第三話 沈黙の庭園
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場所を変えると言われ、ジェシカがラインハルトに促されるまま乗り込んだのは、見たこともないほど立派な馬車だった。天井の装飾や窓枠に施された細やかな細工は、それだけで芸術作品のよう。車内は広々としており、大柄なガーヴィスが同乗しても全く圧迫感を覚えなかった。革張りの座席はぎっしりと綿が詰められているのだろう。全く身体が痛くならない。ジェシカの知る簡素な乗り合い馬車とは雲泥の差だった。
落ち着かない様子で何度も座り直しているジェシカに、ラインハルトが笑いながら声をかけてきた。
「落ち着かないかい?」
「こ、こんなに良い馬車に乗ったことないので」
そわそわと姿勢を直しながらジェシカは答えた。当たり前のように乗っているラインハルトたちが別世界の人間なのだと、改めて実感させられる。
(金貨袋につられてつい依頼を受けちゃったけど、めちゃくちゃ危険な可能性もあるわよね……)
ジェシカはラインハルトの顔を盗み見た。この美しくも性格の悪い公爵はいったいジェシカに何を依頼するつもりなのだろう。何も聞かずに馬車に乗り込んでしまったことをうっすら後悔していると、ラインハルトが再び声をかけてきた。
「じゃあ改めて自己紹介するよ。僕はラインハルト・シューゼノクト。シューゼノクト公爵家第六代当主だ」
「よ、よろしくお願いします」
ジェシカはぺこりと頭を下げながら、公爵家についての記憶を引っ張り出す。
(シューゼノクト公爵家。確か、当時の王弟が公爵位を与えられてできた家ね。十年位前に公爵夫妻が馬車の事故に遭って亡くなった記事を見た覚えがあるけど、この人のご両親だったのね)
公爵夫妻の事故死は、当時大々的に新聞で取り上げられていた記憶がある。そして息子が後を継いだと聞いていたが、その息子こそ、今目の前にいるラインハルトだ。
(この人もなかなかの苦労人なのね。親が亡くなったばっかりで、公爵なんて責任ある立場を継がなきゃならなかったんですもの)
そりゃあ性格も歪むだろうとジェシカが内心納得していると、ラインハルトが再び口を開いた。
「で、こっちは僕の護衛兼側近のガーヴィス・ドロテア。こう見えて僕と同い年の二十二歳だよ」
「二十二……っ?!」
「おい、その反応はどういう意味だ」
「え、あ、いや、だって二十二歳って、私と二つしか変わらないじゃないですか……えぇ……そうだったんですか」
思わず声を上げると、ガーヴィスの鋭い視線がジェシカを突き刺す。
てっきり三十代かと思っていた……。よく見れば肌艶は若者だが、全体的な雰囲気に貫禄がありすぎる。ガーヴィスには申し訳ないと思うものの、あまりの驚きにどう反応して良いかわからないでいると、ラインハルトが笑い声を上げた。
「あははは! ガーヴィスは確かに君は年上にみられることが多いけど、頼りない僕を支えてくれてるからそう見えるのかも。彼にはすごく助けられているんだ。いつもありがとう、ガーヴィス」
「ラ、ラインハルト様……いえ、私こそ……」
ラインハルトからの助け船はガーヴィスへの感謝の言葉でもあった。耳を赤くし、もごもごと俯いてしまった。ジェシカへの不満もこの一瞬で忘れてしまったようだ。
(すご……お手本みたいな主従関係……。とは言え、このくらい慕われていないと、安心して一緒にいられないのかもしれないわね)
ど平民のジェシカにも貴族たちの派閥争いの噂は聞こえて来る。
自分の名誉のためなら平気で人を陥れる。公爵という高い身分ともなればさらに巻き込まれることは多いだろう。そんな世界で生きるには、ただの主従関係以上の信頼が必要なのかもしれない。
そんなことを考えているとラインハルトの声がかかる。
「で、君はいつからあの事務所に?」
「え?」
「他の従業員はいないように見えたけど、君が一人でやっているの?」
「あー……」
一瞬、言葉に詰まる。馬車の中にわずかな沈黙が落ちた。
(まさか『父が調査に出たきり行方不明』だなんて言ったら、探偵事務所としての信用がガタ落ちよね……)
どう言葉を濁そうかとも考えたが、結局ジェシカは正直に伝えることにした。ラインハルトは依頼する探偵の腕前を試すほど用心深い人物だ。この何気なさそうな質問ですら、ジェシカを試している可能性がある。
「本当は父がいるはずなんですけどね。でも、しばらく帰ってこなくて……その間、私が代わりにやってるんです」
あはは、と笑いながら軽い調子で答えると、ラインハルトは目を瞬かせた。
「しばらく帰って来ないって、どういうことだい?」
「一年ほど前に調査に出たきり、音沙汰無しでして……。いったいどこで何をしているんだか」
ジェシカは笑顔で答えたものの、その事実を考える度によぎる不安はいつまでたっても変わらない。
――もしかしたら、もうこの世には……。
湧き上がる不穏な感情を振り切るように軽く頭を振り、ジェシカは明るい声で続けた。
「でも探偵業に関してはご心配なく! きっと解決してご覧にいれますので!」
「そうか……」
ジェシカの返事を聞いたラインハルトはわずかに眉を下げ、ふっと小さく笑った。
「……うん。大丈夫、君以外に依頼するつもりはなかったから」
「え……っ?」
「さあ、そろそろ着くよ」
ラインハルトの言葉の意味を聞き返すタイミングを逃してしまったものの、ジェシカは窓の外に現れた光景に気を取られてしまった。
馬車が着いた場所はシンメトリーが美しいレンガ造りの屋敷だった。馬車は門をくぐり、庭を通りながら玄関前の馬車回しへ向かっていく。
「すごい……! お花が満開……」
ジェシカは思わず声を上げた。
その屋敷の庭は様々な植物が植えられ、色とりどりの美しい花が咲き誇っていたからだ。よく手入れされているのだろう。窓を開けずとも花の香りが漂って来そうだ。
馬車が停まり扉が開けられた、その時――
「――っくしょん!」
「ひゃっ!」
車内に大きなくしゃみが響き渡った。突然の大音量にジェシカの体がはねる。音の主はガーヴィスだった。
「ずびばぜん……花粉が飛んでいるのか、くしゃみが――っくしょん!」
「ああ、驚かせたね。ガーヴィスはここに来るとくしゃみが止まらなくなっちゃうんだ」
「お、お大事に……」
ぐずぐずと鼻をすすりながら先に降りて行くガーヴィスに憐れみの視線を向けながら、ジェシカも促されるまま地面に降り立った。
気持ちの良い風がジェシカの髪を撫でて行く。しかし妙な静けさが屋敷全体を包んでいた。
「ここはアウスタット伯爵家。ジェシカ、僕にちょっとついてきて」
「は、はいっ」
ラインハルトは玄関には向かわず、すたすたと屋敷を回り込むように歩いていったので、ジェシカは慌てて後を追った。慣れた足取りに彼が何度もこの屋敷に来ていることがわかる。
「この家は僕の姉の嫁ぎ先なんだ」
「お姉さんがいらっしゃったんですね」
「年の離れた姉でね。小さい時から何度も遊びに来ていたんだ」
なるほど。それなら屋敷の造りにもどうりで詳しいはず。ジェシカが納得していると、ある一画でラインハルトの足がピタリと止まった。そこは屋敷を正面から見たときに、ちょうど右の側面にあたる場所だった。
「……君に解決して欲しいのはこの家で起きた事件だ」
ラインハルトの視線は土がむき出しの地面に向けられていた。他の場所と色が違い、最近新しい土を入れたような色をしている。
ゆっくりとしゃがみこんだラインハルトは、そっと真新しい地面に触れた。どこか物憂げなラインハルトの横顔は、絵画のように美しくすらあった。
だがラインハルトが次に発した言葉に、ジェシカは思わず息をのんだ。
「先日、僕の姪がここで死んだ」
「え……」
「あの窓から落ちたんだ。自ら命を絶ったと言われている」
そう言って彼が見上げた先には、小さな窓枠があった。ジェシカは固く閉じられた窓から、ラインハルトがしゃがみ込む地面へと視線を動かす。
つまり、この土が入れ替えられた理由は……。
「でもね、ジェシカ。僕は違うと思っている」
ラインハルトはそっと土から手を離し、ゆっくりと立ち上がる。ジェシカが何も言えずにいると、その場の空気が不意に張り詰めた。
しかしその瞬間、ざあっと強い風が吹き、ジェシカは思わず目をつぶる。むせ返るほどの花の香りはもはや息苦しいほどだった。その中でただ一つ、ラインハルトの声だけがはっきりと聞こえた。
「彼女は――オリヴィアは殺されたんだ」
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