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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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16/95

夏合宿in妙高高原② ニチヤク陸上部

「おはよう……」

 合宿は2日目。肌寒い朝五時半、玄関に集合した俺は貧血症状を呈していた。昨晩の出血が原因だった。

「センセイ、大丈夫デスカ?」

 サクラが不安そうな顔で聞いてくる。

「あぁちょっと、ちょっとだけキツい」

「昨日は男風呂で血が出てたみたいだけど、センセーがなにかしたの?」

 洞察力に長けた涼風が痛いところをついてくる。

「ちょ、ちょっと鼻血が出ただけだからな! 俺って鼻の粘膜が弱いからさー、困っちゃうよなハハハハハ……」

 困っちゃうよな。こういう核心を突いてくるような質問。しかしそんな不安をよそに今度は姉の漣は追撃をする。

「ふーん。ところで、昨日って京子先輩はいつ頃お風呂に行きましたっけ?」

「え? わ、私? えっと、うーんっと、あぁ! 忘れちゃったなー! いつだったか思い出せないやアハハハハハ……」

 京子も必死に回避しようとしたが核心を突かれているのがバレバレだった。

 とにかく俺はこの場を早く収拾つけないといけないと思ったので、強引に朝練習の指示を始めたのだった。



 朝練習は体を目覚めさせる意味もありジョギング程度で終わったが、午前練習はスピードを上げる練習をした。スキー場の800mの坂のダッシュを6本。女子高生には少しキツいメニューだ。

 それでも彼女達は声を掛け合いながらメニューをこなし終わったころには笑顔があふれていた。まったく女子選手には底知れないパワーがあるんだな。

 でもこんなキツい練習ばかりじゃみんなグロッキー状態になってしまうのは時間の問題だ。

 ということで午後はゆっくり距離を踏む練習にした。昨日と同じクロスカントリーコースを70分のジョギング。彼女達にとってはまだ楽な練習だ。

 偶然にも、クロスカントリーコースでは昨日の「ニチヤク」の選手達が練習をしていた。彼女たちは追い込み練習の真っ最中なようでみんな必死の顔をしている。

 やっぱ実業団選手ってすごいな……キツそうに喘いではいるがペースも足取りも衰えることはなく走りつづける。思わず息を呑んでしまった。かつて「人間機関車」と呼ばれたマラソン選手もいたが、その言葉を思い出させてしまうような追い込みっぷりだ。

 ニチヤクの選手の走りに見入っていると、ふと、ジョギングしている二人の選手がいるのが分かった。どちらもニチヤクのユニフォームを着ているが1人は明らかに男子選手だ。

 男子の選手もいるのかーと思ったが、よく考えてみればあれは女子の練習パートナーなのだろう。ということはあの女子選手はニチヤク所属で世界陸上選手権のマラソン代表の板倉か?

「どうだ、うちの板倉はすごいだろ、栃岡」

 心を見透かされたような呼び声が後ろからした。校長のようにしわがれた声だった。

 誰だ。こんなところで俺のことを知る人間が駅伝部にいるわけ―――――

 振り返ったとき、俺は度肝を抜かれた。

「お……大森先生…………!」

 黄色いジャージに寂しい頭部。メタボとまではいかないもののずんぐりした体型。そう、彼は俺が二ノ丸高校にいたときの駅伝部顧問、大森顕だった!

 突然のことに驚く俺。

「なんでこんなところに……」

「俺は今、ニチヤクの監督をやってるんだぞ。『二ノ丸高校』の名前が入ったポロシャツってことは、お前も顧問やってるのか?」

 大森はそういえばニチヤクに行ったんだっけな。全然覚えていなかった。

「えぇ、まぁ……」

「今は大変だろう。前の顧問がダメだったらしいからな」

 大森は苦笑いをしながら話す。

「前の顧問? それって先生のことじゃ……」

「違う違う。俺は前の前の顧問」

「それじゃあ前の顧問は……?」

 京子の話では前の顧問は大森でその名前が何年間も残っていた、ということだった。

「今校長をやってる人じゃなかったかな。駅伝に詳しそうだったから任せたんだけど、指導が下手すぎて選手が集まらなくなったんだってな」

 なんだよそれ。

 俺はてっきり、大森のせいで彼女達がこんな思いをしてるんだろうと思っていた。

 でも悪いのは全て校長だったのか?

 そう考えれば俺を顧問にした理由も納得できる。校長は自分の指導が下手すぎて選手が伸びなくなってしまって駅伝部の結果が出なくなり、教頭に駅伝部さえを潰されそうになったので俺に顧問を依頼した。どうりでバカな俺が教員になれたわけだ。

 俺を使って、自分の罪滅ぼしをしようとしたわけだ。許せない。

「今は女子選手しかいないのか。男子の姿は見えないが……」

 大森は駅伝部の様子を疑問に思ったらしかった。

「まぁ、そういうところです。駅伝にもギリギリ出られるってところです」

「そうか。都大路(みやこおおじ)も厳しいのか?」

 ――――――都大路。

 それは「全国高等学校対抗駅伝」の俗称だ。要するに駅伝のインターハイ。各都道府県で1校しか出れない、高校生ランナーの夢の舞台。

 俺がいた頃の二ノ丸高校は大森の指導のもと、毎年出場していたが……大森が離れてからの数年間は1回も出場していない。

 大森は駅伝部の現状を知らないのでそんなことを聞いたのだろうが、今の駅伝部じゃお世辞にも都大路なんて言えるレベルじゃないと思っていた。

「ちょっと厳しいですね。人数もギリギリですし……」

「それにしてもみんな良い走りしてるじゃないか。みんな3000mで9分台中盤で走れる力はあると思うぞ。そのくらいで走れたら都大路は間違いない」

 大森はガツガツくる。勝負を第一に考える指導者の姿だった。

「留学生の子もいるみたいだし、チャンスじゃないのか栃岡」

 言葉に詰まった。このチームで都大路に行こうだなんて一回も考えたことがなかった。とりあえず県高校駅伝で繰上げスタートにならなければいいと思っていた程度だ。

 それなのに、いまさら都大路を目指すだなんて……つい目を泳がせてしまった。

「栃岡先輩じゃないですか! お久しぶりです!」

 再び俺を呼ぶ声がした。

 でも今度は大森じゃない。大学生くらいの若くて張りのある男の声だ。

 クロスカントリーコースから、さっきジョギングをしていたニチヤクの男子選手が近づいてきた。だがサングラスをしているので誰だか分からない。

「お前、誰?」

「やだなー。先輩忘れちゃったんですか? 俺ですよ、俺。河田ですって」

 彼はそういうとサングラスを外した。

 それはまさしく、俺の記憶と一致する、明英大の後輩の河田栄治だった。河田の特徴である右目の下にあるホクロ。それもあった。

「お前もニチヤクの選手なのか?」

「いや、選手っていうか、プレイングマネージャーですね。女子選手のペースメーカーです」

「良い仕事だな」

 長距離ランナーにとっては夢のような仕事じゃないのか? 自己ベストも狙わなくていい、ただ故障だけに気を付ければいいだけだ。

「薄月給ですよ」

「おい河田」

 大森がキレ口調で河田を脅す。

「で、でも、毎日スポドリ飲み放題でうれしいなー」

 強引過ぎだろ河田。

「だよな!」

 って大森も賛同してるし!

 アスリートってみんなスポドリが好きなのか? 俺はお茶派だけど……そういう問題じゃないか。

「そういえば、河田も栃岡も明英大だったんだよな」

「「そうです」」

「栃岡って、学生時代はどうだったんだ?」

 絶対に聞かれたくないことだった。

 少なくとも大森は高校時代の華やかな頃の俺しか知らない。大学生の頃の落ちこぼれていた俺なんて知ってるはずはないし、知ってほしくもなかった。

 だから河田が何を言うかは気になった。出来れば適当なことを言って流してくれればいいのにとさえ思った。

 河田はえーっと、と一拍おいた後、いきなり笑顔になって話し始めた。

「正直、頭がいい先輩だとは思ったことはないです! いつも講義は寝てるって噂だし、スポオーツ推薦なのに留年しそうだったと聞いています」

「何! 栃岡はそんな生活を送っていたのか!」

「そのせいで就活は出遅れて、ブラック企業に就職したって聞きました」

 河田は失礼なことをベラベラ話していく。大森の怒りのボルテージも鰻上りだ。

「おい河田いいかげん――――」

「でも、いい先輩でしたよ。よく昼食をおごってくれましたし、後輩思いでしたよ」

 お前のいい先輩のポイントはそこかよ。ちょっとがっかりした。

 それで終わるんだと思っていたが河田の話は続いた。

「―――――でも何より、チームで一番、駅伝が好きでした。怪我してばっかりでずっと試合に出れなかったけど、ずっとチームのためにサポートしていました。」

 お世辞のように聞こえたが「チームで一番、駅伝が好き」という言葉以上に、俺にとっての誉め言葉はないと思った。

「今日はこれで失礼します。選手の体も冷えると悪いんで。監督、行きましょう」

「そうだな。栃岡も頑張れよ。都大路で待ってる」

 そういえばニチヤクは京都のチームだったっけな。都大路で待ってる、か。洒落た言葉だな。

 俺はお茶の入ったボトルを手にとり、クロスカントリーコースを走る京子達に差し出した。

「あと20分、3周だな」

「先生、さっきニチヤクの監督と何話してたんですか?」

 京子は隣のサクラにボトルを渡しながら話しかけてくる。

「まぁちょっとな。宿に戻ってから話すよ」

「大事なことなんですか?」

 京子はゾッとする。いや、昨日のことじゃないから。

 俺は軽く苦笑いをした。

「そんなところだ。よーし、次のこの1周はキロ四分まで上げてこい!」

「えぇ、ジョグじゃなかったんですか?」

「いいから、みんなならやれると思うんだ」

 俺はボトルを回収して立ち止まり、彼女達を見送った。


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