直談判
『ーーまぁ漣ちゃんは800mで2分10秒台中盤の好記録で優勝、稲穂ちゃんは……』
電話越しの朝陽が淡々と県新人の結果を読み上げていく。
俺はベッドに寝転びながら携帯電話に耳を傾ける。
「あぁ、もう結果見たよ。速報サイトで」
『来れなかったあなたのために記録を読み上げているのに、何よその言い方!?』
「う、うぅ…………悪かったって……」
ぶっちゃけ、今の俺はショゲている。
先日の体育館での花方との闘いの後に起こった悲劇………いや、あれはもう喜劇と言っていいだろう。そう、お笑いだ。お笑いだろあれは。
涼風が俺に顔面を近づけてキスをしようとした。どこまで本気なのか分からないし涼風のことだから半分ネタなんだろう。
それなのに、なんで俺が女子高生と不純異性交遊をしてしまったっていうことになってるんだよ。か弱い女子高生にあんなに迫り寄られたら、無理に振り払うこともできないだろう?
それで、だ。あの状況を「勘違い」された俺は職員会議で集中砲火を受けた。まぁロリコンとかハラスメントとかに厳しい世の中だからか男性に対する風当たりは冷たく…………言い返すこともできず、ついに一週間の自宅謹慎を命じられたわけだ。
だから間近に迫った県大会に同行することができず、家で速報サイトに張り付いているしかなかった。みんなには本当に申し訳ないと思っている。
『とりあえず出場した子はみんなベスト更新。涼風ちゃんの三千メートルも、10分22秒まで伸びたし』
「いや、10分21秒45だ」
『え? あぁ、えぇっと…………そうだわ。21秒だったわ……って細かくない?』
「選手が頑張って走ったタイムを覚えていないとは何事だ!」
『自宅謹慎者が何言ってんよ……』
「………………」
何も言い返せなかった。これを言われてしまってはなんというか、ごもっともという感じだ。
『まぁ明日から学校に来れるわけだから、ちゃんと教頭のところに行って頭を下げてくるのよ』
「それなんだよな」
正直、自宅謹慎だけならそんなに俺の心のダメージはない。
でも「教頭に謝りに行く」となれば話は別だ。俺の首がかかっているってのもあるけど、教頭の娘の信乃は駅伝部員だ。もしも俺が「セクハラ教師」として認知されるのなら、信乃に駅伝部をやめさせる……なんてことも考えられない。進学実績を上げるために部活を一つでも潰したい教頭だから。
その日はゆっくり眠れなかった。この一週間は自宅警備員をしていたっていうのもあるが、何より教頭の反応が不安だったからだ。
翌朝、寝不足と不安の影響でゾンビ化してしまったが俺は陸上競技場に向かった。駅伝が近くなったこともあって、朝練習のためだ。
大会翌日ということもあり一、二年生の漣、涼風、稲穂は休養にしてある。久しぶりのトラックレースだったわけだ。疲労を考えての配慮だった。
競技場には予想通り京子と信乃がいた。まぁ予想通りも何も、予想外の事態が起こっても困るんだが。
「「おはようございます!」」
気持ちのいい挨拶、二重丸だ。
「先生、フラフラじゃないですか。ゾンビみたいですよ!」
よろしい京子。的確な回答だ。百点をあげよう。
「ちょっとな。今日は魔女裁判の日かもしれない」
「え?」
「あ、いや何でもない。今日は三十分のジョギングだ。眠気覚ましに俺も走る」
正直走るつもりはさらさらなかったがこうでもしないと落ち着かないんだなこれが。
こうして肌寒くなってきた早朝を女子高生二人と一緒に走ることになった。
学校付近の道路は歩道が狭いので、京子、信乃、俺の順番に列を組んで走る。
ペースはごくゆっくりなので現役をとっくの昔に引退した俺でも楽々ついていける。というか、授業がない時間は合間を縫ってジョギングに出かけたりしたこともあったので走ることには慣れているんだが。
走りながらのどかな田園風景に目を走らせる。
――パシャリ
ああ、やっぱりいい眺めだな。
――パシャリ
都会にずっといたから新潟の自然は見るのはとても嬉しい。
――パシャリ
ん? なんだこのさっきから聞こえるシャッター音は。
不思議に思ってあたりを見渡すが、誰もいない。広がるのは田んぼだけだ。
「思い過ごしだったのかな……」
「栃岡先生どうなさったのですか? 先ほどから人が走ってるのにウダウダうるさいんですが?」
不機嫌感マックスで信乃が振り返ってきた。
「ごめんごめん、なんかさっきからシャッター音が聞こえるなって思ってさ」
「シャッター音? あっ」
信乃は何かを大事なことを思い出したような顔を一瞬見せた後すぐに顔を隠すように顔を前に向けた。
「どうしたんだ?」
「なななななんでもなななないです! なんでもないです!」
「明らかになんかあるだろ! 明らかに慌てふためいてるじゃねーか!」
「ととととにかく今は走ることが大事です。集中集中!」
俺は何度か言及したが信乃はそれっきり口を閉じたままだった。
朝練が終わっても一言も話さず、とうとう更衣室に帰ってしまった。
「なんか、すっげー気になるんですけど…………」
疑問に思ってしょうがなかった俺だったが、その理由を知るのはもうちょっと後になってからだった。
―――昼休み、談話室。
俺は教頭と面と向かい合って座っていた。お互いに限界を超えるくらい眉間にしわを寄せたまま。
二人とも同じ表情だったが教頭の方が明らかに威厳がある。校長や大森みたいに体は大きくないが、細くしまった顔つきには背筋が凍りそうだ。
「栃岡君、君はこの学校をクビにしてもいいのだよ?」
「わかってますよ…… でも、俺が顧問を辞めるわけにはいかないんです!」
そうなのだ。
俺は今「顧問を辞めろ」と言われている。
あれだけの事件を起こしてしまったのだ。当然、そんなことを言われても仕方がない。
「花方君には体操部の顧問を辞めてもらったよ………… 彼は優秀な指導者の一人だったのに残念だ」
「そうですか…………でも、あいにく俺は辞める気はさらさらありません。今辞めたら、あの子たちが困るんでね」
「困るって………… 君に何ができる?」
「連れていくんだよ! 都大路に!」
思いっきり机を叩いた。
あまりに力いっぱい叩いてしまったので灰皿が床に落ちてカーペットに吸殻が零れ落ちた。やっべ。吸殻に火種はなかったものの、カーペットの掃除、大変だぞ。
「君が連れていけるのかい?」
「その自信はあります。っていうか、俺にしかできないといっても過言ではありません」
「ふーん」
教頭はソファにもたれかかると、ポケットから葉巻を取り出した。キザだなオイ。何年前のアメリカ映画だよ。
そして葉巻にジッポで火をつけると
「ふぅーーーーーーーーー」
と副流煙を俺の顔に直撃させてき…… て、くっさ! 葉巻の煙もさることながらこれは口臭も混ざってるだろ!?
「まぁいいんじゃないの? 今年いっぱい頑張ってみなよ。ただーーー」
教頭は灰皿を拾って葉巻を押し付けた。
「―――都大路に行けなかったら駅伝部もなくなる、栃岡君も、クビ」
教頭は懐から葉巻を取り出した。何故かは知らないが、さっきの一本とは入っている場所は違っていた。
「そうですか。頑張りますよ」
俺は軽くお辞儀をして立ち上がり、談話室を出ようとドアに手をかけた。
「頑張りますよ」




