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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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31/95

心臓にいいのか悪いのかわからないペースメーカー

「京子、ちょっと」

 新潟ロングディスタンスの前日練習を終えた後、俺は京子を呼び止めた。

 日が沈んで真っ暗になった陸上競技場の脇、彼女に体育座りをさせた俺はしゃがんで話しかける。

「…………緊張、してるだろ?」

「ビクッ‼ す、すみませんあわわわわ」

 なんてわかりやすい奴なんだ。

 俺が京子を呼び出したのは彼女の緊張がピークに達していることからだった。

 今日の練習の千メートルでも彼女の動きはガチガチ。漣や稲穂、その他のメンバー全員が気持ちいい顔で走り切ったのに対し、京子はずっと般若のような形相で走っていた。

 県大会のときこれが原因でダメだった京子だ。三か月経った今なら少しはマシになっているかと思ったが…………やっぱり変化はない。

 一昨日までは普通だったのに昨日の練習から急に緊張し始めた。それからはずっとこの様子だ。

「明日はただの記録会なんだぞ?」

「そんなこと、言われると…………もっと……緊張します……」

 都はとても「可愛そう」な様子だ。高校三年生に似合わない低身長と涙目。手足をもじもじさせて全身を震わせている。道端にこんな子がいたら、諭吉さんの二枚三枚ホイホイ渡してしまうような「守ってやりたさ」に襲われる。

 まったく、

「明日は県内のトップ校が集まるんだ。強豪校の暁高校や岸部高校も来る。そんな情けない姿見せてらんないぞ?」

 あきれ顔で文句を並べた後に京子を見下ろすとーーーー彼女はしゃがんてブルブル震えている。

「私は情けない私は情けない私は情けない私は情けない私は情けない私は情けない」

 …………おい。

 ちょっと酷いこと言ったかもしれないが「自己暗示」みたいにするのはやめてくれ。本当に京子が情けない人間になってしまうんじゃないかという恐怖心に襲われているぞ俺は。

 とにかく困ったなこりゃ。

 もう少し話をして、少しでもいい気持ちで帰ってもらわないと。


 その時、俺のスマートフォンに着信があった。

 しまったマナーモードにしておくのを忘れてしまったなと思いつつも急いで画面を確認する。

「えっと……非通知?」

 なんだまたアダルトサイトの詐欺電話か。

「もしもし」

「おぉ出てくれた! 久しぶりだな栃岡!」

 電話の主はアダルトとは無関係の駅伝バカであり俺の恩師、大森だった。

 しわがれた声ながらも熱い話し方は電話を通しても伝わってくる。

「大森先生じゃないですか! お久しぶりです! どうしたんですかこんな時間に?」

「実はちょっとお願いがあってだな……」

 大森は元気がなさそうというか、ちょっと不安そうな声だった。いつもと違った大森の声に若干の違和感が起きる。

「うちのチーム、ニチヤクが明日の新潟ロングディスタンスに出場するんだ」

「本当ですか⁉ うちのチームも出るんですよ! いやー、楽しみだな‼ 今はみんな調子が上がってきていて記録狙えそうなんですよ。もしかしたら全員十分を切れるんじゃないかっていうくらいに! 他の学校はうちの子と無名とか思っていると思いますけど都大路に行くためにはここはギャフンとーー」

「栃岡、抑えろ」

「あ、すみません」

 ついつい話しすぎてしまった。俺はいつもこうだ。大会前になると本当にワクワクしてきて……陸上のことをひたすら語りたくなってしまう。

「明日、うちのプレイングマネージャーでありお前の大学の後輩でもある河田が男子の招待レースのペースメーカーをやることになっている。でもな……今日の練習後、腰に違和感を覚えてしまったんだ」

「ちょ、マジですかそれ! 河田は大丈夫なんですか?」

 大学のころからケガしらずの河田だ。「違和感を覚えた」なんて言葉はあいつの耳から聞いたことがない。

 だから尚更心配になる。

「まだ検査もしてないから何とも言えないな。でも相当に痛いらしいから最悪、肉離れかもな」

「そうですか……」

「そこで栃岡、お前にお願いだ」

 嫌な予感がした。

 背筋がブルっと震える。

「あ、はい」

「河田の代わりに招待レースのペースメーカーをやってくれ」

 ほら当たった。

「大森先生……あなたは何をおっしゃってるんですか? 俺は競技の一線を退いた、ただの高校教師ですよ?」

「それはわかっている」

「ギャグなら怒りますよ? いくら先生と言えども教師の職をなめられるのは嫌です」

「俺だってちょっと前までは教員だったから…… 頼むよ、栃岡。新潟陸協と契約してペースメーカーを任されたんだけどうちには河田以外の男子選手がいなくてね。違約金を払わなくちゃいけなくなるんだ」

 そんなこと知らねえよ、と答えたくなったが本当に腹が立ったので俺は無言でいた。

 大森はそんな俺を説得しようと言葉を並べる。

「走ればいいんだ。一周だけ走って抜けても『肉離れしました』って言えば許されるからさ……」

 大森は俺をリアクション芸人だと勘違いしているのか? 悪いが俺は生まれながらにしてお笑いには無縁だ。

 どんなに言葉を並べられても俺は出るつもりはない。中途半端なことをして恥ずかしい目に合うのはご免だ。

「悪いんですけど俺はやるつもりありませんから。恥ずかしい思いをしたくないです」

「そうか残念だな…… 新潟陸協からの謝礼、十万円を二の丸高校に寄付しようと思っていたんだけどな……」

 大森は落ち込んだような口調で言った。

 流れる、沈黙。

 俺の答えは決まっていた。

「大森先生」

「ん?」

「やります。ってか、やらせてくださいお願いします」

 いつの間にか俺は土下座の体勢になっていた。電話の相手は見えないのに。

「将棋の駒みたいに心変りが早いな……」

「そんなことはどうだっていいんです。とにかく俺がペースメーカーをやります。そしてそのお金を大会の参加費や遠征費、そして都大路の試走のための資金に活用してーー」

「ちょっと待て。妄想が過ぎるぞ」

 俺としたことがちょっと心が浮き気味になってしまったようだな。

「まぁとにかく栃岡がやってくれて助かったよ。レースは夕方になるから、それまでに調整しておいてくれ」

「はい。ばっちり合わせます! ありがとうございました!」

 こらえきれない笑みを浮かべながら大森に礼を言うと電話を切った。

 体が疼くほどの喜びがわいてくる。

「と、栃岡先生どうしたんですか? そんなにニヤニヤして…………」

 京子は上目遣いで俺を見上げて……ちょっと、引いているようだった。

 そりゃちょっと引くよな。電話が終わってニヤニヤするなんてことを顧問がやってたら。

「京子、喜べ! 俺も明日は走る。そして十万円をゲットする‼」

 俺は京子にコトの一部始終を説明した。

 正直、かなり興奮が混じっていたと思う。

 大所帯の陸上部と違って弱小の駅伝部にはわずかな予算しか割り当てられていない。応急処置用の冷却スプレーや氷嚢も満足に買い揃えられないくらいだ。それなのに都大路出場となれば遠征費もバカにならない……だから、こんな臨時収入はうれしくてしょうがない。

「そうなんですか! じゃあ、先生の走ってる姿、見れますね!」

「まぁ楽しみにしとけって」

 ドヤ顔半分、笑顔半分で京子の頭をなでた。まぁ調子に乗ってた。

 すると京子はリンゴのように顔を真っ赤にさせて体を震わせ始めた。

「えぇ、は、はい。たたた、楽しみにしてまぁす!」

 ワナワナとする京子。なんで俺が走るレースの話をしただけなのに緊張し始めるんだよ……そのくらい、明日の新潟ロングディスタンスに恐怖心を抱いているというのか?

 これじゃ収集がつかないだろ…… まぁいいや、俺は調整のためにちょっと走るとしよう。

「と、とにかく、俺は明日のために体を慣らしておくから。京子はもう帰りな」

「わ、わかりましたぁ……」

 京子は細々とした声でそう告げると、そそくさと更衣室へ向かった。

「よし、俺も前日練習だ!」


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