近すぎて……
「…………とまぁ、そういうことだ」
練習が終わって日が傾き始めたグラウンドに佇む駅伝部に、沈黙が続く。そう、サクラが帰国したことを、ついに伝えたのだ。
メンバーの顔が曇る。ホストファミリーで事情を知っている稲穂も、行き場のないやるせなさに声が出ないようだ。
「あぁサクラ……………」
漣は沈黙を破ると、その場にしゃがみこんだ。両手で頭を抱える。
「どうしてみんなに相談してくれなかったのよ…………」
「姉貴それは……時間がなかったのもありますけど、やっぱり顔を合わせるのがーー」
「なんで? 仲間なのに、どうしてそんな大事なこと言ってくれないのよ!」
「………………」
分からなくもない。
毎日の部活、大会、合宿まで一緒に乗り越えてきた仲間だ。何も話さず目の前から消えてしまっては不満の一つも言いたくなる。
しかも漣は次期部長だ。先日、信乃に論破されたことに加えてこんなことが起こったら、もう気が気でないだろう。
遠くからサッカー部の元気な声が聞こえる。駅伝部の数倍の人数で出し合う声はとても活気に満ち溢れて、とても駅伝部にはまねできない練習風景だ。
「もういい。今日の練習は終わり。明日は天気が悪いけど、軽いジョギングにする予定だから。京子、終わりの号令」
「え、あ、はい。ありがとうございました!」
練習後、駅伝部は自主トレをするのが日課だ。もちろん自主トレなので俺が監視する必要もないんだが、やっぱり練習は見たくなってしまう。たとえ帰りが遅くなっても、だ。
ということで今日も居残り。日が完全に暮れた中、グラウンドのライトに照らされながら駅伝部員は筋トレなりジョギングなりをしている。俺はその様子をグラウンド脇に佇みながら眺めていた。
時間が過ぎていくにつれ、一人、また一人と帰路につく。ついには俺と漣と京子だけになった。二人は仲良く並んで腹筋をしている。
夏休みに明らかになったことだが、京子の家は母子家庭だ。しかも一人娘。あんまり遅くまで居させたらあの母親に心配かけさせてしまうと思い、帰りを促す。
「京子、そろそろ帰ったほうが良くないか?」
京子は筋トレを一時中断した。
「い、いえ。まだ大丈夫です。親のことは大丈夫です…………」
「とは言ってもなぁ……」
最後の駅伝だけあって京子の意識は高い。今日の距離走でもバテそうだった涼風を終始励ました。
「まぁいいんじゃないの? 京子先輩だって、家に帰って親と顔合わせんのが嫌かもしれないじゃん」
漣も腹筋を中断させ、口をはさむ。
「あのな、そういう問題じゃないんだ」
「私だって、父親と顔合わせるのなんてマジで嫌だから。京子先輩もそうですよね?」
京子の顔が強張った。漣はそんなことには気づかず、何食わぬ顔で筋トレを続けている。
俺はハッとした。そう、もしかしたら、漣は京子の父親が亡くなったことを知らないのだ。
いくら人に失礼な漣といえども、京子に対しては特別な気持ちを持っている。それは尊敬であり、信愛だ。だから間違っても(うっかり忘れていない限りは)、母子家庭の話題なんて出してこないはずだ。
急に思い出したように京子は苦笑いをし始めた。いつも都合が悪い時にする、彼女の特徴の一つだ。
ムスッとした顔で父親の嫌味を言い続ける漣と苦笑いを続ける京子。二人の間を取り繕うことなんて俺にはできない。
どうすればいいか、わからないんだ。
「うちの父親はサラリーマンなんですよー。あれ、京子先輩のお父さんって何やってましたっけ?」
漣は口を止めないばかりか核心に触れることを聞いてしまった。
「え、えっと……その…………」
京子はどもっている。答えが出ない数式から答えを出そうとしているのだ。京子の父親の職業はこの世には存在しない。
「ちょ、漣」
「先生は黙っててよ! 子供ができたときの事前練習だよ!」
「いや、だから……」
なんとか収集をつけようとしていた俺だったが、京子が口を開いた。
「漣さん、私のお父さんは普通のサラリーマンだよ」
驚いた。というより、ショックだった。心臓を大きなハンマーで叩かれたような感覚だ。
「なんだ私の家と一緒じゃないですか。じゃあ家で愚痴とかすごいですよねー。ストレスぶつけてくるし」
「そうそう。あははは…………」
京子は必死に苦笑いをする。グラウンドに腰を下ろしていた彼女の手足は小刻みに震えているようだった。
作り上げられた苦笑いはとても切なかった。
「なぁ京子……」
気が付くと俺は京子の手を取っていた。
漣と京子は唖然として見つめる。
俺は腰を下ろし、京子の目を見て、ゆっくりと言った。
「無理すんなって。俺たち、チームメイトじゃん」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
二人の駅伝部員は顔を向い合せながらお辞儀を繰り返している。
京子はすべてを語ったのだ。中学生の頃、父親が亡くなったこと。ずっと母親と二人で暮らしてきたこと。そして今までそれを黙っていたこと。
「ごめんね漣さん。もう少し早く言えば、傷つけることなかったのに」
「いやそんなことないです。私だっておかしいと思うところがあったのに気付くかなくて」
「素直に言えばよかったのにね。でも漣さんが優しすぎて……」
「えっ?」
「いや、こんなに慕ってくれたのは、漣さんが初めてだから」
人見知りな京子だ。少人数の駅伝部でずっと身近な存在だった漣は近すぎて、だからこそ失いたくなかったんだ。
「でも私、京子先輩が母子家庭だからって何とも思いませんよ」
「そういってもらえたら何よりだよ…… でも漣さん、一つだけ分かって」
京子は立ち上がり、大きく伸びをした。そしてまた話し始める。
「大切な人ほど言えないことってあるんだ。サクラちゃんだって、そうだったと思うんだ」
近すぎて、言えないこと。
それは仲が良いならではのことだった。
「そうですか…… サクラもそうだったのかな」
「そうかもね。でもちゃんと言い合える仲になりたかったな」
京子の一言はサクラへ、そして自分への言葉だったのかもしれない。
「今日、電話してみようかな。サクラに。なんか帰国してからじゃ、遅い気がして」
漣はスクイズボトルで水分補給をすると、エナメルバッグを肩に更衣室へ向かった。
「漣さん、部長らしくなってきましたね」
京子は満足げな表情だった。
もう独りよがりの漣ではない。今はもう、みんなのことを見れる、頼れる次期部長だ。
「そうだな。これで京子も安心できるな」
緊張も緩み、俺も笑顔になれた。
「ところで先生、どうしてさっき、私の手を、握ったんですか?」
京子はつっかえながら聞いてきた。
その質問に俺は平静を失う。
「えぇ⁉ いやその、あれだよ! 思わずっていうか、セクハラじゃないからな!」
もう何回目だろう。こうやってセクハラ疑惑をかけられるのは。まぁ更衣室入ったり裸体を見るよりは遥かにマシだがこうやって地味にダメージを食らうと傷つくし俺の男子教師としての自尊心にーー
「でも、先生と目が合ったとき、ちょっとだけ、ーーーーしちゃいました」
京子は目を逸らしながら言った。でも声があまりにも小さくて聞こえない。
「え? なんだって?」
「な、なんでもありません! さようなら! 家に帰らないといけません!」
そういうとダッシュで更衣室に向かった。
ったく、だったら最初から早く帰れっての…………




