再会、そして
県駅伝翌日の今日は土曜日にも関わらず二ノ丸高校では模擬受験が行われていた。特別な理由がない限りは全生徒参加必須のテスト。1,2,3年生が明日の日曜日も費やして一日中テストに臨む。もちろんのこと、駅伝部のメンバーも全員強制参加だ。
教頭が強引に学校改革をしているせいで部活も姿を消しつつあるし、さらに授業やテストの負担も当然増えている。土日に生徒に学校に来させてテストを受けさせるのは試験監督をすることになる教員からしても結構ツラいのが本音だが……まぁ今回は大目に見てやろう。この「真剣模試」は全国の高校生が受ける最大規模の模試だし、その重要性だけあって名前の通り生徒は真剣に取り組む傾向にある。
ただそうは言ってもツラいものはツラいな。昨日の駅伝が終わった後、俺と朝陽と二人で打ち上げをしたのだが二日酔いがひどい。しかも朝陽が居酒屋で完全にハメを外して酔いつぶれてしまったので……飲酒済みの俺は彼女を家に送ることなど到底出来ずに苦肉の策で我が家に泊めたんだが、翌朝目覚めた時に「ここここここんな高スペックな女子をひひひひひ一人暮らしの男の部屋につつつつつ連れ込むだなんてえええええ」とかなり慌てた様子だった。じゃあどうすりゃ良かったんだよ。こんな田舎じゃ野宿か我が家くらいしかないんですが、
「うぐっ……」
少しでも難しいことを考えると頭痛がする。無理はないよ、駅伝から帰ってから日付変わるまで飲んでたんだから。二ノ丸高校の近所の俺が住んでるアパート(と言っても学校からは数百メートルは距離がある)からの道のりもしんどかった。午後にはよくなるといいんだがなぁ。
グァングァンする頭を必死に堪えながら生徒達を見まわす。ここは3年生の教室だ。京子と信乃のいるクラスで、さすがにほとんどが受験生だけあってみんな必死に答案用紙を書き進める。
京子もその一人だ。一回りも二回りも小さい体で、他の生徒と同様に問題を解いている。たしか夏休みに京子の家に携帯電話を届けるついでに京子ママと話したときには難関国公立を受けるみたいだと聞いたな。俺が聞いても京子はぼんやりしたことしか言ってないので今でも志望が変わってないかは不明だが、要するに京子って頭いいんだな。
目の前の京子が眉間にしわを寄せて作る真剣な顔は、彼女の童顔な面持ちとミスマッチだった。俺はそんな京子の顔を眺めつつこっそり応援をしていた。
その時、京子が顔を上げた。黒板に書かれた残り時間を確認するためにまっすぐ前を見たので、ふと、俺と視線がぶつかる。
(あっ)
試験中だったので実際に声には出さなかったものの、心のなかでそう呟いてしまった。
目があったのはほんの一瞬だった。でもなぜか、しばらく見つめ合っていたと思えるくらいに長い時間にも思えた。
一方の京子も「まずい変なもの見ちゃった」感じで恥ずかしそうに顔を真っ赤にして何事もなかったかのように再び答案用紙に向かう。
ひ、ひょっとして、「わー栃岡と目合わせちゃったきもいんですけど……」みたいなこと思ってるんじゃないのかな? 普段からあまり自分のことを表現しない京子は俺に対してそんな嫌悪感を抱いていたり……
いやいやいや俺の被害妄想だよな!?都大路に向けて最後の戦いが始めるのに顧問と生徒の亀裂入らないよな!?
(ま、まぁそんなことは、き、気にしないことにしよう。残り10分、ラストスパートかけてくれよ。)
俺は心の中でそう思うと、1人ため息をした。6月の県総体の頃の京子と、最近の京子とでは絶対に何かが違う。それは俺に対してだけなのか、それとも周りを含めて変わっているのか知らない。でも確実に京子に変化が起こっているんだ。
いったい、それが何なのか。どうして京子に起こって、どんな影響が出るのか俺には全く分からなかった。全く、教師としても指導者としても半人前にもなれてないな。
また深いため息をした。今度はリアルなため息だ。岸部高校や暁月高校には俺の高校時代からよく知ってる監督が指導をしている一方で、俺みたいなまだまだ顧問初心者が本当に戦えるのだろうか? いや顧問初心者という以前に俺はまだ指導者初心者でしかない。自分で言うのもアレだが、活躍してきた選手でしかない俺が本当にいい指導者になれるのだろうか?
もはやテストの監督なんて完全に忘れていた。俺は俯きながら頭のなかで考えをグルグル回していたのであった。答えなんて出るはずもないのに。
ずっと俯いていたままだった俺だが、ふと頭に何かぶつかったのが分かった。
なんだろう、紙屑を丸めたようなものが飛んできたようだ。思わず飛んできた左斜め前の方向を見る。
一番前の席には信乃がいた。いつもはポニーテールにしている髪も今日は下ろしている。彼女は自分のしている腕時計を俺に見せつけるようにし、指さしながら口をパクパクさせていた。彼女は口パクで「じかん、じかん」と言っているようだった。
俺は慌てて自分の腕時計を見る。14時34分50秒、試験終了の20秒前だった。あっぶねぇ。俺は信乃に会釈しつつも慌てて席を立ち、静かに答案用紙回収の準備を始めたのだった。
その試験で今日の科目はすべて終わった。職員室に答案用紙を返却して陸上競技場へと歩いていたところ、同じく陸上競技場に向かう信乃に遭遇した。
「もう……授業中に何考えてたんですか……」
信乃は呆れんばかりのため息をして、俺を見上げる。モデル体型で長身の信乃だが俺の横に並ぶと彼女は見上げるように話す。
「教師に悩みは付き物だよ……そういや信乃はさっきのテスト余裕そうだったな。学年トップクラスの京子でも苦戦してたみたいだけど」
「毎回京子さんは顔をしかめてテストに向かうので心配ありませんよ。いつものことです」
「そ、そうなのか」
京子はいつもあんなに顔を真っ赤にさせてテストに向かってるのか。その気迫とか根性っていうのはさすが京子ってところだな。
「んで、信乃はいつもその様子を見物してるわけだということか」
「人聞きの悪い言い方ですね……あの程度のテストなら9割は固いですよ。学年1位は無理でしょうが今回も少なくとも5位以内でしょう」
一瞬、耳を疑った。なんでこんなに軽々しく学年最高クラスの実力だと言い切れるんだ、この子は。しかも時間余らせてたじゃないか。駅伝部での急激な成長具合といい、本当に恐ろしいなこの子は。
「卒業後はお嫁に行くんだろ!? 前々から疑問に思ってたんだが、なんのためにここまで勉強する意味があるんだよ」
教師としてもう少し言葉を選ぶべきだったと思うが、ポロっと口から出てしまった。言った直後ですぐに反省したけど信乃は表情一つ崩さずに応える。
「高校生活を満足に終わらせるためです。最後の学生生活を中途半端に終わらせられませんからね」
信乃に迷いはなかったようだ。まっすぐ俺を向いた視線は強く、純粋だった。
「大森はいいお嫁さんもらったなぁ」
心からそう思った。大森は確かバツイチで子供もまだいない。60代を迎えた今日この頃、あれだけ女子選手に囲まれておきながら奥さんがいないのはちょっと気の毒かもと思っていたが、ようやく桜が咲いたんだな。おめでとう、大森。
俺は目の奥が熱くなってきたようだった。何かがあふれ出しそうだ。
「と、栃岡先生、なんで泣きそうになってるんですか!?」
普通に話していただけなのに俺が泣きそうになっているのに気付いた信乃は慌てふためいたようだった。
「いや、こんな素晴らしいお嫁さんもらって、あいつもさぞ幸せなんだなと思ってな。文句なしの最高の結婚だな!」
俺は溢れんばかりの涙を抑えながら信乃に向けて親指を立てた。信乃、大森、グッドラッグ! 2人の幸せを心からお祈りする気持ちだった。
しかし、当の信乃の顔は浮かない。
「最高の結婚、ですか……」
俺が言ったその言葉が気に入らなかったのだろうか。信乃は急に表情を硬くしてしまう。
「それって一体、なんなんでしょうね。私にはよくわからないんです」
思いのほか深刻そうな顔をしてしまった信乃に対して罪悪感が急にわいてきた。申し訳ないことを言ってしまったかもしれないと思う反面、俺がかけた言葉がどうして彼女にそんなことを言わせたのか見当もつかない。
「信乃、それって――――」
「さ、競技場に行きましょう。考えていても埒があきません」
俺の言葉を遮った信乃の歩くスピードは一段と早くなった。
競歩選手のようなスピードで競技場に向かった信乃に置いていかれた俺だったが、陸上競技場に着くと駅伝部のメンバーが何やら騒々しく集合していることに気付く。グラウンドの片隅でウォーミングアップもせずに何やってんだか。
北信越駅伝が決まって都大路への望みはまだ残されているもののこれからは本当に気が抜けない戦いだ。他県の2位以下の強豪チームとわずか1枠をかけた争いをすることになる。こんなお喋りにうつつを抜かしてお喋りしている暇なんて――――と駅伝部に対する説教を脳内シミュレーションしていた矢先、俺の視界にあの金髪少女が目に入ってきた。
長い金髪をポニーテールにまとめた、どこか日本人ぽい顔。そして誰にも真似できない超カタコトな日本語。そう、
「サクラじゃないかああああああああ!!!!!!」
俺はそれまでの説教モードと打って変わり一瞬でサクラ大歓迎モードになっていた。駅伝部一同に囲まれていたサクラも俺の声に気付いたようで、元気いっぱいに走ってくる。
「ワオ! 栃岡センセイ! センセー!!!!」
満面の笑みで向かってきたサクラは俺のことをハグ……ではないな、完全に抱きしめると頬に軽くキスをした。
「センセイ! ホントウに……ホントニ、会いたかったデス! ズっと、ズーっと、会いたかったデス!」
細い肩で、力いっぱい抱きしめられた。俺はそれだけで彼女が何を伝えたいか、分かってしまった。ずっとずっと会いたかった気持ち、それだけだ。
「あれカラ、手術シマシタ。リハビリ、しまシタ。動けナカッタわけじゃナイけど、走レナかったデス。本当にツラカッタですが、今、ソレがゼンブ吹っ飛びマシタ!!」
サクラは地区新人のその日、古傷の靭帯を痛めてからずっとアメリカで療養をしていた。父親が医者だったそうなので日本にいるよりアメリカにいたほうが何かと便利とのことだったが、彼女にとって走れないだけでなく駅伝部と離れ離れになっていたことがどんなに辛かったか。大学の頃に故障ばかりしていた俺には痛いくらい分かっていた。
「これから、また駅伝部で走るのか?」
「ハイ! モウ3000mを10分10秒クライで走レルまでには回復シテイます!!」
どの程度のケガか詳しく聞いてなかったが、靭帯をケガして手術してから2か月でほぼ元通りになるって聞いたことがない。一体どんなことをしてきたんだアメリカで。
「追い込ミが足らナイので、エキデンで使エルか分かりまセンが……」
「そこまで考えなくていいよ! まずは復帰して、日本に帰ってきて、みんなに会えた。それだけでも合格じゃないか」
「そう、デスカ。そう、デスよね!」
一瞬考えた様子のサクラを俺は見逃がさなかった。本当は駅伝部のみんなで一緒に県駅伝を走りたかったし、スカイパーじゃなくて生でメンバーを応援したかった。そう思っていたんだ、彼女は。
でも今はそんな責任感や自負心を気にしなくていいんだ。精いっぱい頑張って、それで今こうしてみんなに再会できた。それだけでまずはいいんだよ、それだけで。
「それなら今日から復帰できるな! ……で、あの、その、」
彼女と再会してからずっと言いたかったその言葉を口にする。
「What? どうしマシタか?」
「そろそろ離してくれないかなぁ……」
「アっ」
欧米式のあいさつか、サクラは俺と話すあいだじゅうずっと俺をホールドしたまま離さなかった。しかも、その、1回キスまでしてるし。
サクラは過剰に興奮した結果、今までの自分の行為に歯止めが利かなかったのだろう。俺から手をほどき冷静になった彼女は自分の行動を振り返ったようだ。いきなり真っ赤な顔をして泣きそうな顔をしながら弁解を始める。
「こここここここれは、アメリカ式のアイサツで!ダカラ、その、ボディータッチは、フヘンテキで!」
もう可哀想に見えてくるほど泣きそうな顔で弁解しようとするサクラ。
その背後に、真っ黒い顔をした三人の女子高生がいた。漣、京子、稲穂の三人組が恐ろしいほどの剣幕で立ち並んでいた。
「サクラ―、ちょっと、体育館の裏に来ようか。大事な話がある」
「部長としてちょっとお説教があるんだけどいいかな、サクラさん?」
「サクラぁ……私より先にファーストキスを……抜け駆けダメって言ってたじゃん……」
三人組の脅迫じみた一言を発すると、サクラの火照っていた顔は一瞬にして青ざめた。そして小さく「ヒィゴメンナサイ」といってすぐさまウォーミングアップを開始したのだった。
結構マジで怖いなこれ。やっぱり、サクラも少し羽目を外し過ぎてみんなの逆鱗に触れてしまったな。高校生といえども、女性は怖い。それを今、身を持って実感したよ。俺も羽目を外してはしゃぎ過ぎて、みんなに怒られないように気を付けよう。
サクラがそそくさとウォーミングアップを開始したのち、漣、京子、稲穂の三人組は荒くなっていた息をようやく落ち着かせて同じくウォーミングアップを開始した。彼女たちは各々、ストレッチをしたり、ウォーキングをしたり、動きづくりのドリルを行い始める。このへんの切り替えの早さは本当にすごい。
俺は彼女たちのウォーミングアップを観察し始めるとともにある用紙への記入をし始めた。さっきすぐ遅れてやってきた涼風は疑問に思ったらしく、肩を伸ばしながらその紙を覗き込む。
「センセー、なに書いてるの?」
俺は思わず、書いていたボールペンを止めてしまう。
「これは北信越駅伝のエントリー表だ。一応、明日までに赤寺先生に出さなくちゃいけなくってな」
基本的にエントリーするメンバーは県大会でも北信越大会でも変わらないので書き直す必要もないと思うんだが、一応別の大会なので書き直す必要がある。二ノ丸高校みたいに小さいチームはともかく、強豪と呼ばれるようなチームでは補欠入りも苦難の連続だからな。
「うっわー、めんどくさそう」
「マネージャーすらいないこの二ノ丸高校駅伝部ではこういう雑務は全部俺がやってるんだからな……少しは感謝してくれよ」
「おぉ、そうでしたか。えらいえらい」
涼風が俺の頭をなでてきた。彼女なりの感謝を表しているのかは分からないが、なんだかなぁ。
いつも通りの涼風の行動にやれやれと思っていた俺だったが、次の瞬間に彼女の口から出た言葉に俺は凍り付いてしまう。
「ところで、エントリーは6人してあって、実際に走るのは5人じゃん? サクラも復帰したわけだし、誰が走らないの?」
誰でも思いつくような至極当たり前のことだった。しかし、その時、返す言葉が見つからなかった。
走れない選手が、このチームで、1人いる。
それは俺が全く考えていなかったことだった。




