表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
PR
57/95

北信越駅伝①栃岡の湯

「よし、今日もみんな、いい感じに上がれたな」

 北信越駅伝前日、前日入りした俺たちは1km×1本の刺激練習を行った。場所は2区から3区へ襷を渡すあたりの田んぼ道。俺が中学生時代に練習していた1kmコースだ。

 俺がペースメーカーとして先頭を引っ張り、涼風が最後尾を走って選手の様子を観察していた。ランニングフォームに問題があれば指摘してもらおうかと思ったんだがそんな必要はなく、涼風は他愛もない会話をするというロールを果たしていた。大会前、意識しなくとも緊張してしまうメンバーだがこういうときの涼風だ。

「サクラ! 今日も走り方、とーってもキュートだったよ!」

「リアリー? ソレは、とーっても嬉シイです!」

 褒め言葉なのか果たして?

「ただサクラも、だいぶ接地がスムーズになってきたよな。俺は今のサクラの走り、好きだぞ」

「エへへ。コーチ、アリガトウございマス!」

 今のサクラはややフォアフット着地だ。前までは完全な踵着地で大股なフォームだったが、今は着地がスムーズになったおかげでストライドが抑制されてピッチが増えている。

 フォアフット着地は諸刃の剣だ。踵が接地しない分、素早い足の回転が可能になる一方で、前足部はダイレクトなダメージを受ける。サクラはアップシューズのような厚めの靴を履いているからダメ―ジがないだろうが、練習でも薄っぺらい靴を履き始めたらすぐケガしそうだ。メンバーに用具の指導もしないとな。

「今のサクラの走りなら、日本に戻ってきたときよりもずっと速く走れるぞ」

「ウェル…… 明日はオオアバレするマデ、ですね」

「ははは、そうだな」

 それぞれが談笑しながらクーリングダウンをする。なんともいい感じの雰囲気で栃岡湯に戻ったのだが、宿の入り口に止まっているバスを目にした俺は絶句した。

「え…… 暁月だって…… それに岸部も……」

 北信越駅伝には、県内外から合計15チームが集まることになる。長岡市内の宿泊施設にそれぞれの学校が斡旋されるのだが、栃岡湯もその斡旋先に指定されていた。そして新潟県勢が全校同じ宿、うちの栃岡湯になってしまったのだ。

「うぐ……暁月……寺門先輩いるじゃん……」

 俺と同じくらいやばいなぁというリアクションをしたのが漣だった。

 吉村との話し合いの結果、県大会で漣をスパイクで踏んだのは寺門でもなければ、そもそも寺門は漣のことを嫌ってすらいないという結論に至った。でもその事実を漣は知ってもいなければ多分認めようともしないので……まだ関係の修復には至っていない。

 しかもよりによって都大路を決める大事な一戦、北信越駅伝前日に同じ屋根の下に過ごさなきゃいけないとか……なんにも問題、起きなきゃいいけどな。

 不安を抱えながら栃岡湯の暖簾をくぐると、さっそく元気よく他校からの挨拶を受けた。いきなり暁月さん登場ですか!?とヒヤヒヤしたが、あるベリーショートヘアの少女からの絡みでそれは違うと断定できた。

「お、栃岡先生じゃないですかー! ひっさしぶりですね!」

「藤沢じゃないか、久しぶりだな」

 岸部高校のセカンドエース、2年生の藤沢だ。県駅伝では最終5区で17分フラットの走りをして京子に続く区間2位になった。

「新潟県勢は全員同じ栃岡湯なんですね、暁月もいますよ」

「みたいだな。まぁ、ゆっくりしてってくれよ」

「ゆっくりしてってって…… もしかして栃岡湯って!!」

「そうそう、俺の実家。建物は新しくなけど、お湯もいいしご飯も美味しいぞ」

「うおー! 北信越駅伝前日にまさかのパターン!! 横越先輩! テンション上がりますね!!」

 藤沢はそう言いながら、岸部高校の圧倒的エース横越にハグというか思いっきり抱き着く。

「ふえええ!?!? ゆーちゃんダメだよ、こんなところで!?!?」

「んん? ここが弱いのカナー?」

 そう言いながら藤沢は横越の脇やおなかをくすぐりまくる。

「んな、ちょ、やだ! やめて……ん……もぉー!!」

 なんか見てはいけない光景を見てしまった気がするんだが……

 横越がくすぐったそうにしたのを確認すると同時に藤沢はすぐにその手を止めた。そして、

「よぉーしこれで終わりっ。じゃあ中に入って監督の部屋に行きましょう! あ、栃岡先生、また夕飯のときにでもー」

 そう言いながら藤沢は旅館の中に入っていってしまった。

 なんだったんだあいつら……と俺が呆然と立っていると、急に信乃が分析をし始めた。

「さすが…… 京子ちゃんを上回る緊張症を持つ横越を、ふざけてると見せかけて適切なマッサージを施す…… 計算しつくした業ですね」

「そ、そうなのか?」

 信乃の分析が当たっているかどうかは別として、二ノ丸高校にあんな露骨な緊張対策をする人がいなくてよかったと同時に、京子も最近は緊張症が収まってきたから良かったと思った。

 京子、グッジョブ! 俺は京子に向かって親指を立てる。

 しかし京子はそれを見て急に顔を赤らませる。

「い、いや…… 栃岡先生、まだ、まだ早いです……!!」

 そう言いながら急に下を向いてモジモジし始めた京子。

 なぜだ。なぜこの刹那に京子の緊張症が再発してしまったのだ!?

 くそう何をやっているんだ栃岡。俺は、俺は生徒のパフォーマンスを最大限に引き出す立場にいる……というのに―――――

「あ、あのー……栃岡先生、みんなにおいていかれますよ?」

 気付くと、稲穂が申し訳なさそうに上目遣いで顔をのぞかせる。

「へ、あ、や、ごめんなさあああい!!!!」


 夕飯の時間。俺はジャージの上に割烹着を着て配膳を手伝っている。

 客の立場として栃岡湯に来ているとはいえ、実家の両親や朱、そして従業員さんたちが忙しなく働いてる姿を見て少し申し訳なくなったからだ。

「翔! こっちも頼むてぇ。この揚げ物にパセリ載せといてくれいや」

「あいよ!」

 親父に大雑把な、しかし的確な指示を受けながら手伝う。

夕飯前の厨房は戦場だ。大量の料理を配膳する一方で料理が冷めないようにする必要があるため、猛スピードで美しい盛り付けを目指す。

……ていうか俺、配膳くらいは手伝おうと思ってたのに、なんで盛り付けまでやってんの?

家族だし仕方ないやと思う一方で、自然と自分が家の手伝いをするように刷り込まれているあたりやっぱりブラック企業への適性はあったんじゃないかと思ってしまった。ううぅ。

アラサー従業員の優子さんが配膳台に一瞬にして皿を並べると俺に差し出す。

「翔さん、このフライ、おねがいします。向こうに行ったらもう食べちゃっててください」

「ありがとうございます、優子さん」

 やっぱり気が利くな優子さんは。労働力を搾取しようとする家族とは大違いだよ、うん。

 優子さんと2人で木製の廊下をトっトっトっと音を鳴らして広間にたどり着く。そして配膳台から1つずつ皿を取り出し、お客さん……いや、二ノ丸高校の生徒達に差し出す。

「ほら、日本海でとれた白身魚のフライだ。中身はホクホクしてて美味いぞ~!」

 正座していた駅伝部の生徒達は立ち上がり、俺から1つずつフライを受け取る。

「うわぁ~! 美味しそうですね、栃岡先生!」

 満面の笑みで白身フライを受け取る信乃。いつも何か考え事してそうな、悩みを抱えた信乃のこんな無垢な笑顔はとっても癒される。

 こっちまで笑顔になりそうだった、そんな時だった。クレーマーが現れたのは。

「ふざけるな! 大会前日に油ものなんて出しやがって!!」

 和やかな大広間に急に怒声が響く。見るとそこには、暁月高校の監督がいた。中年で、かなり太っている。

「す、すみません! 申し訳ございません!」

「胃がもたれたらどうするんだ! 責任者呼んでこい!」

「は、はい、ただいま!」

お団子ヘアの優子さんが厨房に向かうのを確認した俺は対応をすることにした。

「優子さんは配膳の続きやっててください! 暁月高校の監督さん、どうしたんですか」

「どうしたもこうしたも、おたく、前々から北信越駅伝の前泊の斡旋になっていたことは分かってただろう? それなのにこんなもの出しやがって」

「こんなもの……?」

「こんな脂っこいもの、選手に食べさせられるか!」

「人が汗水垂らして作ったものを、こんなもの呼ばわりですか」

 二ノ丸高校の生徒達が「やっば」「モード入っちゃった」と言ってるのが聞こえるが……そんなことはどうでもいい。

「自分で自分の食事も、泊まる場所も手配できないから栃岡湯(ここ)を使うことになったんでしょう。つべこべ言うなら出てってくださいよ、夕飯がまずくなる」

「な、何様だよあんた! こっちは金払って使ってるんだよ!」

「俺だって金払ってるんだよ!!!!! 安月給で!!!!!」

 怒りの限りだった。ただでさえ初任給なのに減給減給&出勤停止で貯金ないんだよこっちは!!

「車の維持費もかかってるし、なんで実家に金払って泊まらなきゃいけないんだよ!!」

「か、関係ないじゃないかそれは…… ていうかあんた、二ノ丸高校の栃岡じゃないか。母校で先生やってるんだってな。その実家だったとはな」

「そうですよ。だから料理に難癖つけないでいただきたい」

「へっ、そんな甘い食生活じゃたかがしれてるよな」

「なにを―――――」

「ソンなコト言うホウが、アまいとオモイます!」

 え? いきなり誰と思い二ノ丸高校を見ると……そこにはサクラが、そばかすのある頬を真っ赤にしていた。

「え、りゅ、留学生のサクラ・ハーネント!? 県駅伝には名前もなかったのに!?」

「ワタシ、USAでタクさンのゲームをミテきましたが、ゲームノゼンじツでも、メックのハンバーガー食ベテまシタよ。世界キロク保持者ガ」

 サクラから言われて、こないだ陸上雑誌で「世界王者M.ゲイの大好物はハンバーガー」なんてのを見てホントかよと思ってたがホントだったんだな。ていうか試合前にメックでいいのかM.ゲイ!?

「日本ハ恵マレています。デモUSAは、大ザッパです。それデモ、強いセンシュはツヨイ。ナニモカモ、跳ねカエセル強さ、ありマス」

「サクラ……」

「ダカラ……、ワタシは、美味シク、いただきマス!」

 サクラはそう言いながら箸を持つ。

 隣に座る稲穂は敏感に反応する

「あー! ちょっと、サクラずるい! 私も食べるー! いただきまーす!」

 急にいただきますをし始めるサクラと稲穂。それに引き続きメンバーも続々といただきますをし始める。

小学生ですかあなたたちは!? みんな揃ってからいただきますをしませんか!?

「はぁ…… まったくもう……」

「……楽しそう」

「えっ」

 俺は声のした方を見ると、暁月のジャージを着た選手が目に入った。寺門だった。漣と同じくらいの長さのショートヘアをしている。

 彼女はポツリとそうつぶやくと、何ごともなかったかのように視線をそらす。まるでさっきの言葉をかき消すかのように。

 なんだ、変な子だな。

 俺は少し疑問に思いつつも部員たちに引き続き夕飯を食べ始めた。


 食後、食器を片付けると北信越駅伝用のゼッケンを全員に配布した。既に北信越駅伝ん戦略については散々話し合っているし、ここはライバルも宿泊しているので、細かい戦術の打ち合わせはするべきではない。早めに切り上げて明日に備えることにした。

 俺はミーティング後に厨房の手伝い……皿洗いを手伝わされてから、翌朝の仕込みをやった。宿泊客にも関わらず小一時間ほど無賃金労働をさせられた後、俺はようやく浴室へ向かえたのであった。

「はぁ…… ジャガイモの皮むき疲れたなぁ……」

 栃岡湯は女子選手のみの宿泊斡旋だったので、男湯には誰もいなかった。開放感ある16畳ほどの脱衣所に、俺の着替えの音だけが響く。

「…………」

 とても殺風景だ。さっきの暁月の監督に来てほしいとか思うわけではないけど、なんか寂しい。

「誰か話し相手くらいほしいなぁ……」

「寂しい男ですねぇ……」

「うわ!?!?!」

 女の子の声!? ここは男湯のはずだぞ?

 声がするのは洋室の方からだ。

 曇りガラスに徐々にシルエットがはっきりとしてくる。

「うわー!! やめろ!! まじでやめろ!!」

 俺の思考回路は急に活性化した。

 ここの宿にいるのは女子高生→恐らく声の主も女子高生→その女子高生の裸を見ようとする俺→変態→懲戒免職

 やべええええええええ

 と、とりあえずここから逃げよう!

 着替え一式を持って出口に方に向かおうとした、その時

「待ってください! 栃岡先生!」

 呼び止められた。先生と言われたからには生理的に止まってしまう高校教師の俺。

「だ、誰だ……? うちの生徒じゃないみたいだけど……」

「名乗るほどの者でもありませぬ」

「武士かよ!」

「それでも、聞きたいことがあるんです」

 な、なんだ急に。男湯に乱入して質問?

「漣さんは、明日、何区ですか?」

「なかなか戦略的なことを聞いてくるんだな…… 誰だかわかんないけど、それは教えられないよ。機密情報ってやつだ」

「そうですか……」

 その声の主は残念そうな声をする。曇りガラスにシルエットを残したまま立ち尽くす。このまま放ってもおけないな……

「でもなんでそんなこと聞いたんだ? 敵情視察?」

「そんなことしなくても、私たちは都大路を掴みます。そうじゃなくて……私は思いっきり、思いをぶつけたいんです。あの人に」

「あの人……? それが漣か」

「そう、ですね。あの人に一番近づけるのはレースのときだけだから……最後に漣さんの鼓動を聞きたい、そう思ったんです」

 ……

「なぁ、寺門」

「えええええ!?!?! だ、誰ですか寺門って!? ダチョウ倶楽部ですか?」

 とぼけるな! 正体分かってるんだよ!

 曇りガラスのシルエットがガタガタ震える。これはもうバレバレだ。

「……まぁいいよ。5区」

「ふぇ?」

「常盤漣が走るのはアンカー、5区だ。来たければ来な。俺たちは負けないから」

 あーあ言っちゃったと自分でも思ったけど、いいんだこれで。

 漣と寺門、この2人が分かり合うには言葉はいらない。お互いのことをさらけ出す必要がある。それは駅伝の舞台、それだけだ。

「まぁ区間が区間だから並んで走ることがないと思うが、それで満足できるんなら待ってるぞ」

「えぇ…… 分かりました」

 満足そうな声だった。

 それを聞けただけで、明日彼女たちは大丈夫なんだと思えた。

「でも、手加減するわけじゃないからな。俺たちは全力で都大路を狙いに行く」

「当然です。そんなことも誤解していると思ったんですか?」

「な……なんだとぉー!?」

 いきなり失礼になったけど、なんなんですか!?

 ……あ、そうか。寺門は「毒舌口調に相手のことを想いやれる」人なんだっけ。じゃあこの場合は

「『そんなことも誤解しているほど分かりあえてないんですね、すみません』てことか」

「そうです! それが言いたかったんです!」

「じゃあ最初からそう言えよ! 自分から弱点を克服してくことも覚えなきゃだめだぞ」

「ううう…… ご、ごめんなさーい!」

 北信越駅伝前日の夜は、宿の手伝いだけでなく、生徒指導にまで明け暮れていたのでしたっと。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ