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公爵閣下のご依頼は花の香りと共に  作者: 青戸部ラン


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第十九話 真実を

 ガシャーン——!

 静まり返った伯爵邸に激しくガラスの砕ける音が響いた。ドーナの手から投げつけられたガラス細工が壁にぶつかり、ジェシカの顔の横で無数の破片となって砕け散る。


「逃げるんじゃないよ! あんたにはここで消えてもらう必要があるんだ!」


 ドーナがエプロンのポケットから取り出したのはナイフだ。鞘を投げ捨て、血走った目のドーナがじりじりと迫ってくる。


「奥様はあんなだし、旦那様が帰ってくる日はまだ先。その前に取るもの取って、全部あの女におっかぶせてとんずらしようと思ってたのに。とんだ誤算だったよ」


 「あの女」というのはミレーユのことだろう。自分の都合のために最後まで彼女を踏み台にするつもりなのか。そんなの見過ごすわけにはいかない。


 ジェシカはすぐ横にあるドアノブを掴み、勢いよく廊下に飛び出した。一目散に玄関に走り、扉に体ごとぶつかっていく。しかしいくらノブを回しても鍵をかけられているのか少しも動かない。

 閉じ込められた——!

 無駄だとわかっていながら、何度も扉にぶつかるも、ただ体が痛むだけで開く気配はない。そうしている間にも背後からドーナの声が迫ってくる。


「無駄だよ。あんたはここで死ぬんだ」

「——っ!」


 ギラッと光を弾いたナイフに反射的に横に飛びのける。次の瞬間、ドーナの振り下ろしたナイフが扉をかすめ、表面を深く削り取っていた。傷跡から覗く白い木肌に思わず息を呑んだ。


「ちょろちょろ逃げやがって!」


 苛立ちを隠しもせず、ドーナが声を荒げる。殺気立つ空気に本能的に震えが込み上げる。

 どこか逃げる場所を探さなければ——けれど焦るほどに頭が回らない。


(落ち着けっ……落ち着くのよ、ジェシカ!)


 無意識に浅くなる呼吸に、ジェシカは必死に自分を落ち着かせようと試みる。しかしそんなジェシカを嘲笑うかのようにドーナはナイフを手にじわじわと近づいてくる。逃れるように後ずさると、コツンとかかとに固いものが当たる。いつしか背後に階段が迫っていたのだ。


 その様子にもうジェシカの逃げ場はないと踏んだのだろう。ドーナはニヤニヤと口を開いた。


「まったく……まさかあの探偵の娘だなんて、坊ちゃんも面倒な子を連れて来たもんだ」

「えっ……」

「ちょろちょろしつこく嗅ぎ回ってたからね。てっきりあいつの差し金なんだと思ったよ」


 そういえばドーナは初めて会った時、ジェシカがゼント探偵社を名乗ったことに驚いていた。


(それは父さんが“幻花香”の件に関わっていたから……)


 気づけばジェシカは声を張り上げていた。

 

「父さんを——ジェームズ・ゼントを知っているの? ねえ、父さんは今どこにいるの!?」

「はぁ? 私が知るわけないだろ」


 しかしドーナは呆れたようにため息をつくと、薄笑いを浮かべた。


「なんだい、あの探偵しばらく見ないと思ったら行方が分からなくなっていたのかい。ハハハッ、いい気味だね! どうせ殺されたか、どこかで野垂れ死んでいるんじゃないのかい?」

「そんなことない! 父さんは生きているわ!」

「そんな強がり止めときな。どうせあんただって生きてるなんて思ってないんだろ?」


 ドーナの言葉に心臓が嫌な音を立てる。

 それは父が姿を消してから、心のどこかで感じながらもジェシカが何度となく振り払ってきた最悪の結末。突きつけられた残酷な可能性に、無理やり奮い立たせていた心が怯みそうになる。


 ——真実を知ることが、必ずしも救いになるとは限らない。


(そんなのわかってる……)


 ジェシカは唇をきつく噛みしめ、ドーナをまっすぐ見つめた。


「……だからこそ私は『真実』を知りたいの! それがどんな結末でも、私は自分の目で見て、自分で確かめるまで認めない!」


 ドーナはジェシカの言葉にわずかに目を見開いた。しかしすぐに心底くだらないとでも言うように鼻で笑った。


「ハッ、何わけのわかんないこと言ってんだい。探偵ごっこもいい加減におしよ。『真実』がなんだろうが私には関係ないね。早いとこあんたを殺して、ここから逃げるんだからさ!」


 振り上げたナイフは今度こそジェシカを貫こうと、一直線に光の線を描いた。思わず引いた足が再び階段にぶつかり、体勢が崩れる。ジェシカは固く目を瞑った。


 (刺される……!)


 刃が肌に届く、その一瞬が永遠のように長く感じた。

 しかし次の瞬間、頭上から静かな声が響いた。


「ドーナ……何をしているの?」


 その声にドーナはピタリと動きを止めた。


「奥様……」

(奥様!?)


 ドーナの声にハッとジェシカが見上げた階段の上。そこには青ざめた顔でドーナを見下ろすアウスタット伯爵夫人ベルウィッタの姿があった。その傍らには震えながら夫人を支えるミレーユが立っている。


「——チッ、なんだって間が悪いんだ」

「ドーナ……?」


 忌々しげに舌打ちをする別人のようなドーナに、夫人の青い瞳が困惑したように揺れた。

 その瞳の色にラインハルトの顔がよぎった。

お読みいただきありがとうございます。

本日も二話更新します。次話は本日19時更新予定です。

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