神の村 弥彦
新潟ロングディスタンスから一週間が経った。選手全員の自己ベスト、他校の選手の大幅な成長、そして俺の復帰戦でもあり引退戦でもあった5000m……………… 思い起こせばドラマの多い大会だった。
選手と俺の疲労を回復させる練習に気をとられるあまり気が付けばテスト期間に入っていた。今日は土曜日で本来は家で勉強しなければならないところだが、県高校駅伝が一週間後に迫っているので特別に許可を得て活動をしている。ま、教務のトップを握る教頭の娘である信乃が駅伝部にいるからちょっと多めに見てもらっているのかもしれないが。
そんなわけで今日は予定通り県高校駅伝の試走に弥彦村まで来ることが出来た。早朝に二ノ丸高校を出発した駅伝部と俺は弥彦村に到着するなりコース下見を行う。俺+駅伝部5人+朝陽という栃岡車のキャパシティからすればギリギリの人数で。
「わー! 相変わらず田んぼばっかり!!」
助手席に座った美少女が一面に広がる田園風景を見て彼女なりの感嘆の声をあげる。彼女の名は涼風。駅伝部唯一の双子である常盤姉妹の妹のほうだ。
「そういえば栃岡先生は、このコース、走ったことがあるんですか?」
座席の2列目に座る京子が背伸びをして聞いてきた。ちょうど真後ろに座っていたということもあり、彼女の顔はちょうど耳元にある。耳打ちされるような囁くような聞き方なので思わずドキッとする。
「こ、このコースは走ったことないなぁ。俺のときは上越の高田だったけど、一昨年くらいからコースが変わっちゃったんだよな」
答えるのが緊張した面持ちになってしまったことに自分でも気づいた。ひょっこり後ろから現れた少女の可愛らしい顔もさることながら、その柔らかくて甘い匂い。化粧品のような人工的な甘さではなくなんというのだろうか。このふわっと漂うような甘い匂いからは密室の社内では逃げることが出来ない。
駅伝部の少女達を「女性」として認識することはなかったけど、ここにきて鼓動がバクバクする体験をするなんて…………
「そっか、そうですよね! じゃあこのコース、先生も私たちも初心者ですね!!」
京子はそんな俺の焦りに気づくことはなかったのでホッとした。気づかれたらまた漣に「ロリコン教師」とか言われちゃうもんなぁ。
そんなことを重いながら田んぼの一本道を走っていると、まずは最初のチェックポイントへとやって来た。
「スタートから一本道に走って、この信号で1キロだ。ここは全てのランナーが通過するところだけど区間によって先の行き先が違ってくる。」
信号が赤になったのでストップすると交差点が十字路であることを確認した。俺はコース図を片手にカーナビと照らし合わせながら確認をする。
「5キロ、3キロのコースが右、6キロのコースがまっすぐ、4キロのコースが左に進むんだな」
この弥彦村のコースは基本的には「周回コース」だ。中継地点は一か所でそこから往復するように各区間のコースが伸びている。もっとも今言ったように最初の1キロまでのコースは全区間共通でそこから三手に分かれるわけだが。
「今日は一通りコースをジョギングする予定だから、まずは区間に関係なくコースを確認してほしい」
そう言いながら車を走らせる。
窓から見えるのはどこまでも繋がっていそうな田園風景。稲刈りの時期ということもあり黄金色に輝くそれは絨毯のようだった。二ノ丸高校も似たようなところに立地しているのだがここはそれより格段にスケールがデカい。コシヒカリの名産地新潟の中でも一番大きな平野なだけある。
道路の横も田畑が広がるだけで家屋なんてほとんどない。特に6キロのコースなんてほぼ田んぼしかない風景が広がる。6キロコースの折り返し地点へとやって来た駅伝部はそのコースに早くも呑まれていた。
「こんな何もない道路じゃ、距離感もつかめなくなりそうですね…………」
ずっと黙っていた信乃が口を開いた。最後部座席の3列目に座った彼女の顔をミラーで確認すると珍しく浮かない顔をしていた。おそらく彼女はテレビで見るような大規模な駅伝大会しか知らないのだろう。大学駅伝や実業団の駅伝でもここまで何もないコースはない。
「とくにここは2キロくらいの直線だからな。5キロコースみたいに折り返し地点に宅地が広がっていればいいんだけどここは何にもない。1区はけん制気味になるかもな」
距離感のつかめないコースでは思い切った勝負はしにくい、と考えた。岸部高校の3年生横越は実力者だけあり1区に登場するのだろうがけん制する展開に持ち込めばウチにもチャンスはあるはずだ。
一通りコースの下見を終えると発着地点「サンビレッジ弥彦」に到着した。ここは県駅伝の開閉会式の会場であり選手の控え場所になるところだ。当日に心を落ちつけられるように選手にもしっかりと目を通させた。
車は付設の駐車場に止めておくことにし、駅伝部を建物脇に集合させた。
「じゃあ今日はコース全体を見る目的で、ちょっと速めのジョグをしよう。俺が先導しながら案内するよ」
「センセー。コース全部走るとか無理じゃない?」
漣が不安そうな顔で口をはさむ。高校女子の駅伝は全5区間合計21キロで行われる。マラソンの半分、ハーフマラソンの距離だ。
「さすがに全部は走れないから、5キロコースの折り返しまで走ったら残り1キロ地点まで走って、そこから6キロコースの折り返しまで走って残り1キロ地点まで戻って、またそこから4キロコースの折り返しまで走ったらゴールまで戻る、ってかんじでいいだろう。そうすればコースの全部を走ることになる」
「なーるほどっ、いいじゃん!」
リアクションをしたのは何故か漣だった。
「なんでアンタがリアクションすんのよ………… まぁいいや。センセー。早く試走に行こうよ」
漣はいつもと違って穏やかだった。あれ、こんな奴だったっけな。いつものなら涼風の首を締めてケンカが始まるところなのに今日は全体の進行をむしろ進めようとしているぞ。
フリーのウォーミングアップを終了すると10分後にはスタート位置に付くことができた。朝陽には居残りで荷物の見張り番をやってもらっている。こういうときに頼りになるな。
スタート地点に立った俺はみんなに説明をする。
「ここがスタート位置でもあり中継地点だ。1区のスタートは道路いっぱいに広がってやるけど復路からは左側通行だから気をつけるんだ」
メンバーがコックリ頷いたのを確認すると緩いスピードでジョギングを始めた。
全区間共通の最初の1キロはひたすら直線だ。600m付近に橋のアップダウンがある以外は全く何もない。
「最初の走り出しからペースがとりにくいですね…………」
稲穂が不安そうな顔でぽつりと呟いた。
「向こうに見える橋が600mでその先の信号が1キロ、そして折り返しが中間点。目印は多い方だと思うし、それにロード走みたいにペースを作る練習もするから心配はいらないよ」
彼女を安心させたくてそっと微笑んだ。しかし稲穂は全く見向きもしないどころか、
「わー!! 稲刈りの真っ最中の田んぼの風景ってのもいいですね!!!」
なんて言いながらどこまでも広がる黄金の大地に胸を弾ませていた。まったく…………
コースの下見を一通り終えると最後にスタート地点から1000mを1本軽く走った。3分20秒前後での緩いペースだったがコースの下見の仕上げとしては十分だ。あのペースの掴みにくさを身に染みて感じてもらえればそれでいい。俺は先導するように選手の前を走ったがやっぱりペースはつかみにくかった。これもこれで、ちょっと勉強になったな。
クーリングダウンを終わらせるとサンビレッジ弥彦に連接する温泉へと向かった。弥彦村は温泉宿も多く観光地としては申し分ない。恐らくだが、この宿の多さがきっかけで県高校駅伝の会場が弥彦村になったのかもしれない。
幸いながら今日はジュニアレディースデーで女子高生の入場料は無料だった。タオルも団体利用ということで特別に貸し出してくれた。担当してくれた店主には本当に感謝感謝だ。合宿以来のお風呂イベントということもあってとても嫌な予感がしたが特にトラブルも怒らなかったので安心した。やっぱり有名な神社のある村ということもあって神様のご加護があるのだろうか、なんちゃって。
お風呂上がりのついでに飲食コーナーで食事をすることにした。ちょうどお腹も減る時間帯だったし店主にもお礼がしたかったのだ。
駅伝メンバー全員で仲睦まじく同じ定食メニューを食べる。そういえば地区新人も県新人も近場の競技場だったし新潟ロングディスタンスも前泊する必要はなかったので、これが久しぶりに集まって食べるご飯だなと気づいた。飲みにケーションなんて言葉は駅伝部には早いけどこうして会話を楽しむのもいいな。
彼女たちがするのは「ガールズトーク」と呼ぶべきか取り留めのない会話。どことなく笑いがおこる平和な光景だ。こんなに普通な子達なのに試合になればあんなに走ることが出来るなんて…… 高校生の長距離って奥が深そうだな。
「先生! 提案があります!!」
ガールズトークの真っ最中、前後の脈絡も全く関係なしに突然稲穂が手を上げる。みんなそれに注目したのを確認すると彼女は得意げな顔で言い始める。
「せっかく弥彦村に来たのに何もせずに帰るのはもったいないです!! 彌彦神社に行ってお詣りをしてきましょう!!」
稲穂は顔を真っ赤にさせた。あれ、結構言うのが恥ずかしかったのか?
「おぉ!! イイねイイね! 稲穂!! 行きたい行きたい!!」
涼風が同調してきた。どうも最近の2人のテンションには共通するものがあるな。
それにしても、彌彦神社か。有名な神社ではあるけど中学生のとき以来行ってなかったな。せっかく駅伝部みんなで来ているわけだし都大路出場を祈願したお詣りっていうのもアリかもしれないぞ。
「よし、せっかくだし絵馬でも書きにいこうか!」
こうして意気揚々としたテンション(俺と涼風と稲穂の3人だけかもしれないが)で弥彦神社へと向かうことにした。ま、他のみんなからは文句の1つもでなかったからいいんじゃないのかな。
彌彦神社に到着すると第一駐車所に車を止めて表参道へと向かう。青々とした森に包まれた道はまさに「神々しく」本当に神が住んでいるかのような神聖さを感じる。
「これはいいデートスポットになるよな…………」
実際、Facebookに「彼女と神社行ってきた☆」みたいな記事を多く載せる友人がいて何がそんなにいいのかと思っていたが、なるほどロマンチックな気分にもなりそうだ。
「せ、先生! きっききき急に何を言うんですか!」
左隣を歩いていた京子が急に赤面する。赤色のかかった髪の毛に真っ赤な顔の京子は全身をカクカクと小刻みに震わせていた。
「どうしたんだよ京子。風邪でも引いちゃったのか? そんなに顔を真っ赤にして」
不安に思って手をそっと京子のおでこに当ててみる。うん、ちょっと温かいけど別に熱ってわけでもなさそうだ。これくらいなら微熱かそこらだろう。疲れていて体温が上がってるんだな。
「風邪は引いてないみたいだけど―――――――」
と言いかけた瞬間、京子は俺の隣にはもういなかった。か、神隠しか!? 神社なだけに!? っと思って慌てて辺りを見渡すと前方はるか遠くの階段を京子が走っているのが見えた。いつの間にあんなに遠くに行ったんだよ……
「あーあ。翔、やっぱり今も昔も鈍感ね」
朝陽が苦虫を噛んだような顔で俺の肩に手を置く。
「それどういう意味だよ。もしかして、やっぱり熱が――――――」
「もうダメね。いいから京子ちゃんを追いましょっ」
朝陽と他のみんなは俺を置いて先に進んでいく。ちょ、どういうこと!? 俺の手の温度感覚は昔から狂っているって素直に言えばよくないか!? なにその新種の悪口!?
俺は彼女達を追おうと足を神社へと向けた。
少し歩くと本殿へと着いた。さすがに立派な社だ。背が高く立派な造りをしている。
朝陽達は京子を発見したようで、うずくまってる京子を取り囲むように全員で集まっていた。それじゃ端から見たらただのリンチじゃねーか。
全員揃ったところで気を取り直して本殿へと向かう。そして全員一列に並んで小銭を取出し賽銭箱へと投げ入れる。
そして手を2回叩き、2礼して、手を合わせる。これが一般的な方法らしいのでこうやってるだけだが神社によって細かく作法が決まっていることがあるらしい。その辺は今度来るときに調べておくことにしよう。
目を閉じた暗闇の中で、1つの願いを思い浮かべた。
――――――都大路。
もう一回あの舞台に立ちたいんだ。いや、駅伝部を導いてやりたいんだ。絶対にもう彼女達に悲しい思いはさせたくない。京子と信乃には笑顔で卒業してもらいたいし1、2年生の代の存続もかかっている。次の県駅伝だけは…… どんなに相手が速くても絶対に勝たなくてはいけない。
絶対に都大路にいきたいんだ……!
そう願いを託すと再び1礼をする。終わったときにはとてもすがすがしい気持ちになっていた。気持ちは完全に県高校駅伝へと向かっていた。
もう用事は済んだので帰ることにしよう。長居は無用だ。
「よし、じゃあ帰って――――――」
と言いかけたその時、
「おみくじ引ーこうっ!!」
涼風が元気よく声をあげた。このテンション、完全に高校生だな。
「まぁそれくらいはいいよ」
「ダーメ! 先生も!!」
涼風は俺の腕を引っ張りおみくじへと向かう。それに便乗して駅伝部のみんな、さらには朝陽までも俺の腕を引っ張る。そのまま俺は抵抗することができずおみくじを引かされることになってしまった。なんでまたこう高校生のノリに付き合わなきゃならんのか。
一人ずつお金を入れておみくじを手に取る。みんな引き終わると円になった。部長である京子がなぜか主導権を握ると声を出した。
「それじゃあ、いっせーのーで、で開こう。フライングはダメだからね!?」
こんなことでフライングしないだろ、と突っ込みたくなったが必死に抑えた。
「「「「「「いっせーのーでっ」」」」」
ペラペラとおみくじを開く音と共に感嘆の声があがる。
「やっば、凶…………」
漣は自分に告げられた神からのお告げに落胆していた。
「大丈夫だよ、おねーちゃん! 凶は『これから上がっていく』って意味だから。私なんて大吉だったから落ちていくだけだよー?」
「ううぅ…… そのまま地獄に落ちればいいのに……」
双子のおみくじはそれぞれ正反対の結果になった。
「うわー!! 大吉でしたよ! 京子先輩!」
「私も大吉だった!! 見て見て!!」
京子と稲穂はお互いのおみくじを見せ合いながらキャピキャピしている。これは微笑ましいな。
「縁談…… よし…… 産児…… よし…… 転居…… よし……」
信乃は自分のおみくじを見ながらニタニタしている。その様子は…… ちょっと気持ち悪い。
「人の様子ばっかり見てないで自分のも見なさいよ、翔」
朝陽は割り込んでくると俺のおみくじを取り上げて読み始めた。
「えぇーっと、運勢は中吉。対して面白いことも書いてなくてガッカリだわ」
朝陽は小さく溜め息をついた。ちょっと待て、面白いことってなんだよ面白いことって。
俺は朝陽からおみくじを取り上げると今度は自分で内容を確認しはじめた。俺が見たいのはもちろん「勝負」だ。恋愛、就職、縁談、出産…………などなどパーソナルな話題はどうでもいい! とにかく今俺が気になっているのは勝負だけだ。
そしてついに「勝負」の場所を見る。
「えっとなになに…………『負けるが夢は叶う。絶えず努力せよ』って、なんだこれ?」
最初見たときは意味が分からなかったが後々考えてみても意味が分からない。県高校駅伝で負けたら都大路に出れないのは当たり前じゃないか。神様もけっこう適当だな。
まぁたかがおみくじだ。当たれば嬉しいけどこんなのこじつけだったりするんじゃないのか? 俺としたことがこんな占いなんかにムキになるなんて。
自分の浅はかさに溜息もちょっとはつきたくもなるが今日はもう学校へ戻ろうか。テストの問題もまだ作ってないし。
未だにわちゃわちゃ騒いでいた駅伝部を落ち着かせると上ってきた表参道を歩き始める。静かな森の雰囲気にちょっとだけ心が安らぐ。
隣を歩く朝陽はおみくじを見ながら信乃みたいにニタニタ……というかヤッタネ!という顔をしている。なんかすごく嬉しそうだ。
「どうしたんだよ。珍しく嬉しそうな顔をして」
大人になっても未だにおみくじなんかで一喜一憂してんのかよと目を細くする。語りかけられた朝陽は急に顔を真っ赤にさせる。そう、さっきの京子のように。
「な、なによ! 別に関係ないでしょ!」
朝陽はプンプンしながらおみくじをバッグの中の長財布にしまう。それはピンク色でこの間とは違ったデザインだった。彼氏にでももらったのかな。
なんだ。じゃあ朝陽は彼氏とのフッフキャハハについて妄想膨らませていただけなのか。一瞬でも期待した俺がバカだったぜ。
俺は表参道を一番早いスピードで歩いて下って行った。




