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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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新潟県高校駅伝その5 差は縮まる

『二ノ丸高校、襷リレー。前を行く村松東とは9秒差の4位です』

 アナウンスがご丁寧にタイム差まで読んでくれている。認めたくない、タイム差を。

 中継地点には稲穂に襷を渡した後、両手を膝につけていた漣がいた。前半をハイペースで入った結果として彼女は後半に失速を喫したのだ。3位までならまだ想定の範囲内とは思っていたが、まさか村松東にまで差をつけられるとは思ってもいなかった。

都道府県規模の大会といえども1区には各校のエースが集まる。しかも今年の新潟の高校女子のレベルを考えれば、それはかなりのものということも予想できた。いや、予想していたんだ。でもその結果がこれだ。

漣はしばらくコース上に立ちっぱなしだったが、次のランナーが中継点に来るため係員に控所に移動させられた。でも不思議なくらい彼女は無表情だった。まるで「信じられない」と言わんばかりに―――。

 漣の様子が心配だった俺は彼女のもとに向かうことにした。レース中であっても、中継所には各チームの監督1人だけなら入れることになっていたからだ。

 選手をかき分けながら――女子選手ばかりの中を通っていたので制汗剤やらシャンプーやらのいい匂いのする中を――俺は漣のもとにたどり着いた。雨模様の天気だというのに、彼女はいまだに上下に二ノ丸高校のユニフォームを着たままだった。膝に手を当てた彼女は下を向いてうつむいていた。

「おい、漣。いつまでもユニフォーム姿じゃ風邪引くぞ。シャツぐらい着て、早くクーリングダウンくらい―――」

 と言い放ったとき、漣はようやく顔をあげた。

「――――センセー、」

 そう言いかけた漣の目には、いつものような力がなかった。強がっているいつもの漣ではない。声だって弱弱しい。

「どうしよう。私、その、」

 一度合った目を泳がせながら許しを請うように漣は話す。

「落ち着け。まだ1区始まったばっかりだろ」

「あたし、バカだった。スタートしたとき混み合ってたから、800mのクセで前に出ちゃって、気付いたら先頭を走ってて」

 聞いてもないレースの内容について、漣はつぶさに説明する。

「思ってた以上に身体が動いたからもしかしたらいけるかなって思ったんだけど、4キロ過ぎたあたりから重くなって、気付いたらキロ4分くらいまで落ちてて――」

 見ると漣は涙目になっていた。自分で自分のことを話して自分のやったことを再認識して責任を感じ始めてる状況だ。

「と、とにかく落ち着け!」

「都大路行けなかったら、あたし、責任とれないよ。謝っても謝りきれないよ」

 目を泳がせていた漣からは今にも涙が零れ落ちそうになっている。どんどん悪いほうに妄想が膨らんでいってるな。

 顧問としてここはなんと声をかけたらいいんだろう。大学の頃はよくケガしてた関係で選手のサポート役に回ることも多かったので今の漣みたいに泣きそうになってる同僚や後輩には「泣くなよ、バカ!」なんて言って笑いながら背中を叩いてはいたものの、それが漣に通用するとは思えなかった。まず背中を行為を男性教員が女子高生にすることが教員の間で「やめとけ」ってなってるし、そもそもそんなアドバイスでいいのかよって思ったからだ。

 でも、この状況、なんとかならないかな……

 色々と考えを巡らせていたもののパッとした対応を思いつかずにいた俺に、漣は、

「あたし、ホントにバカだった…… こんな走りじゃみんなに顔合わせできないし……センセー、どうにでもして!」

 と言いながら、俺の胸に頭から飛び込んできた。

 飛び込んでくるのが頭からだったので肺に直撃した漣の頭が俺の心臓の拍動を一瞬だけだが強烈なテンションを加えた。い、いわゆる心臓マッサージと同じ要領だったぞ、今の。

 って、しかも「どうにでもして!」とかいう高校生ばかりの場所にふさわしくないこと言いやがって! 控え所にいる全員がこっち向いたぞ! 一瞬!

 漣は抱き着いたまま離れることをせず、頭をグリグリと俺のみぞおちに押し付けたまま離れない。一瞬にして猛烈な吐き気に襲われたが、この状況を打破しなければならないという決意をさせた。

「さ、漣、落ち着けって。そんなやって凹んでるのはいつものお前らしくないぞ!」

 お前らしくない、の一言に漣が反応したようだ。さっきまでの語り口は止まってた。

「いつもそうだっただろ。県大会でスパイクで踏まれた後だって走れなくてもずっと諦めずに筋トレしてたし、俺が凹んで学校にさえ行けなくなっていたときだって一番に動いてくれたのは漣だったじゃないか!」

 県大会の漣は、京子と同じくらいの屈辱を味わったはずだった。目指していたインターハイに、神の不幸で届かず…… だけど自分の不幸なんて気にせず、むしろ「負けてたまるか」くらいの気持ちでいたはずだ。

それに、いち早く越平家にサクラが留学してきた情報を聞きつけて動いてくれたのも漣だった。あれで再び駅伝をやる気になった俺がいて、それに涼風や京子、信乃が集まって今の駅伝部がある。

「お前がいなければ、10秒差どころか、スタートラインにすら立ててなかったんだぞ。責任感じるのなんて終わってからで十分だ。今はお前らしく、まだやれると思ってみろよ!」

 自分の出番が終わった漣に、まだ頑張れというのは少々無茶振りな気がした。でも……漣にはこうしていつまでも凹んだまま、俺たちの県駅伝を終わらせるわけにはいかなかった。漣がいたからこその、県駅伝だったのだから。

「――――やれること、あるのかな?」

 漣は目を真っ赤にしながら、上目づかいで俺を見てくる。確実に泣いていたな、そんな目じゃ。

「どうだろな。ただ、自分が走ってみて、足りなかったことをもう一度考えてみろよ。そうすれば分かるんじゃないか?」

「教師みたいに厭らしいアドバイスの仕方、しないでよ」

「悪いな。俺は監督である以前に、高校教師だ」

「……ばーか」

 漣は真っ赤な目を細ませて俯きながら、それでもとっても嬉しそうに言った。

 ちょっと立ち直れたのかな。

「じゃああたしは、ジャージを着てからコースに行く。もう半分以上走っちゃっただろうけど稲穂の、それとみんなにアドバイスしなきゃ。涼風、突っ込みすぎて後半ダレたら容赦しないし!」

 漣は最後の一文が自分にとってのブーメランになっていることに気づいていなかったようだがツッコまないことにしておいた。


 すぐに着替えてコースへと駆けていった漣を見送った俺は、控え所で他校の監督の会話を盗み聞きしながらレースの進行のイメージをしていた。なんで他校の人がそんなにも情報を知ってるかといえば、彼らはコース上に保護者を配置して応援がてらメールで情報を共有しているのだ。二ノ丸高校には絶対に真似できないことだ。ただ、監督たちは興奮のあまり大きな声で話すので俺たちにも情報は筒抜けだ。

「岸部高校の日隈さん、依然としてトップを独走中だそうです。別当田は2位……いや、二ノ丸と競り合いながら、トップと14秒差だそうです!」

 おそらく暁月高校の監督かコーチだろう。俺は見たことない顔だったが、あそこは陸上競技全般が強いので長距離専門のコーチ以外も駅伝に駆り出されてるのかなってか――――

「今もう同率2位なの!?」

 稲穂が20秒ほどの差を詰めて、今は2位にまで上がってきてることを認識した俺は驚きのあまり声を上げた。あれだけの差を、おそらくもう3キロほどは走っただろうが、稲穂はもう縮めてくるなんて…… 正直、区間賞も狙えるペースだぞ。

 漣の大失速の後は正直、レース展開の予想なんてしたくもなかったがここにきて気が変わった。ひょっとしたら、いける。

 期待が胸を張り裂きそうな高揚感に襲われていると、俺のことをドン引きする視線に気づいた。

「センセー…… なんでニヤニヤしてんの? 女子ばっかりの控所で……」

 くるっと振り返るとそこには、関わりになりたくないんですけど的な視線で俺を見る涼風がいた。

 しかし俺は弁解するより先に稲穂の快走の様子を伝える。

「喜べ! 稲穂は今、暁月と同率の2位で走っているらしい。ラストでどうなるかは分からんが、岸部との差は確実に縮まってる」

「お、じゃああたしの区間で逆転といきますかね」

 涼風は得意顔でそう言いながら、ポケットから「二ノ丸高校」と書かれたハチマキを取り出した。それをつけた彼女は髪をポニーテールに結えていたこともあって見た目は漣そっくりだった。

「お前ら、本当に双子なんだな……」

「どもども~」

 涼風はウィンドブレーカーのズボンを脱ぎながらピースをしてくる。まったく、顔も体もほとんど一緒なのに性格だけはまるっきり違うからなぁ。涼風が髪を伸ばしていなかったら全く見分けがつかないぞ。うーむ。

 なんてどうでもいいようなことも考えている余裕も出来てきたんだなと自分でも安心していた矢先、突然コースがあわただしくなった。選手が返ってきたのだ。

「日隈先輩、ラストファイトー!」

 岸部高校の3区の選手がボアコートを脱ぎ始めながらコースに向かって声援を送る。彼女は岸部高校の黒を基調として赤いラインの入ったユニフォームに、同じ配色のアームウォーマに手袋をしている。もちろんハチマキも黒い生地に赤色の文字。

陸上の選手ってどうも身に着けてるものに統一性を持ちたいらしいな。俺も高校のころはひたすら黒いものを身に着けて「漆黒が俺の体内にマナを―――」と言っていた忌々しい記憶が、うっ、頭が痛い! どうやら思い出したくないものに触れてしまったようだ。

て、こんなこと考えてる場合じゃねぇ。稲穂は、稲穂は今どうなってるんだ?

 俺は目を凝らしながら、さっき漣が走ってきたスタート・ラスト共通の1キロを見つめると――――いた。赤と黒、暁月高校の若干後ろにはいるものの、なんとか食らいついて稲穂は走っている。これまで前に追いつこうと頑張って疲れてしまったのか、すこしキレがない。でもそれもあともう少しだ。あともう一段階、ギアを上げることができればな。

「稲穂ぉー! ラストだよ! ファイトファイト!」

 俺と同じく稲穂を遠目に見つめていた涼風が叫ぶ。両手を口元にあてながら、目が細くなるまで口を大きく開いて。

『次、6番。二ノ丸高校、中継地点に準備してください』

 無機質な声でアナウンスされた涼風はボアコートを脱いでスタートラインに向かう。

 そのとき、彼女の目の前でトップの岸部高校の選手が颯爽とタスキリレーをした。襷を渡した選手はゴール後、時計を止めるととても悔しそうな顔をしていた。稲穂が速いだけじゃなく、岸部の選手がちょっと調子悪かったのかな。

 その後20秒弱経ってから暁月高校も襷リレーをした。そしてほんの数秒後に稲穂が、最後はちょっと疲れ気味だったが涼風に襷をつないだ。

俺は時計を押して稲穂のラップを確かめたが、13分32秒のタイムだった。キロ換算で3分23秒……悪くない。でも、稲穂にしてはちょっともの足りなくないか?

 不思議に思った俺は時計から目を離し、稲穂をほうを見る。襷をつないだ後は歩いて息を整えて彼女だったが、俺が視線を送った瞬間に―――

 ―――フラッ

 倒れた。まるで、体の骨が全部抜けたかのように。力なく、ロードに横たわる。

 嫌な記憶が蘇った。県大会のあの時。京子の―――

 そう思った時には、俺は駆け出していた。

「稲穂! おい、稲穂!」

 強引に選手たちの間を駆け抜けながら、それでも中継地点の選手に気を付けつつ、俺は稲穂のもとへ駆け寄る。

 そしてコースに入ろうとした、その時、

「栃岡くん! コースは立ち入り禁止!」

 と、独特の声で俺を呼び止める声。村松東の赤寺先生だ。

「な、そんなこと言ったって、うちの生徒が!」

「いいから! すぐに役員が来るから安心して!」

 赤寺先生がそう言ったときにはもう、稲穂の周りには役員が集まっていた。そして一人が肩を担ぐと、よいしょっと控え所に連れてきて横にさせた。とりあえずコースからどかさないと邪魔だと判断したのだろう。

 俺は役員の人たちに感謝しつつも、急いで稲穂のもとに歩み寄った。そして手を掴み、脈を確認する。大丈夫だ。心臓は止まっていない。

 腕を持ち上げた俺の存在に気付いたのか、稲穂はうっすらと弱弱しく目を開けた。

「栃岡先生…… ごめんなさい…… もう大丈夫です……」

 いつものバカうるさい稲穂の声はどこへやら、虫の息かと思ってしまうような声だった。

「大丈夫って、おま、」

「ただの貧血です……」

 稲穂はそう言うと、俺の手からボアコートを手に取り自力で着た。

「貧血って、お前、テスト期間に血液検査に行ったときは健常者の閾値を超えるくらい濃い血だったって言ってたし、それに毎日鉄材飲んでるって―――」

 貧血と言われてやっと思い出したが、稲穂は県選抜後のテスト期間になぜか俺に内緒で貧血検査に行っていたらしい。また夏休みみたいに「オーバーワークなんだから休め」って言われるのが怖かったらしいが、それでも全く異常がなかった。それよか、トップのマラソン選手並みの血の濃さをしていたとか喜んでたが……

「違っ――――そういうことじゃないです。その―――こんなこと言わせないでください……」

 稲穂は少し容体がよくなったのか、起き上がって体育座りの体勢になった。陸上のユニフォームとは男女問わずランニングパンツのはヒラヒラしており、女子用は太腿に密着するように一工夫が加えられているものの、こうして体育座りになってしまうと見たくないものが見えてしまう。いや、これは稲穂が自分の太腿に視線を移したから乗せられただけだからな!

 弁解を自分に必死に言い聞かせながらも、稲穂は自分のランニングパンツのヒラヒラを―――めくった。

「うお、バカ!」

 肩がすくむほど青ざめた俺だったが、視界に入ってきた稲穂のランニングパンツのインナーの様子が、少し違うことに気付く。い、いや! これは決していつも見ているからわかるんじゃなくて、俺が駅伝部の分を発注したときに見たから分かるんだからな!

 俺が発注したときのランニングパンツのインナーは「白」だったのだ。黒のランニングパンツに白のインナーとかミスマッチだが、メーカーの設定なのでしょうがない。でも――――稲穂が今履いているインナーは白じゃない。「赤」だったのだ。

「…………なっ!」

 俺の頭の中で一つの解答が導き出された。そう、稲穂は――――

「な、ちょ、恥ずかしいのでまじまじと見ないでください!」

 大声で、しかも女子の人口密度が現在新潟県で一番高いこの場所で、しかも稲穂お得意の大声で抵抗する。

 先ほど俺に集中した視線が再び俺を向く。あれ、今日これ何回目だ?

「実はタイミング合わなくて…… 本当は使いたくなかったんだけど、『クスリ』を使ったんです。遅らせるための。したら、飲み合わせが悪かったみたいで……」

 稲穂はリンゴのように真っ赤に赤面している。セミロングの髪でわざと顔の半分以上を覆っていたが、赤面顔は十分によく伝わる。1年生だけあってけっこう童顔の稲穂の顔は赤面で一層幼く見える。

 ……てか、やばい。俺は今、女子生徒にとんでもなく恥ずかしいことをさせているんじゃないか?

「い、稲穂。いいんだ。とにかく、ちゃんと前との差を縮められてよかったじゃん! うん!」

 必死の作り笑いで今にも泣きそうな稲穂を慰めようとするが、どうも状況は変わらない。そこに――――

「……栃岡先生。本っっっ当に恥ずかしいので、やめてください」

 思わずビクッとなってしまうくらいの恐ろしいトゲのある声がする。この低い声は―――

「し、信乃。これにはわけがあるんだよ……」

 信乃が仁王立ちをして、俺を見下ろしていた。

 怖っ! ちょ、背が高いから余計に威圧感増してるし!

「理由はわかりますが、ちょっと方法を考えたほうがいいのではないでしょうか……」

 呆れた顔で俺に視線を合わせようと信乃はしゃがんだ。あ、そうか。3区は3キロ区間だから、次の区間の選手が来るのも早いのか。

「ううぅ…… ごめんよ……」

 さっきの漣みたいに俺はしょんぼりして頭を抱える。信乃はそれを見て、さらに呆れたような顔をする。

「はぁ…… ところで、これからのレースはちょっとやっかいになりそうですよ」

 信乃は意味ありげにそう言うと、空を見上げた。俺も思わずつられて上を見ると……

「うっ―――」

 自分の頬に何か冷たいものが落ちてきた。

「雨が降り出しそうですよ。しかも、結構本格的に」

 信乃は物憂げな表情で、俺と視線を合わせた。


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