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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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29/95

背負い投げ

 県新人も終わり、本格的に駅伝の準備がすすんでいる。

 県駅伝まではあと一ヶ月半。怪我には注意しなければならない時期になってきた。幸い今のところのけが人はサクラだけだし助っ人の信乃も順調なので安心だ。漣もケガ

していたのが嘘だと思ってしまうくらいの仕上がりになっている。

 あとは…………全員のトラックの三千メートルのタイムを上げることだな。

 今のところの自己ベストは


 京子 九分四十七秒二九

 漣  なし

 涼風 十分二十一秒四五

 稲穂 九分四十六秒九七

 信乃 なし


 な、なんだこれは。

 京子と稲穂は県トップクラスの実力があるとして、涼風もまぁまぁ走れているがいくらなんでも「自己ベストなし」はまずい。つまり今まで三千メートルを走ったことがないってコトだ。

 いくら実力があってもこれでは駅伝で戦う以前の問題だ。自分の、そしてチームのスペックが図れていなければ作戦の立てようもない。暁月高校や岸部高校を倒そうなんて夢のまた夢になってしまう。

 十日後の「新潟ロングディスタンス」で一気に自己ベストを更新してくれればいいんだけどな…………

 「新潟ロングディスタンス」とは新潟県最大の長距離の大会だ。日本陸連後援でもあるこの大会は、全国からレベルの高い長距離選手が集まって自己ベストの更新を狙う。俺の高校の頃の自己ベストもこの大会で出した記録だ。各組にペースメーカーがいて「新潟ロングディスタンスで自己ベストを出せなかったら死ね」と大森が言っていたくらい条件はいい。毎年曇り空で気温が低く、長距離で記録を狙うには絶好のコンディションになる、ちょっと不思議な大会だ。

 新潟ロングディスタンスと公認記録会を一回走って県駅伝本番になるんだが…………本番までにせめて、チーム全員で十分を切りたい。そのくらいタイムがないと都大路は狙えない。


「今日の練習は千メートルを五本。レストは四百メートルのジョグ、設定は三分十五秒でいけるな?」

 いつもの時間に競技場に集合した俺はこうメンバーに告げた。

「うーん、ちょっとキツくね?」

「涼風はちょっときついかもしれないな。三本にして集中してやるか」

「いいじゃんいいじゃん! さんせー!」

 涼風は可愛らしい笑顔をしながらその場でジャンプした。ったく、メニュー出す気なくなっちまうだろうがそんなことされたら…………

「先生、私、涼風にも五本やらせるべきだと思う」

 鋭い目つきをした漣がボソリと吐き捨てた。涼風もジャンプをやめる。

「いーじゃんいーじゃん。先生が三本でいいって言ってるんだし」

「今のところ一番遅いのは涼風よ。もっと練習して、早くならないと」

「えーできないよー」

「弱音はいてんじゃないよバカ」

「あーー! バカって言った!」

 双子の姉妹はグダグダと口げんかを始めた。ちなみに涼風が部活に入ってきてからはこの口げんかは頻繁にみられる。まぁ京子がストップしてくれることが多いんだけど

「ガクガクガクガクガクガク」

 …………京子は漣の気迫に圧倒されている。ダメだこりゃ。

 こういう時は生徒だけで解決させた方がいいんだけどここは俺が一肌脱いでーー

「常盤姉妹、うるさい。メニューはメニュー、与えられたものはしっかりこなすべきでしょ」

 無秩序すぎる駅伝部に嫌気がさしたのか秩序(コスモス)の塊である信乃が止めに入る。

「信乃先輩、いまは涼風のタイムを上げるために頑張る時なんですって!」

「そんなこと、先生だってわかってるはず。それを考慮して本数を少なくした方がいいってなったんだから」

「それはそうだけど…………でも!」

 漣は言葉に詰まり始めた。今度こそ俺の出番かな。

「漣、もーいいじゃんか。お前の気持ちは十分伝わったからさ。それと信乃も、意見出してくれてありがとな」

 漣はムスッとした表情をしてイマイチ納得しないようだった。対して信乃はやれやれ、とても言わんばかりの顔で軽くため息をつく。まったく、こっちがやれやれだっつーの。


 数十分後、ウォーミングアップを終えた彼女達はスタートラインに立っていた。全員、色とりどりのランニングシャツにパンツ。九月も半ばすぎだが今日は二十度後半まで気温が上がっているので、このくらいの恰好がちょうどいい。

縁石の内側に入った俺は、陸上部の選手が走ってこないか注意しながら彼女たちに問いかける。

「準備はいいか?」

「いつでもいいよーっ! センセー!!」

 涼風は元気よく至近距離で手を振ってきた。元気なのはいいことだが、この前の体育館の一件といい今日の一件といい、こいつにはトラブルがついて回る。健気で愛くるしい笑顔もちょっと不気味に感じてしまった。

「じゃあ行くぞ、よーい…………スタート!」

 俺がストップウォッチを押したのとほぼ同時に彼女たちは一斉に駆けだした。


 淡々としつつも歯切れのよいテンポで走った一本目は三分十三秒。設定よりすこし早い。

 でもこれくらいでちょうどいい。最初の一本目から設定タイムに無理に合わせようとしなければ、それだけ自分のリズムで走れる。

 レストのジョギングをすまし顔でこなすと、二本目は三分十五秒。全員ほぼ並んでのゴールだった。

 俺はストップウォッチを止めてリセットボタンを押す。コンマ以下がゼロゼロだったのでちょっと気分がいい。

「三本目も気合入れていきましょー‼」

 バックストレートでレストを走る集団でただ一人、大きな掛け声をした部員がいた。

「涼風……?」

 一番後ろで息も絶え絶えになりながらジョギングをしていた、涼風だった。

 部員は一拍おくと「はーい‼」と大きな声で返した。

 なんだ、まだみんなまだみんな余裕ありそうだなと思ったと同時に嬉しくなった。そう、やっとチームらしくなってきたんだ。

 前までは俺が声をかけるだけだったのに今では仲間で声を掛け合う。

 みんな辛いんだ。きっとじゃなくて、絶対。

 でもだからこそ声を出す。それも一番遅い選手だからこそ意味があるんだ。

 頑張れって声をかけると自分も頑張れそうな気がしてくる…… なんか、不思議だよな。


「京子先輩、ラスト超速かったです! 全然ついていけませんでした!」

「いいや、そんなことないよ。稲穂ちゃんも頑張ってたよ?」

「ほ、本当ですか⁉」

 水銀灯だけがトラックを照らす暗闇の中、クーリングダウンをする彼女達は明るい。今日の練習の感想を言い合いながらのストレッチはもはや毎日の恒例になっていた。

「涼風ちゃんも、よく頑張ってたね。漣ちゃんも!」

 京子は全員に声をかける。最後の一本はずっと先頭を走っていたのに周りの様子までわかるもんなんだな…… 京子はレース中も一度も後ろを振り返ったことがない選手だから、毎度のこの視野の広さにはつくづく驚かされる。

「えへへー。ありがとー‼」

「…………」

 陽気な涼風と変わって漣は無言つーかシカトだ。無表情でアキレス腱のストレッチをしている。

 涼風はそばに近づいて漣の髪を三つ編みにして遊び始めた。

「おねーちゃん何とか言いなよー もしかしてツンデレー? せっかく先輩から褒めてもらったんだからさー」

「うるさい!」

 円状に座ってストレッチをしていた駅伝部の空気が凍り付いた。そばで用具の片づけをしていたサッカー部員も思わず手を止めてこっちを見ているのが分かる。

「今は、そういう気分じゃない」

「おねーちゃん最近変だよ。県新人のとき、寺門さんに負けたのがそんなにショックだったの?」

 って暁月高校の寺門は三年生じゃ……? あ、そうか。彼女は国体の新潟県代表だから、新人戦も予選だけ三年生が出れるのか。

「寺門のことはもう言うな!」

 髪をいじる涼風の手を漣は振り払った。

 なんか本格的にケンカなかんじになってないか? さすがにこれはまずいって。もうこれ以上問題は起こせない。

 ガクガク怯えている京子と稲穂、そして呆れた表情で見る信乃に代わって声をかける。

「漣、もうそれくらいにしとけ。なんかカッコ悪いぞ?」

 笑みを浮かべながら彼女の肩に手を駆けようとした瞬間、漣は柔道の「背負い投げ」をして俺に尻餅をつかせた。

「痛っ‼ ってか背負い投げ上手くね?」

 俺のリアクションとツッコミを華麗に無視した漣はその場を走り去った。

「うわぁ⁉漣ちゃん⁉」

「姉貴‼」

 京子や稲穂の声にも耳を全く貸さないかのように猛スピードで走っていく。さすが八百メートルの選手だけあってバネのある、のびやかな走りをしているなぁ…………

 って見とれている場合じゃねぇ! 追わなきゃだ!

「みんな、今日の練習は終わり! さっさと帰れ!」

「先生、私達も追うべきなんじゃないですか?」

 使命感に燃えたのか信乃はレース用のシューズに履き替えている。

「気合入れすぎだろ! お前らがまたなんかやらかすと本格的に俺がクビになるから大人しく帰りましょう疲れ様でしたさようならああああああ!」

 俺は漣を追うべく、競技場の外へと走り去っていった。


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