救世主
「駅伝部に入る……? どうして……」
俺は生徒会副会長・歌和村信乃の顔を直視しながら言った。
「入ってはいけないのですか?」
彼女の目はとても澄んでおり、言葉の一つ一つに緊張感がある。
「いや別にそういうことを言ってるわけじゃないんだけど……3年生でしょ? 受験勉強だってあるんじゃ――」
「受験はしません」
「え?」
「嫁ぎます」
「なんとぉー」
平成に入ってからはほとんど聞かなくなってすっかり絶滅したと思っていた生き方だぞ。お、お嬢様なんだなぁ。
信乃はロングの髪を掻き分けながら話しつづける。
「私は今まで『部活』というものに入らず、ずっと生徒会にいました。一年生のころから、ずっとです」
かなりのレア種だな。
「そのあいだ、私は学業成績、体力テスト、評定で誰にも負けたことがありませんでした。言わば、完璧な高校生活」
ふと漣に視線を移すと、犬歯を向けて恐ろしい目をしていた。あ、こいつバカだからなー。彼女みたいなのは嫌いな性格なんだな。
「ですが、私はこの高校生活で、二人に、負けたことがあります。その話を知りたいですか?」
「いや別に」
「一つは、生徒会選挙。私は会長に立候補していましたが落選してしまいました。相手はもちろん、現生徒会長の飯島昇。まぁ男子だからこればかりは仕方ありません」
信乃は俺の無関心を気にせず話す。二ノ丸高校の生徒会ってこんなんなのか?
「そうですか……」
「そして二人目、それが藩内京子さん、あなたです!」
京子に向かって細長い人差し指を向ける。
本人は何が起こったのか分からず、ただオロオロするばかり。ってか俺も何が何だかわからない。
「おい、京子がなにしたっていうんだよ」
「それは、体力テストの長距離走です」
信乃の声が元気をなくすように、一段と声のボリュームが下がっていく。
「私は全ての種目で学年トップを守りつづけてきました。そう、長距離走以外でね。さすがは駅伝部と言いたいです。今年の春も、4分48秒で負けてしまいました」
体育の授業でどんなハイレベルなレースをしてるんだ。京子、お前が県大会の時に体調不良になったのはそのせいなんじゃないのか? そのタイムなら確実に決勝にいけてたぞ。
それにしてもこの子、すごいなぁ。自尊心の高さもさることながら、京子相手にそこまでいい走りをするなんて。
ちょっとワクワクしてきた。
「だから、入部させてください。駅伝部に。お願いします」
信乃は頭を下げた。
流れる沈黙。
聞こえるのは降りしきる雨の音だけ。
「私は、嫌だ」
口を開いたのは漣だった。
「あら、二年生の常盤漣さんね。一年次は進級単位数ギリギリだったから春休み毎日生徒会室の横の補習室で苦しい顔をしているのをしているのを見ていたからよく覚えて――」
「うるせーな! そんなことどうでもいいだろ!」
漣は顔を真っ赤にしている。あれ、春休み中にそんなことがあったのか。顧問の俺はこれっぽっちも知らなかったんですけど……
「認めないよ! 駅伝の前だけやってきて、ちゃっかりメンバーになろうとするなんて。そんな図々しいこと、私は認めないよ!」
目を真っ赤にさせながら罵倒する。
言うことも分からなくもない。夏休み前から一緒に頑張ってきたメンバーだ。合宿も大会にも出ていない3年生が「京子に負けたから」という理由で来ても嬉しくはないだろう。
誇りを持って走ってきたランナーとしては、あたりまえの答えだ。
「そんなことしてもらわなくたって、他の部活から適当に誰か連れてくれば駅伝には出れ――」
「あなた、結局分かっていないのね」
突然、信乃が口を開いた。
「え?」
「あなたは、自分のことしか考えていない。陸上部からメンバーを借りてくる? ふざけないでください。彼らには彼らの、やらなくてはいけないことがあるのです。彼らにだって、来年の『インターハイ』という大きな目標があるのは、あなたもわかってるでしょう」
「そ、それは……」
「それなのに責任の詰まった襷を渡して『走れ』と言うことが、どれだけ大変か分かっているのですか? 彼らの身にもなってください」
漣は完全に沈黙した。何も反論する言葉がないようだ。
「だから私が来たのです。この9月で生徒会の役員の任期は終了します。助っ人としては物足りないかもしれませんが、これでも夏は、月600キロは走りました」
ご、ごひゃく? 1日20キロ以上じゃないか。普通の女子生徒が、どこからそんなやる気が湧いてくるんだよ。
「それにあなた達、来年、廃部するのでしょう?」
「「「「「!」」」」」
信乃は俺たちの驚いた表情を確認すると、やっぱりな、というため息をついた。
「信乃さん、どうして知ってるの?」
京子が珍しく口を開いた。
「ん? お父様から聞いたの」
「おとうさん?」
「えぇ。教頭先生からね」
どやぁ! と言わんばかりの顔で俺を見つめる。
歌和村教頭……変った苗字だから印象に残っていたが、まさか娘が副会長をやっていたなんて……
教頭って言ったら駅伝部を潰そとしている張本人だ。だから校長と朝陽と俺くらいしか知らない、「廃部」の事実を聞かされていたのだろう。
「だから、なんなの? 最後の部活を見物しようっていうわけ?」
「いつまでも私を敵視しないで。私が言いたいことは、可愛い一人娘である私が駅伝部でそこそこ~かなりの活躍をすれば、それに免じて廃部を取りやめてもらえるかもしれないっていうこと」
「すげー!」
勢いよく飛びついたのは涼風だった。
「いいじゃんいいじゃん! どうせ都大路に出るんだから、大は小を兼ねるだよねー」
なんか日本語の使い方がめちゃくちゃな気がする。
でも、信乃が言ったことで希望が持てた。
駅伝部が生き残るかもしれない。
全国的に二ノ丸高校のことが知られれば、学校の広報担当だって後押ししてくれるはずだ。
それにこんなにセンスのある子を放っておくわけにはいかない。それだけ走り込んだんだ。ちょっと駅伝で走るところを見てみたい。
よし、決まりだ。
「歌和村信乃」
「はい、西岡先生」
「栃岡だ」
「すみません」
あれ?今一瞬俺の名前間違えられなかった?
栃岡って珍しい苗字だからしょうがないか……
ええい、それはいいから!
「お前の入部を許可する。これからの練習は少しハードかもしれないが、しっかりついてきてくれるな?」
「はい。もちろん。京子ちゃんにも負けないんだから」
信乃と京子は、目を合わせた。
「信乃さん、信乃さんはとっても負けず嫌いなのは、知ってるよ」
「京子さんほどではありませんよ。部活も勉強も、それから家庭的なことまで……二ノ丸高校であなたに敵う人は、いないんだから」
「負けず嫌いの信乃さんにそう言われるの、なんか違和感あるな」
「謙虚さでも負けたくはないの」
なんかすごく高度な、そして謙虚なのか傲慢なのか分からない言い争いをしてるなこの子達……
まぁ、ちょっと衝突するんじゃないかと心配する気持ちもあったが、さっきは頭を下げている当たり、ちゃんと分別ある子なんだと思った。
生徒会副会長、歌和村信乃。よろしくな。




