第十二話 雨の追走
シューゼノクト公爵邸に戻ろうと馬車に乗りこむと、雨粒が窓を叩き始める。
ぽつぽつ降り出した雨はすぐに勢いを増し、あっという間に土砂降りになってしまった。
「すごい雨ですね」
「にわか雨だ。すぐに上がるだろうが、ラインハルト様が濡れていないかだけが心配だな」
ガーヴィスは窓の外に目を向ける。しかしその横顔には、ラインハルトへの心配とは違う種類の憂いが浮かんでいた。ジェシカも同じように窓に目を向けた。激しい雨で外の景色が霞んで見える。だがジェシカの頭の中では情報を繋ぐ糸がおぼろげながらも見え始めていた。
(少し前から体調を崩し始めたオリヴィアさん。隠されるように残されていた編みかけの靴下。そして急いで埋葬された遺体……)
ジェシカは窓に流れる雨粒を指先でなぞった。
数々の状況を全て一つの線で繋いだ時、たどり着くのは、オリヴィアが決して明かしたくなかった真実――。
(この依頼、やっぱり想像以上に厄介だったわね……)
とは言え、まだオリヴィアの死の真相はわからない。今回の情報をどう使おうか……そんなことを考えていたジェシカは視線を感じた。先ほどまで外を見ていたガーヴィスだ。
「難しい顔をしているな」
「あ、ええ。少し考え事を……」
「そうか」
そう言ってガーヴィスはまた黙ってしまった。
なんだかんだ言いながらガーヴィスはジェシカに対しても誠実だ。口うるさいのも、ラインハルトを思うがゆえ。筋が通った人物だ。
ジェシカは改めてガーヴィスに向き直る。
「あの、今日は本当にありがとうございました。おかげで貴重な情報を手に入れることができました」
「ああ……」
だがガーヴィスの表情は沈んだままだ。きっと手に入れた証拠について、彼もそれが何を意味するのか気づいているのだろう。そしてラインハルトにどう伝えたらよいか、悩んでいるのかもしれない。
窓の外では、雨が相変わらず激しく降り続いている。地面に叩きつけられた雨粒が跳ね上がり、舗装されていない道には水たまりが広がり始めていた。ゆっくり進む馬車は小刻みに揺れ、車輪がぬかるみに取られないようにと慎重に進んでいるのがわかる。
「……ミレーユ先生は、オリヴィア様が亡くなった悲しみを隠していたのだろうな」
雨音が屋根を叩きつける音がする中、ぽつりとガーヴィスが呟いた。
「ラインハルト様の嘆きようも見ていられないほどだった。屋敷のみんながあの事故の日を思い出すほどで……」
「あの事故の日?」
「ラインハルト様のご両親が亡くなられた日だ」
あぁ……とジェシカは頷いた。
ラインハルトの両親――前公爵夫妻が命を落とした馬車の事故だ。両親の訃報は多感な時期のラインハルトにどれほどの衝撃を与えたのだろうか。オリヴィアは深い傷を負ったラインハルトの心を癒した一人だったはずだ。
「それはそうと……」
ジェシカの思考をガーヴィスの声が止める。
「ミレーユ殿には本当にオリヴィア様の亡霊が見えていたのだろうか」
「そんなわけないじゃないですか」
多分、とジェシカは付け加える。
もし大切な人の亡霊が現れたとしたら、ジェシカならどうするだろうか。少なくともあんなふうに怯えたりはしないだろうなと思う。
(私ならきっと怒るかもしれないわね。どうして私を一人にしたの、って……)
その時だ――突然、大きく馬車が揺れた。
「――っ!」
ジェシカは反射的に座席の端をつかむ。しかし体勢を保てず、ジェシカの体は大きく前に飛び出しそうになった。その瞬間――
「危ない!」
ガーヴィスの腕が素早く伸びた。たくましい腕に支えられたジェシカの体は、転げ落ちる前に座席に戻ることができた。外から馬のいななきが聞こえ、馬車は完全に動きを止めた。
「す、すみません……! 一体何が――」
「ぬかるみにはまったな」
ガーヴィスは短く呟くと迷うことなく扉を開け、雨の中へと飛び出した。
「お前はここにいろ。濡れて風邪でもひかれたら困る」
「えっ……ま――」
口を開くより早く、馬車の扉が閉じられジェシカは一人残された。しばらくすると外からガタガタと音が聞こえ、馬車が揺れ始める。どうやら、ガーヴィスたちが馬車を動かそうとしているようだ。
(私も手伝いに……でも、逆に邪魔になっちゃうかしら)
ジェシカは窓の外を覗き込んだ。雨は相変わらず激しく、視界がぼやけている。ガーヴィスは馬の近くで御者と何か話しているようだった。
その時、馬車の横を通り過ぎる影があった。傘もささず、肩を抱くように縮こまりながら、周囲を警戒するようにキョロキョロと見回している。ずぶ濡れの灰色の髪が額に張り付いている。足取りはふらついているようにも、焦っているようにも見えた。
「あの人……確か……」
既視感にジェシカは記憶をたぐる。
額に張り付く灰色の髪。何かに怯えるように小刻みに震える肩……。
――あのメイドだ。
ジェシカが王城で声をかけた、あのメイド。
メイドはジェシカの視線には気づくことなく、人目を気にしながら一軒の店の中に滑り込むように消えた。看板には調香店の文字がある。
何かおかしい。激しい胸騒ぎがジェシカを襲った。
次の瞬間、考えるより早くジェシカの手は馬車の扉を押し開けていた。
§
メイドが入った店は暗く、ひっそりと静まり返っていた。調香店だけあって、様々なオイルやポットが置いてあり、甘ったるいにおいが鼻をつく。
しかし妙なのは、店員も客も誰ひとりいないことだ。店員が立っているはずのカウンターももぬけの殻。さっき入る姿を見たはずのメイドすら、その姿を消してしまった。
その時、雨の音に混じりカウンター奥の部屋から、カラン……とかすかな音が聞こえた。部屋に扉はなく、入口の向こうには暗がりが広がっている。
自然と震える唇をこじ開け、ジェシカは奥に声をかけた。
「ごめんください……」
しかし返事はない。
濡れた髪から水滴が床に落ちた。その小さな水たまりを踏み、ジェシカは店の中に進む。
ギシ、と床板を踏みしめる度に甘いにおいが濃くなっていく。それは奥の部屋から漂ってきているようだ。一歩、また一歩近づくたびに心臓の音が大きくなっていく。
外のガーヴィスに声をかけた方が良かったかもしれない……しかし、ジェシカはもう後戻りできないところまで踏み込んでしまっていた。
カウンターを越え、ジェシカはおそるおそる暗い部屋に一歩踏み込んだ。
その瞬間――喉の奥がかぁっと焼けるような、強烈な刺激臭がジェシカを襲った。
「うっ……何このにおい!」
とっさに鼻を覆い、顔だけでも部屋から出そうと、暗がりに背を向けたときだ。
背後で空気が揺れた。
(――まずい……!)
刹那、後頭部に鈍い衝撃が走る。
ぐわんと視界が暗くなり、ジェシカは床に倒れ込んだ。
お読みいただきありがとうございます。
次話は明日24日朝7時更新予定です。




