第二十話 裏切りの結末
※本日二話更新しています。ご注意ください。
階段の上からドーナとジェシカを見下ろす二人は、騒ぎを聞きつけてやって来たものの何が起こっているのか把握できていないようだった。
それを幸いとしたのだろう。ドーナの目から狂気が消え、次の瞬間にはすっかり伯爵家のメイド長の顔になっていた。
「奥様、いいところに来てくださいました」
「い、いったい何が……この方は?」
「この者がオリヴィアお嬢様を殺めた犯人です」
「オリヴィアを……!?」
そう言いながらドーナはナイフの切っ先でジェシカを差した。ベルウィッタの目が驚愕に見開かれる一方で、隣のミレーユの顔から血の気が引くのがわかった。
予想外の展開にジェシカが咄嗟に反応できずにいると、ドーナが真面目な表情でつづけた。
「ダニエル様と関係があったのでしょう。問い詰めたところ、このナイフで襲い掛かって来たのです。でもご安心を。ナイフはこの通り無事に取り上げたので、このまま騎士団にでも突き出しましょう」
「で、でもオリヴィアは自分で身を投げたと……私のせいで……私があの子の気持ちを分かってあげられなかったせいで」
みるみるうちにベルウィッタの青い瞳に涙があふれていく。一方、ガタガタと震えるベルウィッタの細い肩を支えるミレーユの目はせわしなくドーナとジェシカの間を往復していた。
ドーナはそんなミレーユの様子に口の中で小さく舌打ちすると、にっこりと微笑んだ。
「……ミレーユ先生?」
「——っ、は、はい」
「ここは危険ですので奥様をお部屋へ。この者は私がしっかりと処分いたしますので」
「で、でも……」
「ミレーユ先生! あなたならどんな行動が一番賢いか、お分かりですよね?」
「ミレーユさん聞いちゃいけません! あなたはこれまでその言葉に苦しんできたはずです!」
「うるさいね! 黙りな!」
「——っ!」
なかなか動こうとしないミレーユに業を煮やしたのか、ドーナの語気が強まる。びくっと肩を揺らすミレーユに、気が付けばジェシカは叫んでいた。
しかし次の瞬間、取り繕ったメイド長の仮面にひびが入った。
ジェシカの視界の端に銀色の光がよぎる。ガツッ——と激しい衝撃と共に目の前がチカチカと瞬きながら白く歪んだ。
「きゃぁぁッ!」
階上から悲鳴が上がった。ガン、ガン……と頭の中で鐘を鳴らされているような激しい痛みに、ジェシカはようやく自分がナイフの柄で殴られたのだと理解した。
「罪人が言い逃れできると思ってんのかい! ガキが出しゃばりやがって!」
ドーナは床に倒れ伏したジェシカに唾を吐きかけるように言い放つと、再び従順なメイド長の仮面をかぶる。
「さあ、先生。早く奥様をお連れなさってくださいな」
「あ、あぁ……」
「先生!」
責め立てるドーナの怒声と共にミレーユの震える足がジリ、と動く。
「……だめ、です。ミレーユさん……」
起き上がる体を支えようと、腕に力を入れると肘がガクガクと笑う。それでもこのまま行かせるわけにはいかない。ジェシカは途切れ途切れに言葉を絞り出した。
「このままじゃ、あなたは永遠に自分を責めることになります。あなたはわかっているはずです。どうするのが一番、自分の心に嘘をつかないことか!」
「——口を閉じないか!」
「カハッ……!」
体重をかけて蹴り出されたドーナの靴先がジェシカの腹部に埋まった。咄嗟に腕でかばったものの、その重い衝撃に呼吸ができなくなる。息を吸おうにも喉が動かず空気を吸い込むことができない。たまらず身を折るようにうずくまった。
「……っ、はっ……っ」
今ここで諦めるわけにはいかない。霞む視界に朦朧としながらも、ジェシカは床を搔きむしり必死に顔を上げた。
「……はなして、ください! ミレーユさんの知る……真実を……!」
「まだ口を開くつもりかい!」
怒声と共にドーナが再び足を振り上げた、その時だった。
「——やめてぇっ!」
屋敷中に響くほどの叫びに、ドーナがぴたりと動きを止めた。声の主はミレーユだった。ガタガタと全身を震わるミレーユの顔は涙でぐしゃぐしゃに歪んでいた。
「もう……もうおしまいにしましょう。私はこれ以上、誰かを裏切りたくない……」
「……意味がわかりませんね、先生。オリヴィアお嬢様にダニエル様……裏切られたのはあなたの方でしょう?」
「——違う!」
悲痛な声が響いた。
「裏切ったのは私の方です! 奥様を……お嬢様を裏切ったのは私なんです! お許しください、奥様!」
「ミ、ミレーユ先生?」
「——お許しください! どうか、お許しください!」
ミレーユは膝から崩れ落ちると、ベルウィッタに向かって頭を床に擦りつけた。戸惑うベルウィッタはおろおろと状況が理解できていないようだ。
「先生……いったい何のことをおっしゃって……」
「チッ、どいつもこいつも役立たずなことだよ……!」
ミレーユの様子に、もうこれ以上彼女に期待することはできないと踏んだのだろう。ドーナから完全にメイド長の仮面が剥がれ落ちた。ナイフを逆手に持ち直したドーナは、床にひれ伏すミレーユの背中をにらみつけた。
「全員まとめてここで始末してやる!」
「——ド、ドーナ! やめなさい!」
ベルウィッタの制止はもう無意味だった。
ドーナはナイフを振りかざし、血走った眼で一心不乱に階段を駆け上る。——が、刃は二人に届かず動きを止めた。
「そんなこと……させ、ないっ……!」
「放しな、このガキがぁ!」
ジェシカは渾身の力でドーナにしがみついた。バランスを崩したドーナの隙をついて羽交い絞めにすると、ドーナは必死に振りほどこうと激しく暴れた。振り回す頭がガンガンと顔に当たるが、ジェシカ歯を食いしばり腕を緩めなかった。
ここで手を放すわけにはいかない。ジェシカにはジェームズの行方を追うという大切な目的がある。そして何よりラインハルトの依頼はまだ解決していないのだから。
「——逃げて! 早く!」
「放せぇぇっー!」
絶叫が響く。
まさにその時——
ドガーンッ!!
屋根に雷が落ちたような大きな破砕音が響いた。
視界の端で玄関扉が外側から豪快に叩き割られていた。何度体を打ち付けてもびくともしなかった扉が、木屑をまき散らしながら大穴を開けている。
「皆、無事か!?」
「ジェシカ!」
真っ先に踏み込んできたのは手斧を手にしたガ―ヴィス。そしてその背後から血相を変えたラインハルトと騎士団が飛び込んで来た。
「ひ……っ、は、放せ! 放せぇっ!」
「——あっ!」
ラインハルトたちの突入に動転したのか、ドーナはジェシカを振り払おうと一層激しく身をよじった。その瞬間、どちらともなく足が階段からずるりと滑り落ちる。二人の体は重なり合ったまま宙に投げ出された。周囲の景色がゆっくりと流れる中、ジェシカはどこか途方に暮れた気持ちでこれからのことを考えていた。
(私、事務所を守るって決めたのに……。父さんごめんなさい、私にはまだ探偵は早かったみたい。ナッシュさんごめんなさい、結局家賃は払えません。それに閣下……ごめんなさい。ちゃんと報告したかったのにな——)
そんなことを考えていると床が迫ってくる。全身が打ち付けられきっとただでは済まないだろう。衝撃に備え、ジェシカはきつく目を瞑った。
——が次の瞬間、ふわりとさわやかな温かさがジェシカを包んだ。
「——捕まえた!」
「えっ!」
固い床に叩きつけられるはずだったジェシカの体は、ボスンッと音を立ててラインハルトの腕の中に受け止められていた。
「閣下……!」
「間に合ってよかった……」
頬に触れるラインハルトの胸から心底安心したような深いため息が伝わってくる。
(私、助かったんだ……。それよりドーナさんは!)
ハッと周りを見渡すと、ドーナは少し離れたところで脇腹を押さえながら呻いていた。
「ぐ……っ、くそ、こんなところで……」
その様子では自由に動くことはできないだろう。このままドーナを捕らえることができれば、幻花香の詳しい取引ルートも明らかになるだろう。
(そしてオリヴィアさんの死の真相も……)
心地よいラインハルトの体温と心臓の音にジェシカが目を閉じたくなった、その時だった。
階段の上からふらふらと下りてくる影があった。ミレーユだ。その顔には恍惚とした笑みが浮かんでおり、瞳はどこか遠くを見ているようだった。
その異様な雰囲気になぜか誰もが動けずに、ミレーユの行動を見守っていた。
彼女は横たわったまま動けずにいるドーナの前まで歩み寄ると、祈るように両手を胸の前で組んだ。そこには先ほどまでドーナが手にしていたはずのナイフが握られていた。
「ミレーユ、さん……?」
「……るせない。絶対に、許せない」
ジェシカの呼びかけの声など届いていないようで、ミレーユは目を見開いたままぶつぶつと何かを呟いている。
「ダニエル様は渡さないわ。ねえ、そうでしょう? ダニエル様はこんな女なんかいらないはずだわ。私だけでいいわよね?」
「ひっ……!」
その瞬間、ミレーユはぎろりと足元のドーナを見下ろすと、両手を振り上げ、躊躇いなくドーナの胸元へナイフを突き立てた。
ドスッ、と鈍い音が響く。
「——やめてぇっ!」
ジェシカの叫びと同時に、ガーヴィスがハッと我に返り駆け出す。しかしドーナの「う」とも「ぐ」ともつかない呻き声は、何度もナイフを突き立てる音とミレーユの笑い声にかき消されていった。
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