第二十二話 石壁の中で
本日二話目の投稿です。次話が最終話となります。
騎士団の収容所は王都の北西に建っている。
高い石壁に囲まれ、門をくぐった途端に空気が冷たくなった気がした。
この収容所にはミレーユが収監されている。
ジェシカは事務所に戻る前にどうしてもここに立ち寄りたかった。そのためラインハルトに無理を言って面会の時間を作ってもらったのだ。
ジェシカが案内されたのは小さなテーブルを挟んで椅子が二脚置かれた白い面会室だった。ドアはジェシカたちが入ったものとは別に、部屋の奥にもう一つ設けられていた。
ガーヴィスは何も言わずに背後の壁際に立った。彼から感じる若干の緊張は幻覚に囚われ、ドーナに何度もナイフを突き立てた彼女の姿を知っているからだろう。
(まあ、私も緊張していないわけではないけれどね……)
ジェシカも腰を下ろし、机を挟んだ空席を見つめる。
ミレーユは時折取り戻す正気の中で、オリヴィアの殺害を認め、何度も謝罪を繰り返しているそうだ。今日の彼女がどんな状態かわからない。けれどジェシカはどうしてもミレーユに聞きたいことがあった。
しばらくして奥の扉が開いた。
騎士に付き添われ、部屋に入ってきたのはミレーユだった。
ジェシカは一瞬彼女が別人に見えた。きつく結い上げられていた髪を一本の三つ編みに変え、灰色の簡素な服に身を包んだミレーユは所在なさげに視線を泳がせ、まるで幼い子どものように見えた。
ミレーユは付き添いの騎士に促され、椅子に座るなり深く頭を下げた。
「その節は大変ご迷惑をおかけしました。あなたがお屋敷にやってきた日に不躾に追い返してしまったことも、ずっと謝りたくて……」
一方的に話し出すミレーユの声は礼儀正しい家庭教師のものだった。しかしうつむく細い肩は細かく震えている。
「ミレーユさん」
ジェシカはミレーユの謝罪を遮った。
「私は謝ってほしくて面会を申し込んだのではありません。あなたに聞きたいことがあって……それにあなたが謝るのは私じゃありませんから」
その言葉にミレーユの肩がびくっと跳ねる。
「……そう、ですね。私が謝るべきは伯爵家の方々にダニエル様……そしてオリヴィア様です」
絞り出すようにミレーユは続けた。
「私はあの子がうらやましかったのです。私にないものを全て持っていたから。あたたかな家族も、無条件に敬われる身分も、ダニエル様に愛されていることも……それしか見えていなかったのです。本当に取り返しのつかないことをしてしまいました」
「そうですか」
「自分のしてしまったことを許してもらおうとは思いません。少しでも償いながら過ごそうと思います。自分が自分でいられるうちに……」
そう言って力なく微笑んだミレーユにジェシカは何も言えなかった。彼女が自分を取り戻す時間は日に日に短くなっているという。それは心に空いた穴を埋めるには、あまりにも大きな代償だった。
その時、ふとミレーユが思い出したように口を開いた。
「そういえば探偵さんは私に何か聞きたいことがおありだったのでは?」
「あ……」
ジェシカの心臓が跳ねる。彼女に質問したかったのは父ジェームズのことだ。ドーナの口ぶりからすると、ジェームズは“幻花香”を調査していたのかもしれない。それならミレーユとも接触していた可能性がある。
けれどガーヴィスはジェシカの質問の内容までは知らない。「私的な質問は止めろ」と言われそうだなと思いながらも、ジェシカは意を決して尋ねることにした。
「あの……ジェームズ・ゼントという名前に聞き覚えはありませんか? 薬の、“幻花香”絡みで聞いたことは……」
「ジェームズ・ゼントですか……」
その名を出した瞬間、背後でカサっとガーヴィスの身じろいだ音がした。緊張と期待が高まる。しかしミレーユは少し考えたのちに、すまなそうに眉を下げた。
「ごめんなさい、聞いたことがないですね。お知り合いですか?」
「……そんなところです。ありがとうございました」
ジェシカは立ち上がり、頭を下げた。きっと顔に落胆が出てしまっているだろうから……。
部屋を出るとガーヴィスがジェシカにだけ聞こえる声で「残念だったな」と呟いた。ジェシカの気落ちに気づかれてしまっていたのだろう。
「まあ、仕方ないですよ。ミレーユさんは“幻花香”をほとんどドーナさん伝いに受け取っていたんでしょうし、彼女に聞いたのはちょっと前のめりでしたね」
へらへらと軽い口調で答えたジェシカに彼は何も言わなかった。浮いてしまった言葉に空しさを覚えながら、ジェシカはガーヴィスの背を追いかけた。しかし、しばらく進み、そこを曲がれば出口だというところでガーヴィスがふと足を止めた。そして少しだけ気まずそうな顔で懐から小さな包みを取り出す。
「ここを出たらラインハルト様と合流し、王都四区へ向かうな?」
「は、はい。その予定でしたよね?」
よくわからない確認をされた後、ガーヴィスが包みを差し出してきた。
「忘れそうだから今渡しておく。先日実家でお前の話をしたら、義姉が渡してほしいと……」
「え? な、なんです?」
驚くジェシカに渡されたのは白いオーガンジーのリボンで飾り付けられた包みだった。
「わぁ、ありがとうございます! 開けてもいいですか?」
「……もう開けているじゃないか」
ジェシカがガーヴィスの返事を待たずに開けると、出てきたのは細かなアイビーの意匠が美しい銀の髪留めだった。
「いいんですか! すごく素敵!」
全く知識のないジェシカでもとても良い品だということがわかる。ジェシカが顔を輝かせると、ガーヴィスはふいっと視線をそらしてしまった。
「……今回は世話になった。礼を言う」
そこでジェシカはようやく気付いた。ガーヴィスなりに別れを惜しんでくれているのだと……。
背筋を伸ばし、ガーヴィスに真っ直ぐ向き直る。
「……ガーヴィスさん。こちらこそありがとうございました。ガーヴィスさんがいなかったら、私三回くらい死んでました」
「ハハっ……そうだな。初めは、いつつまみ出してやろうかと思っていたがな」
「あ、ははは……そうですよね」
ガーヴィスは呆れたように肩をすくめていたものの、その横顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。意外な表情にジェシカが瞬きすると、ガーヴィスはハッとした顔を見せ再び大股で歩き始めた。
「いつまで立ち止まっている。ほら行くぞ」
「——はい!」
ジェシカはさっきよりも歩幅の大きなガーヴィスに置いて行かれないよう、髪飾りをポケットにしまいながら出口に向かって駆け出した。
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最終話、本日19時に投稿します。




