↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
公爵閣下のご依頼は花の香りと共に  作者: 青戸部ラン


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/23

最終話 公爵閣下のご依頼は花の香りと共に

最終話です。

※本日三話投稿しています。ご注意ください。

 収容所の門を出ると、空は相変わらずすっきりと晴れていた。高い石壁がなくなったせいか、頬を撫でる風が気持ち良い。

 その時、ジェシカは少し離れた道沿いに見慣れた馬車が停まっているのを見つけた。


「ガーヴィスさん、あの馬車」

「ああ、ラインハルト様だ」


 ジェシカたちが近づくと扉が開き、漆黒の髪を風になびかせながらラインハルトが姿を現した。


「ちょうどよかった。今着いたところだったんだ」


 そう言って笑う顔は少し疲れているように見えたが、どこか憑き物が落ちたようにすっきりしていた。


「あちらはいかがでしたか」

「うん。君たちのおかげで靴下を姉上に渡すことができたよ」


 ガーヴィスの問いかけに答えたラインハルトの笑顔は柔らかだった。長い睫毛の奥で細められた美しい青色の瞳を、気づけばジェシカは見つめてしまっていた。その時、ふとラインハルトがこちらを向いた。


「ありがとう、ジェシカ」

「ど、どういたしまして! 報酬の分は働かないといけないですからね!」


 視線がぶつかり、見つめてしまっていたことがばれたかと、ジェシカは慌ててうそぶいた。


「私は探偵としての仕事をしただけです。それにダニエルさんから預かったのも、ご家族に渡したのも閣下じゃないですか」

「……ふふ、君は優しいね。君のそういうところが魅力的だ」

「な……っ!」


 さらりと返され、ジェシカは頬が熱くなるのを感じた。目を細めるラインハルトが楽しげなのが憎たらしい。頬の熱を振り払うようにぶんぶんと顔を振り、ジェシカは話題を変えようと口を開いた。


「お優しいのは閣下の方じゃないですか。おかげでミレーユさんに会えましたから」

「そっちはどうだったんだい」


 ラインハルトの問いかけに一瞬言葉に詰まった。彼にはジェシカがなぜミレーユに会いたいのかを伝えていたからだ。

 

「……話はできました」

「そうか」


 きっとジェシカの期待通りにはならなかったことを察したのだろう。ラインハルトはそれ以上その話題に触れず、自ら馬車の扉を開いた。


「じゃあ行こうか。事務所まで送るよ」

「あ、はい……助かります」


 ——事務所まで。

 その言葉への返事が思いのほか小さな声だったことにジェシカは内心驚いていた。

 早く帰りたかったはずなのに。その瞬間、どこか胸の中に隙間が空いたような気がした。


 §


 王都四区。

 見慣れた街並みに差し掛かる。少し離れていただけなのにもう何年も経ったかのような懐かしさすらあった。


「なら私はこの辺で……」


 いつかと似た言葉を口にすると、ラインハルトは前回とは異なり、素直に頷いた。


「ああ、そうだね……ガーヴィス、あれを」

「はっ」


 ラインハルトが横に座るガーヴィスに声をかけると、彼は馬車の中に置かれていた鞄から大きな金貨袋を取り出した。

 

「約束の報酬だ」

「ひぇ……」


 改めて手にした袋はかなり重い。けれど嬉しいはずなのに、喜びよりも後ろめたさが勝っていた。


「で、でも……本当に私がもらっていいんですか。お屋敷ではあんなにお世話になっちゃったし、それにオリヴィアさんの件も——」


 しかしジェシカの言葉の先を、ラインハルトは静かに首を振って遮った。

 

「いいんだよ。君が明らかにしてくれた真相への正当な対価だ、受け取ってくれ」


 ジェシカは少しの間うつむき、金貨袋のずしりとした重さを確かめた。今、ジェシカの心はこの袋のように重い。


「……“真実を知ることが救いになるとは限らない”」

「うん?」

「でも、私は探偵です。だからこそ見つけた真実は、私も一緒に背負います。それが私の仕事だから……」


 顔を上げると、ラインハルトと視線がぶつかった。その青い瞳をまっすぐに見つめる。


「ご依頼ありがとうございました、閣下」

「……うん。こちらこそありがとう、ジェシカ」

 

 ジェシカの口元には自然に笑みが浮かんでいた。


 馬車が停まった。

 扉が開くなりジェシカは誰の手も借りず、ひらりと石畳へ飛び降りた。


「ではこれで。お世話になりました」

「うん、またね」

「閣下も、ガーヴィスさんもどうぞお元気で」


 そう言って頭を下げる。顔を上げるとラインハルトは相変わらずの笑みを浮かべていた。ガーヴィスもまた、眉間にしわを寄せたままだ。

 相変わらずの様子に小さく笑っていると、扉が閉められた。すぐに馬車は動き出し、あっという間に遠ざかっていった。




「……なんだか、夢みたいだったな」


 ぽつりと呟きながら馬車に背を向け、ジェシカは事務所に向かって歩き出した。

 あっけない別れに、突然戻ってきた現実。腕の中の金貨袋は重いが、気持ちはふわふわしている。


 見慣れた道を踏みしめながら、ジェシカは大きく深呼吸をした。

 行きかう人々の靴の音に、どこかの店の呼び込み、それに荷馬車の車輪の音。公爵家にはない騒がしさに、ようやく現実感が戻ってくる。


「よしっ」


 ジェシカは一人、気合を入れた。

 ぼんやりしている暇はない。ジェシカにはやることが山のようにあるのだ。


(まずナッシュさんに家賃を渡して、それから家具も買い戻さないと。そうだ、これなら新聞広告だって出せるじゃない!)


 やはり経済的余裕は心を強くする。当面貧乏生活を送らなくて良いと思うと、口元がにんまりと緩んでしまう。


(それに父さんを探す資金もできた。“幻花香”に関わっていたということも分かったし、きっとすぐに見つけられるはず……! そうと決まればさっそく——)


 ジェシカが力強く角を曲がった、その時だった。


「……え?」


 ジェシカの足がピタリと止まった。

 角を曲がれば見慣れた建物が現れるはず……だった。しかしそこに現れたのは見(・)慣(・)れ(・)な(・)い(・)建物。


 だいぶガタが来ていた玄関扉は艶のある深い茶褐色に塗り直され、ところどころ欠けて苔の生えた外壁もすっかり新しくなっている。そして軒先には見たこともない立派な看板まで掲げられている。


「う、嘘……まさかナッシュさん、私がいない間に他の人に貸しちゃったの?」


 あの大家ならやりかねない。ジェシカは慌てて駆け寄り、看板を確かめた。そこには流れるような美しい筆跡でこう刻まれていた。


【ゼント探偵事務所

 依頼募集中 人探し、事件、捜査 何でもご相談ください!】


「な……っ、なにこれ!?」

「いいだろう? 君の作ったビラの言葉をそのまま使ってみたんだ」

「——っ!?」


 愕然とするジェシカの背後から穏やかな声が聞こえてきた。


「僕も探偵業に興味が出て来てね。そうしたらちょうどよく経営難の事務所があるというから、買ってみたんだ」

「か、閣下——!?」


 そこにいたのはさっき別れたばかりのラインハルトだった。その後ろには眉間のしわを深めたガーヴィスも立っている。


「な、ど、どういうことなんですか! 『買ってみた』って、どういう……」

「少し落ち着け。見苦しいぞ」

「ガーヴィスさんは黙っていてください! そもそもここはナッシュさんという大家さんが管理していて……」

「ああ、大家さんなら話はついているよ。『払われるかわからない家賃を待っているより、一括で払ってもらった方が助かる』って仰っていたけど」

「そ、そんな……」


 ジェシカは口をぱくぱくさせるしかできなかった。

 家賃に怯えなくて良いのは助かる。けれどそれならジェシカはこれからどうすればいいのか。


「勝手に困ります……! だってここは、私と父さんの事務所で……たった一つの居場所なのに」

「うん。だから『ゼント探偵事務所』のままだよ。僕が所有者だけどこの事務所の探偵は君だよ、ジェシカ」

「はあっ!?」


 ラインハルトはさも当たり前のように言うが、ジェシカの頭の中はまだ混乱状態だ。次の言葉が出てこないジェシカに、ラインハルトは密かな企みが成功した子どものように笑った。


「はははっ……よかった。喜んでもらえたようだ」

「喜んでいるのとは違う気がしますが」

「おや、そうかな」


 ガーヴィスはため息交じりに呟いた。どうやら彼もこの企みを知っていたらしい。ラインハルトは「ふむ」と頷くと、まだ動揺収まらぬジェシカに向き直った。


「あのね、ジェシカ。実は僕は君の父上——ジェームズ・ゼントに昔、ちょっとした恩があるんだ」

「え……?」


 突然の父の名前に心臓が大きく跳ねる。

 そういえば、とジェシカの脳裏にあの馬車の中での会話がよみがえる。ラインハルトが『君以外に依頼するつもりはない』と言っていたのは——


「じゃ、じゃあ私を選んでくれたのは……」

「詳しいことは話したくないんだけどね……昔、両親の事故の時に世話になったんだ」

「父が……そうだったんですか」

「だから僕もこの事務所が潰れるのは困るんだ。ジェームズの帰る場所がなくなってしまうからね」

「……父さんの、帰る場所」


 思わず繰り返した声は、驚くほど小さな声だった。

 自分以外にもジェームズが帰ってくると信じてくれる人がいる。何度も諦めそうになった父の帰りを、一緒に待ってくれる人がいると思っていいのだろうか。

 喉の奥が熱くなり、つんと痛くなる鼻にジェシカは慌てて瞬きをした。


 気づけばラインハルトが事務所の扉を開いていた。事務所内では見慣れない高級家具に囲まれて、年季の入った応接セットとジェームズの仕事机が存在を主張している。


「実は新しい依頼を預かっていてね。よろしく頼むよ、探偵さん」


 一歩先に事務所に入ったラインハルトが振り返ってジェシカに声をかけた。


「何をしている。この事務所の探偵はお前だろう?」


 立ち尽くすジェシカの横をすり抜けながら、ガーヴィスがぼそっと呟く。


 ジェシカは新しくなった看板をもう一度見上げた。


【ゼント探偵事務所

 依頼募集中 人探し、事件、捜査 何でもご相談ください!】


 その時、事務所前の通りを強い風が吹き抜けた。栗色の髪が巻き上げられ、ジェシカは思わず目をつむった。その瞬間、鼻先を花の香りがかすめていく。


(父さん……私、やってみるわ)

 

 ゆっくりと目を開き、ジェシカはラインハルトをまっすぐ見つめた。


「……そのご依頼、お引き受けします!」


 力強く答え、ジェシカは胸を張って事務所に足を踏み入れた。


【公爵閣下のご依頼は花の香りと共に 了】

これにて一旦終わりとなります。

ここまでお読みいただきありがとうございました。心からの感謝を…!!

↓よろしければ★〜★★★★★での評価や感想等、反応いただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。