第七話 悲痛な叫び
※10/21 表現を少し修正しました。
窓から差し込む光からは、外の穏やかな陽気が伝わるようだった。しかし部屋の中の空気は冷たく重い。ダニエル・リズモンドは陰鬱な空気の中、一人静かに椅子に座っていた。
ダニエルはジェシカたちの入室に顔を上げ反応したものの、立ち上がる気力は無いようだった。少しだけ顔を上げ、虚ろな視線がジェシカ達を順に捉えていく。
そんな中、ラインハルトは表情を崩さず一歩前へと踏み出した。
「やあ、元気かい」
「はい……」
掠れた声が小さく響く。
「ご実家は大変そうだね。違法取引についても全て明らかになればいいんだが……」
「……ええ。お騒がせして申し訳ありません」
ラインハルトの皮肉にダニエルは力なく答えた。何もかも諦めたような態度のダニエルに、ラインハルトの横顔にわずかな苛立ちが浮かんだ。
「それはそうと、そろそろあの日の話をする気になってくれたかな」
「私が話せることはすべてお話しました……」
「いい加減正直になろうよ、ダニエル。一時は親戚になるかもしれない関係だったじゃないか」
ラインハルトの笑顔は崩れなかったが、その眼差しにはじわりと威圧感が滲んでいる。肩を強張らせたダニエルを見て、ジェシカは思わず間に割り入った。
「ダニエルさん、初めまして。私はジェシカ・ゼント――探偵です」
「探偵……」
ジェシカが発した“探偵”という単語にダニエルの目に少しだけ力が宿る。
「僕が雇ったんだ。オリヴィアの死の真相を知るために」
「そうですか……」
しかしラインハルトが間髪入れずに言葉を投げると、ダニエルは小さくため息をつき、俯いてしまった。
だがその一瞬、確かにダニエルはジェシカに希望を持っていた。わずかな光が消えてしまわないうちにと、ジェシカはダニエルの足元にしゃがみ込んだ。そして彼の目を覗き込み、穏やかに問いかける。
「ダニエルさん、私は真実が知りたいんです。良かったら教えてください。あの日、あなたが見たことを……」
「わ、私は――」
真っ直ぐにダニエルを見つめると、髪と同じ色の瞳が揺れた。
「……私は、何も見ていないんです。部屋に行くと誰もいなくて……もしかして掃除中だったかと思って、すぐに夫人の元に戻りました。本当にそれだけなんです……」
そう言うとダニエルは何かを飲み込むように瞳を伏せた。
――何も見ていない。それはラインハルトやドーナが語った内容と同じものだった。
しかしジェシカはある言葉が気になっていた。
「どうしてそう思われたんですか?」
「え?」
問いかけられるのが予想外だったのか、ダニエルが目を見開いた。
「どうして『掃除中』だと思ったんですか? 誰かがいたとか? オリヴィアさんがただ不在だった可能性もあるじゃないですか」
「あ、ああ……それは、部屋の窓が開いていたので」
「窓?」
ジェシカはオリヴィアの部屋をまだ見ていないことに気づいたものの、すぐにラインハルトが補足してくれる。
「ベッド横にある窓のことだろう。オリヴィアはそこから転落した」
「ああ、あの窓の事ですね」
ジェシカは外から見上げた窓を思い出す。あまり大きくない窓だが、空気を入れ替えるのには十分だろう。
「花粉が入って来るからと、この時期は閉めっぱなしで。開けるのは掃除の時だけだったと記憶していたので」
「だから“掃除中だと思ったと”……」
その時、ラインハルトのため息が響いた。
「まったく、まどろっこしいね。で、君はその窓からオリヴィアを突き落としたんだろう?」
「ち、違います……!」
ラインハルトの言葉にダニエルはがばっと顔を上げ、必死の形相を見せた。だがラインハルトは冷たく言い放つ。
「犯人は殺したと正直に言わないものだと思うけど?」
「本当です! 閣下、信じてください!」
ダニエルは激しく首を振る。体が小刻みに震えていた。
どうやらラインハルトはこの一件になるといつもの冷静さが失われてしまうのようだ。どうしてもダニエルを犯人にしたいらしい。けれどそうだとしたら、なぜ……
「あのー……」
控えめに口を開くと、二人の視線がジェシカに向けられる。
「ちなみになんですけど、オリヴィアさんが自ら命を絶ったと言われているのはどうしてなんですか? 状況的には一番ダニエルさんが怪しいし、閣下が疑えば証拠が曖昧なままでも犯人に仕立て上げられるじゃないですか」
「そうだね……確かに僕ならできる」
「そ、そんな……」
ラインハルトの返答にダニエルの顔が強張った。しかしラインハルトは悔しそうに「でも……」と続けた。
「オリヴィアの死因を自死とするように命じたのは義兄上だ」
「アウスタット伯爵が?」
意外な人物の名にジェシカは内心驚いた。アウスタット伯爵はオリヴィアの実の父親だ
ラインハルトは続けた。
「その時外出していた義兄上にすぐ連絡が行き、その後は義兄上がすべて取り仕切ったんだ。僕も最期に別れの言葉を告げたかったんだが、オリヴィアの遺体は早々に埋葬されていた」
「じゃあ現場や遺体の状況は誰が確認したんですか?」
「現場を見たものはいるだろうが、詳しい状況を知っているのはきっと義兄上だけだろう……。姉上の目に触れないように、オリヴィアの姿はすぐに運び出されたというから」
そう語り、ラインハルトは眉をひそめた。
「そしてダニエルが無実だと断言したのも義兄上だ」
「え……っ?」
その言葉を聞いたダニエルはうつむいて、ジッと何かを堪えているようだった。
どうしてこうも後から大事な情報が増えて来るのだろう。
ダニエルの証言は矛盾しているわけではないが、ラインハルトはそれを信じていない。そしてオリヴィアの父であるアウスタット伯爵がダニエルを無実とし、オリヴィアは自死として処理するよう動いていた。そして昨日会ったミレーユの必死な様子。
(伯爵の行動も先生と同じで、何かを隠したかったようにも思える。でももしダニエルさんを庇っているのなら、もっと違う方法を取るはずだけど……)
一体、伯爵は何を隠そうとしたのか?
それとも隠す必要すらないほど、全てを知っていたのだろうか?
「う、うう……オリヴィア……っ!」
感情を抑えられなくなったのか、ダニエルはジェシカたちの前であるのも気にせず、嗚咽を漏らし始めた。
悲痛な声を聞きながらも、ジェシカの頭の中は次々と浮かぶ疑問でいっぱいだった。
アウスタット伯爵が急いで死因を自死とした理由は? 本当にダニエルは何も知らないのか? ミレーユのあの態度は? そしてオリヴィアは何を思いながらあの窓の前に立ったのだろう……。
ジェシカは先の見えない霧の中に迷い込んでいくような感覚に襲われていた。
§
「あまり収穫はなかったかな」
「いいえ……会わせてくださってありがとうございました」
元来た大理石の廊下を歩きながら、ラインハルトが疲労の滲むため息をついた。
短時間の面会だったにも関わらず、ジェシカも疲労が濃かった。体が重いのは緊張が緩んだせいもあるが、次々と積み重なっていく情報の重みがのしかかっていたからだ。しかし今はそれを整理する余裕もない。ただラインハルトの歩みに合わせて足を動かすことに集中する。
「ダニエルさんはこれからどうなるんですか?」
「全て領地での調査次第だ。結果次第ではリズモンド家は取り潰し、彼も罰せられるだろうな」
「そう、ですか……」
ジェシカは小さく息をついた。ダニエルの言葉が真実を語っていたのか、それとも何かを偽っているのか、まだ判断がつかない。
(でも彼は、オリヴィアさんを確かに愛していたと思う……)
彼の悲痛な叫びは偽物だとは思えなかった。
でも今はあれこれ考えるより、これからやることを整理していかなければ――そう思った時、視界の端で何かが動いた。
柱の陰に誰かが座り込んでいる。ちらちら見える水色の生地は、城のメイドが着ていたものに似ていた。体調でも崩したのだろうか。
「ちょっと、ごめんなさい……」
「どうした?」
ジェシカはラインハルトの腕を離すと、急いで人影の元へ向かった。近づくにつれ、メイドがブツブツと何かを呟いているような声が聞こえて来た。
「もうだめ……でもあしたには……」
「大丈夫ですか? 具合悪そうですけど」
覗きむと、座り込んでいたのはやはりメイドだった。膝を抱え、小さく肩を震わせている。
ジェシカが声をかけると、それまで独り言のようなものを呟いていたメイドは喋るのを止め、びくっと肩を揺らして顔を上げた。その顔色は真っ青で、額には玉のような汗が浮かんで灰色の髪が張り付いている。
「あ、いえ。何でもないんです、ごめんなさい」
「何でもないわけないじゃない。ひどい顔色よ」
「どうしたんだい?」
そこにラインハルトたちも駆け寄ってきた。メイドはラインハルトとガーヴィスの姿を見た途端、慌てて立ち上がろうとする。しかし足元は覚束ない。ジェシカはよろめくメイドに思わず手を差し出した。
「だめよ、少し休んだ方がいい――」
「放っておいて! ……あっ」
振り払われた手がバンッと乾いた音を立てる。ジェシカは驚き、呆然と手を見つめた。
一方、呆気にとられているジェシカに気づいたメイドはようやく自分の状況に気づいたらしい。愕然とした表情に変わると、勢いよく頭を下げた。
「――っ! も、申し訳ございません!」
「あ、待っ……行っちゃった」
そしてジェシカが声をかける前に走り去ってしまったのだ。背後ではガーヴィスが「なんだあのメイドは!」と憤りの声を上げている。
メイドが走り去る背中を見つめるジェシカの鼻先を甘い香りがくすぐる。
――いい香り。その香りはアウスタット伯爵家を思い出させるものだった。
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