作戦会議
駅伝部のみんなが陸上トラックの芝生で軽くジョグをしている。俺はノート片手にグラウンド脇のベンチに腰掛けると、目の前に降りかかった重たい課題について考え始めた。全国高校駅伝、別名で都大路への切符をかけた最後のチャンスである北信越駅伝のメンバーをどう組むかということだ。
どうするかと言っても、大方のメンバーのエントリーは既に確定している。県高校駅伝で快走を見せた京子と稲穂はほぼ確定だし、タイムは悪かったもののポテンシャルは有り余っている漣は走る以外の選択肢がない。この3人はメンバー確定というところだ。
しかし実際の駅伝の区間は5区間、もう2人を選ばなければならない。メンバーのうち、残りは信乃、涼風、そしてサクラの3人だ。サクラの自己ベストは京子達3人とほぼ同レベルだが、手術明けの病み上がりということもあり実質的な自己ベストは信乃と涼風とはほぼ同じになる。つまりサクラ、信乃、涼風のうちから走るメンバーを2人選び、走らないメンバーを1人決めないといけない。
北信越駅伝は弥彦村の田んぼロードで行われた県高校駅伝とは違い、長岡市の比較的変化に富んだコースで行われる。信濃川をまたぐ大きな橋もあれば、カーブやアップダウンの多い市街地もあり、さらには弥彦村のコースのようなだだっ広い田んぼ道もある。自己ベストや今の体調だけでなく県駅伝での駅伝の走り方も考えなければならず、更に陸上競技特有の運要素も考えれば正直言ってこの問題には絶対的な正解などない。ノートにメンバーのタイム、県駅伝での走りや今の調子などをマトリクス状に埋めていくもののやはりあとの2人だけは決められないままだった。
数十分間考えても考えてもあとの2人を決められない。そうこうしているうちに動きづくり+20分ジョグの軽い練習を終えたメンバーたちが俺の目の前に集まり始めていた。昨日も疲れもあるわけだし、長居は不要。さっさと帰らせて疲労回復に努めてもらいたいところだ。
「今日の練習は軽めに出来たな。疲労回復と模試の勉強をしてもらいたいし早めに帰ってくれ」
「センセイ、質問ガありマス」
帰国ホヤホヤのサクラが質問を投げかけてきた。
「おう、どうした」
「エキデン、ダレが走るンですカ?」
「うぐっ」
サクラは俺の目下の悩みを見透かしているのか。不意を突かれた気分になったが……まぁここはみんなにも正直に話しておくべきことだろう。俺一人では到底解決できそうもない問題だし、そもそもこれは彼女たちの駅伝でもある。
「実はな、エントリーについては俺も悩みまくりなんだ。京子、稲穂、漣の3人は1区6㎞、2区4㎞、5区5㎞のどれかを走るとして、残りの3区4区の3㎞をどうするか。サクラと信乃と涼風の実力は今、横一線の状態にある。誰を選ぼうか、俺にはちょっときめられなくてな」
軽めの練習の穏やかな雰囲気とは打って変わって一気に真剣な雰囲気になってしまった。それもそのはず、彼女たちがうすうす気づいていたことを今ここで俺が一気に言葉に出してしまったからだ。
「やっぱり、すぐにでも考えないといけない問題ですよね」
最初に口を開いたのは現駅伝部部長である京子だった。
「県高校駅伝が3位で終わって北信越駅伝が決まったその瞬間から、ずっとこの北信越駅伝でのオーダーは考えなくてはいけないと思ってました。次こそはもう後がありません」
都大路に行けるのは原則として1都道府県につき1校だけだ。しかし今年は数年に5年に一度の特別ルールで、県駅伝の上位3校が進めるブロック駅伝大会からも更に1校が都大路に行ける。
「北信越駅伝で都大路を決めるには必ずしも1位ではなくていいのがポイントだ。例えばうちが3位であろうと4位であろうと、他の都道府県大会1位のチーム以外に負けなければ都大路に行けるってことだ」
「うーん……なんかすごく難しい……」
ただでさえレース展開とか頭を使う作業が苦手な涼風がキリキリと悲鳴を上げる。
「だったらもう1位狙いで最初から全開でいけばいいんじゃない? ほらほら、おねーちゃんと信乃先輩がもう少しちゃんと走ってればもう少しタイムも……ってひぃいいい」
恐ろしい剣幕で涼風に殺意のこもった視線を送る漣と信乃に気付いた涼風は、猫に見つかったネズミのように一気に凍り付いてしまった。
「ま、まぁまぁ…… 確かに涼風の言うとおりに、最初から1位狙いで走り切るのも1つの手段だな。でも俺としては、それは賢明ではないと思う」
「え、どうしてどうして?」
「今回は都大路をかけた最後の戦いであると同時に、都大路の前哨戦でもある。県1位で通過したチームはもう都大路を決める戦いなんてどうでもいい。1秒でもいいタイム、そして順位を目指そうとするだろう。彼女たちは俺たちよりも確実に各上だ。そいつらとまともに戦ったらどうなる?」
「スピードレースになるし、最後は先頭に競り勝てるかどうか、だよね」
涼風はその時、はっとした顔をした。
「先頭に振り落とされたら、その時点で勝つべき相手との勝負を完全に見失うってこと?」
「その通りだ。先頭に振り落とされて3位に入っても、他の都大路を決めていない高校が2位なら意味がないんだ。俺たちのライバルは都大路を決めていない高校、それだけなんだよ」
ここまで言うと、今度は漣が割って入る。
「見かけの順位と、本当に目指す順位が違うってことね。800mの予選のプラス通過狙いみたいなかんじなんだね」
「そう。だから今回は前回以上に情報戦なレースだ。しかもコースは各区間ごと同じコースの折り返しではなく、長岡の市街地を横断するかたちをとるから距離だけでなく変化に富んだコースだ」
「最後のアンカーは今までの情報を総合して考えて作戦を立てて、かつ5kmを走れて勝負強い選手じゃないといけないってことね」
「そうだ。だから今回のアンカーは漣でほぼ確定なんだ」
「なるほどなるほど、確かにそうなるよね―――――――って今度はアンカーなの!?」
いきなり告げられたアンカー確定のことにただただビビる漣。
「あたし、元々中距離選手だよ? それなのに5kmのアンカー区間だなんて……不安要素多すぎてみんな任せられないでしょ、ね! みんな!」
漣はそう言いながらメンバー全員の顔を見渡すが、京子は
「い、いや、漣さんで適任だと思うけどな。ラストスパートは私よりも得意なわけだし」
涼風は
「確かに! お姉ちゃん、勝負強いからね~!」
信乃は
「本当は県駅伝でも漣さんがいいと思ってましたが、ラスト勝負となるとここは漣さんしかいませんね」
サクラは
「ホントは私モ、アンカーがヨカったケド……本チョウシではナイですシ、ここはサザナミ先輩しかいないデス!」
そして稲穂は、漣の手をしっかりと握りしめて
「姉貴、お願いします」
「はぁ……まぁ、やるしかないのね。了解!全力尽くすから!」
そういいながら漣は俺の額に勢いよく凸ピンをした。……って、いってぇ! どんだけ握力強いんだよ!!
「県駅伝では1人で走れないことが懸念だったからアンカーは避けたんだけど、アンカーに一番適任なのは漣なんだよ。北信越駅伝で走る長岡の市街地は目標物が多くてトラックみたいにペース感覚がつかみやすいだろう。頼むぞ、漣」
中距離出身のランナーがいることは不安要素ではなく、むしろ追い風なんだ。県駅伝での走りを払しょくしたい漣にとって、これほどにいい区間はない。
「あとの4区間だが、そのうち2区間ほぼ決まっている。1区は京子、2区は稲穂だ」
「なんとなく察しはついてたんですよね」
自分の予想が当たったおかげか微笑みながら京子は応えた。
「1区の6kmは走りやすいコースだが、やはり一番長い区間というだけあって他のランナーとのタイム差がつきやすいところだ。一度崩れてもまだ立て直せるし、調子が良ければトップで繋いでもいいんだぞ」
「そう仰いますか。でも、頑張りますよ! 県駅伝でのタイムがまぐれじゃないことを証明してきます」
背筋を伸ばして自信をもって答えた京子を見て、もしかしたら本当に区間賞をとってしまうのではないかと思ってしまった。
「稲穂も、しっかり頼むぞ。2区の後半はアップダウンがあるし、最後は田園地帯でペースがつかみにくいと思うけど、難しいこと考えずにしっかり走りぬいてくれ」
「はい!県大会のタイムじゃ少し物足りないと思っていたところです。アップダウンは苦手じゃないので、後半に勝負できるようにしっかり走りぬきます。よろしくおねがいしまああああああす!!!!!」
最後の最後に稲穂の特大ボイスを挟んできた。完全に気を抜いていたので俺もメンバーも鼓膜が破れる危機に襲われた。あ、鳥の鳴き声が聞こえる。耳が無事で、本当によかった。
「んで、本題が3区4区なんだよな」
さっきまで盛り上がっていた駅伝も、俺の声を聴いて一気に真面目な雰囲気になる。
「3区4区は同じ3kmだが、そのコースはかなり違うぞ。3区は稲穂が上った丘陵地帯を下って街の中心部へと走り、4区は街の中心部を走って5区の漣へとつなぐ」
県駅伝のときはそれこそコースなんて田んぼを走るだけだったのが、今回は違う。市を横断するコースだけあって変化に富んだコースだ。
「加えて、他の都大路を狙う高校は持ちタイムが比較的遅い選手が出てくる。他県の大会の結果を見てみたが、やはり3区4区は距離が短いこともあって有力な選手が出てこない。いわば、つなぎの区間といったところか」
「しかし無視はできない区間、ですよね?」
信乃が鋭い一言を加える。
「全くその通りだ。前半で遅れてたチームが立て直すこともあるし、ブレーキとまではいかなくてもかなり差が開いてしまうことがある。安定していいタイムを出せることが大事だし、カーブや下り坂で転んだりすることはもってのほかだ」
ここまで言ったとき、やべ信乃は県駅伝で思いっきりこけてブレーキしたんだったと失言した気分になってしまったが、信乃はやはり冷静に「ああそうですね、そうでしたね」と言わんばかりの顔をしている。……あ、これってちょっと怒ってるのかな?
「と、とにかく、この2つの区間についてはもう少し検討が必要だ。過去のレースパターンや調子の合わせ方、走り方の特徴、さらに他県のチームの組み方を統合的に考えて決める必要がある。俺も帰ってデータを参照してみるよ」
「先生、私たちも、もう一度お互いのことを話し合ってみる必要があると思うんですが」
京子がいつになく、キリッとした面持ちで俺に提案してきた。こんなこと、いままであっただろうか?
「お、それは名案だな。今日はもう夕方だし、明日の午前中も模擬試験がある。午後は駅伝の試走に長岡市まで行くつもりだけど、明日の午前中までになんとなくは話し合っておきたいな。できれば明日の試走が終わってから、メンバーを発表したい。少し早い気もするが、本番まではもう3週間しかない。急いで調整に移りたいんだ」
「思っていることが同じで安心しました。こっちの段取りは任せてくださいね。先生はデータ処理を、お願いします」
ハキハキと京子が段取りまでとってくれて俺としては助かった。が、なんだろう。なんか京子がこんなにテンポよく動くと少し不安になる。教員としては生徒の成長を喜ぶべき名だろうが、秋以降一気に顔つきが変わった京子には何かあるんじゃないかと思ってしまった。
そんな不安をいだきつつ、今日の部活はそそくさと終了。メンバーたちは部室に着替えに行ってしまった。
競技場に残された俺はラッキーまだ時間あるじゃんと思い、学校に無許可で照明を付けて自分の練習を開始した。実は全然練習してなかったのに新潟ロングディスタンスであれだけ走れるとさすがに県陸協も黙っていないらしく、年明けの都道府県対抗駅伝の一般選手として出場しないかと声がかかってしまった。5000m以上は全く走れる気がしないので断ろうかと思ったがやっぱり高校以来の全国大会の話だ。いくら駅伝部の都大路があるとはいえ、もう少し頑張るくらいは許されると思っていた。
今日のメニューは12000mのビルドアップのあと、2000mを追加で行う。かなり骨の折れるメニューだが高校教師は思ったより時間がないので毎週1,2回でこんな練習をやっている。毎回追い込み切るので終わったときは1歩も走れないくらいに疲労しているが、大学時代の駅伝部ようにだらだら距離を踏むことがないのでむしろ選手としての寿命は延びているように感じる。
軽いジョグの後に、一人でスタートラインに立ち、自分でスタートを切る。誰もいない競技場で俺は何をやってるんだという気分にはならない。毎回の練習がパーティーのような、そんな高揚した気分になりながら走る。
もちろん最後は楽しいとか楽しくないとか、そんなの関係なしに全力で走り切る。楽しくなければ走れないわけじゃないからだ。俺はここから走って、もっと、もっと遠くに行きたい。それは都大路の京都でもなく、都道府県対抗駅伝が行われる広島でもない。ひょっとしたらこの世にはそんざいしないのかもしれない、そんな極みに俺は走って到達したい――――――――
毎回、気付いたら練習が終わっている。自分では冷静になりながら追い込んでるつもりだが、走り終わってハッとするのは相当に無我夢中だった証拠だ。もう少し冷静になって自分の走りを支配できたらどうなるのか?なんて考えるほどにワクワクする。
陸上競技は本当に楽しい。長距離だけを切り取ってみてもこんなに楽しいんだ。他の種目をやっていたらまた違った楽しさがあったんだろうな。
練習後の楽しい物思いにふけっていたら、トラックのゴール地点で恐ろしい顔で仁王立ちする黒髪ロングの少女がいた。あ、あれ? 朝陽は今日は夜まで研修だし、それ以外のロングの子と言えば……
「栃岡先生、グラウンドの照明の使用許可はとっているのですか? 教頭の娘としてこれは見過ごせませんね」
はい、信乃さんでしたー。そして勝手に証明使ってるのがバレましたー。
「うぐ、親子揃ってちょっとは大目に見てって……」
「駅伝部の弱みを握られたいんですか? ただでさえ都大路にいけなかったら廃部、栃岡先生もクビだというのに」
耳が痛い。俺も思い出さないようにはしてたが、今年都大路にいけないと駅伝部も俺の職もなくなってしまうんだよな。
「あぁわかった、悪い。すぐ片づけるから」
「駅伝部を指導しただけでは飽き足らず、自分も走りたがるとは本当の陸上馬鹿ですね」
いつになく口が悪いぞ、信乃。
「ところで、栃岡先生」
俺をけなし切ったあとに、信乃は本題に移るろうとした。
「どうしたんだ、結婚についての悩みか?」
「駅伝の3区と4区のメンバー、私を外してもらえないでしょうか」
そう言った信乃の眼は、涙ぐんでいた。




