第九話 密室への潜入
※10/21 窓の描写を修正しました。
次の日、朝早くから出かけたラインハルトを見送り、ジェシカはガーヴィスと共に再びアウスタット伯爵邸を訪れていた。
夜明け前に降った雨のせいで、庭の花々がしっとりと濡れ、甘い香りがより一層強く漂っている。
ラインハルトが昨晩の約束を守ってくれたおかげか、馬車の中ではガーヴィスも特にジェシカに厳しい言葉を向けることはなかった。それをいいことにジェシカは馬車内でガーヴィスにある提案を持ちかけていた。
「じゃあガーヴィスさんは計画どおり、よろしくお願いします」
「どうして俺がそんな真似を……」
「私だって閣下に頼まれたので、お願いするのは心苦しいんですよ。でももしガーヴィスさんがどうしても無理だと仰るなら、改めて閣下に頼みますね」
「くっ……なんて奴だ」
ここそとばかりにラインハルトの名を持ちだすと、ガーヴィスは苦虫を嚙み潰したような顔に変わる。
「……わかった。ただし、うまく行かなくても文句は言うんじゃないぞ」
そう言いながら、ガーヴィスは重いため息をつきながら玄関のノッカーを叩いた。
§
ガーヴィスの姿が応接室に消えた少し後、ジェシカは先日入ることが叶わなかったオリヴィアの部屋に足を踏み入れていた。
(ガーヴィスさんもなんだかんだ言いながらも、提案に乗ってくれて助かったわ。ちょっと見直したかも)
ジェシカが馬車の中でガーヴィスに持ち掛けた提案――それは彼がミレーユを引き付けておく間に、ジェシカがオリヴィアの部屋に忍び込むというものだった。
ミレーユにはきっと部屋に入られると困る何かがあるのかもしれない。そう考えたジェシカは、彼女に見つからないように一人で部屋の調査をすることにしたのだ。その間、ガーヴィスにはミレーユと会話していてもらえないかと頼んだのだ。
(『無礼を働く人間は苦手だ』とか言ってたけど、いったいどんな話をするのかしら。後で聞いてみましょう)
そんなことを思いながらジェシカはオリヴィアの部屋を見渡した。
まず目に飛び込んでくるのは、正面に設けられた大きなガラス窓と、その向こうに広がるテラスだった。大きな窓から入り込む陽光が淡いクリーム色の壁紙に反射し、室内を優しく包み込んでいる。
そして同じ色調で揃えられた家具たち。壁際のベッドは美しいレースのカバーで覆われ、反対側には繊細なレリーフがあしらわれたドレッサーがおかれていた。そのどれもが、この部屋の主がいつ戻って来ても良いように美しく整えられていた。
(ドーナさんが掃除を続けているのかしら……。埃ひとつない)
ジェシカは音を立てないように進むと、何気なくドレッサーの天板を撫でた。二度と部屋の主は戻ることがないのに、清潔さが保たれている。揃いの家具も伯爵夫妻のオリヴィアへの思いが伝わってくるようだった。
(愛されていたのね、オリヴィアさんは……)
胸の奥に感じるかすかな痛みを吐き出すように、ジェシカは大きく息を吐いた。
(さあ、さっそくやりましょうか。何か手がかりが無いか探さないと!)
気を引き締め直し、ジェシカはドレッサーの引き出しに手をかける。
四段ある一番上の取っ手を引くと、思いのほか軽い感覚が伝わってきた。
(あれ、意外と物がない?)
一番上の引き出しに入っていたのは、持ち手の一部が欠けたブラシと、ひびの入った手鏡だけ。手鏡を取り上げると、その表面には薄く指の跡がついている。最近まで使われていたようだ。
他の引き出しも次々と確認していくが、中にあるのは古びたハンカチや髪飾り、皺のよったリボンがぽつぽつとあるだけで、必要最低限のものしか残されていない。
(どういうこと? あまりにも物がないわ。まるでうちの事務所みたい……)
悲しいかなゼント探偵事務所は、家賃捻出のために備品を次々売り払っているせいで、お金にならない使用感のある品ばかりが残る有様だ。このドレッサーはそんな事務所を彷彿とさせる。
たとえオリヴィアが物をあまり持たない性格だったとしても、これは不自然なほど少ない。まるで何者かが意図的に処分したようにさえ感じられる。
(オリヴィアさんが死を前に処分した? それとも他の誰かが……)
そんなことを思いながら顔を上げると、ドレッサーの鏡越しにベッド横の窓が目に留まる。
(あの窓がオリヴィアさんが転落した窓……)
ジェシカは静かに歩み寄ると窓に手をかけた。上下に窓ガラスが並び、下の窓をずらし上げて開くタイプらしい。音を立てないように気をつけながら持ち上げると、下の窓がジェシカの上半身がようやく出るくらいに開く。
(もし争いながら落とされたなら、相手と向かい合いながら後ろ向きに落ちて行くわよね。でもそれだとかなり無理な体勢にならないと無理だわ)
ジェシカは背を反らせてみたが、直角に近いほど反らなければ窓枠から体が出ない。しかも窓際まで押しやられてからでは、ガラスに頭がぶつかってしまうせいで、その姿勢を取ることができない。
それなら、と窓枠に足をかけて乗り越えようとするも、足をかけた段階で体がつっかえてしまう。平均的なジェシカの身長でその状態だ。大人が難なく通るには無理がある構造だった。
(だとしたら上半身を自分で乗り出して落ちたか、もしくはその姿勢で突き落とされたってこと……)
しかし部屋の奥には広いテラスがある。もしジェシカが自ら飛び降りようとするなら間違いなくそちらを選ぶだろう。
(んんっ? どういうこと?)
不可解な状況にジェシカが首を傾げていると、ぶわっと窓から強い風が吹き込んできた。瑞々しい花の香りに包まれる。次の瞬間、ジェシカは突然鼻のむず痒さに襲われた。
「ふわ……っ」
(ま、まずい……! くしゃみが出そう――)
必死でくしゃみを堪えながら、先日のラインハルトとガーヴィスの発言を思い出す。
『ずびばぜん……花粉が飛んでいるのか、くしゃみが――っくしょん!』
――花粉!
きっと風が吹き込んだ中に花粉が多く含まれていたのだろう。普段は平気でも一気に入り込んだ花粉をジェシカの鼻は異物と捉えたのだ。
ここでくしゃみをしてしまえば作戦は台無しだ。次々押し寄せる衝動を必死で抑え、何とか最大の波をやり過ごす。
「――ふぇっ……ふぅ……」
何とか堪えた……ジェシカがそう安心した時だった。鼻先をふわりと花の香りが通り過ぎて行く。
「――っ!」
§
一方その頃、アウスタット伯爵邸の応接室で向かい合って座るガーヴィスとミレーユの間には、得も言われぬ重い空気が漂っていた。
「……」
「……」
向かい側のソファに背筋を伸ばして座っているミレーユは微動だにしない。時間にすれば十数分という短い時間ではあるものの、ガーヴィスにとっては、もう何時間もこうして向かい合っているような気分だった。天気の話も、庭の花々の話もひと通り終わり、話題が尽きてしまって今に至る。
(いったいいつまで続ければいいんだ……。それにしてもあの女、少しは遠慮というものを知らないのか? 俺だって貴族だぞ。普通ならもっと恐縮するもんじゃないのか?)
ジェシカが悪い人間じゃないことは感覚的にわかる。しかし、探偵とはいえジェシカは平民だ。貴族への無礼な態度は見過ごせるものではない。けれどラインハルトはなぜあの少女に信頼を置いている。今日だって王城からの呼び出しがあったにもかかわらず、ガーヴィスはジェシカの付き添いを命じられた。
(緊急の呼び出しだ。危険が伴う可能性が高いのに、護衛の俺に『彼女に付き添ってほしい』などと……。もしラインハルト様に何かあれば、俺はどうすれば……)
落ち着かない気持ちでガーヴィスは視線を持ち上げた。すると、ミレーユの厳しい眼差しもまたこちらを向いていた。
視線がぶつかった拍子にミレーユの頬が引きつる。
「……で、本当の用件は何ですか?」
「え?」
ミレーユは苛立ちを露わに言い放つと、早口に続けた。
「庭が美しいだとか、天気が良いだとか、本当はそんなことを話しに来たわけではないですよね。どうせお嬢様の件について、私を疑っていらっしゃるのでしょう? そのくらいわかっております!」
「いや、そんなわけでは――」
「私とダニエル様の噂をお聞きになって、探偵なんか連れて来たんでしょう。けれど残念ですが、私とダニエル様の間には何もございません!」
まさかミレーユ自身からその話題が出るとは思わずガーヴィスは驚いた。
ミレーユは視線を泳がせながら、親指の爪を噛んでいる。その指先はわずかに震えていた。
「お嬢様が亡くなったのはすべてダニエル様のせいです! 私は関係ありません!」
「ダニエル様のせい?」
ガーヴィスが思わず聞き返した瞬間――
「――ぇっくしょん……!!」
「っ、誰っ?!」
階上から聞こえた突然のくしゃみにミレーユの肩が大きく揺れた。
間違いない、この声はジェシカだ……。ガーヴィスは頭を抱えたくなった。
次の瞬間、ミレーユは勢いよく立ち上がり、怒りに吊り上がった目でガーヴィスを睨みつける。
「あの探偵ね……あなたたち、私をはめたのね!」
「――ま、待ってくれ!」
ガーヴィスが止めるのを聞かず、ミレーユは乱暴に扉を開けると二階に向かって駆け出した。
お読みいただきありがとうございます。
次話は明日21日朝7時更新予定です。




