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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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北信越駅伝 ⑥12時過ぎたシンデレラ

 時刻はゴールしてから1時間後の、正午。

 目の前にいる美女記者、江戸川美咲は俺にぐいと顔を近づけた。

「栃岡先生! いやぁーすごいです!」

 ほのかに漂う花の香りに少しドキリとする。

「ど、どうも」

「女子としては初出場の駅伝で県3位、そして北信越も3位で都大路出場決定! 全国でも類を見ない快挙です」

「ま、まぁ。夢中だったものですから……」

 北信越駅伝のレース後、俺は週刊スポマガの取材を受けていた。なんでも女子は5年に1度のブロック枠ということで全国に記者が行ってるらしい。

 新潟ロングディスタンスのときもだったが新潟の担当はこの江戸川さんのようだ。黒髪ロングで低身長、まるで女子中学生のようなルックスの彼女。しかし今は取材ということで熱が入る。

 ちなみにこの江戸川記者、新潟ロングディスタンスのときに急に意味不明なレベルでキレることが分かったので今日はとても警戒している。

「やはりライバルは暁月だったんでしょうか?」

「かなり意識はしてしましたね。正直、長野の豊科東や大甲大附属とかと競り合うかと思ってましたが、それ以上に暁月とのレースが高速化していました」

「豊科東は都大路のために控えの選手中心のオーダー、大甲大は直前に故障者が出て厳しかったですね」

「そうだったんですか……」

 レースでは競り合わないなと思っていたらそういうことだったのか。

「駅伝は難しいですね。栃岡先生、だからこそ二ノ丸高校はすごいんです。春先では個人で県大会も越えられなかったメンバーをここまで順調に伸ばせるなんて……普通じゃあり得ません」

 江戸川さんは記者の顔をしていた。冷静に分析したうえでのその批評は、正直嬉しかった。

「そう……ですね。彼女たちは本当に才能があります。それに助けられました」

「才能、ですか」

「はい。走るポテンシャルもさることながら、情熱も、集中力もすごいんです。精神力がとてつもない」

 そう言いながら、ブルーシートでまったりしてる彼女を見る。

 今はレース後の疲労でみんなぐったりしていた。さっきまでは喜びあっていたが、今は毛布を被ってみんな眠っていた。本当に疲れていたようだった。

「その強さは、どこからやってくるんでしょうか?」

 江戸川さんはここぞとばかりに食い入るように近づく。

「それは俺にも分かりません」

「そうですか」

「でも1つだけ言えることはありますよ」

「それは興味ありますね」

「陸上が、駅伝が、仲間がとてつもなく好きなんです。一緒に頑張る仲間が」

 だからみんなここまで頑張れたんだ。

 本当は「全国に出る」ことの名声や誇りは、どうでもいいのかもしれない。

 ただ、もう少しみんなで夢を追える時間が欲しい。だから駅伝部の廃部は阻止したかった。都大路に行きたかったのだ。

「都大路に出場が決まったので、とりあえず駅伝部の存続は決まりました。まずはこれで合格です」

「そうですか。まずはお疲れ様、でしたね」

「はい」

「ところで……都大路という目標が叶った今、二ノ丸高校駅伝部は何を目標に都大路に出るのでしょうか?」

「えっ」

 思わず声を出してしまった。

 それくらい不意をつかれた質問だった。

 都大路が最大かつ唯一の目標であった。でも、それは叶ったし、駅伝部も存続できることになった。

 じゃあ都大路では何を目指す? このことは何も、考えていないことだった。

「私も記者なのでよく知ってますが、暁月や他の落選校には都大路での目標順位を掲げている高校もあります。でも彼女たちはそれを叶えることはもうできない。なぜなら、あなたたちは強かったからです」

「……」

「ではあなた達は何を目標に都大路を走るのですか?」

 完全に沈黙してしまった。何も言葉を出せなかった。

 去年の順位を越える? いや、二ノ丸高校は今回が初出場だ。

 じゃあ駅伝の自己ベストを目指す? でもそんなことは元々目標として考えてもいなかった。

 江戸川美咲は俺が何も言えないのを見通したのだろう。視線をそらすと、すっとため息をついて、また俺の方を見る。

「初出場のチームにありがちなことですよ。全国を目標にしてたけど、全国に出たときに目標を見失う」

「ははは……ご名答で」

 江戸川美咲は俺の言葉を聞いて笑顔になった。フレームに花柄の模様のついた眼鏡からも、その優しい眼差しはよく分かった。

「栃岡先生は正直ですね。だから彼女たちもあなたのことを信じられたのでしょう」

「は、はぁ……」

「勘違いしないで欲しいのですが、私は皆さんが活躍して、そして最高のレースをすることを記事にしたいのです。だからこうして、少しいじめたような言い方をしてるんです」

 うぐぐぐ。この人、清楚な見た目によらず結構Sだ。

「栃岡先生、頑張ってください。都大路でまた取材をしに行きます。そのとき、彼女たちに『やりきった!』と言わせてあげてください」

 それじゃあ、と言って江戸川さんは立ち上がる。そして俺の目の前に、さっきまで手帳を持っていた左手を俺に差し出す。握手をするために手を差し出したのだ。

「取材ありがとうございました、栃岡先生」

「こちらこそ。また待ってます」

 お互いに手を強く握った。

 が、その時、背後から女性のヒステリックな絶叫が聞こえた。

「きゃあああああああああ!!!!!」

 な、なんだ何事だ!?

 俺と江戸川さんは一気に視線を向ける。なにか事件でもあったのか!?

 そこには……白衣の悪魔、吉川朝陽がいた。救護室の仕事から帰ってきたところだ。

「ちょ、ちょ、何よあんた!! なんで翔とボディタッチしてるのよ!! 変態!!」

 変態、という言葉がまずかった。

 江戸川さんは俺の手を振り払う。そして眉間にシワを寄せて朝陽に近づき、そして「あのモード」に入った。

「変態とはなんだよ! ああ!? こっちは仕事してんだよ!」

 もう別人だ。なにこの変化。

 対する朝陽も急のことでびびった様子だが、それでも怯まない。

「し、仕事にしては仲良さそうじゃないの! どうせ翔に色仕掛けしようと思ってたんでしょう? ま、あなたじゃ翔を振り向かせられないわよね~」

「ふん! よく言うわよ。同僚のくせに焼きもちでなかなか距離を縮められないくせに!」

「なっーーーー」

 その瞬間、朝陽の顔が急に真っ赤になった。まるで最近美味しい秋のリンゴのようだ。

 赤々として朝陽は何も言葉を発することもできずにただ棒立ちをする。

 こんな朝陽を見るのは初めてだ。ていうか距離ってなに?いったい何の話をしてるんだ?

「あ、あの、江戸川さん? 朝陽も混乱してるみたいだしそれくらいでーーー」

「は! 私ったら、また知らないうちにキレてたぁ……」

 江戸川さんは悪いことしてしまった後のように急にシュンとする。おい、こうなるなら最初からキレるなよ。

「まったく……」

 俺がやれやれと頭をかくと、騒音に駅伝部のみんなが目を覚ましたようだった。

「と、栃岡先生? どうしたんですか?」

 真っ先に反応したのは稲穂だ。こういうときの反応は早い。

「まぁちょっと、色々とな」

 稲穂は真っ赤になった朝陽を見ると、何かを察したかのような顔をする。

「これは栃岡先生のせいですね」

「なんでそうなるの!?」

 意味わかんなくない!? 江戸川さんと朝陽のケンカだよ!?

「栃岡先生が鈍感なのがいけないんですー!」

「意味わかんないから!ねぇ!」

「え、なになにセンセーどうしたの?」

 近所の原乃信に昼食を買いに行ってた涼風まで合流してきた。

「うーん……とりあえずセンセーが悪いかな!」

「とりあえずで俺を悪者にするな!」

 まったく意味が分からないぞこの駅伝部は! なんでこう、いつも誰かが取り乱すと俺のせいになるんだ。

 とにかくここは逃げよう!

「じ、じゃあ俺は大会本部に行ってくるから!」

 稲穂の制止を振り切り無理矢理逃げた。まぁこれ以上騒いで他のメンバーを起こしちゃったら、ちょっとかわいそうだからな。

 俺は大会本部のある競技場の管理棟へと逃げ込んだ。

 管理棟内は緊張感があった。まだ男子のレースが行われているということもあり、せわしなく駆け回る役員もいた。

「あら、栃岡くんじゃないの」

 役員として作業中だった赤寺先生が話しかけてきた。新潟県の顧問のなかで栃岡くんなんて呼ぶのは赤寺先生くらいだから一発で分かる。

「どうも、お疲れさまです」

「こちらこそよ。二ノ丸高校、見事だったわね。まさか暁月を破っちゃうだなんて」

「最後の最後までヒヤヒヤでしたよ。ちょっと勝ち方が汚かったかもしれませんが……」

「勝ちは勝ちですのよ。暁月の子達も悔しそうだったけど、ルール違反だなんて言う子はひとりもいなかったわ。自信持ちなさいな」

 赤寺先生の言う通り、暁月の選手たちは誰一人として二ノ丸のことを悪く言わなかった。まるで負けるべくして負けたかのように……

 暁月は去年まで都大路に連続出場していた高校だし、エース今泉は岸辺のインターハイ入賞者で緊張性の横越のライバルだ。しかしおごりなんてものはなく、負けたら負けたで潔く認める……まさに負けても、暁月は王者だったな。

「そう言ってもらえると救われます」

「ただ実際、常盤さんをあの作戦に持ち込んだのはかなり勇気があると思ったわ」

「こっちもあとがないですからね。さざな……常盤はラストスパートの練習をかなりやらせました」

「うふふ……さすが栃岡マジックね」

「やめてくださいそれは……」

 栃岡マジックは最近新潟県の長距離界で言われるようになった言葉だ。あの江戸川記者が週間スポマガで「栃岡マジックで生徒を都大路に導く教員ランナー!」なんて書くから一気に顧問の先生に広まってしまった。ていうか先生方、けっこう週刊誌見てるんですね。

「二ノ丸高校にはいつも刺激を受けてるからこれからも頑張りなさいな」

「それはありがたいですね。是非、うちの学校で練習しましょう」

「あら、助かるわ。この時期がトラックが雨で乾かないのよねぇ」

 その恵まれた環境にある駅伝部も、ほんの1時間前までなくなる可能性があるなんて口が割けても言えなかった。

「はははは……」

「ところで」

 赤寺先生はなにかを思い出したかのように話を変える。

「わたくし、本日は事務担当ですの。栃岡くんに都大路のエントリーシートを渡しておくわ」

 パラ、っと赤寺先生はどこからともなくエントリー表を出す。

 軽く会釈をすると片手で受け取り、内容を確認する。

 俺がエントリー表の文字を追い始めたのを確認すると赤寺先生は説明をはじめた。

「これは今月中に主幹の京都駅伝実行委員会に提出なのよ。簡易書留で、厳重にね」

 はぁ、と言いながらこむずかしそうな内容を読む。

 顧問になってからというもの幾度となくエントリーは経験してきた。記録会、大会、そして駅伝などなど。選手時代は全くやらなかったことで最初は戸惑ったが慣れてしまえばルーチンワーク。

「あ、それと大事なことなのだけど……」

 赤寺先生は急に申し訳なさそうな顔をする。いつもは余裕そうな表情の中年女性の顔は、どこか気まずさを隠せずにいた。

 なんか、とても嫌な予感がする。

「どうしたんですか」

「実はね、都大路は……」

 赤寺先生は、にぱーっと作り笑顔をする。

「エントリーが7人必要なの」

 ……7人。

 今の駅伝部は、6人。

 ……。

 ええええええええええ!?

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