第五話 閉ざされた部屋
オリヴィア・アウスタットの遺体が発見されたとき、屋敷にいたのは四人。
一人娘のオリヴィアを溺愛している母ベルウィッタ。
アウスタット伯爵の幼少期から勤めているメイド長ドーナ。
住み込みで勤めるオリヴィアの家庭教師ミレーユ。
そしてリズモンド伯爵家の次男であり、オリヴィアの婚約者ダニエル・リズモンド。
「お嬢様の部屋に入るのを許されていたのは私とミレーユ先生、そしてダニエル様だけでした」
ジェシカたちをオリヴィアの部屋に案内しながら、ドーナは当時の状況を説明してくれた。
「お嬢様はその日も調子は悪そうでしたが、普段と変わった様子はないようでした。いつものようにダニエル様がお見えになって、はじめ奥様が応対なされた後、お嬢様のお部屋に向かったようです。私はミレーユ先生に呼ばれていましたので……。けれどお嬢様が部屋にいなかったと、ダニエル様はすぐに戻っていらして……。それを聞いて、急いでお嬢様の部屋を確認に行きました。そのすぐ後です、地面に倒れているお嬢様が発見されたのは――」
「ドーナさんと先生はその時どちらに?」
「玄関です。ちなみに奥様は一階の応接室にいらっしゃいました」
「そうですか」
ジェシカは歩きながら頭の中で情報を整理する。
(全員が正直に証言しているとすれば、オリヴィアさんが自ら飛び降りた以外の死因は考えられない。けど殺された線で考えれば、最後にオリヴィアさんに会った可能性がある婚約者のダニエルさんがやっぱり一番あやしい。でもそれならダニエルさんが一番に疑われるのも当然なのに、どうしてそんな証言をしたんだろう……)
それにラインハルトが言うように女性問題が絡んでいるとしたら、なおさら不自然だ。
そこでジェシカはあることに気づいた。
「その時に争う物音や、悲鳴のようなものは聞こえなかったんですか?」
しかしドーナは首をふった。
「いいえ、何も……。私はダニエル様がお嬢様がいないと仰っているのを聞いて、慌てて二階に上がったので」
「なるほど……」
いくら調子が悪いとはいえ、まさかオリヴィアが何の抵抗もなく落とされたとは思えない。
(そうじゃなければやっぱり自ら身を投げたか、それとも意識が無い状態だったか……)
この情報だけでは現場を見ていないジェシカには判断が付きづらいところだ。
「ちなみにドーナさんはオリヴィアさんの遺体を直接ご覧には?」
「えっ……」
ジェシカの質問にドーナの顔が青ざめ、唇を震わせた。
「い、いえ私……おそろしくて、直視できずにおりました……」
「じゃあ現場を確認したのは誰が――」
「義兄上だよ」
ぎこちなく言葉を濁すドーナにさらに問いかけると、ラインハルトが会話に入って来た。
「オリヴィアの事は義兄上がすべて執り行ったんだ。僕も最期に顔を見ることが叶わなかったよ」
義兄上――このアウスタット伯爵家当主のことだ。けれどまだ姿を見ていない。
「その方は今どちらに?」
「ああ、義兄上は今領地に戻っているんだ。事件の時にはぎりぎりこちらにいたんだが、すぐに領地に向かってしまわれた」
「それは大変……」
「ちょうど城から税務監査が入る時期なんだ。誰かに任せるわけにはいかないのはわかるけど、気の毒だったよ」
ラインハルトが憐れみを込めた声で教えてくれた。
領地経営も貴族の大事な仕事だ。一人娘の死を悲しむ暇もなかったのだと想像すると、貴族というのも大変なものだと思い知らされる。そんなことを思っていると、ドーナがある部屋の前で止まった。
ふと見ると、扉には他の部屋にはない繊細な装飾が施されている。それが、オリヴィアの部屋だった。
「こちらがお嬢様のお部屋です」
慣れた手つきでドーナが取っ手に手をかけた時だった。
「――何をなさっているの?!」
廊下に鋭い声が響いた。
弾かれたように声のした方を見ると、そこには暗いブルネットをきつく結い上げた細身の女性が、目を吊り上げて立っていた。この一瞬で、ドーナとこの女性との関係があまり良くないことを察せられるほどの剣幕だった。
だからなのだろう、ラインハルトがすかさず二人の間に割って入った。
「お邪魔しているよ、ミレーユ先生」
「……これはラインハルト様。お知らせくださればお迎えに参りましたものを」
ミレーユはラインハルトを認めると眉をきゅっと持ち上げた。丁寧な態度ではあるが、その瞳には明らかに不信感が滲んでいる。彼女は長い漆黒のスカートを翻し、ヒールの音を響かせながらこちらへ歩み寄ってきた。
その時、ジェシカの鼻先を甘い香りがふわりとかすめた。柔らかく甘い、女性らしい香りだ。
(いい香り……。このお屋敷に入った時も思ったけど、これって先生の香水かしら)
きつい印象にも関わらず、意外と可愛らしいものが好きなのかもしれない。
しかし悠長に考えている時ではなかった。ミレーユの厳しい視線がジェシカに向けられる。
「その方は?」
その声は冷たく、明らかに拒絶感を示していた。
「あの、私は――」
「彼女は僕が雇った探偵だよ」
しかしジェシカが名乗ろうとした瞬間、ラインハルトが一歩前に出てジェシカの発言を遮った。
「僕はオリヴィアの死の真相を知りたいんだ。それは先生も望んでいることではないかな」
「探偵……この方が?」
わずかにミレーユの顔が強張ったのをジェシカは見逃さなかった。そして、その一言でミレーユの警戒心が高まったことも……。
「ミレーユ先生はオリヴィアに信頼されていた。ぜひ先生にも話を聞かせてもらいたいと思っているのだけど……」
「いいえ。話したくありません」
ミレーユは首を横に振った。
「探偵など、何の意味もありません。お嬢様は自ら命を絶たれたのです。奥様のためにもこれ以上悲しみを蒸し返すような真似はおやめください」
強い拒絶の言葉が冷たく言い放たれ、廊下に響いた。ラインハルトは表情を変えず、ジッとミレーユを見つめている。
「で、でも――」
思わずジェシカが食い下がろうとした瞬間、ミレーユは鋭く言い放った。
「皆さま、どうぞお引き取り下さい。ラインハルト様も、お嬢様の件にこれ以上関わるのはご遠慮いただきたいですわ」
「なっ――」
「先生、ラインハルト様からのご依頼です!」
そこで反応したのはガーヴィスだ。きっとラインハルトへの態度が無礼だと怒鳴りつけようとしたのだろう。察したドーナが慌てて口を挟んだ。しかしミレーユの頑なな態度は変わらない。
「たとえ誰の命令であろうと、お嬢様の安らぎを乱すことは許されません! お引き取り下さい!」
声を荒げたミレーユに場の空気が凍りつく。
しん……と沈黙が落ちる。やがてラインハルトがふっと小さく笑った。
「……それもそうだね」
「えっ」
予想外の返答に、ジェシカは驚いてラインハルトを見つめた。
「先生がそう仰るのはもっともだ。姉上の気持ちも考えられず、情けない限りだ」
そう言ってラインハルトは静かに頭を下げた。
「申し訳ない。僕たちは失礼するよ」
「……ドーナさん、お見送りを」
まるで女主人のように振舞うミレーユの厳しい視線を背に受け、ジェシカたちはアウスタット伯爵邸を後にした。
§
「ミレーユ・デロイト――オリヴィアの家庭教師なんだけど、何年か前から住み込みで雇われているんだ」
帰りの馬車の中で、ラインハルトが静かに口を開く。
「オリヴィアは姉のように慕っていたけれど、最近はいつもあんな感じで。これ以上無理に話を聞き出しても、逆効果だと思ったんだよ」
「それはそうですが、ラインハルト様はもう少し厳しくなさるべきです」
ガーヴィスが苛立ちを抑えられないように口を挟んだ。
確かに今日のミレーユの振る舞いは公爵であるラインハルトにとる態度ではない。なにより彼女は家庭教師だ。礼儀作法には厳しくあるべきだろう。あまりにも必死すぎて何かを隠しているようにも感じる……。
馬車がゴトンと大きく揺れた。
揺れた拍子にラインハルトの青い瞳と視線がぶつかる。
「……先生の様子がおかしかったのは、先生もオリヴィアさんの件に何か関係があるからなのでしょうか?」
「ああ、そうだね」
思わずこぼれた疑問に、ラインハルトは苦笑しながら頷いた。
「彼女もダニエルと噂のある女性の一人だからね」
「えぇっ!」
まさか婚約者の家庭教師にまで……。恐るべき倫理観。
しかもあれほど真面目そうなミレーユを落とすなんて、ダニエル・リズモンドは一体どれほど魅力的な男性なのだろうか。
「なら次はダニエルさんに――」
身を乗り出したジェシカだったが、ラインハルトに手で制される。
「そう言いたいところだけど、日は日暮れも近いしひとまず帰ろうか」
「え、もうそんな時間ですか?」
気が付けば太陽が傾き始めていた。
残念な気持ちもあったが、あっという間に一日が過ぎたことを意識するとドッと疲れがこみ上げてくる。幸いにも馬車はちょうど事務所のある王都四区に差し掛かったところだ。見慣れた通りが目に入ると、ホッと肩の力が抜ける。
「ならこの辺で私は――」
「えっ!」
そう言いかけた瞬間、勢いよく声が飛んで来た。
見ればラインハルトが目を見開き、驚きとも抗議ともつかない表情でジェシカを見つめている。
「今、帰るって言ったよね?」
「えっ? だから私はここで、と……」
「え、帰るんだよ?」
「……はっ! まさか――」
何度か堂々巡りを繰り返し、ようやくジェシカは気づいた。そこで恐る恐るラインハルトに聞いてみる。
「あの……確認なんですけど、私、どこに帰るんですか」
するとラインハルトはさも当然と言わんばかりに答えた。
「僕の屋敷だけど?」
「か、閣下のお屋敷……?」
ラインハルトの屋敷――すなわちシューゼノクト公爵邸だ。
涼しい顔で言い放つラインハルトに、ジェシカはしばし声を失った。
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