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公爵閣下のご依頼は花の香りと共に  作者: 青戸部ラン


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第十話 蔓延する闇

 ジェシカがオリヴィアの部屋に足を踏み入れたのと時を同じくして、ラインハルトの姿は王城の一室にあった。

 窓の外には王都の街並みが広がっているが、今この場にいる者たちにとってその景色は目に入っていない。

 机を挟んでラインハルトに向かい合っているのは、王国騎士団長レオポルド。騎士団の精鋭を束ねる男らしく、鍛え上げられた体躯と鋭い眼光を持つ。だがその顔には疲労の色が見えた。


「閣下、ご協力ありがとうございます」


 レオポルドが礼を述べると、ラインハルトは無言のまま軽く頷いた。長い指で手元の調査書をめくると、そこに記された内容に目を走らせる。


 近年、この国では秘密裏に取引される薬物の存在が深刻な問題となっていた。その薬物を摂取すると陶酔感や幻覚作用が起こり、非常に強い快楽をもたらす。だが、その代償として精神や肉体を蝕み、摂取を繰り返せばやがて廃人と化す。依存性も極めて高く、一度でも体験した者は自らの意思では抗えなくなるほどだった。


 すでに王都の一部では密かに流通していることが判明していたが、問題はそれが王城内にまで入り込んでいることだった。この事態を憂慮した国王は、騎士団長に勅命を出し、徹底的な調査と摘発を命じていた。


「なるほどね……。あのメイド、泳がされていたんだ」


 ラインハルトは書類の端を指先で軽く叩きながら、昨日王城の中で出会った不審なメイドの姿を思い返した。

 ジェシカが声をかけたメイド――ロアンナの名が書類に記されている。どうやら彼女は薬物を常用的に使用していることが把握されており、捜査のために監視されていたようだ。

 

「はい、少し前に把握しておりました。表には出ないよう命じさせていたのですが、お見苦しいものを失礼いたしました」

「禁断症状を起こすとああなってしまうんだね。で、給金が支払われると彼女はすぐに取引場所に行く。今日がその日というわけか」

「はい。そのため急な要請になってしまい、申し訳ございませんでした」


 レオポルドはそう言って頭を下げた。


「気にしないで。こういう時に公爵の立場を使ってもらわないと、僕の存在意義がなくなっちゃうからね」

「閣下のご協力には心より感謝しております。陛下の御意志が正しく国民に伝わるためにも、公爵家のお力添えが不可欠ですので」

「そう言ってもらえるなら、なおさら協力のしがいがあるね」


 公爵家の当主という立場上、王家や騎士団からの要請を受けることは少なくなかった。公爵の権威や信頼によって行動の正統性が高まり、また公爵家が持つ財産や人材が問題解決に大きく役立つからだ。それが社会秩序を守るためのものであるならば、ラインハルトはその立場を利用されることを厭わない。

 だが――

(失敗した時の責任は、僕がすべて負うことになる……。まったく、都合のいい話だよ)


 レオポルドの気づかわしげな眼差しを無視し、ラインハルトは小さく息を吐くと再び書類に目を落とした。

 

「……で、現場は王都二区の調香店か。……なるほどね。香に薬物を混ぜて使っていたのか。痕跡も残りにくいし、うまい隠れ蓑を見つけたものだ」

「普通の香の三倍の金額で販売されているそうです。特に女性によく効くものが主流だとか。金の調達のため犯罪に手を染める者も多く、害悪そのものです」

「そして薬物流通に手を貸していたのは、やはりリズモンド家だったか……」

 

 冷たく言い放つラインハルトの低い声に怒りがにじむ。

 調査書にはリズモンド家の現当主――つまりダニエルの父の名がはっきりと記されていた。

 代々リズモンド家は貿易商人組合と関係が深く、広い影響力を持つ家門だった。しかしダニエルの父の代になり、財政が一気に傾き始める。


「はい。現地からの報告によれば、借入金だけで領地予算の三年分にあたるほどだったとか」

「そこで違法取引に目をつけたのか……いや、目をつけられたと言った方が正しいかな」

 

 財政難にあえぐリズモンド家にとって、莫大な利益を生む薬物流通はさぞかし魅力的だったはずだ。

 だが、それは同時に逃れられない罠でもあった。最初こそ軽い気持ちで関わりを持ったものの、次第に後戻りできないほど深く取り込まれていったのだろう。

 調査書には複数の商会がリズモンド家に融資を行い、その担保として違法取引を見逃すよう指示していた形跡が記されている。もはや財政を立て直すどころか、違法取引から手を引けば家そのものが破綻する状況に陥っていたのだ。


「流通を担っていたのは商業組合の一部と、リズモンド家の財政を支援していた業者たちだと見られています。彼らにとっては、リズモンド家が借金を抱えていたほうが都合が良かったのでしょう」

「……間抜けな話だ。目先の欲にとらわれ、由緒ある家を自ら破滅に導くんだから」


 無意識に眉間に力がこもる。

 その一言にレオポルドは眉をひそめながらも、小さく頷いた。


「リズモンド家の取り潰しは免れないでしょう。王命として正式に決定されるのを待つだけです」


 ――取り潰し。その言葉に重苦しい沈黙が部屋を包む。

 きっと当主リズモンド伯爵は厳しい取り調べの後に処罰されるだろう。父に加担していた長男も同様だ。

 一方、王都で見張られている次男のダニエルはどうなるのか。関与の証拠が見つかれば、彼も処罰は免れない。もし無関係だったとしても、彼が伯爵家の名を名乗ることは二度とできないだろう。貴族として生まれ、育ってきた者が突然その身分を剥奪される。厳しいの一言では済まない人生が待っているはずだ。


(もしオリヴィアの死に関わっていなくても、十分すぎる罰だな……それに疑惑が上がった時点で婚約解消になっていただろう)


 姉ベルウィッタは、昔から「公爵家の血筋」と「貴族としての誇り」を重んじる人だった。そのため溺愛するオリヴィアにも幼い頃から「この血筋に恥ずかしくないよう生きなさい」と厳しく言い聞かせていたのを知っている。そしてオリヴィアも常に母に相応しい娘であろうと努めていた。


(そんな二人がこの件を知れば黙っていないはず。しかし……だからこそ、ダニエルが結婚を急ごうとしていたのだとしたら――)

 

 その時、部屋の扉を叩く音が聞こえ、ラインハルトは意識を引き戻された。メイドが動き出したという報せだ。

 

「閣下、お時間です」

「ああ……」

 

 ラインハルトは書類を脇に置き、立ち上がった。向かうは薬物が取引されているという調香店だ。

 ふと窓の外に目を向けると、いつの間にか厚い雲が空を覆っていた。


(彼女たちは大丈夫かな……)


 アウスタット伯爵邸に向かったジェシカたちはうまくやれているだろうか。真っ直ぐにラインハルトを見つめる栗色の瞳が脳裏をよぎる。


(まあ、心配いらないか。彼の娘なんだから――)


 ジェシカによく似た瞳の持ち主を思い出しながら、ラインハルトは顔を上げた。


「じゃあ、行こうか」

「はっ」


 厳しい表情のレオポルドに声をかけ、ラインハルトはシューゼノクト公爵家の紋章が入ったマントを翻した。



お読みいただきありがとうございます。

次話は明日22日朝7時更新予定です。

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