凸劇
県大会からずっと学校に行っていない。
俺は駅伝部の惨敗のショックから立ち直れずにいた。何も考えることが出来ず、来る日も来る日もベッドに寝たままだ。
他の教員に休むことは言っていなかったので携帯には毎日電話がくる。でも出る気になれない。事実上の無断欠勤が続いた。
部屋のカーテンはいつも閉め切り外から様子を見られないようにした。学校から近いこのアパートにいてはいつ部員に顔を見られてもおかしくない。俺は隠れるように生活をしていた。
怖かった。無断欠勤がばれることじゃなく、駅伝部の部員の顔を見ることが。もう部員達には合わせる顔がない。インターハイに行かせてやれずに今年いっぱいで部活がなくなる、なんて言えるはずがなかった。
でもここで顧問を辞めるとも言えない。朝陽に迷惑をかけることになるし、そもそも気まずくてできない。
悩みに満ちた生活を続けているうちに、いつしか心はふさがっていった。
だが1週間経ったある日に転機が訪れた。夕方、俺の部屋のインターホンが鳴った。カメラや音声装置がついていないインターホンだったので急いで玄関に向かう。どうせ宅配便だろうと思い、判子を持って玄関の扉を開けた。
扉を開けた瞬間、まぶしい夕日が差し込んできた。目を瞑ってしまったのは日に当たらない生活をしていたからだろうか。
「先生」
聞きなれた声がした。
目を開けるとそこには制服を着た稲穂が立っていた。思わずドキっとしてしまう。でも幼い瞳は俺を優しく見つめていた。
「先生、お久しぶりです!!!」
稲穂らしいデカイ声だった。久しぶりに聞いたので自然と耳をふさいでしまった。だが稲穂は躊躇することなく話を進める。
「今日は彼女を紹介しにやってきました!」
「彼女?」
「そう、彼女です」
稲穂はそう言うと1人の女の子を俺の目の前に連れてきた。俺の見えない位置から出てきたのでちょっと驚いた。
その子も二ノ丸高校の制服を着ていたが一見して白人の外国人だと分かった。背は稲穂より高めで金色の髪は後ろを結んでいるポニーテールだ。大きな瞳の色は青く透き通っている。大人びた顔つきと制服はミスマッチで、妙に緊張感を覚えた。
「え、えーっと、ナイストゥーミーチュー……でいいのかな? あれ?」
俺は慌てて片言な英語で話し始めた。稲穂はそんな様子を見て微笑ましそうだ。
「サクラ、自己紹介してあげて」
「イエス! ハジメマシテ! 留学生のサクラ・ハーネントといいマス!」
「日本語話せるのかよ!」
俺の努力は一瞬にして散った。
「ワタシ、イナホのクラスメートデス。日本人とのハーフデス。テキサスのダラスから来マシタ!」
サクラは元気に自己紹介すると俺の手を掴んで握手をした。すこし驚いたがその時に彼女の顔を見ると日本人っぽく見えた。やっぱりハーフの子なんだな。
初めこそ少し抵抗感があったものの、握手によって親近感が沸いてきた。
「こちらこそ初めまして。俺は駅伝部の顧問の栃岡翔っていいます。よろしくな」
「イナホ、コノ人がコーチですネ。イナホから聞いたトオリ、カッコイイデス!」
「い、いやぁ。それほどでも…………」
正直、ちょっと照れた。初対面でも、女子高生でも、外国人でも、年下でも誉められるとやっぱり嬉しい。思わず照れ笑いをしながら目を泳がせる。
「先生、実はお願い事があるんです」
稲穂は珍しくモジモジしながら切り出した。
「お願い?」
「サクラを駅伝部に入れてあげてください!!!!」
過去最大級に大きい声を響かせた。
「えぇ! いきなりそんな!」
「ワタシ、イナホがエキデンやるって聞いて、とても感動シマシタ。ワタシもエキデンスキ! 一緒にヤリタイ!」
サクラはエキデンスキ! なのは分かった。だが駅伝部は駅伝に出れない状況なのだ。しかも今年いっぱいで廃部になる部活だし、期待して入ってもらっては申し訳ない。
それに今の俺には新たな部員を抱えることはちょっと気が引けた。
「そう言ってもらえるのはありがたいけど、今はメンバーが足りないから駅伝に出れないんだ」
「デモ、他校トノ合同チームはアルと聞きマシタ」
稲穂とサクラは顔を向かい合わせて、「ねー」とやった。結構仲良しなんだな。
「だけど駅伝部は練習が多くて、帰る時間が遅くなるよ?」
「ダイジョウブです。ワタシ、イナホの家のイソウロウなのでヘイキです!」
要するにホームステイなのか。それにしても、サクラが「居候」という言葉を使っていて驚いた。もしかしてアメリカにも浸透してる言葉なのか? すげーな。
……ってそんなわけないよな。きっと稲穂とその家族が教え込ませたに違いない。越平家がホストファミリーで大丈夫なのか?
「ワタシ、せっかくニッポンにきたので、イナホとかけがえのない時間を送りたいのデス。 ヨロシクお願いシマス!」
「し、しょうがないな……いいぞ。そのかわり練習はハードだぞ」
まったくアメリカ人が観光気分で駅伝部の練習に来られちゃ困るんだ。
「長距離はずっとやってるノデ、得意デス!」
「そうなんだ。自己ベストは?」
「ウェル、1マイルが4分58秒デシタ」
アメリカは1マイルレースが一般的なのか。1マイルレースなんて日本ではほとんど行われないから、ちょっとした文化の違いってやつだな。
えーっと、一マイルは大体1600mだから、1500mだと4分40秒くらいか。ふーん。って、
「速い!」
俺は歓喜のあまり目を輝かせた。やったあ! こんなに速い選手が駅伝部に来てくれるなんて!
全身を震わせながらサクラの手を掴む。もう目から涙が出てきそうだ。顧問を辞めなくて良かった!
でも俺の喜びとは裏腹に、サクラはちょっと引いているようだった。
「イ、一応テキサス代表になったことがアリマス。中学生のときデスが…………」
「更にすごい! ぜひ駅伝部に入って、駅伝に出よう! 合同チームでもいいじゃないか!」
「ダカラそう言ってマス…………」
それを見た稲穂は俺を一瞥する。そして、作り笑顔か分からないような満面のほっこり笑顔になった。
「よかったね、サクラ。これで一緒に走れるね」
「イエス! 本当に良かったデス!」
サクラの先導で彼女達は円になって手を振りながら周り始めた。花畑が似合う幸せな光景だったがアパートの廊下では近所迷惑になるので止めさせた。というか、ビジュアル的に見られると今後このアパートに住みにくくなるのでやめさせた。
そしてもう一度彼女達に向き合うと改めて言った。
「サクラ、これからよろしくな。俺も頑張るから、絶対速くなろうな!」
「イエス。ファンタスティックな毎日にしたいデス!」
「それはちょっと困るけどな」
一体アメリカの女子高生とは日本にどんな幻想を抱いているのだろうか。
「デモ、コーチとステキな毎日を送りたいデス」
「うん。俺もそう思ってるよ。稲穂もありがとな。わざわざ連れてきてくれて」
やっと稲穂の顔を直視できたことに気づいた。わだかまりが少し解けてきたような気がした。
「はい。でも、私が来ようと思ったのではありません。姉貴が薦めてくれました」
「漣が?」
漣の顔が、頭に思い浮かぶ。
部活に来るときの制服を着た漣。練習中負けられない闘志を目に秘める漣。そして県大会で、運ばれていくとこの漣……
「はい。『サクラみたいな速い子を連れていったら、きっと駅伝への情熱も復活する』って。私もそう思って、吉川先生から住所を教えてもらいました。久しぶりに元気な先生の顔が見れて安心しましたよ」
急に涙が出そうになった。
俺が自暴自棄になっている間、駅伝部のみんながこんなに俺を想っていたとは知らなかった。
そういえば朝陽は毎日電話をかけてくれたし、今だって漣も稲穂も俺のことを考えてくれていた。彼女達の頑張りを俺は気付いていなかった。
いや、むしろ勘違いしていたんだ。駅伝部は俺のことを憎んでいると思っていた。でも本当は求めているんだ。顧問を、栃岡翔を。
稲穂の両肩に手を置いて、そっと微笑んだ。
「悪かったな。明日から駅伝部の活動は再開だ。駅伝を見据えた、長い距離の練習をするぞ」
「了解です。姉貴にもそう伝えておきます! サクラも連れて行きますね」
稲穂は微笑んだ。
くそ、情けなさすぎるじゃないか栃岡。
彼女たちが結果を出せなかったからだと落ち込んでいたのは俺。でも彼女たちは、また結果を出せるようにもう動き出していたんだ。
それにようやく導かれた俺。なにが指導者だ、教師失格じゃないか。
……でもこれで、やっと駅伝部を導けるようになる。
県大会は終わったんだ。次に向けて練習しなくちゃな。
見守る大きな陽だまりが、やさしく祝ってくれた。
その日の夜、朝陽に電話をした。久しぶりだったからかなり驚いているようだった。
「心配しちゃったのよ。電話しても出ないから、死んでるんじゃないかって思った」
「実際死にそうだったけどな。でも、稲穂が生き返らせてくれた」
「良かった。情報漏洩も役に立ったみたいね」
朝陽は急にうかがわしい単語を口にする。なにそれ、俺の個人情報が流出してるんじゃないのか。
「ちょ、アパートの場所以外教えてないよな?」
「大丈夫、住所と氏名と年齢と電話番号しか教えてないから」
俺の名前で懸賞に応募する気かよ。でも俺の家に届くならラッキー?
「あと学生時代の恋愛についても――――――」
「ちょ、え? え? 嘘だろ! おい!」
えぇもしかして朝陽お前!俺の高校時代の、黒く真っ黒に塗られた黒歴史を話して―――
「うそうそ、冗談」
「良かった…………」
あぶねぇ冷や汗かいたよ。走ってもないのに汗かくところだった。
初夏の夜風も妙に身に染みる。
「とにかく、駅伝部はこれから秋の駅伝の出場を目指す。とは言っても、合同チームってことでオープン参加になるんだけどな」
「仕方ないよね。でもそれが駅伝部のラストレースになるんならみんなも納得できるんじゃない?」
「そうだな。廃部のことも駅伝が終わってから言って大丈夫だよな。別に部員が陸上を続けられなくなるわけじゃないし」
「ただ駅伝部がなくなるだけだしね」
朝陽には悪気はなかったのだろうが、その言葉がやけに心に残った。
駅伝部がなくなる、ただそれだけだ。陸上部と統合したって、部員がいなくなるわけでも、死ぬわけでもない。駅伝にも出れる。
でもそれは嫌なんだ。やっぱり駅伝部じゃないとダメなんだ。
もちろん、部員がたくさんいて色んな種目をする陸上部を否定しているわけじゃない。だけど何故だろう。なんで受け入れられないんだろう?
「―――――もしもし、聞こえてる?」
「あぁ、ちょっと考え事してた」
「考えるなんて翔らしくないよ。いつも生きることしか頭にないのに」
俺はいつもどんな切迫した状況にいるんだよ。まぁ教員、給料安いのはマジなんだけどね。
「あ、言うの忘れてたんだけど、出勤できるようなら最初に教頭のところに行くようにって社会科の富永先生に言われたわ」
「教頭に何の用が?」
「始末書」
禁断の言葉が表象する。
「―――教員が1週間も無断欠勤したら懲戒免職になってもおかしくないわ」
目の前が真っ白になった。ちょうかいめんしょく?
こんな心境はあの時以来だ。小学生の時、サッカーをしてたら近所の家の窓ガラスを割ったことがあった。あのあと謝りに行く死亡寸前の心境、それに似ていた。あの頃は小学生だったから怒られるだけで済んだけど、今回はレベルが違う。減俸やそれこそ懲戒免職などモロに俺がダメージを食らうことになる。
「おい、嘘だろ」
「今度は嘘じゃないゾ♪ じゃあそういうことで。お休みー」
「寝れるわけないだろ!」




