新潟県高校駅伝その2 決戦前夜
開会式は間もなく始まった。立派な演壇の上で大会会長がダラダラと一定のペースで話し続ける。
『えぇー今回で新潟県高校駅伝は、男子は61回目、女子は30回目を迎える節目の年でありまして……』
50代中盤に見える背の高い、そして頭が寂しいおじさんは新潟千秋高校の校長だ。まぁなんでこの人が大会会長をやってるのっていえば今年の新潟県高校駅伝の運営主幹校が新潟千秋高校だから。つまり県駅伝の大会会長とは持ち回りで任される役職なのである。
じゃあいずれ二ノ丸高校のあのバカ校長もこの場に立って堂々と話することになるんだと思うと気が滅入ってしまうが…… しょうがない。今のうちから憤死しないように覚悟しとかなきゃな。
腕組みをしながら思わずため息をついてしまった。それくらい校長には信頼を置けていない。
大森の話によれば元々は自分から買って出た駅伝部の顧問だ。それを自分から投げ捨てて後処理を俺に頼むなんて…… 顧問に適する人材であるかを見極めきれなかった大森も大森だが校長がダメ人間であることには変わりはない。
『全国大会出場のチャンスは、誰にだってあります。今年の女子は特に恵まれていますね。新潟県の代表として都大路のスタートラインに立つことができるように、精一杯、頑張ってください』
大会会長の話が終わり、司会の高体連の役員が礼の号令をする。
つい考え事にふけっていた俺だったがその声を耳にしてハッと礼をした。あ、あぶねぇ。新潟県のほぼ全部の高校の長距離選手が出席しているホールで他の全員が頭下げてる時に一人だけ険しい顔して堂々といるなんてめっちゃ目立つからな。
安心した俺は頭を下げながらふと横に座っている二ノ丸高校駅伝部のみんなを見ると…… さっきの俺が、もっとも恐れていることをしていたバカがいた。
「―――グゥ……」
やっぱりな。お前しかいないよな。こんなに人前で堂々と失礼なことをできるのは。
他の全員が下を向いてお辞儀をしている中、涎を垂らしながら前を向いて寝ていられるのはな!!
「す……涼風……」
いや、俺だって気持ちはわかるよ? 雨が降りそうな悪天候の中頑張って走って冷えた体のままこんな生ぬるい温度のホールでフカフカのシートに腰掛けながら大会で毎度毎度聞かされるような同じ話を聞けば、それは眠くなる気持ちはわかるよ?
でも、でもだ。今日は高校駅伝当日、しかも優勝かけて臨む大事な大会だ。いつもリラックスできるのは涼風の良いところであるからそれを否定するつもりはないのだが、限度ってものがあるだろう!!
これは後で呼び出して一言言っておくべきなのかな……
そう思い始めた矢先、
「ごふっ……」
という低い声とともに
「バカ、起きろ!」
と空気の漏れるような声でブチ切れてる漣の声が聞こえた。一応向いて確認しようと思ったが躊躇った。修羅場に傍観者として加担するのが怖かった。
……それにしても、開会式が始まる前も聞いたような、てゆうか日常茶飯事なやり取りだ。
「これはこれでいいのかな……」
新任ということもあって生徒の指導には正直あんまり自身のない俺だったが、ここは漣と涼風の二人でお互いの平常心を作ってもらうことに期待してみることにした。レース前に呼びつけて起こるのも嫌だし、それでいつもの涼風の調子を崩したくなかった。
大事なレース前にこんなこと考えてていいのかな……と少々不安にもなったがしょうがない。こうするしかなかったのだから。
開会式が終わると荷物になりそうなブルーシートや毛布などを控え所であるサンビレッジの体育館に置くと、俺たちは車で前泊する宿へと向かった。
今日泊まる宿は「霜州苑」だ。新潟出身の俺でさえさっぱり聞いたことがなかった宿だったが、ググったところによればかつて昭和天皇もお泊りになったこともある由緒正しき宿なんだとか。知らんかった。
立派な門を入って少し上ったところに宿の本館はあった。弥彦山の麓にあたる位置なんだろう。車から降りて荷物を下ろし、一礼して宿に入ると、すぐに駅伝部のみんなには今後のことについて指示を出す。
「部屋に入ったら荷物を置いてゆっくりしててくれ。夕食は6時に食堂で」
ざっと言うと全員が頷く。
「それと、京子と稲穂はちょっと残ってくれないか?」
「えぇ、えっと、はい。良いですけど、何の用ですか?」
つっかえながら話す京子は首をかしげる。何か事務的なことだと思ったのだろうか。
「ちょっと二人に、明日のレースのことで確認しときたいことがあってさ。荷物を置いてからでいいから、玄関前のロビーに集まってくれ」
二人は、はい、と返事をすると他のみんなと一緒に部屋へと向かった。
ーーーー数分後
約束通り、玄関ロビーに京子と稲穂の二人がやって来た。二人は俺と向き合うような形で漆黒のソファーに腰かける。それを確認し、話し始める。
「どうだった、二人とも、今日の刺激は」
まずは京子の顔を見て聞く。京子は俺と目が合うとどぎまぎしたようだったが、一息つくと落ち着いて話し始める。
「えぇっと、まぁまぁだったかなって、思います。春の大会みたいには緊張しませんでしたよ」
京子はそう言うとふっと笑った。
京子が言った「春の大会」とは春に出た全部の大会のことを指していたのか、それとも県総体のことを言っていたのか。俺には分からなかったし聞くつもりもなかった。ただーーーあんまりいい思い出がない春のことも今では笑って話せる。そのことが何よりも俺を安心させた。
京子は最近の記録会では激しく緊張することもなく走っていた。んまぁ、俺だって付きっきりで京子のことを見ていたわけじゃないから、新潟ロングディスタンスでも県長距離記録会でも落ち着いて走っていたように見えただけなのかもしれないが……
「せ、先生、何か、変わった様子でもあったんですか?」
「い、いや。それならいいんだ。緊張しないで走れるなら、明日の5区の5キロ、大丈夫そうだな」
考えていたことをさとられないように笑顔を作った。
「ところで、稲穂。今日はやけに静かだけど、k緊張でもしてるのか?」
「えっ」
今日に話しかけられて稲穂は驚いたように見えた。しかし彼女はすぐに話し出す。
「何でもありません! 今日もいつも通りに走れました!」
いつもの稲穂と変わらないハイテンションな大声だった。いやでも、
「いつもより、明らかに口数も少ないし声のボリュームも小さいぞ」
俺には分かっていた。今日の稲穂は、いつもとちょっと違って見えた。それは集中しているのか、それとも緊張か。原因なんて俺には分からなかった。
でも俺の今までの経験から言って大会直前に急に様子が変わる選手で本番いい走りをした選手のほうが少ない。「平常心」なんて言葉があるがそれは本物で、変に緊張してるよりはいつも通りにしてるほうがずっとタイムはいい。
「だから! 大丈夫ですって!」
ムキなったのか稲穂は耳がはち切れそうな大声をあげる。でもここは宿の中。公共の場だ。
「ちょ……うるさい、うるさい。ボリュームダウン!」
あっ、と言わんばかりに口元に手を当てた稲穂は恥ずかしそうな表情だった。
京子はそれを見て不安そうな表情を浮かべる。
「稲穂さん、むきになっちゃうのもわかるけど、ちょっと落ち着こう。周りの人もびっくりしちゃうよ」
「す、すみません! ちょっと、あたふたしてて……」
先輩である京子に注意されて稲穂は縮こまったようだ。明らかにいつもの稲穂じゃないことはわかる。
でもちょっと待て栃岡。ここで仮に区間変更をするなら信乃に4キロを走らせて、稲穂に3キロを走らせるわけだが…… それだとちょっと不安が残る。信乃が4キロを走れないわけじゃないが、中学時代県トップレベルだった実力者だけど今ちょっと調子が悪そうな稲穂よりも速く走れるのかと思うと、ちょっと疑問が残る。1区の漣が失敗したときに持ち直せるのは稲穂しかいない。駅伝初心者の信乃には少し荷が重たい。というか、むしろ流れをもっと悪くさせる恐れすらある。
ここは稲穂に意地を見せてもらうことにするかなぁ……
「稲穂、本当に走れるんだな?」
思わず稲穂に顔を近づけてしまう。
稲穂は、俺の不愛想な顔を見て恐ろしくなったのか、一瞬体をビクっとさせてから、それでも俺に強い眼差しを向ける。
「へっちゃらです! 走れます!」
そこにはいつもの、燦々とした太陽を十分に浴びた向日葵のような、稲穂の笑顔があった。それを確認した俺は、ちょっとだけ荷が軽くなったのであった。
二ノ丸高校全員で夕食を食べた後、再びロビーに集まった俺たちはミーティングをすることにした。走者のナンバーカードの配布のためだ。
ロビーには5人掛けもできる長めの机があったのでそれを使った。並び方は右から走順に、漣、稲穂、涼風、信乃、京子だ。いつもなら涼風と稲穂がキャッキャ言い始めるところだが今日はもう落ち着いていた。
俺はいちいち注意しなくて良かったと思いほっとすると、みんなに配るナンバーカードを手に取った。
「じゃあこれから、ミーティング兼ナンバーカードの配布をするぞ」
そういいながら選手一人一人にゼッケンを渡す。県高校駅伝のゼッケンは区間ごとに色が違っている。1区は青、2区は黄色、3区は白、4区は緑、そして5区は赤だ。しかもユニフォームをいちいち脱がなくていいように1人ずつ1枚余計に配られてる。
みんなコートとかカバンに貼ったりするのかな。県陸協もお金があるなぁなんて思いつつ、全員に渡し終える。安全ピンも行きわたったことも確認すると話を始めた。
「さて、いよいよ明日に本番が迫ったわけなんだが、無事にみんなスタートを迎えられそうだ。まぁいつも通り京子は緊張気味だったけどな」
駅伝部のみんなは一瞬クスッとほほ笑む。でも京子は、ちょっと拗ねているようだ。
「せ、先生! 人をからかうのはやめてください……」
見る見るうちに顔が真っ赤になっていく。おっといけない。
「あぁ、悪い悪い。でも京子の緊張症も春に比べればだいぶマシになったよな」
京子はそういわれて、ハッとしたようだった。
「思えば、春の京子の緊張症は本当にひどかった。体中を震わせて、顔を手で覆って…… 俺はもう、なんて言葉をかけたらいいか分からなかった。今まで女子選手を、しかも高校生を指導したことなんて、なかったから。どうすればいいかなんてサッパリわからなかった」
話を続ける俺に京子もツッコむのを忘れて聞き入っているようだ。
「だから、県総体で京子を走らせちゃった。どう見ても走らせちゃダメだったのに、それを許してしまった。今でも思い出すと胸が痛い」
沈黙を守っていた京子が急に口を開く。
「せ、先生のせいじゃないです! 私が……私の緊張がひどかったから、先生に、迷惑かけて、心配させて……!」
いたたまれなくなったのであろうか、京子は、目を潤ませていたようだった。
辛いことを思い出させてしまったな。
もしあそこで、いい走りが出来ていたなら。北信越大会に進めて、感無量の思いで駅伝部での3年間を終えられていたら。京子は今頃こんなところにはいない。今ごろ家で受験勉強中だ。
「かばってくれてありがとう。でも俺に責任があることも確かなんだ」
「先生……」
京子は俺の気持ちを察してくれたのか急にシュンと静かになってくれた。
「でも、だからこそ、今こうして全国にあと一歩のところまでこれたんだ。1人でインターハイに行けるほどの実力を持ってる選手はまだこの駅伝部にはいないけど、全員で挑む駅伝なら勝機はあるんだ」
勝機、という言葉を聞いてみんなの顔が引き締まる。
今だと思った。
ずっと心にしまっておいた、あのセリフを言う時だと思った。
「まだ、間に合う気がしたんだ」
みんなには拍子抜けの言葉だったようだ。漣に至っては「突然なに?」と言わんばかりの顔をしている。
「この駅伝部で、俺は何かを残せそうな気がしたんだ」
――――――昔。といっても、ほんの2年前。俺は古豪明大で長距離選手だった。
高校時代はインターハイ、国体、都大路と名前が知られるくらいには活躍した俺だったが、大学時代はけがと故障に苦しんだ。ロードの走りすぎによる疲労骨折、それをかばって走ったために起こった腰痛、実家を離れて1人暮らしをしながらの競技生活による孤独感…… 大学という自由な環境がことごとく俺を苦しめた。
大会に行くのが嫌だった。自分が走れず他の選手を見てばかりいるのが嫌だったというのもあるが、何より他大の選手の視線が痛かった。
『明大のあいつ、14分前半持ってた栃岡じゃない? 雑誌で見たことあるわ』
『でもタイムとってるってことは故障中かな。そういえば、大学入ってからは全然名前聞いてないな』
『本人も走れなくて辛いだろうな。ま、辞めなきゃいいけどね』
苦しかった。何も言い返せない自分が嫌だった。自分が競技に向き合っても逃げても、どちらも俺にとっては負けだった。
リハビリしながら、3000m障害とかマラソンみたいなちょっと変わった種目にチャレンジしてみようと試行錯誤した時期もあった。でも全て失敗。結局俺は正々堂々長距離を真っ向勝負することしかできなかった。
最後の箱根駅伝予選会は走れたものの結果は散々。結局俺は、過去の栄光を語ることでしか自分の競技に向き合うことができなかった。
「教員になったのは、本当に偶然。ただブラック企業で働くのが限界だったのと、教育実習がちょっと楽しかったから。駅伝部にはサポートくらいで参加できりゃいいと思っていたけど、女の子ばっかりで廃部寸前ときた。これはもう本当に俺の競技人生は終わりかと思っちゃったよ」
ま、こんなことを言ってもしょうがないのは自分でもわかっている。俺が本当に言いたかったのは、そう、
「今ならまだ、自分の人生、変えられる気がしたんだ。この駅伝部のメンバーでみんなと都大路に出て、駅伝部の顧問で居続ける。それに間に合う気がしたんだ」
今年で結果を残せなければ駅伝部は廃部。でも逆に都大路に出れれば新入部員増で規模を拡大できるかもしれない。
「だから俺はみんなと都大路に行きたい。まだ間に合うから。間に合うなら、もうちょっと頑張りたいんだ」
知らないうちに語勢が強くなっていることに気付いたが仕方ない。言いたいことは言えた。もう何もかもを、この子たちに託すことができた。
よかった。
もう今日はこれで、ミーティングを〆てもいいんじゃ……
「アレー!? 大事ナ人を忘レテませんカー?」
!?
な、なんだこの外国人っぽいカタコトな日本語は?
ってかこれ、どこから聞こえてきてるんだ!?
周囲を見渡し確認すると、一人の背の高い女性がノートパソコンを片手にロビー入口に立っていた。
「もー、ミーティングは先にはじめないでよー。翔の自分語りを聞きたかったのにー」
声の主は朝陽、そう吉川朝陽だった。困り顔を浮かべながらこっちを見ている。
「おい、その顔は非常にウザいからやめろ。……てかそれはそうと、さっきの片言な日本語は誰の声だよ」
「栃岡センセイ…… ワタシのことを忘れるなんてひどいデース!!」
朝陽は片手で抱えたノートパソコンを開きながらこちらに見せてくる。
「薄情な顧問ね。ほら、サクラちゃん、みんなの顔よー!」
目に入ってきたパソコンの画面には、サクラ。そう、稲穂の家にホームステイしにきたついでに駅伝部に入部した留学生の
「イエス! サクラ・ハーネントです!」
画面から顔だけひょっこりのぞかせるサクラは美しい金髪、白い肌、そして透き通ったブルーの目をしていた。外見はまったく変わっていない。
「サクラ! 久しぶり! あああああああ!」
「わああああ! サクラちゃんきたああああああ!」
真っ先に反応したのは稲穂と涼風だ。って、テンション高っ!
「うええええええん…… サクラぁ……」
稲穂は涙ながらにパソコンの画面に映ったサクラに近寄る。そんなに会いたかったのか。家で国際電話とか、それこそスカイパーとか使って話したりなかったのかぁ。
「効果、ありそうね」
朝陽は満足そうな顔を浮かべながらその様子を眺めている。
「お前も意外とやるなぁ」
「翔に比べたら貢献度が低いから、このくらいはねぇ」
そう言いながら朝陽はノートパソコンを机の上に置いた。
「翔は、サクラちゃんと話さなくていいの? サクラちゃんも翔と話したがってたわよ」
「それもいいけど…… もうしばらく、みんなの順番かな」
駅伝部のみんなは想像を上回るくらいにサクラとのテレビ電話を楽しんでいるようだった。もう、俺が入り込む余地がないくらいに。
「しばらく、このまま見てるとするかな」
俺が見ていた光景は、ちょっと前まで見ていたいつも通りの光景だった。




