなけりゃ寄ってみたかったな」

「でも今はかなり人いなくなってきたから、並ばないで案内できるんだ。だからおいでよ!」

 商売上手だな涼風は。ついうっかり口走った自分に少し後悔しつつも、信乃と京子を連れて涼風のクラスのかき氷店に入ることにした。

 店内はすごい活況だった。簡素な花飾りで装飾された学園祭感はあったものの、まるでデパートのタイムセールのようだった。

「すごい人だな……」

 ようやく回復した京子は、俺と同じ感想を持ったようだった。

「やっぱり2年生だと、運営のコツとか分かってくるんですね」

「見てるとかき氷も結構本格的みたいだな。練乳とか小豆とか、さくらんぼも乗っかってる」

「凝ったかき氷って本当に美味しいですよね! 私もよく京都に行くんですけど、そこで食べるかき氷がたまらないんです~」

 京子はウキウキした様子だった。そんなに自分が食べたかき氷が美味しかったのだろうか。

「京子がかき氷好きだなんて意外だな。そういえば前に京子の家に行ったら八つ橋貰っちゃったし、京都大好きなんだね」

「あぁ、そ、そうですね」

 京子は一瞬なにか言おうとして、どもる。

「どうした?」

「い、いえ! 京都よく行きますし、そりゃ好きになりますよ」

 ニッコリと笑顔を作った京子。

「そうかそうか。都大路でも京都に行けるし、案内してもらいたいくらいだよ」

「あ、その、はい! みんなと行きたいですね」

 俺と京子が京都に思いを寄せていると、涼風がかき氷を持ってきてくれた。

「へーい、お待ち! スズカゼ・カキゴオリだよ!」

 自分の名前を付けただけの名前のかき氷を持ってきた涼風は、ルンルン気分だ。「ねぇねぇ早く食べて」と言わんばかりの態度で、俺と信乃と京子にスプーンを差し出す。

 かき氷は小皿くらいの大きさだったが、抹茶がかかった上にイチゴ、さくらんぼ、練乳、それからみかんまで載っている。値段はこれで300円、納得だ。

 信乃は礼儀正しく「いただきます」と手を合わせると、端のほうから申し訳なさそうに口にする。

「ーーー美味しいです。すごく」

 なにかはっとした表情の信乃。かき氷が予想以上のクオリティだったようだ。

 それを見てご満悦の涼風。

「これ、普通の水道水じゃないんだよね。二ノ丸の奥のブナ山から湧き出る水を低温殺菌したミネラルウォーターを使ってるんだ。まぁ、アウトレット品で安いんだけど」

胴祝子(どうほうり)の水ですか。江戸時代から、その水で氷を作るととても澄んだ色になると噂の」

「クラスの子が調べて、やっとの思いで仕入れたんだ。美味しくないわけがないよ」

「それにさくらぼやみかんも缶のシロップ漬けではないですね。この低価格でこの素材を仕入れる、原価ぎりぎりの挑戦ですね」

「利益を出しちゃいけないから、まだ楽ですよ」

 涼風はプロの飲食店かと思うくらい高度な商売方法を披露していた。まだ高校生で、こんな高度な調達と費用管理を行うことができるなんて大人顔負けだ。

「クラスの子たち、部活に入ってない子が多いんですよ。だから学園祭とか、秋の体育祭にもすごく一生懸命で」

「なるほどな。部活を頑張れない分、こういうところで頑張ってるんだな」

「うん。あたしはいつも放課後は部活直行だけどみんな遅くまで残ってて……ちょっと、羨ましかったな」

 涼風はちょっぴり後悔気味なことを言う。毎日毎日放課後は部活で、たまには女子高生らしいことをしたい気持ちは、分からなくなかった。

 しかし涼風は、あ、でも、と続ける。

「でもあたしは、駅伝部で一緒に頑張ることを選んで、良かったなと思ってるよ。センセーの出す練習はあり得ないくらいキツい。だけど、みんなに付いていって乗り越えて、クーリングダウンでは楽しい話で騒ぐ。そんなこと、今までなかったからさ」

 涼風は元体操部だが、決してそこでは楽しくなかったようだ。だから辞めることを選び駅伝部に入った。

「クラスのみんなと楽しむのも本当に羨ましい。だけど私はまだ、学校の外で走って、汗を流していたいな。楽しいからさ」

 ニコっと、涼風は笑う。お世辞ではないようだな。

 なんだか嬉しい。心の奥から、何かが沸き上がってくる気分だ。

 この半年以上、メンバーを集めて、がむしゃらに駅伝部を鍛えた。県駅伝では惨敗したけど、諦めきれずに北信越駅伝の最後の最後で都大路を決めた。サクラには怪我をさせてしまったし、心のどこかで部員には無理させてるんじゃないかと思っていたから救われた気分だ。

「そうかそうか。じゃあ涼風は昨日走ってないし放課後に8000mペースランニングだな!」

「嘘!? 他のみんなは休みなのに!」

「俺も一緒にやってあげるよ」

「そうくるのね……いいよ、上等だよ! 信乃先輩!」

 涼風は突然、信乃のことを指差す。

 差された信乃はいつものように冷静で、そして落ち着いていた。

「涼風さん、人を指差すとはお行儀が悪いですよ」

 あわわわ、と慌てて右手をピースにして指差す涼風。予想の斜め上の行動すぎる。

「と、とにかく、都大路に出るのは私だから! それまでに私の方が速くなるんだから! みんなが調整練習してた時に実は自主トレ重ねてたんだからね~!」

 へぇ、涼風はそんなことまでしてたのか。確かに最近授業しに行くとよく寝てるなと思ってたら彼女なりに頑張ってたんだな。

 それに対する信乃。持ち前のプライドの高さは健在だった。

「ふふふ、いいでしょう涼風さん。都大路を決めた選手の底力を見せますよ」

 バチバチバチ、と効果音まで聞こえそうな、そんなかき氷屋の一角だった。

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