第六話 カロシュア城へ
一夜明け、ラインハルトたちの前に現れたジェシカの目の下には、くっきりと隈が浮かんでいた。
「あまり眠れなかったみたいだね」
「平民はあんなにふかふかなベッドで寝ることなんてありませんからね……」
苦笑いを浮かべるラインハルトに、ジェシカは恨みがましく呟いた。
昨夜、期せずして公爵邸を訪れることになったジェシカは、高位貴族の豪華すぎる環境にひたすら翻弄されていた。
羽毛のベッドは柔らかすぎて逆に落ち着かず、準備された部屋は何か物音を立てると反響するほどの広さだった。気分転換にとテラスに出てみるも、街中とは違う静けさが背中をむずむずさせた。
そして何より、部屋を一歩出ればどこにいても感じる視線……。
(何をしていても、ずっと誰かに見られているんだもの。着替えやらお風呂くらい一人でできるわよ。それにようやく食事だと思ったら、ナイフとフォークがどうしてあんなにいっぱいあるの? 手は二本しかないじゃない! 気楽に大口あけてパンを頬張りたいわ)
なぜラインハルトがジェシカを自邸に招いたのかはわからない。もしかして今夜も同じように引き留められるのだろうか。
はぁ、とため息をついていると、ジェシカは自分をじっと見つめる青い瞳に気づいた。
ラインハルトは真面目な顔でジェシカを見つめながら、じりじりと近づいてくる。
「な、なんですか……?」
後ずさりするもラインハルトはどんどんと近づいてくる。しかし急にピタリと止まると、一人納得したように頷いた。
「うん、少し化粧をしてもらうと良いね。ねえ誰かお願いできるかな」
――なんてこと!
人の顔をしげしげと覗き込んだ挙句、化粧が必要だなんて失礼にも程がある……。
「必要ありませんって! 私なんかが化粧しても意味ないですよ」
「いや、どうせなら服もちょうど良さそうなのを見繕ってくれるかな。姉上が着ていたのがどこかに残っているよね? 彼女に似合うと思うんだけど……」
そう言ってラインハルトは楽しそうにメイドたちに指示し始めた。
ああ、もうなるようになれ……。きっとラインハルトはジェシカが何を言っても聞く気はないだろう。もはや慣れつつある彼の強引さにげんなりしていると、「それに……」とラインハルトが振り返った。
「今日行く場所が場所だから、少しは整えていた方がいいと思うんだ」
「ダニエルさんの所ですよね?」
「そうだよ」
「でも、昨日アウスタット伯爵家にお邪魔した時は何も言わなかったじゃないですか」
ジェシカの文句にラインハルトは少し考えるような顔をした後、あっさりと言い放った。
「だけど彼は今王城にいるからなぁ」
「お……王城っ!? どうしてそんな大層な場所に私なんかが行くんですか!?」
ジェシカは思わず飛び上がった。
王城――カロシュア城。この国の中心で、国王陛下がおわす場所。平民であっても王都暮らしなら毎日目にしているものの、一生のうちに足を踏み入れることがあるかどうか……という場所だ。
急な展開に焦るジェシカに、ラインハルトがさらに思いもよらぬ発言を口にした。
「リズモンド伯爵家は少し前から財政難に陥っていてね。諸々支払いが滞っているところに加えて、最近違法取引の疑惑が上がったんだ」
「違法取引……?」
「ああ。リズモンド伯爵が関わっている可能性が高いとみられている」
突然の不穏な単語にジェシカは顔が強張るのを感じた。
「ダニエルの父親は領地にいて、そっちで長男と共に役人に監視されている。で、王都にいるダニエルは証拠隠滅に加担しないよう、王城で監視されることになった……というわけさ」
「それって、もう完全に犯人扱いじゃないですか」
「そうだね。でもオリヴィアの件も聞かないといけなかったし、僕には好都合だったよ」
その言葉にジェシカは昨日のアウスタット邸での出来事を思い返す。
あのむせ返るほどの花が香る庭で起こった事件。一晩考えたがやはりダニエルの犯行とするには不自然な点が多い。
しかしラインハルトの笑みの裏で燃え上がる激しい怒りに気づいたジェシカは、「そうですか……」と曖昧に頷くことしかできなかった。
§
カロシュア城の門が開かれた瞬間、ジェシカは馬車の中で思わず息を呑んだ。
眺めるだけだった城が目の前にある。
高くそびえる白亜の塔に、繊細なレリーフが美しい柱。等間隔に立つ衛兵たちの厳しい眼差し。遠くから眺めるだけでも十分すぎるほどの威圧感がある場所だったが、こうして実際に足を踏み入れると、その迫力は何倍にも増していた。
公爵家のメイド達の手によって化粧を施され、ドレスを着せられたジェシカはそれなりに見られるようになっているとは思うが、思わず尻込みしてしまう。
「……本当に入っていいんでしょうか、私?」
「ああ、もちろん。君が来ないと話にならないよ」
ラインハルトは軽く肩をすくめて笑った。
そうしている間に馬車は正門をくぐっていく。彼のような身分の者にとっては慣れた場所なのだろうが、ジェシカにとっては異世界に踏み込むような感覚だった。何しろここは王族や高位貴族が出入りする場。平民が許可もなく入れば、あの屈強な衛兵たちに一瞬で捕らえられてしまうだろう。
「はぁ……緊張する」
「あまり気負うと逆効果になるぞ」
そこで口を挟んだのはラインハルトの横に座るガーヴィスだった。
「ラインハルト様の同行者としての許可は取っているから安心しろ。けれどラインハルト様の顔に泥を塗るような真似をしてみろ。その時は俺がすぐにつまみ出すからな」
「ガーヴィス。それじゃあ安心させたいのか、脅したいのかわからないよ」
「あ、はは……頑張ります」
厳しいガーヴィスの眼差しに苦笑いで答えながら、ジェシカは何が何でも転ばないようにしなければいけないと心に誓った。
しかし王城に降り立ってからは、ジェシカが思っていたよりもスムーズに事が進んだ。
事前の連絡があったおかげか、出迎えた人々がジェシカを変な目で見ることはなかった。
マナーだからとラインハルトにエスコートされながら長い回廊を進む。揃いの水色のワンピースに純白のエプロンを身にまとうメイドたちは、三人の姿を認めると壁際に寄って頭を下げた。その前をドキドキしながら横切ると、壁一面に飾られた歴代国王の肖像画が現れた。豪奢なタペストリーも掛けられている。床の大理石は磨き上げられ、まるで鏡のようにジェシカの姿を映し出していた。
だが段々と雰囲気が変わってくる。何度も扉をくぐるうちに、周囲の調度品や装飾が少なくなってきた。窓も減り、飾り気のない廊下を進みながら、ジェシカはラインハルトに尋ねた。
「なんだか雰囲気が変わって来ましたね」
「ああ。ダニエルは奥に……みんなの目に触れないように置かれているから」
淡々と語るラインハルトの表情からは、隠し切れない怒りが伝わってくる。
普段、意地が悪いものの冷静で聡明なラインハルトだが、どうやらオリヴィアの事となると感情に飲まれてしまうらしい。
(大切な姪なんだろうけれど、少し落ち着いてもらわないと困るわね)
オリヴィアの死の真相を突き止めたい一心なのだろうが、あまりに強すぎる感情は目を曇らせる。
ラインハルトの横顔を見ているうちに、ジェシカは心が静まっていくのを感じた。探偵は冷静でいる必要がある。とはいえ父ジェームズはすぐ熱くなるタイプだったから、いつもジェシカが落ち着かせていたことを思い出す。
見た目や身分は全然違うけれど、ラインハルトとジェームズは少し似ているかもしれない――そんなことを思っていた時だ。ラインハルトの足が止まった。
そこはいくつか並んだ部屋の中のひとつだった。扉の前には二人の衛兵が槍を持ち、厳しい表情で立っている。
ガーヴィスが一歩前に出て短く言った。
「シューゼノクト公爵閣下がお越しだ。ダニエル・リズモンドとの面会を求める」
衛兵たちはガーヴィスの言葉に一瞬視線を交わした後、静かに扉を開けた。
疑惑を抱える人間を監視するための部屋だ。いったいどんな環境なのだろうと、ジェシカはどきどきしながら扉の中を覗き込んだ。
――が、そこはいたって普通の部屋だった。ベッドが置かれ、テーブルもソファも用意されている。そして窓辺に置かれた椅子にダニエルがいた。
(彼がダニエル・リズモンド……)
窓から差し込む光が力なく座るダニエルの姿を浮かび上がらせる。
ダニエル・リズモンド伯爵令息、十八歳。やつれた頬には無精ひげが生え、赤銅色の髪の隙間から見える目は、落ちくぼんでまるで亡霊のようだった。
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