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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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54/95

2週間前

 北信越駅伝を約2週間後に控えるこの日、部活終わりに俺は涼風を体育館の裏に呼び出した。

 生徒が下校しつつある放課後。涼風を体育館に背を向けて立たせる。

「あ、あのー…………センセー、これはどういうこと?」

 俺は朱から聞いた漣の「あの一件」について問い尋ねようと、壁に思いっきり手を当てる。

「ちょ、ちょ、壁ドン!? いきなりのシチュエーション!?」

 涼風は動揺しているようだ。しかし、俺は動じることはしない。

「漣ぃ!!」

「あたしは、す・ず・か・ぜ!! 今さら言わせないでよ!!」

「無理はないか。俺は漣のことについて知りたかったんだよ」

「無理ありすぎでしょ!? 紛らわしすぎじゃない!?」

 俺は小さくため息をつく。やれやれ。俺としたことがついうっかり何をやっているんだ。

「それはそうと」

「軽く流してるし!? ていうか何? バスの時間あるんだから手短にね」

「漣の中学時代のことについてだ」

「っ……!」

 俺が切り出した瞬間、涼風の表情が一気に曇ってしまった。普段はテンポよく誰にでも軽く話しかけるような涼風には不似合いな顔。決して触れてはいけない、タブーに触れてしまった。そんな顔だ。

「誰から聞いたの?」

「朱からな、この間のオープンキャンパスの帰り道で―――」



 つい先日行われた二ノ丸高校のオープンキャンパスの帰り道、朱を家まで送ってく道中で漣の話になった。

「漣は中学時代、全中駅伝を棄権してたって? でも聞いたら区間13位って言ってたぞ」

「朱もあんまり詳しく知らないんだけど、漣先輩が2年生のときと3年生のときの2年連続で出場してるみたい。区間13位は3年生のときの結果だと思う」

「じゃあ2年生のときに、出走もせずに途中棄権をしたってことか」

「そういうこと、だよね」

 事実を掘り下げていくごとに、俺はどことなく重たい気持ちになってしまう。何も寄せ付けないほどの深くそして重たいものがあるのだということを直感で感じた。

「でも、なんで棄権したんだ? 故障者が出たにしても、全5区間に補欠が2人もいる」

「そこまではさすがに知らないよ。でも2年生のときは、本当に入賞するかもしれないって言われたチームだったんだって」

「そんなに速かったのか、出崎中学は」

「うん。でも何でか知らないけど、高校以降は陸上続けてる選手が少ないんだよね。あ、でも1人まだ中長距離やってる人いるよ? 暁月高校の、えーっと」

 暁月高校、漣と同じ中学校と聞いて思い出さない名前はなかった。

「それってもしかして、寺門?」

「そう! その人! 800mで全中、インターハイ、国体に出てる正真正銘の最強800mランナー。こないだ練習会で見たけどカッコよかった~!! あれぞ、中距離ランナーってカンジだよね」

 寺門といえば、県総体のときにスパイクで漣のシューズを踏んだ犯人かもしれないと言われている選手だ。写真判定も行わなければ犯人探しもなかったので断定は出来ない。しかし、県新人の後に漣に「県大会の時にスパイクで踏んだのに、よくまだ走ってられるね」と言ったことを考えれば、犯人と言っても過言ではないだろう。

 その寺門の名前を出されてしまっては、俺も動揺するほかなかった。

「て、寺門が3年生のときに走れなかったのか」

「そうそう! ホントにホントにかわいそうだなって、朱は思っちゃう。っていうかお兄ちゃん何か知らないの?」

「何も知らないよ……… 去年までブラック企業で働いていたような人間がローカルな中学選手の話題なんて何も知らんわ」

「そういうことじゃないて! 漣先輩も涼風先輩も、そして生徒会長の吉村先輩もみんな同じ中学じゃん。先生なんだし、何か聞き出せたりしないの?」

「言われてみれば………… ちょっと聞いてみても、罪はないか」



「―――――っていうことなんだけど、涼風は何か知らない?」

「何この流れ………… んまぁ知らなくはないけど、陸上部員じゃなかったしぼやっとしたことしか知らないよ?」

「ぼやっとしたことでもいいから教えてくれ!」

 俺は壁ドンした勢いで涼風にグッと顔を近づける。涼風の顔、近くで見ても本当に漣にそっくりだ。なぜだか少し顔が赤らんでいるけど。

「ちょ、ちょ、分かったから顔が近い!近いってば!! んーっと、結論から言うと『インフルエンザ』なんだよね」

「え?」

 俺は拍子抜けしてしまった。インフルエンザ?

「ほらほら、一昨年あたりに大流行したじゃん。H2G2型だっけ?の新型ウイルス」

「大学3年のときだから覚えてるぞ。たしか、局地的に集団感染するのが特徴なんだよな」

「そうそう。出崎中もそれにやられちゃってさ。あたしも本当に死ぬかと思ったわ………」

 俺も記憶にある。箱根の予選会の2週間後に明英大学の寮生が全滅したけど、なぜか俺だけが無事だったあのインフルエンザ。「○○は風邪引かないんだな! 栃岡!」と猛烈にいじられたのもいい記憶だ。

「それと全中駅伝がどう関係あるんだ?」

「たしか補欠の2人とおねーちゃんが罹っちゃったんだよね。」

 漣は○○じゃなかったのか…………いや、なんでもない。

「それが全中駅伝の直前で、出崎中学は全中駅伝に出れなかったってことか」

「ご名答だよ、センセー」

 いつもニコニコヘラヘラしてる涼風も、このときばかりは苦い顔をしていた。都大路を目指す彼女にとっては全中駅伝に不慮の事故で出れなくなってしまった双子の姉・漣の気持ちが痛いほどわかっているのだろう。

 全中駅伝とは中学生の大会とはいえ全国規模の大会だ。私立の中学校には全中駅伝に出るために小学生段階から選抜を行っていたり、寮生活を強いたりする学校もあるほどだ。そこまでやっても、出れるのは都道府県で1チームだけ。まさに都大路の中学生バージョンといえよう。

「漣も悔しかっただろう……」

「らしいね、大会が終わってからはずーっと練習が手につかなかったみたい。ようやく走れたのは春先になってから。おかげで練習不足で最後のシーズンは台無し、冬の駅伝になんとか合わせられたってかんじかな」

恐るべしだな、インフルエンザ。

「じゃあちゃんと練習を積めていれば、漣はもっと全中駅伝を速く走れてたんだな」

「思考がおねーちゃんのことじゃなくてそっちに向くのね、残念なセンセー……」

 なんかとてつもなく悪口を言われた気がするんですけどー。

 とりあえずこれで分かった。漣が中2のときにインフルエンザにかかり、出崎中学が全中駅伝に出場不可。ん? そうなると寺門は……

「ひょっとして、寺門って漣のことを嫌っていたりするの?」

 俺はなんともなしにそう聞いた。その瞬間、

「ぎ、ぎくー!!」

 涼風は何かを知られてしまったような大声を出す。

「そそそっそそそそっそんなことないよセンセー、仲チョーいいからね!! マジで!!!」

 上から見ても下から見ても明らかに涼風は慌てる。伸びきったショートヘアの髪をボサボサと音を立てながらかく。

「そ、そうなのか」

「そうそうそうそう!! 仲良すぎて一度も口訊いてないんだよねーあはははははは」

 ……それって明らかに仲悪くね?

「わー! バスが来る時間だー!! 早く帰らなきゃうわー!!」

 そう言いながら涼風は俺から逃げようとする。

「おい、ちょ、待て!」

 と言ったのもつかの間のことだった。脱兎のごとく逃げようとした涼風は体育館裏を左手に曲がってすぐに誰かにぶつかり、「びゃー」という悲鳴を上げて転げてしまったようだ。

 まったく……北信越駅伝前のこの大事な時期に転びやがって。いくらサクラが復帰したとはいえ、1人でもメンバーが欠けることは許されないんだぞ。

 俺はやれやれと言いながら体育館脇に倒れる涼風のもとへ向かった。

 涼風はある真面目な生徒に覆いかぶさるように倒れていた。真面目な生徒とは、生徒会長である吉村千香。覆いかぶさって「ぐげー」と意味不明な言葉を発している涼風をよそに苦笑いをしている。

 ごめんな吉村……と申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら涼風をどかす。

「ん、ちょっと待てよ。吉村もそういえば出崎中学で駅伝をやっていたんだよな」

「いきなりどうしたんですか栃岡先生!?」

「あ、いや、すまん。実は漣のことなんだがな」

 と、俺はさっきまで涼風としていた話を吉村にもした。ちなみに涼風は本当にバスの時間っぽいので帰ってしまった。

「っていうことなんだが、漣と寺門って仲悪いの?」

「なるほどですね…… まぁ、傍から見ればすっごく仲悪そうです。犬猿の仲ってやつですね」

 吉村は片腹痛そうに、しかし真剣に話を続ける。

「漣はとにかく人を傷つけたがるんです。本心では甘えたい、でもそれがうまく表現できない。だからあんなに牙をむいてしまうんです」

 なるほど、鋭い分析だ。確かに俺も初めて部室に来たときは変態のレッテルを張られたもんだ。

「一方の寺門先輩は、その………絶望的なくらいに言葉の使い方が、下手なんです」

 は? それどういうこと?

「本当はとってもいい人なんですよ。でも、なんかこう、会話にならないんです。それを漣が誤解しているから嫌って、嫌われた寺門先輩はどうしていいか分からずもっと意味不明な会話をしてしまい、また更に漣が嫌って………という悪循環なんです」

「いったいどんな悪循環だよ…… でも、漣は新人戦のときに寺門から『そんな怪我して、よくまだ走ってられるね』とか言われてたみたいだぞ」

「ああ、それは『そんな怪我して、よくまだ走っていられるね』の後には『怪我は大丈夫?』とか『辛いことあったら頼っていいんだよ?』って意味ですね」

「えええええ!? 嘘でしょ!? どんだけ紛らわしいんだよ……」

 回りくどいというか、最後まで言えよそこは! 俺はずっと心配してたんだからなそのこと!

「こんなのはまだ易しいほうですよ。『あなたの努力は無駄だから』って私は言われたことあるんですけど、これってどういう意味だと思いますか?」

「なんだその酷い言葉…… うーん、ひょっとして、『あなたの今の努力では目標に達することが出来ないから、やり方を変えるべきだよ』とかか?」

「おー、栃岡先生、正解ですよ! もっと言うと、そのあとには『私もそういう経験あるから、辛いのすごく分かる。でも、だから一緒に頑張ろう!』ですね」

 なんだよこれ、カルトクイズかよ。

「でもじゃあ、県総体で漣の足を踏んだスパイクは誰のだったんだ」

「それはさすがに分かりませんね。でも、少なくとも絶対に寺門先輩はそんなことしないです。私が目をこすっただけで『大丈夫?』と心配そうに見つめる人ですから」

 そんなに優しい子だったのか、寺門は。少なくとも俺が持っていた悪い子のイメージは全くの間違いだったわけだな。

 とにかくこれでハッキリした。

 漣は全中駅伝を目前にインフルエンザにかかった。で、それを心配した寺門は声をかけたんだけど、漣はそれで「寺門は漣のことを嫌っている」と思った。嫌われた寺門は、漣に更に嫌われるけど仲直りも出来ず……県総体のスパイク事件で更なる誤解を生んだ、ってとこだな。

「そんな感じだと思いますよ、栃岡先生」

 吉村はホッと安心したように笑顔になった。と同時に、俺にそっと告げた。

「栃岡先生ならあの人達をなんとかできると思います」

 優しさに満ちたような笑顔だった。

「私も不器用なんです、こう見えて。漣と寺門先輩をもう一度くっつけようとして、うまくいかなかったんです。むしろ、ちょっと距離が開いちゃったかもしれない。でも栃岡先生なら解決を出来る気がするんです」

「それってなんでだ?」

「駅伝バカ、だからです!」

「えっ」

 度肝を抜かれた。ていうか漣以外の生徒からバカって単語言われるとは思わなかったぞ。

「漣と寺門先輩が一番近づけたのは、実は県総体のあのレースなんですよね。陸上をやってるときだけです」

 それってすごく悲しいな、と言おうとしたがぐっと堪える。

「でも、だからこそ先生が仲介役になれると思うんです。それは陸上に、駅伝にひたむきな先生だからこそ出来ることじゃないですかね」

「俺は、俺はそんな風に役立てるのか?」

 言った瞬間、高校教師が生徒に不安を言ってどうするんだと思った。

 でも吉村は、それでも優しい顔をしていた。

「栃岡先生が栃岡先生らしく接すること、それだけで、生徒(わたしたち)は幸せなんですよ」

 そう告げると吉村は「さ、校舎閉まっちゃいますよー!」と駆けていった。まるで言葉の意味を深く知ってもらいたくないかのように。

 辺りはもう暗くなっていた。ていうか今は11月の入りはじめ。新潟のこの時期は、夜はスーツだけだとけっこう寒い。

 腕につけているランウォッチのライトをオンにした。

11月2日。

 北信越駅伝まで、あと2週間ちょっとだ。


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