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俺は高校教師になって駅伝部の顧問をやることになった  作者: 糸魚川孝紀
顧問就任1年目
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今日は雨でも

 学校に復帰した俺は今まで通りの日々を取り戻していた。部活には毎日顔を出し漣、稲穂、サクラの3人を指導している。漣はまだ怪我が癒えずリハビリ中だがそれ以外は特に問題ない。夏の追い込みに向けてじっくり基礎作りってところだ。

 んまぁ問題があるとすれば俺の減俸だ。これについてはもう語りたくないのだがあれで本当に懲りた。もう二度と無断欠勤はしません。心に誓います。給料10パーセントカットは薄月給には堪えた。

 そしてもう一つ、問題というか面白いことの部類に入るかもしれないがサクラのカルチャーショックがヤバイ。

 例えば集合時間。普通の部活動なら集合時間の5分前くらいには全員集合してるのがマナーなわけわけだ。でもこれはサクラには通用しない。彼女は集合時間に平気で30分遅れてきたりする。

 当然俺は教育的立場の人間だから叱るのだがサクラは全く悪びれる様子がない。それだけならまだしも、「ダッテ、ワタシたちのアメリカではこれが普通なのデス。コーチはどうしてアメリカが気に入らないのデスカ!」と俺がアメリカの国民性そのものを否定してる大悪人に仕立て上げられているから困る。さすがにこのときは返す言葉がなくて稲穂に仲裁を頼んでしまった。

 稲穂もすごい奴で、あんなに怒っていたサクラを落ち着かせると数分後には笑い話が始まっている。別に稲穂は誰とでも仲良くなれるっていうタイプじゃないから、要するにサクラとの相性がたまたま抜群だったわけだ。サクラもサクラでいい家に「イソウロウ」させてもらったな。

 でもそれにしたって一番驚くのはサクラの速さだ。駅伝部に入ってから間もないのに関わらず、北信越大会にあと一歩及ばなかった稲穂に練習で勝っている。全米大会に出ているあたりやっぱり力はあるんだなと思った。

 高身長から繰り出されるダイナミックなランニングフォームはまだ雑だが、脚力では間違いなくチーム一だ。これからの練習次第では新人戦や駅伝で上位を狙えるかもしれない。やっぱ外国人ってすげーな…………

 そんな圧倒的な力を見せるサクラに負けじと稲穂もよく頑張っている。京子がいない今、彼女にとってサクラは大きな刺激だ。クラスも家も部活も同じ環境のなかで稲穂がどこまで成長できるのだろうか。


 だがそんな2人に反して心穏やかでないのが漣だ。彼女は県大会で負った怪我の影響で走ることができず松葉杖までついている。全治には1ヶ月かかるそうで7月上旬の県選手権の出場は見送ることとなった。北陸選手権もかかった大会だけあって本人も楽しみにしていたのだが仕方ない。

 今は新人戦と駅伝シーズンに向けて地味に筋トレをする毎日だ。単調なトレーニングの繰り返しだけあってか、彼女のイライラのボルテージは急上昇中。もう最近では会話も楽しくできない。練習で稲穂とサクラがウォーミングアップをしている間は漣と2人きりになるがその時も沈黙。俺のほうも何話したらいいかわかんないから何も話さないでいるが……

 でもたまに、こんなやりとりをすることがある。

「センセー。県大会で私をスパイクで踏んだ人、多分短距離もやってる人だと思う」

「なんでそんなことわかるんだよ」

 たまにしか起こらない会話ということもあり会話をつなげようと努力はしている。

「医者に行ったら、スパイクのピンが5ミリ分も刺さってたって言われた。普通の中長距離用のピンが5ミリでしょ。だとしたら、それより長いピンを使う短距離の人だと思う」

「そう、なるな。でも誰がそんな」

「私もわかんない。でも、準決勝の組で短距離が一番速いのは暁月高校の寺門さんだよ」

 ちなみにこの話をするとき漣はいつも下を向いて俯いている。顔を見られたくないのかなんなのかは知らないが……

「でも彼女はそんなことするようには思えないぞ。礼儀正しそうな子だったし、暁月高校って監督が厳しいからな」

「だけど寺門さん、今シーズンはすごく調子悪そうだった。春先の記録会では私に負けそうになるし、県大会の決勝も3位だったし」

 いつも会話はこの流れになる。そしてそのたびに嫌になってしまう。

「犯人探ししたってしょうがないだろ。県大会の準決勝がやり直しになるわけでもあるまいし」

「ま、誰だっていいけどね。もうどうでもいいや」

「じゃあ何でそんなこと聞くんだよ…………」

 とまぁ後味悪く会話が終わるんだが……

 だけどよく考えてみれば、漣は自分をスパイクで踏んだ人のことがすごく気になっているんじゃないだろうか。復讐とかいう野暮な考えは持たないだろうが実はかなりショックを引きずっていると思う。県大会直後っていうのもあるけど早く何とかしなければ。

 もう少ししたらドクタートップも解除されるみたいだし気も変わってくるだろう。


 そんなこんなで気が付けば県選手権1週間前になっていた。7月とはいえまだ梅雨真っ盛りのこの時期はテスト期間が重なって練習をほとんどやらなかった。というのも県選手権は県規模の大会だけど高体連主催じゃないから直前の練習の許可は下りなかった、っていうこと。仕方なくジメジメと戦いながら職員室でテストの丸つけ作業に終われていた。

 二ノ丸高校のテストは全て記述式だ。教頭の意味不明な改革によってこうなってしまったらしいが現場の教員からの評判はすこぶる悪い。「なんでマークシート方式じゃないんだよ! 政経なんてセンターでしか使わねえだろ! 定時に帰れねーだろ!」なんて言葉を先輩教師からサンドバッグのように受ける午後5時半。教頭だけ都合よく定時に帰りやがったので、彼の悪口が職員室のいたるところで聞こえる。

「知ってますか? 教頭先生には愛人いるっていう疑惑があるんですって」

「マジかよ。相手は?」

「20代女性です」

 ある若手教師がそう言うと職員室中に笑いが起こる。

「うわその女趣味悪―。絶対財産目当てじゃん。ソースは?」

「フェイスブックで調べちゃいましたよ。これがバカな女で、教頭とのデートをアップしてるんですよ」

 そ、そいつはド派手だな……

「教頭の人生詰んだな。早いところ保護者会にちくろうぜ」

「いやこれからですよ。決定的瞬間をカメラに収めないと」

「さすがだなー。はははははは」

 ……教員達は頭がいい。何度もコーヒーを噴出しそうになったわこのやろう。

 職員室でのバカ話は盛りを迎えていたが、俺は急に尿意を催した。トイレに行こうと席を外す。

 廊下に出ると床は濡れていることに気付く。連日の雨の影響だろうか、校内の湿気はかなり高くなっているようだ。外も暗いし不注意で転んでしまわないようにゆっくりと廊下を歩く。

 廊下はかなり暗かった。まだ日は暮れていないが、空が雨雲に覆われているせいだろう。夕方なのに夜のように暗い。誰も明かりをつけていないのが不思議なくらいだ。まぁ俺もめんどくさいから電灯のスイッチはつけないんだけどね。

 教室棟の廊下を進む。テスト期間だし下校時間が近いせいか生徒がいる気配はまるでない。降りしきる雨の音だけが聞こえる。

 廊下の突き当りで右に曲がろうとしたその時、腹部に何かぶつかった。一瞬のことで何がなんだかよくわからず後ろに倒れる。

 しりもちをついて思わす「痛っ!」と言ってしまった。かなり痛かったので立ち上がらずにいたが、ぶつかった相手が話しかけてきた。

「センセ――、大丈夫?」

 漣の声だった。独特の低音の声ですぐにわかった。バカのくせして今まで図書室で勉強してたのか?

「ちょっと待って。電気つけるから」

 彼女はそう言って近くのスイッチをつけると、電灯がついて辺りは明るくなった。それを確認すると俺は立ち上がってズボンの埃をはらう。

「ありがとう。あれ、お前松葉杖はどうした?」

 その時気付いたのだが、松葉杖をついていなかった。しかもそれだけでなく、なんだかいろいろ様子がおかしい。髪はいつもの3倍くらいの長さで「ロングヘア」の粋に達しているし表情も心なしか穏やかだ。いつもの漣とはまるで印象が違う。

「松葉杖? あぁ、お姉ちゃんのことね」

「お姉ちゃん?」

「うん。漣お姉ちゃんでしょ。私、妹の涼風(すすかぜ)っていうの。もしかしてはじめましてかな―――――」

 そういうとニコニコと微笑んだ。な、なんか異常に心地悪いんですけど……

「初めてだけど初めてじゃないような……」

「そっかー。お姉ちゃんとは双子だからなー」

 涼風の外見は漣と瓜二つ。声といい、目、口、鼻、耳までそっくりだ。でもそのくせラフな話し方だからなんだかすごく気味が悪い。表情も朗らかだし。

「あ、センセーって駅伝部の顧問なんだよね?」

 涼風は何かを思い出したかのように話し始めた。

「う、うん。そうだけど」

「私、駅伝部に入りたーい」

 涼風は軽々とCジャンプをしてみせた。意味が分からない。

「てかなんでだよ。そもそも今の部活は?」

「体操部。ザコイくせに練習きついからそろそろ辞めたいと思ってたんだよねー」

 毒舌っ! その辺は漣とそっくりなんだな。

「ねぇいいでしょ? 入れてよー」

 涼風は俺の右腕を掴むと前に後ろにグワングワン振り始めた。突然のことで抵抗も出来ず体を揺さぶられ、その動きに連動し脳内もシェイキングされる。遠のいていく意識……

 いやちょっと待て。意味わかんない。それに何でこんなことされてるんだよ!

 俺は「やめろ!」と大きな声で叫び涼風の手を払った。だが勢いあまって俺の手の軌道は彼女の頬にまっしぐら。

 一瞬、しまったと思った。でもそう思ったときにはもう遅かった。見事に俺の手は彼女の頬にクリティカルヒットしてしまった。

 鳴り響く銃声、静まる街、彼女の目には涙。

「ご、ごめん。ってかこれは事故で」

「ヒドイよ。私だって駅伝部に入りたいのに」

 涼風は手で顔を覆っている。

「でも動機が不純すぎるだろ」

「だってもう本当に無理なんだもん! いくら練習したって試合に出れないし、このままじゃ来年の県予選も出れないよ!」

 涼風は一気に激しい口調になった。さっきまでのテンションはどこへやら、急にシリアスな雰囲気になった。

 二ノ丸高校の体操部はあまり強くない。ここ数年は県大会を超えたことがないレベルだ。しかし顧問は有名体育大学出身でかなり厳しい監督だと噂される。実際退部者もかなり多く、今年の入部者は10人だったが既に3人が辞めていると聞いた。涼風は2年生だからそれを1年以上耐えてきたわけだ。さすがにそろそろ限界なのだろうか。

「しかも体操って個人競技じゃん? 新体操ならともかく、この1年はけっこう辛かったんだ。居残り練習とかもよくあったし」

「それは大変だったな……」

「先生!」

 同情したのが運の尽き。涼風はいきなり俺に抱きついてきた。細い肩が懐に入る。

「え? ちょ、え?」

 彼女は両腕でがっちり俺をホールドし、背中で手を組む。

 あまりのことに驚いたが、さっきのこともあったので振り切れるわけもなく……しばらくその体勢でいた。

 涼風はずっと顔を俺の胸部に押し当てて動こうとしない。名前で呼びかけても何にも言わない。

「ちょ、こんなところを他の教員に見られたらどうするんだよ! いい加減顔を上げろよ」

「やだ。駅伝部に入れてもらえるまでずっとこうしてる」

 さすがに今度ばかりはまずい。見つかったら確実に懲☆戒☆免☆職だ。強引に振り切って逃げることも考えたが漣の妹だしどうなるかわからない。覚悟を決めた。

 はぁ、わかったよ。駅伝部に入れてやるよ」

「本当? やったー!」

 涼風は元気よく飛び跳ね始めた。さっきまでの一部始終は演技だったかと思ったと同時にそれはドン引きだった。

「とにかく、テスト明けから駅伝部に行くから、よろしくね」

「おい、体操部、本当に辞めちゃうのかよ。もう未練は―――――」

「ない!」

 涼風はそうキッパリ言い残すと、その場をスキップで後にした。追いかけようとしたが……なんかもういいやってなった。

 俺は電灯の明かりを消して歩き始めた。廊下を歩いていると職員室からは笑い声が聞こえている。また賑やかになりそうだ。


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