あの日あったこと
暗がりの中、俺は漣を追って学校への道を走っていた。
二の丸高校と付属陸上競技場は数百メートルの距離で一本道。それ以外は一面、見渡す限りの田んぼとまばらな民家。漣が走っていれば一発でわかるのだが…………見つからない。
おそらく学校へと向かったのだろう。それで何処かに隠れているのだろうか。まったく、そんなことしたって後で会うのが気まずいだけだろーが。
とにかく、今は早く漣を捕まえなければ。そして話をしたい。最近ちょっとナーバスになってるのかもしれないしな。
道を半分ほど過ぎたとき、数十メートル前方に前に人が見えた。
暗がりでよく見えないがショートヘアで半袖短パンの子が膝に手をついている。
よし、やっと見つけた。
走り疲れた漣が一息ついているんだ。
今度は背負い投げをされないように……注意してゆっくり走り寄る。
「さ、漣ー?」
「…………」
返事がない。
「気に障ったかもしれないけどさ、ちょっと落ち着こうよ」
「…………」
またシカトかよ。
え、まさかの人違いパターンか⁉ でもTシャツは漣がいつも来ているデザインだし、スポーツウォッチも漣と同じ、黒。ここまで外見が同じなら本人で間違いないだろう。
「…………」
本人であってくれ。
頼む。
「栃岡……先生……?」
彼女は状態を起こし、顔を上げいく。
だらんと下りた前髪から、そっと顔が見える。
暗闇の中、街頭にだけ照らされた白い素顔が見える。
あ。
「栃岡先生じゃないですか! どうしたんですか、こんなところで!」
彼女は冷たい視線と冷酷な性格の漣ではなかった。
むしろ、その全く逆。男女問わず高校生の見本となるような爽やか系ボーイッシュ美少女だった。
「吉村…………生徒会長の吉村じゃないか。たしか二年三組の……」
「覚えていてくれたんですね! チョー嬉しいです!」
日が沈んだ夜道の中、清涼感あふれる笑顔を見せる。
「授業持ってるし吉村は生徒会長だからな。そりゃ覚えるわ」
「嬉しいこと言ってくれますねー。ところで、さっき常盤さんの名前呼びましたよね?」
「あぁそれなんだが、ちょっと今急いでてな」
挨拶もそれくらいにして俺は立ち去ろうと足を学校へと向けた。
「常盤さんならさっき学校で会いましたよ? なんか涙目?っぽかったですけど」
「マジか! どこで?」
「えっと、教室棟のあたりだったと思います。なんかすっごく暗い顔で、屋上への階段を上っていきました」
吉村はニヒヒヒと苦笑をしながら頬に流れ落ちる汗を指でふき取る。
「屋上ってマジでヤバいパターンじゃないのか? 飛び降りるとか」
「そうかもしれませんね。ミンチ状になりかねない事態にぃ」
「急ぐわっ」
挨拶もそれくらいに、学校に向けて地面を蹴った。
急ごう。これはとんでもない事態になりそうだ。
漣、早まるな!
これは久しぶりにちょっと頑張って走らないとだな。
「わわぁ⁉ ちょ、先生待ってください‼ 私も一緒にーー」
「待ってられるか! 来たきゃついてこい!」
「望むところです‼」
俺たちは学校に向けての数百メートルを走り出した。
ーーハァッハァッハァッハァッ
ーーハァッハァッハァッハァッハァッハァッ
闇夜の田んぼ道に二つの吐息が響く。
「ハァッハァッハァッハァッ、吉村も意外と走れるんだな」
「ハァッハァッハァッハァッハァッハァッハァ、先生速すぎるんで精一杯ですよ」
「ハァッハァッハァッハァッ、一応は箱根駅伝目指してたからな」
俺は腕をダラーンと下げて、大きく息を吐いた。ま、ちょっとしたカッコつけだ。
「すごいっすね! 私も全中駅伝は出たことあるんですけど、箱根はやっぱり桁違いにカッコいいですよ!」
「え⁉ 全中駅伝⁉」
全中駅伝とは全国の中学校の対抗駅伝大会だ。各都道府県から一チームだけ出れる、都大路の中学生版みたいなかんじだ。
出場する中学校はほとんどが公立中。当然スポーツ推薦なんかないし、顧問も長距離専門じゃないことだってある。だから出場するのは……本当に難しい。
「ハァッハァッハァッハァ、吉村、ポテンシャルがあるんだな」
「ハァッハァッハァッハァッ、そうかもしれませんね。でも、高校では生徒会頑張ろうって決めたんで」
「そうか。ま、それもそれでいいんじゃないか」
何か一つでも、頑張れることがあるっていうのはいいことだ。今の俺には彼女を駅伝部に引き込むことなんて頭にない。今やってる生徒会を邪魔したくなかった。
「ハァッハァッハァッ常盤さんと同中だったんですよ」
「じゃあ漣も全中駅伝に⁉ だから同じTシャツなのか」
「ハァッハァッハァッそういうことですね。すっごく速かったんですよ! うちのチームのエース格で!」
吉村の目はキラキラと輝いていた。まるで小学校時代のアルバムを見るかのような目で。
「でも漣は八百メートルの選手じゃないのか? 中学生のときは長距離だったのか?」
「そうなんです。だから高校では八百メートルなのかも……」
「え? それどういうこと?」
「それはまぁ、…………あ、学校に着きました!」
田んぼ道を抜けると住宅地に入る、その境に二の丸高校がある。土地が安いからこんな中途半端なところに作られてしまった、というのは有名な話。一般学生は「駅が遠くて不便」とか「授業中に蚊が飛んでくる」などと文句を並べたくなるところだが、駅伝部にとっては「誰もいない田んぼ道走れるし専用トラックあるし最高」だ。
って、今は現状に喜びをかみしめている場合じゃない。早く漣を探さなきゃだ。
俺たちは正門を入ってすぐの教室棟に入った。
もう下校時間を過ぎていたが管理員の怠慢か玄関の扉は空いていた。
上履きに履き替えている時間なんてないので土足のまま校舎に入る。
そのまま迷うことなく階段を駆け上がる。
漣は屋上にいて今頃、靴を脱いで手紙を置いて…………考えただけで頭が吹っ飛びそうだ。
「待ってろ漣! 今、俺が‼」
と勢いよく階段の一段目を踏みしめた瞬間、階段のてっぺんに見覚えるあるTシャツを着た姿が見えた。校舎は暗いが今度こそは間違わない。漣だ。
「見つかるの早っ!」
俺の声に気づいたのかその美少女は怪訝そうな顔をする。
「何その言い方。ムカつく」
漣は階段を一歩一歩下りながら暴言を吐き散らす。
「だいたい何? 人が練習終わって学校に忘れ物取りに行くのがそんなにいけないの?」
腕組してるし。あー、うざ。心配した俺がバカバカしくなってきたぞオイ。
吉村と俺はお互いの顔を見合わせると、大きくため息をついた。
「だってお前、あんな逃走のされ方をされたら飛び降りるかと思ったじゃないか。マジで心配したんだぞ!」
授業と練習とランニングの疲労と漣の暴言でイライラしていた俺は思わず強い口調になってしまった。
「な、そ、別にいいじゃん」
「良くねーよ! だいたい、最近のお前はどーしちゃったんだよ! なんかイライラしてるってか」
「関係ないし」
漣は俺と吉村の間を潜り抜けるように割って入ると玄関に向かおうとする。
もう黙って見てられない。
「ちょ、先生?」
吉村が言いとめようとしたのも気にしない。これは駅伝部の問題だ。
俺は漣の腕を掴んだ。
その場に踏みとどまる漣。
「なっ、何?」
「もう隠すなよ! 何が気に入らなくて、何が嫌なんだ! 素直に教えてくれよ!」
もう怒鳴り声だ。こんな声を出すのはいつぶりだろうか。
「関係ないって言ってるじゃん! もう……もう!」
「寺門か? 寺門に負けたのがそんなに悔しいのか? 小さい奴だよな、ちょっと負けたくらいでそんなーー」
漣の顔を覗おうと目を落とす。
どうだ、ここまでボロクソ言えば言葉に詰まるだろう。
道路を通る車のライトで漣の顔がはっきりと見える。
その顔は、予想外だった。
「なんで泣いてるの?」
強気な漣に似合わずぼろぼろと涙を流していた。
いつもの凛とした顔が揺らぐ。
「だって、だって………あんな卑怯なことされたら…………」
「卑怯ってなんだよ。下剤でも入れられたのかよ」
「そんなんじゃ……ない」
「じゃあ何が!」
「言われたの…………県新人の時に…………」
漣が絞り出した言葉は俺の度胆を抜いた。
「ーー『県大会の時にスパイクで踏んだのに、よくまだ走れるね』って……」
漣はそう言うと顔を抱え込んでしゃがみこんだ。
「……それってつまり、寺門がお前をスパイクで、しかも故意で踏んだってことか?」
「それ以外考えられると思う?」
「思えないよな……」
陸上競技では、故意で他の選手の妨害をした選手はそのレースで失格になることになっている。たとえ一位の選手でも、だ。
県大会の直後に漣が言っていた通り寺門は確かに調子が悪かった。でもその後に復調したのか見事インターハイを決めた。それが県陸協の目を引いて国体の代表に選ばれた。つまり……県大会を抜けることは寺門にとってのキーポイントだったことになる。
いつの間にか漣は泣き止んでいた。だけど立ち上がることはせず、しゃがみながら前に後ろに揺れている。
「それ言われてさ。ちょっとショックで……信乃先輩とも言い合っちゃって…………ホント、次期部長失格だよね」
泣き止んだとはいえ漣の目は潤んでいる。暗くてよく見えなくても、話し方でわかってしまう。
「なら、どうするんだ?」
話しやすいように俺は漣の隣にしゃがんだ。
「ちょ、え?」
「いやだから、お前はどうしたいんだって」
「どうしたいって…………そりゃもう一回戦いたい。正々堂々、勝負したい」
漣は体を揺らすのを止めた。
「じゃあ決まりだな。駅伝でぶっ飛ばす」
「ちょ、私一人の問題じゃん。みんなを巻き込んでなんて出来なーー」
「俺だって悔しいんだよ。そんなことされて、部員を傷つけられて、何か月も走れなくて…………」
俺は大学時代、ケガや故障でまともに走れなかった。だから漣が走れなかったときの辛さは本当によくわかる。
でも漣は故意のケガで走れなくなった。漣は寺門にどんな思いを抱いただろうか。想像するだけでおぞましい。
だからこそ、だ。抗議とか言葉を並べる方法じゃなくて走ることで返したい。
「明日の練習はロングと筋トレ。じっくりいこうか」
「あ、うん。分かった」
「早く帰れよ。うかうかしてると鍵閉まるぞ。俺は職員室寄っていくから」
俺は立ち上がり、職員室へと向かった。吉村と漣を残して。
あぁ、これでいいんだ。
やっとチームらしくなってきたじゃないか。
ちょっと空気が違った漣もようやく息が合いそうだ。これなら勝てる。
ペースが違う選手がいたら集団走なんて成り立たない。集団走もできないチームは襷なんてつなげない。
この二の丸高校で学んだ大事なことだった。




