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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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13/95

県選手権

 夏だ!

 暑い!

 死にそう!

 俺は炎天下の中、陸上競技場のスタンドで直射日光をモロにくらっていた。

 今日は待ちに待った県選手権。高校生や大学生、そして実業団の選手が競って県チャンピョンを決める、県最大規模の大会だ。

 ……だがそんなことにはお構いなしに太陽は俺を痛めつける。ポロシャツと短パンという完全な夏スタイルだが、傍若無人な太陽光線のおかげで俺の体温は二次関数的に増大している。運悪くパラソルも忘れてしまったので、俺の防具は帽子だけだ。帽子だけでどうやって熱射病を防止しようっていうんだ!

 なんてつまらないギャグも思いついたが披露する相手はいない。駅伝部のメンバー全員は選手控え用の木陰のテントで涼んでいるからだ。顧問なんだから俺も入れてほしかったがそこは女子選手。場の雰囲気で完全に追い出されてしまった。

 俺の顧問としての威厳はこんなものだったのか。考えただけで涙が出てきそうになった。

 競技の行われていないトラックを眺めていると、駅伝部のメンバーは元気に仲良くしているのかなと思った。というのも、サクラの入部以来ただでさえ混乱していたのに、涼風が入ってきたせいで本当にエライことになってしまったからだ。


 期末テスト後、涼風が初めて部活にやってきたときのこと。俺は涼風に駅伝部員へ向けて自己紹介をさせた。

 自己紹介っていうものは新しい職場や環境に適応するために必要な最低限度のスキルである。適切なやり方は小学生時代から学んでいるはずであり今更そのことで苦言を呈されることなんてまずない。普通は、普通は。

 まぁ俺が何を言いたいのかって言えば、涼風は普通じゃなかったってことだ。彼女は駅伝部の面々を見渡し、ニヤニヤしながら語尾を伸ばして自己紹介をした。

「えーっとぉー、常盤涼風っていいますぅー。好きな食べ物はアイスクリームかなー。これからよろしくねぇー」

 要するに涼風の自己紹介は、120パーセントやる気がなかった。

 正直、度肝を抜かれた。普通は「がんばります」とか「速くなりたいです」みたいな目標を言うのになんで好きな食べ物で自己紹介を完結させるんだよ。お前のアイス好きを知って「これから一緒に頑張ろうね!」なんて言うと思っているのかゆとり世代。フツーにイラっときた。

 でも俺以上に怒りを胸に秘めていたのは漣だった。

「帰れ。消えろ」

 怒りの鉄槌をフルパワーで涼風にヒットさせた。正直俺も何か言おうと思っていたので姉としての漣の行動には拍手を送りたいと思ってしまった。

 それから漣と涼風の間には大きな亀裂が走ってしまい、それが駅伝部の大きな溝になってしまった。当然のことながら稲穂とサクラはどっちに付いたらいいか分からずワナワナしているし……

 ってことで京子がいなくなった今、駅伝部は部としてのまとまりをなしていなかった。そんなこんなで迎えてしまった県選手権、今ごろ彼女達はどうなっているんだろうか。


 俺はペットボトルに入ったミネラルウォーターを一気に飲み干した。

 でも中身の水はとてもぬるかった。30分前に買ったばかりなのに温水に変化しているとはやはり今日は猛暑日だな。今の時刻は午後2時を回ったところ。稲穂とサクラの5000mのレースまではまだ2時間も時間がある。

 今回は5000mには県内強豪校が数多くエントリーしている。昨年の都大路出場校の暁月高校はもちろん、今年度急成長している岸部高校、そして毎年安定した成績を残している村松東高校だ。稲穂とサクラがとこまで競り合えるかというのはもちろんのこと他校の選手の調子をチェックするいい機会だ。

 駅伝は1区の6キロや最終5区の5キロのように長い区間にどの選手を置くというのも大事なポイントだ。他校との合同チームになればそこでまた相談しなければならないのだが、少なくとも稲穂とサクラの2人はその2つの区間のどちらかには入るだろう。

 そうやって考え事をしてみたけどやっぱり暇だ。退屈だし携帯電話でもいじってるか。そう思い隣の席に置いておいた携帯電話を掴んだのだが……

「あああああちぇえええええええええええ!」

 完全に忘れていた。この携帯電話、かれこれ3時間はここに置きっぱなしだ。だからそれだけの熱エネルギーがあるわけだ。俺は思わず携帯電話を投げた。

 これで安心だ。俺の手の皮膚は守られた。いやー大した被害がなくて良かったなぁ。よしじゃあ携帯電話を手にとって、あれ?

 俺の視線の先には、ディスプレイが粉々になった携帯があった。

 言葉が出なかった。大学卒業以来、苦楽を共にしてきた大親友がこんな変わり果てた姿になっているなんて。くそう、犯人は誰なんだよ! 俺の思い出を返してくれよ! しかもボタンもいくつかないじゃねーかよ!

 俺はボロボロの携帯電話の携帯電話を胸にかかえ、涙を流した。こんな……こんなことがああああああ!

 俺は尽きることのない悲しみを、ただ携帯電話を抱きかかえることでしか耐えられなかった。

 暑い暑い、夏のある日のことだった……ザザー。


「先生……何やってるんですか?」

 女の子のかわいらしい声がした。でも今は大会ということもあってスタンドには「先生」と呼ばれる監督やコーチがたくさんいるはずであり無闇に「先生」という言葉に反応して振り返ってしまったら自分ではなく他の人を呼んでいたなんてことは恥ずかしいことにすぎないのであって――――

「先生、栃岡先生?」

 俺でした。うつむいていた顔を上げて女の子を見る。

「み……京子じゃないか」

 赤みがかった髪は以前より少し伸びていたが、つぶらな瞳、低身長な体はまさしく京子だった。休日にふさわしくドット柄のワンピース姿だった。

「おまえ、どうしてこんなところにいるんだ? 3年生は模擬試験じゃなかったのか?」

「模擬試験は昨日まででした。今日はリフレッシュも兼ねて、駅伝部の応援に来たんです」

 県大会以来、京子に会うのは初めてだった。しかも県大会最終日の夜は、スタジアムから学校に戻って解散するまで何一つ話さなかった。

 だから今は、何を話したらいいかよく分からない。軽いやりとりのあとは沈黙が続いた。

「今日は――――」

 京子は震えながら会話を切り出した。

「暑いですね!」

「当たり前だろ。夏だもん」

「…………」

 ミスったー! ここは気をきかせてっていうか普通はもっと会話を展開させるもんだろう…… いくら暑いからって、ここはもっと冷静にならないとだな。

 京子も頭を掻きながら、続けて話題を振る。

「何か飲み物、買ってきましょうか?」

「お、いいな。頼む頼む。久しぶりにホットミルクも飲みたいな」

 俺、何言ってるんだろ…… 確かにホットミルクをしばらく飲んでいないのは事実だ。でも反射的に言ってしまうなんて、俺はどれだけホットミルクに飢えていたんだろう。

「京子、あのこれは」

 ―――ダッ!

 次の瞬間、京子はその場を走り去った。カツカツとしたミュールの音だけが虚しく残った。


 ――――数十分後

「先生、お待たせしました」

 戻ってきた京子の両手にはマグカップ。中身はもちろんホットミルク。こんなクソ暑い日に湯気立ってやがる。

「お前どうやって用意したんだよ」

「近くに友達が住んでいるので、もらってきました!」

 京子が訪ねてきたとき、その友達はどんな苦い顔をしたのだろうか。想像したくもなかった。それにしても京子は友達の家からスタンドまで両手にマグカップを持ってきたのか。勇気あるな。

「とりあえずありがとう。いただくよ」

 俺はアツアツのマグカップを手に取り、口を近づける。口にマグカップをあてた瞬間に早くも熱いと感じていたので中の高温の液体を口の中に流し込んだらどうなるのかは察しはついていたが可愛い教え子が人目をはばからず持って来てくれたのだからここは一教員として肌を脱ぐことにしよう。

 俺はグイっと、ホットミルクを口に含んだ。

「うわああああああああああああ」

「せんせえええええええええ!」


 ――――数分後

「先生ったら、もう少し冷ましてから飲めばよかったじゃないですか」

「でも一度口に向かうコースをたどったら、後戻りはできないだろう?」

 ヒリヒリした口を懸命に動かす。

「全然カッコよくないです。お口の周りが真っ赤じゃないですか」

「そんな、俺だって! 痛っ!」

 勢いよく口を開いたため、やけど後の俺の口は悲鳴をあげた。

「ああ、まだ無理しちゃダメですよ。ふふっ」

 京子は口を抑えながら笑いをこらえていた。

「いててててて……笑うなよ」

「だって面白いんですもん。あはははは」

 もう完全に爆笑していた。人の不幸を笑いやがって…… でも京子って、こんなに笑う子だったっけな?

「ほら、残りのホットミルクも飲んでください」

「あぁ悪いな。いただくよ」

 俺はぬるくなったホットミルクを一気に飲み干した。

 京子もホットミルクも飲み干すと、一息ついた。

「なんか先生といると、楽しいです」

「それは良かったな。来た甲斐もあったんじゃないのか」

「そうですね。受験勉強なんて本当につまんないですから」

「今は走ってないの?」

 別に深い意味は無く、ただ運動をしているのかっていう意味だった。

 でも京子はうつむいている。しかも髪が下りているので表情も見えない。そんなにマズイことを聞いてしまったのかな。

「どうしたんだ?」

「……」

 聞いても返事をしない京子の顔はどうなっているのか、すごく気になった。

「なぁ京子、下向いてちゃ顔が見えないぞ」

「……」

「顔上げろって」

 ちょっと強い言い方をしたためか、京子はゆっくりと顔をあげた。

 やれやれと思って顔を見ると――――

「京子……泣いてるのか?」

 京子は両目から大粒の涙を流し、鼻水もすすっていた。突然のことに驚く俺。とにかく謝ったほうがいいだろこの場合。

「あの京子、ごめん」

「先生、私……まだ放課後に走ってるんです……」

 京子は涙でつっかえながら言った。

「なんだよ、それなら素直に―――――」

「――――駅伝に、出たいから」


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