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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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新潟県高校駅伝その1 意外な一面

 新潟県高校駅伝の前日、二ノ丸高校駅伝部はサンビレッジ弥彦に来ていた。今日は前日練習ということもあるのだが開会式も行われるのだ。信乃が父である教頭を説得してくれたおかげもあり授業は出ずに済み、大会の前泊もすることができた。春の県大会のときは宿泊に出す予算がない、と言われて却下されていたが今回は通った。調整にフル活用したいところだ。

 今の時刻はちょうど正午。開会式は午後2時から行われるのでそれまでは調整のための練習だ。駅伝部のみんなはウォーミングアップのためにサンビレッジ周辺の歩道をジョグしている。このあたりは田園地帯ということもあってか道幅は広く走るのには適している。二ノ丸高校周辺のロードと似た状況でアップができるのは大きい。

 俺と朝陽は2人でその様子を眺めていた。

「他の高校の選手も見えてきたわね」

 横を通り過ぎた選手の姿を見て朝陽はそう言う。

「みんな中継所から続く、直線の1キロ部分を走って刺激にするんだろうな。1回でも多く練習しておきたい難しいコースだしな」

 顔を上げると見渡すばかりに広がる田んぼ。それを一直線に道が走る。建物も何もない、一人ぼっちのコース。曇天の空模様が寂しさを倍増させる。

「ここは全国的に見てもアップダウンが少ないコースなんだ。ここまで平坦な道、そうそうないからな。でも記録はあまり出ない。都大路を決めた学校も本番で記録を縮めているくらいだし」

 長距離ランナーにとって大事なスピード感覚。それを奪うこのコースは難コースなのかもしれない。

「今までの積み重ねがモノをいうのかもね」

 朝陽は不安そうに俯く。

「相手は毎年都大路を争ってきたチームばかり。そこに駅伝初心者のチームが挑むのよね……」

「大丈夫だって。あの子たちはいつもこういう道を走ってるわけだし、それに暁月や岸部の選手の方がペース感覚が分からなくなるかもしれない。むしろチャンスじゃないかと思うんだ」

 そうだ。今までやれることはやってきたつもりだ。朝陽は不安そうにしているけど、俺には都大路にいけるという自信があった。

「……なんか、ごめんね。大事なレースの前に、不安を煽るようなこと言って」

 彼女は力なさげに呟いた。

「いいんだって、別に―――」

 言いかけたその時、頬に水滴がついたのが分かった。当然のことながら涙ではない。これは、

「雨が……降ってきたのか?」

 辺りを見渡す。灰色だった歩道の地面は徐々に濃い色に変わっていく。その面積は時間とともに増えていく。俺と朝陽はお互いに傘を広げる。

「雲色が怪しかったから、持ってきて正解だったな」

「でもみんなは大変ね。これ以上雨が強くならないといいけど……体が冷えちゃうわ」

 もう10月も下旬だ。気温は10度前半になることもある。

 幸いなことに陸上部のボアコートを拝借できたものの、ウォーミングアップには特に注意を払うように言っておかなければいけない。せめてサンビレッジ弥彦の体育館がウォーミングアップ上になればいいんだけど……まぁ、控え場所として選手が入るだけですでにイモ洗い状態になるらしいので無理だろう。

 冷たい風が首元を震わせる。これからの戦い、ちょっと大変になりそうだ。


 前日練習は難なくこなせた。入りの1000mをみんなで走り、帰りはジョグで帰ってくる。俺は車で追いかけながらその様子を見守ったが走りにはキレがあった。3分10秒前後で全員フィニッシュしただろうか。ちゃんとイーブンペースで走れたので、明日の不安は少しなくなった。

 クーリングダウンが終えて駅伝部のみんなとサンビレッジの中に入ることにした。正直、外はもう寒かった。これから練習をする学校は大変だろうな、と思うと二ノ丸高校はラッキーだと感じた。

 サンビレッジの中には多くの学校と選手がいた。俺は県陸協から割り当てられたスペースへと向かう。

「えぇーと、女子の5番は……」

 あたりを見渡しながら空いているはずの五番の場所を探す。が、しかし、どこの学校も雨のために大荷物になっているのか通路を塞ぐほどサンビレッジ内部はカオスな状況になっていた。これじゃどこにあるか見当もつかないよ……まったく、どこの学校の指導者も生徒の指導がなっていないな。

 右往左往ウロウロしているのにじれったくなったのか、稲穂が急に声を上げる。

「先生! ここは他の学校の人に聞いていったほうが早いと思います‼」

 あぁ、確かに。もう探してるのもめんどくさいな。適当にそこらにいる高校に聞いてみようか。

 と思ったその時、俺の目の前は岸部高校女子チームの控所だった。そこには選手一人しかおらず、校名の入った黒のボアコートを着て何やらゴソゴソやっている。ちょうどいい。彼女に二ノ丸高校の場所を聞いてみようか。岸部高校とはこれから熱闘を繰り広げるわけだし、敵情視察というのも悪くない。

「えぇーっと、あの―――――」

 しゃがみながら彼女に声をかけてみたが、返事がない。まさか無視されてるのかと思ったが、駅伝部のみんながいる前で顧問が存在すら気づかれなかっただなんて恥ずかしすぎる。ここはもう1回チャレンジだ。

「もしもし――? そこの岸部高校の選手、聞きたいことがあるんだけど?」

 できる限りの最大限にやさしい声をかけてみた。

「―――――っ」

 彼女はゆっくりとこちらを振り返る。そして遂に俺は彼女と顔を見合わせた。

 ……いやでもさ、なんで初対面でこんな顔をされるのかな? ぐしゃぐしゃの泣き顔。しかも声も出さないでこっちを泣きながら見つめてるし。

 ぶっちゃけどうしたらいいか分からない。なんで泣いてるのかと尋ねるべきか、それとも強引に二ノ丸高校の控所の場所を聞くべきか……判断しかねる。

判断に困っていたその時、漣が低くおぞましい声を耳元で出す。

「センセー、もしかして泣かせた……?」

冗談でもやめてくれよ。大会を目前にしてひと悶着起こしたくない。県選抜の前だってバカ教師1名とアホ生徒1人のせいで外出禁止の謹慎処分だったんだから。まだ1か月しか経ってないのにまた何か起こすとかあってはならない。

とにかく早くこの場を抑えないといけないな……

「あ、あのさぁ…… 嫌なことしちゃったんなら謝るけど、その、どうして泣いてるのかな?」

 迷子の小学生をあやすような声でこの女子選手に話しかける。しかし彼女は涙で顔をぐしゃぐしゃにしたままだ。顔は何とかこちらに向けているものの、一向に一言も発しない。

 弱ったなぁ。ここまま放っておくこともできないし……

 途方に暮れかけていたその時、急に人を呼ぶ甲高い声が近づいてきた。

「横越せんぱーい、まだ泣いてるんですかー?」

 駆けてきたその女の子は超短髪のスポーツ刈りだった。短めの髪型とかいうレベルではない。完全なスポーツ刈りだ。まるで外見は男の子のようだったが、アニメでしか聞いたことがないような甲高い声と可愛さのある顔つきで女の子だと断定できた。

「監督はまだ怒ってますよー。早く、謝りに行ったほうがいいですってー」

 語尾を伸ばすのは独特の話し方なのだろうか。その特徴的な話し方のまま彼女は泣きじゃくる岸部高校の選手の腕を掴む。

「……いやだ…… いやだぁ!! 監督のところには行きたくない明日は私の代わりにだれか走ってええええええ」

 その光景はスーパーのお菓子売り場で1日1回は目撃するであろう母と子の修羅場そのものだった。それを高校生の2人が演じていると…… なんかこう、息がつまりそうだ。

 呆然と立ち尽くしていた俺たちだったが、ようやく腕をつかんでいた彼女は俺たちの存在に気付いたようだ。

「あー、その、えぇーっと…… 何かご用だったりしましたかー?」

 首を傾げながら、「何か?」とキョトンとした顔をされる。

「いやぁ、うちのチームの場所を聞こうとその子に話しかけたら泣いちゃっててさ…… それでちょっと困ってたんだ」

 事情をようやく話せたよ。ちょっと気が楽になったわ。

 彼女は俺の言ったことを聞き終えると苦虫を噛んだような苦い顔をした。

「すみませんー。うちの横越先輩、大会前になるといつも緊張で走れなくなっちゃうんですよー。それで今日も前日練習が思うようにできなくて監督に怒られて…… 今はちょっと監督と険悪ムードなんですよー」

 なんだちょっと前の京子みたいだな。最近は治り気味になってきたけど、大会前に緊張で調子を崩すとか京子と同じじゃないかこの横越っていう選手……

「よ、横越!?」

 思い出した。岸部高校の横越って、この前の新潟ロングディスタンスで1着だった選手じゃないか。最近発表された全国ランキングでは9位。もちろん新潟県ではナンバーワンの選手だ。そんなにすごい選手がどうして弱弱しく泣きじゃくってるんだ。人違いを疑うぞ。

「驚くのもムリはないですよねー。私も入学してからビックリしたんですよー。速いんですけどホントに緊張しやすくて……」

 そういいながら彼女は「ああ残念だ」と言わんばかりの残念フェイスをする。

「この緊張症がなければヨユーで全国1位だと思うんですよー」

 自信満々な彼女な顔からはどこか余裕を感じた。

 何故だろう。これから同じスタートラインに立って戦う相手なのに、どこか負けているような気がした。横越の意外な一面、それはつまり弱点であるはずなのに、それを知られてもなお自信満々だったのだ。彼女は。挑戦するたちばであるからそう感じているのか、それとも―――――

「あ、申し遅れましたけど、私、岸部高校の藤沢って言いますー。明日は戦うことになると思いますけど、よろしくお願いしますねー」

 藤沢はそう言うと右手を差し出してきた。握手をしようとしたのだろう。俺も右手を出しながら自己紹介をする。

「こちらこそ申し遅れたな。二ノ丸高校駅伝部の、今年から顧問になった栃岡翔だ。明日は俺たちがいちば―――――」

 カッコよく言い切ろうとしたその前に藤沢は勢いよく言葉を遮る。

「二ノ丸高校の栃岡先生って、全国でただ1人の13分台教員ランナーじゃないですかー‼ この間買った雑誌のコラムに載ってましたよー‼」

 ざ、雑誌のコラムに載ってた!? そんなこと初めて聞いたっていうか…… あぁ、あのスポーツ記者の江戸川美咲のせいか。まったく、載せるなら載せるで確認の電話くらいしてくれよなぁ……

 俺の憂鬱な気分をよそに藤沢は目をキラキラさせている。

「栃岡先生が率いる二ノ丸高校、強そうですけど負けませんよー! じゃ、明日はよろしくお願いしますー!!」

 藤沢はそう言いながら再び横越のボアコートの襟を掴む。

「ほらー、せんぱーい。監督に謝りに行きますよー!」

「いやだぁ! やめてえええ! それだけはああああああ!!」

 強姦されているかのような叫び声をあげる横越を気に留めず、藤沢はボアコートごと横越を連れてサンビレッジを後にしていったのだった。俺たちはそれを追うこともこともせずただ立ち尽くすのみだった。

「なんだったのあの人たち……」

 信乃が、回答不可能な証明問題を目の前にしたかのように困惑する。アリエナイ、そう言いたげな表情だ。

「結局、二ノ丸高校の控所も分からなかったじゃん……」

 珍しく涼風がマトモなことを言った。実際言ったことはそれほどちゃんとしているわけでもないのだけれども、なんか妙に、ちゃんとして聞こえる。やっぱり岸部高校のあの二人はちょっと変だったんだな。

「おーい、みんな、こっちみたい」

 朝陽がこっちに駆けてきながら声をかける。ってか、お前さっきまで一緒にいなかったか?

「なんでいつの間に別行動になってんだよ……」

「いやぁ、翔がまた問題を起こしたのかなぁって思って、逃げてたの」

 薄情だ。なんて信頼のおけない奴なんだ。人がまた瀕死の恐怖に襲われている間に自分だけ尻尾巻いて逃げやがって。

「なーんて、嘘。ちゃんと藤沢さんが来てから場所を探しにいったのよ」

 朝陽は舌先を出して「あっかんべー」をする。可愛くない。むしろ余計に怖くなったぞ朝陽だけじゃなく女性そのものが。


 ともあれ朝陽の誘導に従って割り振られた場所にたどり着いた俺たちは一息つくと開会式へと向かった。明日のスタート時間が早いので前日である今日にやることになっているのだが、選手のウォーミングアップの時間も確保できるので、顧問としてもうれしい。

 開会式はサンビレッジの外、すぐとなりにある市民ホールで行われる。ここは弥彦村唯一の市民専用のホールでたまーに地域巡業の歌手がちょっとしたコンサートを開く場所だ。こんなにいい施設を借りて開会式をできるのは嬉しいが、だったら明日の駅伝の控所にも使わせてもらったって良いんじゃないのか……? まぁ、走り終わった高校生が汗まみれで入ってこられるのが嫌なんだろう。気持ちはわからなくもない。暖房も効いてるし体も冷やさなくて済むだろう。

 駅伝部には中井から借りた陸上部のボアコートを貸していたが、市民ホールに入ったころには信乃以外全員が脱いでいた。ってか俺も俺でダウンコートを脱いでジャージ姿になっていたのだが。

 市民ホールの観客席に腰掛けると隣が信乃だったので何気なく聞いてみた。

「信乃、どうした寒いのか?」

 マメな性格の信乃が駅伝直前で風邪なんて引くわけないのは百も承知だが、念のために聞いてみた。

「いや……その……あれ、ですよあれ…………」

 信乃はキューっと顔を真っ赤にさせる。目も泳いでいるようだ。

「は? あれって何?」

「そ、その…… もう半年ちょっとで、その……『妊婦』になる女性なんですから、だから、やっぱり、体はあんまり、冷やしちゃいけないじゃないですか?」

 その瞬間、ある男に対する信頼が崩れ落ちた。


 大森。


 そう、ニチヤクの監督であり信乃を将来の伴侶にしようとしている男、大森顕。

 見損なったぞ…… お前、女子高生終わってすぐにそういった方面のことをしてしまうとは。

 息苦しさに襲われた俺だったが不思議と言葉は出る。

「あのさ、それってニチヤクの人たちに影響があるんじゃないか?」

「……影響、ですか?」

 首を傾げながら何食わぬ顔で信乃は尋ねる。

「いや、そのさ、選手を支える側にある人間がさ、十代の女の子とそんなことしてりゃあさ、あいつの印象も変わると思うんだけど……」

「大丈夫ですよ。私とあの人との関係はオープンですし、それにニチヤクの女子選手はみんなあの人のことが大好きだから。だからこそ分かってくれると思うんです」

 大森、ごめん。完敗だわ。俺の知らないうちにそんなに女性からの人気を集めていただなんて。

 てっきりさ、駅伝が好きなただの年老いたおっさんだと思っていたよ。高校時代では敬語じゃないとすぐキレる「鬼監督」とばかり思っていたよ(ただ俺たち駅伝部員は陰で呼び捨てで読んでいた。その名残で俺たちは今も『大森』って呼んでるんだけどね)。それがさ、十代の女の子との電撃年の差婚をオープンな関係で回りに惜しまれながらしちゃうだなんて……

 もう何も言えないわ……

 マリッジを先越されたブルーを堪能していた独身男子教員の俺だったが、急に横槍を突いてきたバカがいた。

「やっぱりー、栃岡先生も悔しかったりすんのー?」

 はぁ……涼風か。そういえば俺、信乃、涼風の順番に座っていたからそりゃあ会話の内容ダダ漏れだよな。

「うるせーな。ちょっと、ブルーな気持ちになってただけだよ」

 それを聞いて涼風は急に嬉しそうに笑みを浮かべる。

「あはははー。じゃ、あたしがお嫁さんになってあげるよーっ!」

 涼風はそう言いながら信乃の膝の上に腰かけると、唇をすぼめて俺の顔に近づけてくる。

「んーん……」

 その瞬間、ちょっといい匂いがした。なんだろう、シーブリーズみたいな、自分のものとは思えないさわやかな匂い。もしかして香水? 陸上選手がこんな匂いのする香水、つけてていいのかよ。思わず涼風の生活規律を気にしてしまうような、引き込まれる香りがした。

「ちょっと、いい加減にしろ死ね!!」

 その瞬間、涼風の後ろから拳が飛んできた。いや、拳というか、腕を振り回した時の弾力性を利用してグーで殴った痛いあの技だ。

「こ、こんなところで、そんなことする涼風はいつもより増してゲスいし、それに卑怯だし…… それに、とととと栃岡先生だって特別否定してる様子もないし、ちょっと、とにかく、やめ! やめ! ゲームセット!!」

 顔が見えなくてもわかるよ。これほどまでに涼風をディスるのはこの駅伝部に一人しかおいない。

「おねーちゃん痛い! 死ね!」

「殴ってるほうも痛いのよ、死ね!」

 姉妹で混沌とした状態が続いていて当事者の俺は口出しできるはずもなくただただ頭を抱えているだけだったが……

 涼風の尻に敷かれていた信乃が口を挟むと同時にその場は終着した。

「あなたたち――――――う・る・さ・い」

「「―――ひっ」」

 姉妹は口を揃えコンマ7秒くらいで元のポジションに戻った。信乃の声はどこか冷酷さを帯びていた。

「信乃、お前怖いよ……」

「いえ、全校集会のときはいつもこうやると一瞬で静かになるので重宝していたのですが……そういえば今年は生徒の集会への集まりがいいのでまだ使ったことがありませんでしたね」

 信乃は得意げにほほ笑むと座りなおして前を向いた。

「栃岡先生、開会式が始まりますよ。寝たらダメですよ」

「は、はーい……」

 県駅伝当日にして、部員の新たな一面を知ることになった俺は、ちょっと戸惑っていたのだった。


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