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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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新潟県高校駅伝その4 ブラックボックス


 号砲の炸裂音と共に勢いよくかけていく色とりどりのユニフォーム、それが小さくなるまで俺はじっと見つめていた。

 舗装されてるとはいえ田んぼ道に折り返しコースを作って行われるこの大会には当然観客席なんてものは用意されてるわけがない。もっぱら道路脇の歩道で佇んで見てたが、人もまばらだったので立ち見で十分だった。

 漣の姿は見えなかった。ナンバーカード順に並んでのスタートだったので、「6」のナンバーを付けた二ノ丸高校は一列目からのスタートになっていた。800m専門の漣はよっぽどのことがなければ後方を走るはずもない。

 新潟県高校駅伝のコースには700m地点で小川にかかる「北原橋」がある。朝陽は眉間にしわを寄せながら必死に集団の姿を追っていたが北原橋を越えたところでふっと溜息をついた。

「なんだ、見えなくなっちゃった……」

 北原橋は大体3mくらいの高さで大したものでもないんだが、それを越えると選手は一気に見えなくなってしまう。たとえそれが集団でも、だ。

「ここから帰ってくるまでの約4km、レースは見えなくなるな」

 最初と最後の1kmの直線は共通になっているので、最初に帰ってきた選手は橋を越えたところでようやくわかる。逆に言えば、それまでレースの展開は一切がブラックボックス化されている。

 早くもこの駅伝の「焦らされる」感覚に嫌気がさしたのか朝陽はご立腹だった。

「なんかもっとさ、箱根駅伝とかマラソンみたいに先頭の通過タイムとか後続との差を伝えようっていう努力はないわけ? 新潟県高体連は!」

 競技役員にも余裕で聞こえるくらいのボリュームだったので焦った俺は朝陽の口を押える。

「ちょ、バカ! 仕方ないだろ。テレビ中継があるわけでもないんだし。それに計測システムだっけ結構高いんだぞ? それをこんなコースに設置するっていったら、そりゃ運営の人数が倍は必要になる」

 「計測システム」っていうのは、ゼッケンに入ったICチップで自動的にタイムを計測して瞬時に順位やタイム差を計算するスグレモノだ。最近は中規模くらいのマラソン大会でも見るようになってきたけど高体連レベルじゃ普及してるほうが少ない。ましてや、県高体連レベルの大会じゃ運営が厳しいのが現実だ。

「ま、本当は部員とか保護者で結託してコース中に散らばって応援しながらタイム差やアドバイスを教えてあげるってのが普通だな」

 事実、俺が高校駅伝で走っていたころはそうしていた。あの頃は部員も30人くらいいたし、保護者の力も強かったからだ。でも今は……学校が学校だし、駅伝部の親とはいえ何を言い返されるかわからなくて正直「応援のお願い」なんてプリントを作れるはずもない。朝陽もそれを察していてくれたのかそれ以上はきいてこなかった。


 俺は手元の時計を確認した。

「10時06分、か」

 そろそろ漣がいる先頭集団は2kmを通過するころだ。そう思い始めた矢先、向かいの道路脇の駐車場に架設された選手控所周辺が慌ただしくなった。テントと1区の選手が脱ぎ捨てた着替えだけが残っていたさみしい風景だったのに急にボアコートを着た選手がたくさん現れた限り、2区の選手が来たのだろう。

「わり、ちょっと行ってくるわ」

 朝陽にそう言い残すと、俺は道路を横断して選手控所に向かった。彼女に会うために。

 制汗剤だか香水だか知らんがとにかく甘ったるい匂いがする女子選手をかき分けて進むと、俺は彼女を見つけた。

「おい、稲穂、稲穂!」

 真っ黒な二ノ丸高校(陸上部からの借り物)のボアコートを着た稲穂は後ろを向いていたが、俺のほうを向くとニパァと笑顔になった。セミロングの髪からのぞかせる顔は今日も愛嬌がある顔だった。ふっと見るとかわいらしい顔だ。

「栃岡先生……!」

 珍しくかわいらしい音量で俺の名前を読んだ稲穂が俺のもとに駆け寄る。

「お、今日は拡声器のボリュームがちょうどいいな」

 軽くからかってやりつつ、俺は本題の作戦通達をした。

「稲穂、お前は1人でも追い込んで走れる選手だから、この2区を任せたんだ。その点はわかるな?」

「え、あ、はい。もちろんです!!!!!」

 さっきまでの可愛らしいボリュームが嘘だったかのように大声で返事をする稲穂。それを見て多少苦笑いをしてしまったものの何だかんだいつも通りじゃんと一人で納得した。

「1区は岸部の横越とか暁月の今泉みたいにインターハイ上位クラスの実力者がいる。さすがに漣でも苦戦しそうだ。30秒までは差がつかないと思うけど、そのくらいなら射程圏内に入ってる。稲穂は前を追っていくイメージで、限界まで体を燃やし尽くしてくれ」

 稲穂は漣みたいに中距離選手的な絶対的スピードはない。しかし持ち前の柔らかい走りと中学以来の素質は正直チーム1だ。ポテンシャルを出し切ればきっと追いつけるはずだとにらんでいる。

「徐々にリズム整えて、エンジンが温まってきたらあげていこうと思います!」

 両手を組みながら前に伸ばすストレッチをしながら、稲穂はそう答えた。

「ところで、姉貴はそろそろ中間点のはずなんですけど、情報は入ってきてないんですか!?」

 さすがの稲穂も先頭集団の様子が気になるようだ。俺も気になってはいるが知る方法なんてない。残念だけど北原橋を眺めていてくれと言うしかない。

「それは俺もちょっと分からないな。ま、もう10分もしないうちに中継になるから姿が見えるまでは――――」

 身体動かしといてくれ、と言いたかった。だがしかし俺はそれ以上の声を出せなかった。耳から入ってきた信じられない言葉を聞いて声が出なくなった。


『1区、今、二ノ丸高校の人がダントツで先頭だって。9分39秒で』


 ……は?

 え、ちょっと待て。は? え? ちょ、え?

 どこから聞こえてきたかも分からないその衝撃の事実に俺はただただ言葉が出なかった。

 稲穂にもはっきりそのことは伝わっていたようで、驚きが顔にモロに出ていた。

「あ、あの、栃岡先生。姉貴の通過、9分39秒って…… この前の新潟ロングディスタンスの記録よりも早いですよね? 自己ベストよりも」

 う、うん。確かにそうだ。新潟ロングディスタンスで漣は9分42秒の記録をマークしてそれが自己ベストになっているはずだ。

 え、じゃあこれって完全なオーバーペースじゃね?

「あ、あのバカ……!」

 思わず頭を抱えてしまった。

 なんてことしてくれたんだあのバカ。レース前「今回ぐらいは作戦通りに思う存分走ってみるのも悪くないって思うんだ」って自信満々に言ってたくせに。もう作戦の「さ」の字も見当たらないじゃないかこのペース。

 いくら元々長距離専門で全国中学校駅伝に出てるとはいえさすがに自己ベストで3kmを走って、そのまま3kmが持つわけがない。これはいくらなんでも厳しすぎる。

「ま、待ってください! 戻ってくるまでに差が縮まりきるとも限らないですよ!!」

 稲穂は必死に俺の気持ちを立ち直らせようとする。でも普通、1人で走って後半にダレる展開ほど恐ろしいものはない。ペースは限りなく下がっていく。長距離のペースを走り慣れてない漣だから余計に心配だ。さすがに11分はかからないとは思うが、1分近く後半の3kmが遅くなっても全く不思議ではない。6kmを20分台前半に乗せてこれたらいいかな、くらいだろう。20分台前半で来れれば、今年みたいな高速レースに対応できると思ったんだけどな…… さすがにこれではまずい。

「じっくり差を詰めていく必要があるかな……」

 本当は最低4区の信乃でトップ争いに落ち込んで、アンカーの京子にけりをつけてもらうのが理想のパターンだったが、このままじゃアンカーまでに取り返せないほどの差になってしまう。

「と、とにかく私で差をガッツリ縮めちゃいます! 涼風先輩が少しでも楽できるようにしないと」

 稲穂は声をとがらせながらハチマキをつけ始めた。

 目に入ってきたハチマキの「二ノ丸高校」の名前が、俺にプレッシャーを思い出させた。これに負けたら駅伝部も消滅、顧問としての再スタートも即終了、二ノ丸高校の部活廃止の波を止められない…… 1つ1つが頭に浮かんでくるたびに唇の震えが大きくなる気持ちがした。今までに感じたことがない、身体の震えだった。

「栃岡先生、心配しないでください! きっと、すぐに差なんてつめれますって、ね!」

 稲穂の顔を見た。笑っていたけど空元気というか作り笑いにも似ていた。

「う、うん。とにかく差を詰めることだけで十分だから、自分の力を出し切ってくるんだ」

 それだけ言い残すと俺は逃げるように選手控所から出ていった。

 朝陽が待っている歩道の場所に戻る途中、最後の自分の言葉のトーンが稲穂の明るさと対照的だったことに気づいた。いつものように俺が普通で稲穂が高すぎ、ではなく、俺が低すぎて空元気の稲穂でさえ元気いっぱいに見えてしまうように。

 それに気づいたとき、何かもう一声かけてあげれたら良かったのかな、という思いがよぎった。後と呼べるほどのものでもないけれどちょっとあと残りがある感覚。


「あ、やっと帰ってきた」

 朝陽のもとに戻るとふてくされたように俺に言い放った。

「翔がなかなか帰ってこないから、私は涼風ちゃんのマッサージに行ってきたの。結構調子良さそうだったよー。信乃ちゃんも京子ちゃんも今ジョグしてて―――」

 話途中だったが朝陽は俺の様子に気づいたのだろう。質問に切り替えてきた。

「どうしたの? 稲穂ちゃん、様子でもおかしかったの?」

 生徒のことがらみだからか朝陽も慎重に聞こうとするのがよくわかる。

「まぁ、ちょっとな。ちょっとプランが狂うかもしれない」

 どこがどう変わるのか詳しく言わなかったが朝陽はその辺も察してくれていたようだった。わざとらしく選手が帰ってくる北原橋を背伸びして見る。もちろん選手が来るのはまだ先だった。

「最初に緑の緑と黒の二ノ丸高校のユニフォームが見えたらいいんだけどね……」

 北原橋までは直線でも700m近くあるのでユニフォームの色でしか選手を判別できない。黒色のユニフォームは岸部高校、赤と臙脂のユニフォームは暁月高校なので一見すればどのチームかはすぐにわかる。

「とりあえずあたしがずっとレースの状況を見てるから、翔は涼風ちゃんたちのサポートしてきたら? そっちのほうがいいみたい。電話でタイム差も教えるから、それなら大丈夫でしょ?」

 とりあえず頷いた。というより、頷くことしかできなかった。

 自分でも余裕がないのはわかっていた。新潟ロングディスタンスで横越の圧倒的な走りを見たときに感じた「危機感」とは量的にも質的にも違っていた。

 橋の向こう側で起こっている「ブラックボックス」での戦いが俺を弄ぶかのように焦らしている。俺はただ無力だった。今の俺に出来ることは涼風、信乃、京子のサポートをすることと、漣の体力が持つことを祈ることだけだった。


 サンビレッジ内部にたどり着いた俺はすぐに涼風の姿を見つけた。彼女は二ノ丸高校の陣地でストレッチポールを使って体をほぐしていた。

 俺が近づくと涼風はすぐに俺に気付く。

「あ、栃岡先生じゃん。やっほー」

 彼女はいつも通りのテンションだった。

「おねーちゃん、そろそろラスト1kmくらいかなぁー。直線だから短く見えて、おねーちゃんは早くでちゃいそうなんだよねー」

 意外と的を得ていることを言ってて拍子抜けしてしまった。

「北原橋を過ぎたところで、朝陽がタイム差を伝えてくれるから、それ聞いてから招集にいくか」

「オッケー。りょうかい! 京子先輩と信乃先輩がアップ上にいるから、ついでに会いに行って来ればいーじゃん?」

 涼風は立ち上がって「行こっか!」と言うとサンビレッジの出口方面へと歩き始めた。

 俺もそれに合わせて出口へと向かっていた、その時だった。スマホのバイブが動いたのが分かった。間違いなく朝陽だろうと思い、すばやく通話モードにする。

「あ、もしもし、翔だよね? 今、上位4チームが通過して」

 4チーム、と言われたときに嫌な予感がした。聞き返す間もなく朝陽は続けて話す。

「先頭の岸部から10秒ずつの差で暁月、村松東、そして漣ちゃん。先頭とは30秒差の4位で走ってる」

 悪い予感は的中してしまった。

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