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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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アンカーの疑問

 県高校駅伝まで1週間……いや、実際は6日しかないのか。今日は土曜日の午前練習だ。来週の金曜日はついに県高校駅伝本番。最後の追い込み練習をしようと駅伝部は学校周辺のロードでの練習を行う。

 今日は3km+1kmのセット走というメニュー。駅伝を想定したロードでの実戦練習だ。最初の3kmは11分から10分30秒の設定である程度余裕をもちながら走り、そしてプラスの1キロを全力で駆け抜ける。かなり強度の高い練習になるだろう。

 練習を開始するときは曇り空だった天気も、セット走のスタート開始が近づくにつれて雨模様になる。質の高い練習で風邪なんて引いてほしくないから天気が良い方がもちろん良いのだが……わがままばかりも言ってられないな。

 部員達は雨具やレインコートを着ながらウォーミングアップをしている。涼風と漣はウィンドブレーカーのままでアップをしているな。雨で濡れて大変そうだ。都大路が決まったら「二ノ丸高校」のチーム仕様のレインコートを買いたいものだ。

 今日は練習に朝陽も来てくれた。「本番前くらい息を合わせたい」かららしいのだが来てくれるのはありがたい。もしもの時に頼りになるからな。

 俺と朝陽はビニール傘をさしながら部員たちのアップを眺めていた。ふと、朝陽が不安そうな顔で俺を覗き込んでくる。

「京子ちゃん、調子悪そうね」

 朝陽にも分かっていたようだった。京子はこの間の記録会から調子が下がる一方だった。練習では漣や稲穂に付いていけず、涼風と信乃と一緒になって走るばかり。この間の試走で5キロを走らせても19分は超えるような走りだった。本番では17分台前半で走ってもらわないとなのに……

「女性特有の何かがあるのかもしれないけど……不安だな」

 言葉を濁しながら朝陽にそう言う。でも彼女は何も応えなかった。何かしら答えてくれるだろうと思っていた俺は少し不安になった。


 スタート時間になったので部員を1kmコースのスタート位置に集めて話をする。さっきよりも雨脚は強くなっていたので声を張り上げて話す。

「最初の3kmは頑張らなくていい。その次に1kmをスパートするイメージで走ってくれ。タイムは気にしなくていい。気持ちよく走れればいいから」

 駅伝部は全員頷く。みんな表情は真剣だ。この間の記録会であれだけ浮かれていた涼風も真剣な眼差しでいたので少し意外に思った。

 ウィンドブレーカーなどを脱がせてランシャツ、ランパンの恰好にさせた。ちょっと寒いかもしれないが本番もこの条件でやるかもしれないのだ。少しだけ我慢をしてもらうか。

 準備ができたことを確認すると道路の左側に1列に並ばせた。どうせこんな田舎道なんて車は通らないのは分かっていた。雨で視界が悪いけど白線の内側を走ってくれれば大丈夫だろう。

 俺と朝陽はストップウォッチを構えた。

「位置について―――――――――スタート!!」

 合図を掛けるとすぐに部員たちは駆け出して行った。雨を切り裂きながら―――


 3分ほど経つと先頭を走る2人が走って来た。稲穂と漣がほぼ並走するかたちでスタート位置へと向かう。その後ろに京子が1人で走り、それを涼風と信乃が追いかける。京子は2人に付かないと思ってわざとあの位置にいるのか、それとも付けないのか…… それはよくわからなかったが、走りのテンポが鈍いことはわかった。

 1周目を通過する彼女達にタイムを読み上げる。この1km、1周目の通過は3分34秒。設定どおりのタイムだ。それに2秒間隔で京子、涼風と信乃が続く。

「京子ちゃん、今日は2人から離れてるみたいね」

 朝陽が明るい声で言う。でも、

「あの様子だと、じきに後ろの2人に吸収されるかもしれないな……」

 俺には分かっていた。余裕のあるペースとはいえ京子があのまま行けるとは思えなかった。あのテンポの悪い走りではリズムを上げることはできない。

 あの走りじゃアンカーは務まらないんじゃないか。もし当日まであの走りのままだったら…… 不安な思いが脳裏をかすめる。もしも県大会のような悲劇がもう一度起こっていまったら、今度こそ、京子は笑顔で卒業できないだろう。

「過ちは繰り返したく……ないな……」

 頭ではそう思っていても京子の走りが変わることはなかった。先頭の2人は2、3周目を3分32秒、3分30秒でカバーしたが、京子は後方の2人に吸収されての3kmとなった。先頭の2人は10分37秒だが、3人は10分46秒かかった。設定通りといえばそうなのだが、京子のペースメイクは予想以上に悪かった。

 部員達には5分のレストをとらせた。しっかりと休んで、この後の1kmを走ってもらいたかった。俺はスポーツドリンクの入ったボトルを私ながら顔色を見て回った。雨脚は依然として強いので低体温にならないか心配だったがその心配はなさそうで安心した。京子も京子で顔色は悪いというわけではなかった。

 そうこうしているうちにあっという間に5分は過ぎた。ちょっと早かったかなと思ったが、いいだろう。部員たちにスタートラインにつかせる。

「次の1kmは駅伝のラストだと思って本気でやってほしい。もちろん、勝負だけじゃなくタイムにもこだわってくれ。それじゃあいくぞ――――」

 ストップウォッチを用意して構えた。

「位置について――――スタート!!」

 駆け出す部員達、俺は降りしきる雨の中で見守るしかできなかった。

 数分後、ロードコースの遠くから部員が走って来た姿が見えた。先頭はやはり漣のようだ。それに2人、また2人と続く様子。先頭の漣は1区の選手にふさわしいキレのある走りをしている。間違いなくこのチームのエースになったな。1区に選んでおいて正解だった。

「漣、頑張れ! 3分切れるぞ!!」

 声を大声でかけると彼女はいっそうスピード上げたようだった。髪は雨でぐっしょり濡れて顔にかかっているがそんなこと気にしない。

 そのまま彼女は1kmのゴールラインを駆け抜けた。タイムは2分59秒だ。彼女のベストだった気がする。追い込み切った漣は息をゼイゼイ上げながらジョギングに入った。お疲れ様。これで県駅伝も大丈夫そうだ。

 続いてゴールへとやって来たのは稲穂と京子。若干稲穂が先行しながらも立て続けにゴールをした。タイムは3分3秒と4秒。京子も良く立て直したな。リズムもだいぶ良くなった。

 そしてその後に入って来たのは涼風と信乃。ほぼ並んでのゴールで3分7秒台だ。この2人の仕上がりもすごいな。春先の京子くらいに力をつけている。

 俺がタイムをとっている間に朝陽の指示で部員たちは学校へとジョギングをする。今日は学校での集合解散にしてある。雨が心配で競技場集合にしなかったのが正解だったな。このジョグをクーリングダウンにしてもらって、すぐに解散にしたいところだ。風を引かれるのが一番怖い。

 部員たちが全員走り終わったのを確認すると、俺も彼女達を追いかけるように学校へと歩いて向かった。


 学校に着くとすぐに終わりのミーティングをした。早いところ話を終わらせて着替えてもらおうと思ったのだ。

「今日の練習はこれで終わり。みんな仕上がりは上出来だったぞ。あとは調整だけだからきつい練習はしない予定でいる。ま、明日くらいは各自でジョギングしたり、身体を動かしてくれ」

 風邪を引くなよ、と最後に付け足して練習を終わりにした。朝陽に一言告げると俺は職員室へと向かう。

 誰もいない職員室の電気をつけると自分の机に座って一息つく。今日はみんないい感じに走れてて良かったな、と改めて安堵する。そして机に置いておいたコンビニ袋から濡れ布巾を取り出して手を拭うと、「山城屋の巻きずし」の蓋を開けた。何を隠そう栃岡翔はこれが大好物なのである。ハードな練習をやった後、どんなに食欲がなくてもこれだけは食べれるのは高校時代から。今は別に練習したわけでもないし食欲がないわけでもないが、駅伝部の最後のポイント練習が終わっただけあって安堵しているのだ。何かいいことがあれば食べないわけにはいかない。それくらいの定番メニュー。鮭とマグロと特製昆布の組み合わせが最高なんだって!! いやー、生きてる意味を実感でき―――――

 って巻きずしを前にニヤニヤしていた時、ある少女に後ろから声を掛けられた。このあいだは吉村に同人小説を書いてると勘違いされたが、今回はまた新しいパターンだった。

「せ、先生…… そんな性的嗜好があったんですか…………」

 唖然とした顔で俺を見つめていたのは京子だった。必死に弁解する俺。

「ち、違うからね!? さすがに食べ物相手に欲情するほど飢えてないからね!?」

 決死な表情を引いたのか京子は数歩後ずさりをした。

 ちょ、京子ぉ…… 京子にそんな目で見られたら駅伝部での立場が本当になくなっちゃうよ……

「冗談だろやめてくれよ…… でも何か用か? 着替えも終わったみたいだし、早く帰った方がいいぞ」

「いえ、羽越線が運休みたいなので、すぐには家に帰れそうにないんです。先生と少しお話ししたいなと思って……」

 京子はそう言いながら携帯の画面を見せてくる。「鉄道遅延状況」のサービス画面には「羽越線 安全確認のため全線運休。再開は未定」とあった。信乃は学校の近くに住んでるし、それ以外のメンバーは違う路線を使っているから帰れるんだろうけど……

「それじゃあ家に送っていくよ。俺も暇だったし」

「えぇ!? そんな、申し訳ないですよ。お食事中みたいですし」

 彼女は慌てながら首を横に振る。

「あ、大丈夫。すぐに終わるから」

 俺はそういうと手巻き寿司を次々と口の中に放り込み、わずか十数秒で容器を空にしてしまった。口いっぱいに手巻き寿司を入れながら車のキーを手に取る。

「ほれひゃあ、ひゅんひれひたひ、ひこふか」

「『それじゃあ準備できたし行こうか』って、無理ありすぎです!!」

 猛烈にツッコんだ京子だったけど言ってることは分かってくれたんだな。


 職員室を出てすぐに車に乗って京子の家に向かう。春の記録会、夏の携帯の落とし物とかれこれ2回は京子の家にお邪魔している俺だから家の場所はもう分かっていた。親に連絡しておくようにと京子に告げると田んぼ道をひたすら走る。

「雨、すごいですね……」

 窓から外を見る京子はポツリと言った。

「今日の練習も寒かっただろう。雨も冷たくなってきたよな」

 傘をさして練習を見守っていた俺はともかく京子はランシャツ、ランパンでこの雨の中を走ったのだ。身体が冷え切っていてもおかしくない。

「ちょっと寒かったですね。指先が全然温まりませんよ」

 京子はそう言って苦笑いを浮かべる。女の子は男より冷えが強かったりするのかな。実家の母親も冷え性冷え性言ってたけど……あ、あれはただの老化か。

 暖房を付けるまでもないけどこのまま耐えさせるのもかわいそうだ。

「そうだ。ラーメンでも食べていこうか。昼ご飯はまだだろ?」

 そう言うと京子は嬉しそうな顔をしたが、すぐに浮かない表情になる。

「えぇ!? か、構いませんけど、でも栃岡先生はお昼ご飯をさっき頂きましたよね!!??」

 そんなことを気にしていたのか。まったく、俺の胃袋のキャパをなめているのか?

「あれは前菜くらいの気持ちだから、メインディッシュは大島屋に行こうか」

「さすが13分台ランナーだけありますね…… でも、賛成です! 行きましょう!!」

 京子の顔がすっと笑顔になったのが分かった。

 車を10分ほど走らせるとラーメン屋「大島屋」に着いた。個人経営の小さな店で駐車スペースも狭いので隣のショッピングセンターに駐車することになった。この店、メニューは醤油ラーメンのみだが新潟のおいしいラーメン屋トップ3に入るほどの名店。そのこだわりが多くの客を引き付けてるんだろうけど。

 俺たちは店の前に置いてある食券の自販機に並ぶ客の列の最後尾につけた。

「土曜日だからか人が多いですね……」

 初めて来たのだろうか、その行列を見て驚く京子。

「今日は雨だからまだ少ない方だよ。本当に混むときは1時間待ちになったりするんだから」

「それは…… すごいですねぇ……」

 京子は店内の様子を見ようと背伸びをしてみるが、大の大人が並ぶ前では小学生ほどの身長の京子に見えるはずもない。しまいには何回もジャンプをして見るが……なかなか見えないようだ。

 その様子が妙に可愛く見えてしまったので京子の頭を撫でながら言う。

「そんなに焦ってもラーメンは逃げないから安心しな」

 彼女は急にジャンプする動きを止めると顔を真っ赤にさせた。

「そそそそそそんなんじゃないですからね!! た、たたたたただ、中の様子が、き、気になっただけですからね!!」

 ご機嫌斜めになってしまったのか俺に顔を見られないようにそっぽを向いてしまった。あーあ、もうちょっと気持ちを考えるべきだったかな……

 食券の自販機の行列は次々と進行し、ついに俺たちの順番となった。さっきまでよそを向いていた京子はリュックからピンク色の財布を取り出す。それを片手で制しながら俺は5000円札を券売機に入れた。

「いいよ。せっかくだし今日は俺のおごりで」

 案の定京子は申し訳なさそうな顔をして俺の手を振り切ろうとする。

「そんな、申し訳ないですよ。送ってもらったうえに、お昼代まで出してもらうだなんて……」

「お金入れちゃったしさ、いいじゃん、ね?」

 京子の言葉なんて気にすることなく「ラーメン」のボタンを2回押す。

「……ありがとう……ございます……」

 またも京子は顔を赤らめた。やっぱりいい子だな。


 従業員の誘導でカウンター席に着いたのは良いものの混んでいるだけあってラーメンが来るのには時間がかかっていた。退屈なので来週に迫った県高校駅伝の話をしていた。

「やっぱり岸部高校は勢いがあるよな。うちも負けちゃいられないな」

 俺は高揚した気持ちを抑えられなかった。なんたって6年ぶりの高校駅伝だからな。あの時は選手で今は顧問という違いはあるけど、駅伝であることには変わりはない。駅伝部のみんなが快走をしてトップでゴールインする――――そんな瞬間を想像するたびに笑顔を抑えきれなくなる。

「やっぱり暁月高校のアンカーは寺門かな。国体も終わったみたいだし、あの子がアンカーを務めれば暁月だって――――」

「先生、」

 調子よく話していたが京子がそれを遮る。いつになく低いトーンだった。

「―――どうして、私がアンカーなんですか?」

 いきなりの質問だった。さっきまでの高揚感は消え失せてしまう。話の続きをするにもできなくなる、そんな緊張感に襲われる。

 京子は水滴の付いたコップをみつめながら話す。

「私より、稲穂さんのほうがアンカーに向いてるんじゃないかって思います。私が短い距離を走ればその分リードされなくて済むのに、どうして私なんかがアンカーなんですか?」

 店内の雑踏も耳に入ってこなかった。京子の言葉には力があったように思えた。黙って見過ごすわけにはいかない、そんな力で俺を振り向かせる。

「アンカーは京子にしかできないんだよ。稲穂も速いけど力がない」

 京子の身体がビクッと震えたのが分かった。

「それって……どういうことですか?」

「京子は俺が来る前、ずっと1人で走っていた。その強い心がなきゃ強化記録会みたいに安定したペースで走れなかった。そうだろ?」

 反応を求めたが彼女は俯いたままだ。褒められたのと自分の今の不調、それのギャップを感じていたのだろう。

「納得いかないのも分かる。でもな京子、駅伝の区間やメンバーってのは速さだけで決まるんじゃない」

 京子はすっと顔を上げた。

「じゃあ何で―――」

 少女のつぶらな、答えを求めて不安にかられる瞳を見て言葉を失う。自分で立派な口をしてみたものの不安な顔をする京子を笑顔にできる、そんな力はないことに気づく。言葉にできないもので人を安心させられるほど俺は器用じゃなかった。

 駅伝については二ノ丸高校では誰よりも詳しいはずの俺が、大事なところで選手を納得させられない。こんなところで……まだ俺は顧問失格なのかもしれないな。

 俺たちはそのまま目を合わせていた。が、京子は何かを思い出したかのように急に目を逸らす。

「―――――はっ!!」

 京子は顔を俯かせる。髪が全部下りてしまって表情も見えない。え、ちょ、何? どうしちゃったの? 何かマズいことでも言っちゃったかな俺。

 恐る恐る京子に聞いてみることにする。

「み、京子ー どうした? 気に障るようなこと言っちゃったなら謝るけど――――」

 全身をカクカク震わせながら京子は声までカクカク震えさせる。

「べべべべ別になんでもないですからね!! ただ、ただちょっと――――」

 後半部分がモゴモゴして聞こえなかったぞ。相変わらず人の目を見て話すのが苦手な京子だな。これじゃあ会社に入ってから名刺交換もできないぞ? 駅伝部のみんなとなら普通に話せるのに、なんで顧問の俺とだけはこうなんだか。

 ため息も出てしまうほど呆れていた。

 その時、前掛けをした店主がラーメンを2つ、俺たちのもとに差し出してきた。

「お待ちっ!! これ食べて午後のデートも頑張りな、カップルさんよ!! ハッハッハッハ!」

 立派に無精ひげを生やした店主はご機嫌にそう言った。なかなかボリュームが大きかったので店中の客、そして外に並んでいた客までもが俺たちに注目する。

 何をバカなことを言ってるんだ。身長170センチ後半の俺と小学生みたいな京子、どう見たってカップルには見えないだろうに。むしろ親子ぐらいの感覚だ。男性教員にこんな小さい子を好きになる嗜好があるんならそいつは教育界から追放されるべきであろうに。

「まったく、いくらなんでも冗談がすぎるよな――――」

 そう言いながら呆れ顔で京子を見たがいまだに俯いたままだった。店中の注目が集まっているから恥ずかしいのだろう。京子も京子で本気にするわけないよな。高校生の頃に朝陽に振られて以来ずっと非リア充の道を歩んできた男だぞ俺は。

 割りばしを2膳手に取った。1膳は京子のどんぶりの上に置く。

 京子の様子もそのままなので気にはなったがそんなことよりラーメンが伸びてしまう。もう1膳を自分で割った。

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