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公爵閣下のご依頼は花の香りと共に  作者: 青戸部ラン


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第十八話 許されざる娯楽

※本日二話投稿しています。ご注意ください。

 アウスタット伯爵家に勤めて数十年。

 メイド長にまでなったけれど何もかもが順調だったわけじゃない。何かが決定的に足りなかった。


「何十年も他人の家の床を磨く人生があんたに想像できるかい? 旦那様に頭を下げ、奥様に頭を下げ、お嬢様に頭を下げ……そんな毎日がずっと続くんだよ。それなのに生まれがいいだけの連中は、床磨きなんかしなくても何でも手に入るんだ……まったく、私たちは惨めすぎるよ。そんな惨めなメイドだもの、少しくらい刺激を求めたっていいだろう?」


 昔の知人に誘われて始めた違法薬物の売り子は、危険と隣り合わせ。しかし刺激に溢れ、退屈だった毎日が輝きだした。


 そんな中、手近な「おもちゃ」を見つけてしまった。

 アウスタット伯爵家の一人娘オリヴィアの家庭教師ミレーユだ。

 

「ずっと男日照りだったんだろうね。顔の良いダニエルに微笑まれて、あっという間に恋する乙女になっちまったんだよ」


 ドーナは嘲笑うように鼻で笑った。


 もちろんミレーユが雇い主の婚約者に思いを寄せたところで、その恋が叶うはずもない。けれどオリヴィアとダニエルの仲睦まじい様子に湧き上がるのは激しい嫉妬。立場上、感情を必死に押し殺そうとするミレーユの姿は、ドーナにとって極上の娯楽だった。


「その痛いところをちょっと撫でてやったら、すぐに胸の内を明かしてくれてね。本当に真面目過ぎるのは損しかないよ」


 ——ミレーユ先生、とてもお辛そうですよ。ここは一度、すべて忘れて安らぎの時間を手に入れませんか?


 親身な味方のふりをして差し出した“幻花香”。一度味わえば逃れられない甘い幸福に、ミレーユは簡単に溺れていった。

 しかし使用頻度が高まればそれだけ購入費用が必要になる。はじめミレーユは屋敷の調度品をこっそり持ち出していた。物置に仕舞ってあるような品をドーナが融通したのだ。


「薬だけじゃなく、金まで面倒みたんだ。私はいわばあの人を救った恩人だね。後は『ダニエル様も先生のことを好ましく思っているようですよ』なんて伝えた日には、先生は完全に信じてくれたよ」


 ちょろいもんだ、とドーナはこらえきれなくなったようにケラケラと笑い声をあげた。


「あなたが噂を流したのね。ひどい……人の気持ちをなんだと思っているの?」


 人の弱みに付け込み道を踏み外させる。あまりにも醜悪なやり口に、ジェシカは吐き気が込み上げるようだった。


「いやだねぇ。もっとひどいお方がいたじゃないか」

「もっとひどい人……?」

「オリヴィアお嬢様だよ。こっそり子どもを孕むなんて、ミレーユ先生の顔を潰す裏切り以外のなんでもないじゃないか」

「……っ、そ、それは」


 ミレーユもドーナも、オリヴィアの体調不良が妊娠の兆候だとすぐに気づいた。オリヴィアを問いただすとダニエルの子で間違いないと語った。

 それだけでもミレーユの心を乱すのに十分だったが、この家にはベルウィッタがいた。世間体を何よりも気にするベルウィッタに知られようものなら、指導不足だったとミレーユの責任も問われるはずだ。


 ——きっとダニエル様はお嬢様にたぶらかされたのでしょう。お可哀そうなダニエル様。きっとこうなることは望んでいなかったはずです。


 嫉妬と薬物に身も心も焼かれたミレーユには、ほんの少し甘い水を垂らしてやるだけでよかった。

 幻花香が持つ効果を伝えると、ミレーユは真面目にオリヴィアの部屋でその香を使い、これまた真面目にその効果を彼女へ教えたのだ。これを一度でも吸うと子どもが流れてしまうかもしれない、と。


「あぁ可哀そうなお嬢様。先生の言葉をすっかり信じちゃって、ちょっとでも吸い込んではいけないからと、声も出せずに窓から顔を出したのさ。そこをミレーユ先生が『ドーン』! 敵に背中を見せちゃいけないと知らなかったのかねぇ」


 その後、動揺するミレーユに呼ばれ、ドーナは事件を知ることになる。だが誰にも言わなかった。

 誰かが見つけてくれるのを待ち、一緒に驚くんだ。さも今知ったような顔をしてね——そうミレーユに告げて。


 アッハッハ……とドーナが声を上げて笑う。


「でも面白いのはここからなんだよ。ちょっと調べればわかるはずなのに、誰も彼もが『自分のせいだ』って思いこんじゃってね。この家の人たちは誰も調べようとしなかったのさ」

「『誰も』……?」

「ああそうだよ。旦那様も、ダニエル様も、そして奥様も……みんな自分のせいでお嬢様が命を絶ったと思いこんじまったからね」

「っ……」

 

 ジェシカは心臓を冷たい手でつかまれたような感覚に息が止まった。

 以前、胸をよぎった違和感が再びはっきりと姿を現す。

 ——みんながそれぞれに、何かを隠している。

 その正体はきっとそれぞれの胸に潜む「後悔」だったのだろう。自分の、そして誰かの心が傷つく事を恐れ、目の前の真実から目を背けようとした。


 ドーナはそんなジェシカの様子をどうとらえたのか、満足そうに笑った。


「ま、奥様に至ってはそう思わせるように仕向けたんだけどね」

「……仕向けた?」

「威張りくさっているけど、結局はあの人も世間知らずのお嬢様さ。ダニエル様の噂も簡単に信じちまって、腹がよじれるほど笑ったよ」

「噂って、あの女性関係の……! あなたが流したのね!」

「私はちょっと口を出しただけだよ。噂なんて勝手に尾鰭生やして広がっていくんだ。言いがかりは止めとくれ。まぁそのおかげで婚約破棄だなんて言い出して……お嬢様の死は『婚約破棄への抗議のようだ』って教えた時のあの人の顔と言ったら。あんたにも見せてやりたかったよ」


 悪びれもせず馬鹿にしたような笑みを浮かべるドーナにジェシカは声を失った。

 まさかこんな悪党がこの家の中にいただなんて。

 家族が抱いた深い悲しみも、母としての後悔も、愛する人を失った苦しみも——すべてをこの女は嘲笑っていたのだ。

 そして何より、ラインハルトの信頼も——


「許せない……」


 冷え切った胸の奥底がふつふつと沸き上がる。握りしめた拳が震えそうになるのは恐怖からではない。怒りだ。

 ジェシカは目の前の女をにらみつけた。


「絶対に許せない! あんたがやってきたことのすべてを、探偵として私が絶対に暴いてやる!」

お読みいただきありがとうございます。

次話は明日28日朝7時更新予定です。

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