北信越駅伝 ⑤勝負あり。
先頭の岸部高校が襷リレーをする。九十九里姉妹の片割れから、セカンドエース藤澤への中継。駅伝には強い九十九里姉妹なだけあって後続との差は開いており後ろのランナーはまだ見えない。
この高校と本気で都大路を争おうとしてたと思うと恐ろしい。現在、3位の位置にいる二ノ丸高校の姿はまだ見えないのでその差は圧倒的だ。やはりインターハイ入賞クラスの選手を有してるし、層の厚さが感じられる。
でも、今の俺たち二ノ丸高校の相手は岸部高校でも、二番手の星城高校でもない。4番手、暁月なのだ。
通常は各都道府県から1チームしか出れない都大路も、今年は特別ルールで北信越大会から1チーム出られる。既に都大路の内々定をもらっていないチームから最上位が選ばれる。こんな千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかない。
「センセー、ちょっとヤバい。マジで緊張してきた」
中継を待つ漣のそばにいた俺は、彼女の手が震えているのがよく分かった。彼女が普段出ている800mとは違って駅伝は正確なスタート時間が分からない。メンタルコントロールも難しい。
「緊張してもしなくても、あと2,3分後には襷が渡るんだ。焦っても時間は変わらない」
「うーん……でも…」
今日の漣は落ち着いていない様子だ。無理もない。前回の県駅伝ではパニックになってオーバーペース、そして大失速。駅伝には今のところいい印象がない。
「ともかく、さっき言ったことをするんだ。それからリズム作ってこう」
「でもあんなので本当に上手くいくの? 聞いたこともない作戦だけど……」
「ああ、俺もやったことがない」
「なに考えてんの!?バカ!!」
みぞおちを殴られる。中指を少し出っ張らせて殴ってきたのでとても痛い。
思わず、その場に跪くような姿勢になる。
「あたたたた……でも、確信はある。漣をアンカーにして正解だったよ」
「褒めても無駄だっての」
漣はため息をつき、コースの方を見る。コースには星城高校の黄色いユニフォームが見え始めている。
そろそろ二ノ丸も来るだろうと思われた。漣は、履いていたウィンドブレーカーのズボンを脱ぐ。
彼女を覆うものは、ユニフォームとボアコートとハチマキだけになった。
彼女はアームウォーマーも手袋もしていない。日陰は少し肌寒いが日向はむしろ暑いくらいで、それを嫌ったのだろう。
「ジロジロ見ないでよ。集中できないじゃん」
ショートヘアから覗かせる視線は少し冷たかった。心配する俺の視線を、居心地悪く感じているようだった。
言われるままに視線をコースにそらすと、コースに緑色のユニフォームに身を包んだ金髪少女が見えてきた。サクラだ。
「サクラ、来たみたいだぞ」
「よっし、ようやくだね。ボアコート、ゴールまで持っててね?」
「もちろん。サクラとゴールで待ってるさ」
「うん……ありがとう」
そう言った彼女の視線は、もうコースに向いていた。ランニングパンツの紐をもう一度縛ると、2回3回ジャンプをしてから中継所に立つ。
「サクラ、ラストだよ! 襷外して!」
サクラは必死だった。大型のストライドで体を動かし、顔を真っ赤にさせているのがわかる。
漣の言葉を聞いて襷を肩から外した。そして、もう一段階ペースを上げる。
俺も声をあげずにはいられなかった。
「サクラ!頑張れ!!」
サクラの後方からは暁月の選手が見え始めていた。距離にして50m超、10秒以上は開いている。サクラはリードを広げられた。
もう中継ラインまで数メートルというところで、サクラは大声を出す。
「サザナミー!」
そのまま持たれるように襷を渡す。漣は、「バッチリ!」と一声サクラにかけると、中継所から駆けていった。
襷を渡し終えたサクラは係員に抱き抱えられた。俺もボアコートを持って駆け寄る。
「サクラ、良かったじゃないか!でかしたぞ!」
「イエス! 9分……50秒…!デしタ!」
サクラの自己ベストには及ばないタイムだった。しかし駅伝本番で、しかも誰かと競っているわけでもないのにリードを広げる走り。役目をしっかり果たしてくれた。
「コノママ、サザナミも、全力でイッテほしいデス!」
「あ、それなんだが」
「ホワット?」
俺がサクラに言いかけた瞬間、目の前で暁月が襷リレーをした。
襷をもらったのはアンカー寺門だった。
しかし寺門は、襷をもらった瞬間に「え?」という声をだす。それはコース脇にいた俺にも聞こえた。
寺門の視線の先には、全くスピードを出して走っていない漣がいたのだ。
「ココココ、コーチ!? 漣は、ナンデ、あんなにユックリ走ってるンデスか!? 怪我デすカ!?」
「実は……あれ、作戦なんだよ」
「サクセン…?」
漣には、中継する前にこう話していた。
最初はゆっくり走れ。そして1kmを通過する前に追い付かれるんだ。
この展開では、漣は圧倒的に不利な状況だ。もし襷をもらってからも普段のレースペースで走れば中間点過ぎに追い付かれ、キツい状況で後ろにつかれてしまう。
最終5区のコースには、後半に大手大橋の大きなアップダウンがある。追われる展開&苦しいコースでは、ラスト勝負になる前に力を使い果たす可能性がある。
であれば序盤から追い付かれてしまえばいい。1kmいかないうちに暁月と並走することで、お互いに牽制状態になるので、ラスト勝負に持ち込みやすい」
「で、デモ、寺門サンは、国体に出るホドノ選手デス。サザナミが勝てるカノウセイは…?」
「寺門は序盤で漣に追い付くまでにある程度力を使うはずだ。それに漣は北信越での5区が決まった後は、ラストスパートの練習を多くやった。エネルギーの使い方は、漣のほうが上手いさ。でも………」
「カクシンはナイは、デスネ」
「ああ」
普通の駅伝では、まずこんなことはしない。襷をもらって、走って、追い付かれる前にゴールして……というのが普通だ。それはわかってる。
でも、俺たちが勝てる確率が高いのはこれなんだと思っている。漣がトータルで寺門よりも速く走ることよりも、ラスト勝負で勝ってくれることを今は信じている。
どうせ最初から約束のなかった都大路だし、県駅伝で1度は消えている可能性だ。だったら思いっきり勝負に出てみてもいいだろう。
「漣のことを信じて俺たちは競技場で待とう。競技場まで帰りの運営バスがあるけどゴールに間に合わないからタクシーで移動だ」
「イエス! ゴールでサザナミのコト、マチまショウ!」
ボアコートを抱えた俺と漣の荷物を持ったサクラはタクシーを見つけようと駅前へと走り出した。
タクシーを捕まえるとすぐに出発させた。駅伝は長いようで、一瞬で終わる競技だ。特に漣が競技場に戻ってくるまではあと10分強しかない。ドライバーには安全運転を心がけてほしいがなるべく急いでほしかった。
「運転手さん、あと10分くらいで競技場、着けますかね?」
後部座席から、不安そうにバックミラーを見る俺。
「今日は交通整備もしてるし、ギリギリだね。でも間に合うさ」
「ありがとうございます…」
タクシー運転手は近道を通ってくれているようだった。それに安心すると、俺は父親からのメールを確認する。
が、まだ中間点には届いてないようで、メールはない。
「早く結果が知りたいところなんだが」
「コーチ、ちょっと、レーセーになってクダサイ」
「うぐ、焦りすぎか……」
隣にいるサクラは漣のジャージを着ていた。
「ワタシだって、リザルト、気になりマス」
レース後の興奮も冷め止み、疲労感もそろそろ出始める頃だがサクラは関係ないようだった。
駅伝の競技は選手全員がゴールするまで終わりじゃない。さいごまで集中は切らせない。
競技場まであとほんの数分というところようやくメールが来た。来た瞬間に慌ててメールを開き、確認する。
5区中間点 ウオナナ付近
二ノ丸、暁月、並走中
ほっと一息をついた。漣は想定通り、寺門と並走を続けていた。これで予定通りラスト勝負に持ち込めそうだ。安堵で少し頬の筋肉が弛む。
サクラもそれを確認して、小さく息をついた。
彼女もまた同じ気持ちだったのだろう。カタコトな日本語で「順調ですね」と言って、外の風景に視線を移した。
流れていく景色はスローモーションに見えた。それくらい、自分の鼓動が早かった。
ゴールまで待ちきれないんだ。半年以上かけて、指導者として初めて挑む都大路。それが実現されるのかどうか……
考えただけで胸がはち切れそうだった。もうすぐ、そこまでゴールは来てるんだ。信じられないけど本当のことだ。
競技場にはすぐ着いた。時間にして10分、交通状況を考えても順調だろう。
タクシーを止めると領収証を頼む。そしてすぐ、俺とサクラは荷物を分けて持って外に出た。何も言葉を交わさないままゴールのフィニッシュラインまでまっしぐらに走る。
ここにきて自分の身体の重さは気にならない。もう今日は15km以上かなりハイペースで走ったのに。心身ともにゴールが待ちきれなかった。
競技場の玄関から入り、そしてフィールドに着いた。
トラックのバックストレートには岸辺高校の姿があった。黒いユニフォームを身を包んだ藤澤が伸びやかな走りをしていた。
アナウンスが岸辺高校のことを紹介する。初の都大路だ、そして初の北信越優勝だと。
ゴールには岸辺高校の選手やマネージャー、監督が集まっていた。もちろん横越の姿もあった。彼女はいつもの緊張なんて様子はなく、ただ安心した様子でバックストレートを見ていた。
「栃岡先生!!!こっちです!!!」
稲穂のとてつもない大声がした。フィニッシュ前で歓声も多いのに一瞬で彼女のことが分かったくらいに。
稲穂は二ノ丸高校メンバー全員と一緒にいた。京子と涼風と信乃もゴールに間にあっていた。
彼女たちは一同に集まり、不安そうな表情をしていた。
「お兄ちゃん! ウオナナから先のレースの様子が分かんないんだけど……!」
朱がいたたまれない表情で近づいてきた。恐らく、親父からのメールが途切れてしまったのだろう。
「すまん、俺も分からない」
「朱は心配しすぎて胸が張り裂けそうだよ!」
「まぁ待って、もうすぐ、もう少しで来るはずだから」
「でも……!」
そのときだった。
ひときわ大きな歓声が競技場に起こった。
それは岸辺高校の優勝を祝うのでも、2位の星城高校の登場を告げるのでもなかった。
走って来たのは暁月の寺門、そしてそのすぐ後ろに漣がいた。距離にして10mほどの差だった。
この北信越駅伝は100mのスタート地点から競技場に入場する。そしてトラックを1周してフィニッシュラインでゴール。つまり、ゴールまではあと500mある。だから……
「漣、まだ間に合う!! まだ都大路は行けるぞ!!」
ホームストレートを走る漣にそう叫ぶ。
どれくらい聞こえているかは分からない。そのくらい歓声も、二ノ丸高校駅伝部の絶叫も大きかった。
「漣さん!最後出しきって!」
「姉貴!!!!勝負どころです!!!意地です!」
「おねーちゃーん!!絶対勝って!まじで!!」
「サザナミ!ゴー!ゴー!」
「漣さん!お願い!」
みんな単純な応援しかできてない。もう夢中だった。それ以上の言葉を探す余裕がなかったのだ。
寺門と漣は残り1周にさしかかる。距離はさっきよりは縮まり、もう5mほどの差になっていた。
ここまで来たらもう分からない。走力が上の寺門が勝つのか、それとも余力を残して走った漣が勝つのか。
祈るような思いでトラックを見つめると、バックストレートでは2人は並走していた。漣が外で寺門が内側。しかし漣はまだ仕掛ける様子がない。
待ちきれなくて下手に勝負に出ても、失速してしまっては意味がない…… ただ早ければいいというものではない。ここでは勝負に徹しなければならないのだ。
ラスト200mに差し掛かる。まだ、動きはない。並走のままだ。
競技場の観客もその様子を固唾を飲んで見守っていた。1位の岸辺高校も、2位の星城高校の選手まで、自分達の順位は二の次にその様子を見守る。
そしてラスト120mほどに差し掛かった時、漣が一気にラストスパートをかけた。
それはインターバル……いや、100mの全力ダッシュと言うべきスピードだ。1歩が明らかに大きくなっていた。
漣は今までこの瞬間を待っていたのだろう。寺門もそれに反応して一気に動きを変えるが、肩の動きが大きくなるだけで差は広がっていった。
勝負あった。
漣は苦しそうに眉間にシワを寄せながら、フィニッシュテープに向かう。笑顔はなかった。目の前にあるフィニッシュテープだけを見ていた。
ホームストレートにいる俺たちは、その様子を見て勝負を確信したのであった。そばにいた京子は急に俺の片腕をぎゅっと掴む。
「栃岡先生、行きましょう。都大路の切符を受け取りにーーーーー」
「「ご!!!ごめんなさああああああい!!!!!!」」
選手控え所に、漣と寺門の声が響き合う。
3位で都大路内定が決まった二ノ丸高校、そして4位の暁月学園の選手が集まっていたのだが……それはミーティングでも反省会でもなく、不器用な2人が謝りあっていたのだった。
「私、ついてっきり美希先輩がスパイクで踏んだとばっかりーーーー」
「そんなこと!!誤解されて当然だよ!!私の方こそ、口が下手すぎるから誤解されちゃうんだ……」
「で、でも!元はと言えば私がインフルになったのが原因で全中駅伝に出れなかったからで……」
「漣ちゃんは悪くないよ!インフルなんて誰でもなるよ!私だってあのあとインフルになったからそんなのーーーー」
「美希先輩はインフルじゃなくてノロウイルスだったじゃないですか!!」
……酷い有り様だった。とても都大路が決まった後だとは思えない。
まぁ無理もないのか。中学の時から3年間、凝り固まった関係なのだから。謝りまくっても謝り切れないだろう。
「いいけどお前らほどほどにしとけよ…… またいつでも会えるんだから……」
呆れた俺は寺門と漣をなだめる。しかしーーーー
「女の子同士の会話に入って来ないでよ!バーカ!」
と、漣にブーイングされたのだった。
うわぁ……都大路が決まって感謝感激されるかと思ったら……
とは言え今日は多目に見てあげますよ………これで俺の失業はとりあえず免れたし。
辺りは未だに収まる様子もなかった。それもそのはず、まだ全チームがゴールしていないのだから。熱気とほとぼりで未だに頬が紅潮しているくらいだ。
「ムムム? コーチ、バイザウェイ!」
サクラが純度100%の英語で俺の注意を引く。
「どうしたんだ」
「そうなルト、サザナミのスパイク、踏んだのはイッタイ誰なんでショウか?」
言われてみれば。
県総体の800m準決勝で漣はスパイクで踏まれた。その後に転倒、救護室行きになった。
その犯人は今まで寺門だと思っていた。でも本人曰く周り曰く、それは断じてあり得ないことだ。
「一体誰が漣を県総体で踏んだんだ……」
「ん? おにーちゃん何の話してるの??」
「漣がスパイクで踏まれたの、犯人は誰なんだろって話だよ。今となっては探しようもないんだけどな」
「今年の県総体の800m準決勝だよね? それなら朱、ビデオ撮ってたよ!」
「うそ!まじか!本当か!」
そういえば県総体のとき京子はじめ二ノ丸高校の世話で精一杯だったが、朱から「県総体、朱も行くね!お兄ちゃんは忙しいから会えないだろうなー」ってメール来てたな……
「スマホに入ってるよな? 確認しよう!」
朱のスマホを開いて動画再生アプリを起動。画面を明るくして目を凝らす。
「うーーんっとね……あった!これの1分過ぎくらいのところだよね」
朱は馴れた手つきで動画をいじると県総体のレースの様子が出てきた。正直、二度と見たくない光景だったがそんなことは気にしていられない。
「ここだ! 朱、コマ送りできる?」
「もちのろんだよ!」
漣が転んだシーンの前を見る。
そして、1コマ、1コマ、よぉーく目を凝らして様子を見る。
一緒に見ていたサクラが「ホワット!?」と驚いた声をあげた。
「サクラ、何か見えたのか!」
「アア……オウノー……ミテはイケナイものをミテしまいマシタ」
「見てはいけないもの……?」
「トテモ言えナイので、自分でミテくだサイ……」
「……分かった」
恐る恐る、朱の動画アプリを動かす。
すると、なんと漣は転倒する直前に自分で自分の足を踏んづけていたのだ。
「うわああああああ!!!なにやってんだ!!!」
もう一度確認する。そう、外側から肩が当たってバランスを崩し、さらに縁石につまずいてよろけたときだ。自分の足を踏んでいる。
そういえば。
漣は自分の足にスパイクが「5mm刺さった」と言っていた。つまりスパイクピンは5mmより長くなる。そしてあの組の中で短い距離も走るのは寺門だけだから寺門が犯人だと思ってた。
でも、よくよく思い出せば漣って……
「おい漣、お前のスパイクピンの長さは何センチだ?」
寺門に未だに謝っていた漣に尋ねる。漣は、何よって感じの顔で俺を睨む。
「は? 800mのときは7mmだけど……」
「やっぱり」
「やっぱりってなに!?」
「これを見ろ」
サクラからスマホを受けとると、漣がスーサイドスパイクをキメている場面を見せる。
漣は1回目に見たときは何も気付かなかったが、2度3度と見ていくうちにようやく状況を理解した。
「あーーーー…… ごめん、私だ」
そばにいた寺門、二ノ丸と暁月、そして俺までもが、安堵の笑いに包まれたのであった。




