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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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吉村の苦悩

「うっわ、終わるかな…………」

 放課後、職員室に一人残った俺の口からポツリとそんな言葉が出てしまった。今日の6時までにテスト問題を公民科主任の教員まで提出しなければならないのだが、このままのペースだと少し危ないのだ。前回の1学期中間テストは終日まで待ってもらったし部活動を持っているということで優遇してくれる優しい先生ではあるのだが恩に頼ってばかりもいられない。

「こ、ここも選択問題でいいかな」

 二ノ丸高校のテストは歌和村教頭の馬鹿げた「マークシート禁止令」によって定期考査でマークシートが使えないばかりか選択問題もなるべく少なくするように、との指針が出されている。まったく大学入試では選択問題の見極めってのも重要なポイントなのに分かってないなぁ。

 でも文句を並べていても仕事は進まない。零れ落ちそうな涙を抑えながら次の問題を考え始めた。

 教科書をめくりながら問題を考える。うーんっと、次は民主主義と国会の関係について出題しようかな……

 図表を片手に持ちながら問題の構成を考えていると、ふとあることを思い出した。

「国会…………今日の生徒総会もすごかったなぁ……」

 今日の生徒総会のことだった。おそらく近年あそこまで荒れた総会は初めてだったかもしれない、というくらいの荒れ方だったと思う。


 荒れていたといっても最初は穏やかに進んでいたのだ。部活動と委員会の活動報告、そして会計報告の例にならった作業は何一つ問題なく進んでいた。教員達の中には体育座りをしながらウトウトしていた者もいたくらいだ。平和で、ごくありきたりな生徒総会だった。

 しかしそんな穏やかな総会も質疑応答の時間に入ると一変する。二ノ丸高校の質疑応答はあらかじめアンケートで集められた質疑に総会で生徒会が返答をする、という形式だ。しかし一通り返答が終わったその時、ある生徒がいきなり立ち上がると声をあげた。

 その生徒は俺が授業を持っている3年の柏木(かしわぎ)だった。陸上部で成績優秀、授業も寝てるところは見たことがないし友達や教員からの信頼も厚い。まさに高校生の見本とも呼べる生徒だ。

「生徒会役員へ、物申す!」

 そう彼は叫ぶと生徒会が呼び止める声を気にも留めず、壇上へと上がった。教員たちが止めに入ろうと教壇へと向かうが柏木はそんなことも関係なしに演説を始めた。

「我々フェンシング部は毎日必死に練習し、昨年は北信越大会まであと一歩のところまで進んだ。先輩方を交えたチームでの努力はまさに二ノ丸の生徒らしき戦いであったと呼べるだろう!」

 彼の語勢は特段激しいといった印象を受けず、むしろ強弱をわきまえている饒舌であった。それを見た教員たちは彼を止めに行くことも忘れてただ茫然とする。でも彼は陸上部の生徒で三段跳びをやっていたはず。なんでありもしないフェンシング部の名前が出てくるんだろう?

「しかし、だ。その努力は続くことはなかった。昨年度末の生徒総会において我らがフェンシング部の存続は打ち消された! それは学校の運営側による圧力のためだ!」

 体育館に座っていた生徒たちがざわつき始める。そうか、この学校の部活がなくなっているのは生徒総会の決定ではなく一方的に教員たちが決めたものだったのか……

「突然言い渡された廃部の知らせに私たちは涙するしかなかった。先輩は涙をこらえながら校歌を歌って卒業し、私達は他に打ち込めるものを探すしかなかった。インターハイ予選に出るためには部活に所属しなければならないというこの学校の規則がそれを強制したのだ!」

 うぅ……ここまで言われると存続していた駅伝部の立場が疑問になっちまうだろう……柏木、早く本題に移ってくれ。心臓が壊れそうだ。

「そこで私はここで提案する! 生徒会長吉村千香、貴様はここで誓え! 今後一切の部活の存続、そして多くの生徒がスポーツ及び文化活動に熱中できる環境を作る、と!!」

 いきなり名指しされた吉村は驚いた様子でワナワナするばかり。

 生徒たちの騒々しさも最高潮に達しようとしていた。そして柏木に続いて数名の生徒が立ち上がり壇上へと向かう……彼らもまた部活動を追われた生徒なのだろうか。

 生徒会の役員たちは彼らを制止しようとするが多勢に無勢。壇上には次々と生徒が上がり始め、そこはいつしかデモのようなコールが巻き起こっていた。

「二ノ丸高校の部活動に自由を!」

「もう部活動はなくすな!」

「会長は辞任しろ! 学校の発展に貢献できない会長はやめるべきだ!!」

 気づくと生徒たちの半分くらいがそこに加勢していただろうか。駅伝部のみんなの姿は見られなかったが男女関係なしにデモは起こっていた。

 ここにいる生徒達の全員が同じことを思っているのかと思うとぞっとした。教員たちはこれほどまでに生徒の意見を無視していただなんて……

 さすがにここまで荒れてしまうと教員の出番だった。体育教師を中心とする一団が突入して怒鳴り声をあげて生徒を演壇から引きはがし始める……かなりカオスな状況だと思っていると別の教員たちが生徒総会の解散を支持し生徒たちを教室に戻し始めた。

 俺は運動部の顧問というだけあって最後までその収拾に追われていたのだが……柏木を中心とする元フェンシング部と思われる数人は最後の最後まで抵抗していた。あまりに抵抗が激しく陸上部顧問の中井なんて殴られていた。あの人何にも悪いことしてないのになぁ。

 普段はあんな好青年な柏木があんなことするなんて俺には信じられなかった。


 ……回想にふけっていると作業が全く進んでいないことに気づく。マズいマズい。慌ててパソコンの入力を再開した。

 独りきりの職員室に響くカタカタという音。他の教員はみんな優秀だ。1人も居残りしてないなんて普段どんだけ暇なんだよ。やっぱ、顧問との文武両道って難しかったりするのかな。いやー! そう考えると二束のわらじを履いてる俺って頑張ってない? これで都大路まで出れたら文句なしだね!!

 そう思いながらニヤニヤしてパソコンをいじっていた。後ろに佇む少女の存在にさっぱり気づくことなく……

「栃岡先生…… なに1人でパソコンに向かいながらニヤニヤしちゃってるんですか? エッチぃ同人小説でも書いてるんですか??」

 そう言いながら苦い顔をしているのは生徒会長の吉村だった。突然の来客に驚いてキャスター付き回転式椅子から転げ落ちそうになる。

「せんせっ、ちょ、そんなに驚かなくても良くないっすか!?」

 吉村は笑いながら手を加えてツッコミをいれる。あ、マジで苦い顔してたわけじゃないんだな。ちょっと安心した。

 さっきまであれだけ生徒総会が荒れていたので吉村にはなんて言葉を掛けたらいいのか分からないが…… ここはひとつ、あえて触れないでおこうか。

「よかったぁ…… で、なんか用なの?」

「良かったってなんすか良かったって…… えぇーと、まぁ用っていうのは他でもなくて、倫理で分からないことがあったから聞きにきたんですよー!」

 吉村の担当してるクラスで教えてるのは政経なんだけど…… まぁ持ってるのは公民科の教員免許だしいいか。

「いいぞ、他の先生もみんな帰っちゃったしな」

「良かったです! えぇーっと、パウロの思想なんですけど……」

 吉村はそう言いながら倫理の用語集のページをめくっていく。大学で倫理分野は比較宗教を履修していたのでなんとか分かるだろう。

 そう思いながらも自分の身体は小刻みに震えているのが分かった。そう「分からない」のだ。最近は倫理の教科書を開くこともなかったためソクラテスとプラトンとアリストテレスの違いまで分からなくなってしまっている。俺の思考は吉村の質問への回答ではなく吉村からの回避行動へとシフトしていた。要するにどうやって吉村をこの場から振り切るか、に変わっていた。「うっわ、さっき自分で答えられることか言っといて分からないんですかダッセー」なんて生徒会長から言われるようなことになったらこの学校から追放される日も近いぞ。

「先生、やっぱりわかりませんか?」

「そんなことないんだけど、難しい質問だな……」

 と言って苦笑いをしてみる。そうだ、ここで「これは専門的なことだから倫理専門の先生に聞いた方がいいねテヘペロ」みたいな言い逃れをするのがベストなじゃないのか?

「これは―――――」

 そう言いかけた瞬間、職員室に人が入って来た。チッタイミングが悪いなと舌打ちもしたくなったが俺は入って来た人物を見ると戦慄した。それは教員数名に取り押さえられた3年生柏木だった。

 取り押さえられて大人しくしていた柏木だったが吉村の顔を見た瞬間いきなり暴れ始めた。あまりに急に暴れたので教員たちは抑え込むことが出来ず柏村を手から放してしまった。

 柏木は教員たちの制止も無視すると俺たちのところへ走って来た。え、お前一体何を――― という思考回路を起こすまでなく吉村の目の前へと立つ。

 そして、

 ―――――パシッ

 職員室に乾いた音が響く。柏木は吉村の頬を平手打ちしたのだった。

 驚きのあまり声も出なかったが吉村はもっと驚いていたようだった。ただ口をぽっかりと開けていた。

「この役立たずが! お前なんて二ノ丸高校に要らないんだよ!!」

 柏木が言い放つとすぐに教員たちが駆け寄って取り押さえた。そして怒鳴りつけながらすぐさま職員室かつから立ち去っていった。彼らはいったいどこに行くのだろうか…… そんなことは分からなかった。

 吉村は赤くなった頬にに手を当てる。結構強かったのかまだ真っ赤だ。

「お、おい、大丈夫か……」

 かける言葉といえばこれだけだった。あれだけの罵声を浴びせられた吉村だ。普段はいくら明るくても内心は傷ついているんじゃないだろうか。

「……先生、」

 そう口を開いた吉村の目は潤んでいた。

「私、どうすればいいんですかね? 部活がなくなっている現状を何とかしたくて会長に立候補して当選して……でも学園祭の準備とか日頃の雑務を片付けることが精いっぱいで、何にもできてなくて、先輩からも殴られちゃいましたし……」

 必死に涙をこらえていたようだった。精一杯なにかを抱え込むその顔はどこか疲れていて辛そうに見えた。

 耐えられなかった。その顔を直視することが。ただ言葉をかけるだけなんて、俺にはできなかった。

「吉村……」

 座ったままで俺は吉村を胸に抱いた。彼女の細い肩と、その細い身体。それをただ抱き留めた。

 最初は戸惑ったのか吉村の身体から緊張感を感じたがそれはすぐにになくなった。俺の懐にそっと包み込まれるような体勢になる。

「頑張りたいのは分かるけど、頑張りすぎるなよ。今はテストもある」

 吉村は胸にうずくまっていた顔を上げて俺と目を合わせる。

「でも、それでも、公約には――――」

「これは1人じゃ解決できない問題だよ。俺も協力するから…… だから今は泣いていいよ」

 俺だって悔しいんだ。自分が在学していたころとは変わり果てた母校の姿。嘆かわしかった。柏木みたいな昔ながらの心を持った生徒は黙っちゃいられないだろう。

 吉村は必死なんだ。けれども自分が全力を捧げているのに先輩からこんなこと言われちゃ凹むのも無理はないよな。

 俺の懐で彼女は泣いていた。大声を上げながら可愛そうなくらいに…… いままで辛かったんだろうな。生徒会長っていうのは他の生徒とは「ちょっと違う存在」だ。悩みを打ち明けられることも少なかったんじゃないかな。


 吉村が落ち付いた頃にはもう4時半だった。今からでも多分テストは間に合うだろう。

「吉村――― 今日はもうこれくらいにして帰りな。勉強もあるだろうし、俺もテストづくりがあるから」

 目と頬はいまだに赤かったが表情はしゃんとしてた吉村はコックリ頷いた。とにかく少し安心した。

「先生ありがとうございました。なんか、ちょっと不倫みたいでしたね」

 苦笑いをした吉村。ホントだよ。誰も来なくて良かったわ。不倫はともかく再びロリコン疑惑をかけられるからな。

「それじゃ、〆に倫理の答えを教えてください! 最後にお願いします!」

 元気よく立ち上がると俺に大きくお辞儀をしてきた。

 し、しまった! こんな状況じゃ「分かんないやテヘペロ」とも言えないじゃないか。逃げられねぇし、最後にがっかりした顔にさせたくない。あぁもう調子に乗ってイケメン面なんてするんじゃなかったよ……

 後悔の念にさいなまれていると職員室のドアが勢いよく開いた。また柏木が来たのかと、俺は吉村をかばうように抱きかかえる。しかし……現れたのは柏木ではなく、おれがよく知るあいつだった。

「セセセセセセセンセー……」

 漣だった。右手には政経の教科書をもっているあたり俺に質問に来たのかな。

「おー、漣じゃないか。お前もしつも――――」

「『おー漣か』じゃねーよ!!! ななななななんで千香とホールドしあってんの? それになんてセンセーのベストが、ぬ、濡れてんの? な、ちょっと、いったい何やってたんだよ!!!!」

 漣は妄想を膨らませながら俺を罵倒する。なんか素晴らしい想像力を発揮しているようだ。

「これはな、ちょっと……漣には言えないな」

 吉村と顔を合わせる。さっきまでのことはちょっと言うには恥ずかしかった。

「ヒトに言えないことをしていたって何? 何なの? もうやだー!!」

 うわーん、と言いながら漣は職員室を去って行ってしまった。残ったのは勢いよくしまった戸の音の残響だけだった。

「一体何をそんなに慌てたんだアイツは……」

 残された俺はただ茫然とするだけだった。

「常盤さんも思春期ですからねー。悩みの1つや2つは出てきますよ」

 吉村は苦笑した。そうだよな。漣の想像力は大きな悩みだよな。

「それじゃー色々お世話になりました。先生、テスト作りも頑張ってください! あんまり難しい問題作っちゃダメですよ!?」

 彼女は軽くウインクをすると職員室をそそくさと出ていった。本当に憎めない奴だなと思うと同時にちょっと安心した。彼女ならこの学校みんなの心を動かせるかもしれない。

 なんて思いながらパソコンに向かった。よし、仕事片付けよう。

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