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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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20/95

京子の実家

 ――ピン、ポーン……

 ――ピンポーン……

 ――ピンポーン、ピンポーン……

 ――ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーン

 玄関のベルをさっきから幾多に渡り鳴らしているが誰も出てこない。

 日陰に入っていても汗が噴き出すような炎天下、俺は京子の家に来ていた。

 お盆期間中で学校も閉まっているのに教員が生徒の家に来るのは家庭訪問でも何でもない。片手に持った携帯電話が原因だった。

 というのもこの携帯電話は俺のものじゃない。京子のものだ。京子は夏休み最後の練習の日、グラウンドに携帯電話を忘れた。部員たちが全員帰宅した後にジョギングをしていたら発見したのだ。まぁどうして京子のだと分かったかっていえば携帯電話のウラに「藩内京子」と名前シールがあったからだ。自宅用ラベルライターで作られてるあたり京子も用心深いなぁ。

 っていうことで買い物ついでにアポなしで京子の家に突入している。ところが玄関の鍵が開いているのに誰も出てこない。携帯電話も貴重品なので回覧板のように置いてくるわけにもいかず、家に人がいることを信じて呼び声をやめない。俺だって早いところ帰りたいんだ。

「こんにちはー! 二ノ丸高校駅伝部、顧問の栃岡翔でーす! 誰かいませんか!」

 やっぱり誰も出てこない。

 聞こえてくるのはアブラセミの鳴き声だけだ。

「こんにちはー!」

 呼ぶ俺の方も虚しくなってくる。

 ついに痺れを切らし、俺は玄関のドアを思い切って開けた。

 ――ガラッ

 ドアを引いた瞬間にお香のいい香りがしてきた。お盆期間中だからお香でも焚いているのだろう。和風な造りにピッタリの香りだ。

 それにしてもこの家は質素だ。玄関に置物や装飾品などはなく靴が並ぶだけ。普通は狸や熊や招き猫がいたっておかしくないんだけどな。こんな和風な家なら。

 ふと視線を落とすと靴の組み合わせがおかしいことに気づく。母親のものと思われるパンプス、県選手権の時に京子が履いていた気がするミュール、そしてゲタの三つだけ。完全に間違い探しだ。なんでゲタなんてあるんだよ。お父さんは天狗なのか?

 ごめんくださーい、ともう一回呼んでみるが返事はない。

 家の中に入ったと言うのに人の声もしない。

 諦めて帰ろうかな…… お盆明け初日に渡したって文句は言われないだろう。

 そう思い始めた矢先、奥の方から人の声が聞こえた。

「いえいえー今日はありがとうございました―」

「そんなことないですー。これからもよろしくお願いします―」

 ようやく来たかと思い期待しながら待つ。

 だが次の瞬間出てきたのは……京子と京子のお母さんと思われる中年女性と、寺の住職だった。

 京子は俺の顔を見て苦虫を噛んだような顔をした。

「せ、先生……」

 その顔を見た瞬間、嫌な予感がした。

「今日私の家、法事だったんです……」

 やっちまった。

 ゲタは住職のものだったんだ。

 それに気づかず、住職が御経を読んでいる最中に俺は玄関で叫び続けていたのか。サイアクじゃん俺。

「あぁ先生ですか、いつも京子がお世話になっています」

 京子と同じように赤みがかった髪をした中年女性が小さく一礼した。背は高めだったが童顔で、京子と似重なるところがあった。やっぱり母親なんだろう。

「ごめんなさい。法事の最中にうるさく叫んでしまって」

「いいんですよ。でも来る時には事前に連絡してくれればありがたかったのですが……」

 グサッ

 俺の胸に大きな剣が突き刺さった。

「更にごめんさない」

「い、いいんですって。それよりもあがって下さい」

 京子の母親は上品に口に手を当てながら手招きをする。でも今日はお茶しに来たわけでも結婚のご挨拶に来たわけでもない。

「いや、今日は京子さんの携帯電話を届けに来ただけなので」

「あぁやっぱり学校にあったのですか。この子ったら、『なくしちゃったから新しいの買って』ってうるさくって」

 少し大げさな笑いをした。童顔と上品な雰囲気があってもやっぱり中年女性だ。おばさん独特の笑い方をする。

 京子に目をやると顔を赤らめていた。恐らく恥ずかしかったんだろう。いくらいつも一緒にいる顧問とはいえ、母親からこんなことを言われちゃ嫌なんだろう。

「間違いなんて誰にだってあります」

「あら、素敵な先生なのね」

「そんなことないです。僕だって社会人としての当然のことを、今、誤りましたから。高校生なんですから、仕方ないですって」

「あらあら」

 冗談と受け止められたのか大いにおばさん笑いをされた。

 でも俺はマジだった。法事のときにお邪魔してしまったことの申し訳なさもあった。けれどそれ以上に京子をフォローしたかった。こんな些細な失敗でめげている京子を褒めてやりたかった。ただそれだけなのだが。

 顧問と母親の会話に耐えきれなくなったのか、気まずそうに住職が話し始めた。

「あの………… 私は帰ってもいいでしょうか……」

「あぁそうでしたね。ごめんなさい。今日はありがとうございました」

「いえいえ、ではまた~」

 住職はそそくさとその場をあとにした。相当気まずかったのだろう。すぐにバイクにまたがると、彼はエンジン音をたてながら京子の家を出ていった。ただのスクーターなのに。


 せっかくいらっしゃったのでお茶でもどうぞ、という京子の母親のご好意には断り切れることが出来なかった俺は藩内家で少しお話をすることになった。スリッパに履き替えると奥の大きな和室に案内された。案内された部屋は大きな掛け軸のある立派な和室だった。そこで、京子の母親との1対1の会話が始まった。

 それは採用試験以来の緊張感と正座の苦しさに悶えながらの対話だった。だって生徒の保護者との会話なんて、まともにするのは今回が初めてだったから。

 しばらく続いた沈黙の後に、彼女はゆっくりと口を開いた。

「京子は駅伝部で頑張っていますか?」

 黒いドレスのような洒落た格好の母親は、これ以上ないくらいのシンプルかつ返答に困る質問をぶつけてきた。数秒だけ間を置くと、しどろもどろだが話し始める。

「あ、はい。いきなりまた部長になって本人も大変そうですけど……でも、やっぱり京子さんがいると一体感が出てきますね。他のメンバーも喜んでます」

「そうですか。都大路に行くなんていってるから、ちょっと心配しちゃって」

 良い母親だなと思って相槌を打っていると次々と言葉の羅列が続く。それは保護者としての期待もあったが、もちろん不安のほうが大きかった。

「あの子、千葉国立大学を目指してるのよ。それなのに毎日部活ばっかりで大丈夫なのかしら」

「一学期も成績はかなり良かったので、このままいけば大丈夫だと思いますが…… 模試の成績でも学年トップクラスです」

 京子の母親は固まっていた顔を少し緩ませる。

「あらそう。ちょっと安心したわ」

「はい」

 この一言を最後に、その話題は終わりを告げた。

「…………」

「…………」

 ―――ミーンミーンミーンミーーン……

 セミの鳴き声がよく聞こえる。ミンミンゼミの鳴き声を聞くのは久しぶりだな、と何故かちょっと冷静になる。

 麦茶を一口含んだ俺はとてつもない後悔の念に襲われる。いやぁ、携帯電話を渡したタイミングで帰っておけばよかった。こんな気まずさは。

 京子の母親は突然話し始めると、急に顔色を変えた。

「ところで、京子は今、楽しそうですか?」

 さっきまでの愛想笑いも消えている。一気に真面目な雰囲気になった。思わず姿勢を正す。

 俺の答えは1つだった。

「そりゃあもちろん。楽しそうですよ、すごく。いつも部活の終わりのミーティングのとき、寂しそうな顔をするくらいですから」

 京子の母親は汗をかいた麦茶を飲んだ。

「よかった。亡くなった夫が京子に残したものが、『走ること』だったものですから」

 彼女の顔色からは哀愁を感じてしまった。

「お父さんはお亡くなりになったんですか?」

「えぇ、5年前に。持病の発作で転倒し、亡くなったのです」

 京子の父親の姿が見えないと思ったのも当然、彼女の父親はとうの昔に亡くなっていたのだった。その意味も大きい法事なのになのに俺は何にも知らず、玄関で大声で叫ぶような真似をしてしまった。

「本当にごめんなさい。大事な時間だったのに、ご無礼をしてしまって」

 大きく頭を下げた。土下座と言っても過言ではないくらいの深さだ。

「いいんですって。京子のご面倒をみてくれてるんですから」

「はぁ……」

 そう言ってはくれるものの申し訳なさでいっぱいだった。彼女はそれを紛らわしたかったのか話を続ける。

「旦那が京子に駅伝を、走ることを教えたんです。あの人も走るのが速かったんですよ」

「そうなんですか。どこのチームでしたか? これでも昔の選手もけっこう知ってるんです」

「今はもうない実業団ですよ。名字も藩内じゃありませんし」

「そうだったんですか……」

 心なしか、京子の母親は名前を出そうとしなかった。こちらとしても詮索するつもりもないのでそのままにする。

「あの人が最初に、『京子』って名前をつけようと言ったんですよ。京の都のように人が集まる人生になるようにって願いがあるんです」

 なるほど、京子にはそういう意味があったのか。てっきり都大路からきてるのかと思っていた。

「もっとも、あの人も駅伝が大好きだったから京子にしたかったのは目に見えてたんですけどね」

「あははは……」

 予想が当たっちゃったよ。やっぱり京子のお父さんも生粋のランナーだったんだな。

「でも、本当にまっすぐで素敵な旦那さんだったんですね。同じランナーとして、尊敬します」

「いいえ。あなたは先生じゃないですか。もうランナーじゃありません」

 その言葉にハッとする。今はジョギングくらいしかしていない高校教師なのだから。

「1本やられました」

 京子の母親は再び愛想笑いをした。明るい雰囲気に戻ってちょっと安心した。

 それからは色々雑談をした。部員の母親と話すのなんて初めてだから、知らないうちに夢中になっていた。

 京子の母親は我が子の学校での様子を聞けて嬉しいのかグイグイ食いついてくる。

「それじゃあ、京子は駅伝で何区を走れそうですか?」

 駅伝は10月末だしまだ選手の特性もよく分かっちゃいない。いくらなんでも気が早すぎるだろう。

「まだ分かりませんが、1,2,5区のどれかでしょうね。もともと距離の適性があるので、長い距離を走らせたいです」

 彼女はそれを聞くとホッとした表情を浮かべながら言った。

「そうですか。できれば、1区か5区が良いのですが……」

 親から区間の希望を聞くなんて初めてだし、そんな経験がある監督も少ないだろう。

「どうしてですか?」

「いえ、大したことない理由なのです。でもあの子もそれで都大路を走れたら満足だと思うんです」

 とても意味深な話し方だった。でも理由を聞いてはいけない雰囲気すらあったのでそれはそのままにし、適当なリアクションで乗り切った。

 気が付いたら5時になっていた。日も暮れかけ始める。近くのやまではヒグラシが鳴いている。

 時計をチラリと見たその時、京子の母親が言った。

「今日は終わりにしましょうか」

 やっと終わったよ、と肩をなでおろす気持ちだったが、それでもヒートアップした話がここで終わってしまうのは少し名残惜しかった。それくらい京子の母親は駅伝に明るい人だった。もしかして高校くらいまで長距離をやっていた人なのかな、と思ってしまったほどだ。今は亡き旦那さんの影響もあるのかもしれないが。

「そうですね。本当に楽しかったです」

「これからも京子をよろしくお願いします。私も大会を見に行くことにしますね」

 そう言って彼女が微笑んだ瞬間、急にふすまが開いた。

 突然のことだったので驚いてその方向を見る。と、そこには1人の低身長の小学生みたいな少女――――京子がいた。

 京子は息を切らしながら片手におぼんを持っている。表情は険しく眉間にはしわが寄っている。

「せせせせせせせせせせ先生…………」

 緊張しているせいか言葉に詰まりまくりながら、京子を手に持っていたおぼんを差し出す。

「ああああああああアイスコーヒー…… つつつつつくりましたああああ……」

 おぼんを見ると確かにアイスコーヒーが2つ置いてあった。でもかなり汗をかいている。作ってから時間が経っていたのだろう。

 京子の母親は慌てる娘の姿を苦笑いをしながら凝視すると、その視線を俺へと向けた。

 なんか顔を赤らませながら金魚のように口をパクパクさせてるけど…… え、受け取れってことか!? いや気持ちはありがたいんですけど、もう帰らなくちゃならない時間だからそこは勘弁してほしい……

 なんてことは言えず、しぶしぶ受け取ることになった。

「あ、ありがとな、京子。これ飲んで帰るから」

 京子は顔をギョッとさせる。

「えぇ!? もう帰っちゃうんですか!?」

 もう帰るったって、もう5時じゃないか。来たのは1時ごろだぞ。

「そんなに長居しても迷惑に――――」

「夕ご飯を食べて、と、と、泊まっていってももももも、いいいいんですからね!! 準備はできてますから! 心の!」

 心の準備ってなんだよ。結局のところちゃんと準備してないことを遠まわしに告げているに過ぎないじゃないか。

 俺は正座の状態から立ち上がった。足が少ししびれていたせいもあり、ちょっと足取りはおぼつかない。

 それでも京子へと近づく。そして彼女が持つおぼんに乗ったアイスコーヒーを手に取り、一気に飲み干す。

 京子にドヤ顔を見せつける。

「美味しかったよ。これで俺は帰るから」

 そう言って京子の横を通り過ぎた。

「京子も、お母さんも、お邪魔しました。これで失礼します。またお会いしましょう」

 京子のお母さんは顔を赤くする。

「そ、そんな…… お母さんだなんて……!」

 普段はママとでも呼ばれてるのかよっぽど「お母さん」と呼ばれたのが嬉しい様子だった。

 俺はそれを見て一礼する。そして振り返ることなく玄関へと向かう。

 そんな俺を京子は追って来た。何か言い忘れたことでもあったのだろうか。

 トッㇳっトットッと木造独自の床の音を響かせながら走って来た京子は俺の顔を見ることなく俯きながら何かを差し出した。

「あ、あの、ここここ、これ! 本家からのです!! 食べてください!!!」

 彼女が差し出したのは京都の銘菓、八ッ橋だった。しかも木箱に入っている立派なもの。本家っていうからには結婚式のお土産だったりするのかな。

 泊まっていくのを拒否しただけにこれをもらわないのはさすがに失礼だと思った。遠慮しながらだけども頂こう。

「あ、ありがとう。こんな立派なものだから実家にも持っていくよ」

 京子は燃え盛るように顔を真っ赤にさせる。

「じじじじじじじ実家!!! そんなああああああうわああああああああ!!!!!」

 そう叫ぶと階段を上がっていった。部屋の戸が閉まった音がするあたり自分の部屋に戻ったのだろう。実家に持っていくほどのものではないと思ったのかな。こんな立派なものなのに……

 首をかしげながら靴を履く。京子の家はやっぱり裕福なんだな。私立の二ノ丸高校に通っているばかりか金銭感覚もないなんて…… これはちょっとした発見だな。

 頭を下げながら京子の家を出た。

 陽だまりはもう暮れかけて空にはきれいな三日月が見える。綺麗な夜空だ。

 空はとっても澄んでいた。

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