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私の家賃、君の【胸キュン】で払えますか? ~ときめき発電寮の管理人になりました~  作者: 明石竜


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9/20

第九キュン 水瀬のいない星見風寮

 五月の大型連休初日の朝、俺は玄関先で水瀬を見送っていた。

「水瀬先輩は、今日から合宿ですか?」

 すずが尋ねると、水瀬は玄関でスニーカーを履きながら答えた。

「うん。部活の合宿があるから、数日だけ寮空けるね」

「合宿って、テニス部の?」

「そう。連休中ずっとってわけじゃないけど」

 水瀬はリュックを背負い直しながら、少し名残惜しそうにリビングを振り返った。

「みんな、私がいない間もちゃんとやっていけそう?」

「なんだよそれ、俺が心配されてるみたいじゃないか」

「実際心配だし」

 軽口を叩き合ってから、水瀬は秋月先生の車で駅まで送ってもらうことになった。

     ☆

「小松さんは、実家帰らないんですか?」

「あ……私は、今回はいいです」

 俺が尋ねると、すずは小さく首を振った。理由を深く聞くのは違う気がして、それ以上触れなかった。

「有馬先輩は?」

 奏はのんびりとキャンバスを取り出しながら答えた。

「今、コンクール用の作品制作中でね。締め切りが連休明けだから、帰るタイミングじゃないの」

「白峯は」

「私は、この連休を使って、これまでのデータをまとめる時間に充てるつもりよ。人が少ない方が、集中して作業できるわ」

「理由がそれぞれ違いすぎて逆に面白いな」

 俺がそう言うと、奏がくすくす笑った。

     ☆

 連休初日、寮は普段よりずっと静かだった。

 いつもなら誰かの声が飛び交っているリビングも、今日は物音がまばらにしか響かない。

「なんか、変な感じですね」

 すずが、いつもより静かなリビングを見回しながら呟いた。

「人数少ないと、こんなに変わるもんなんだな」

「私は、静かな方が好きですけど」

「すずちゃんらしい感想」

 奏がスケッチブックを片手に、リビングの隅に腰を下ろす。

     ☆

 昼過ぎ、俺は昼食の準備をしながら、今日は何を作ろうかと考えていた。

「四人分だけだと、量、少なめでいいのか」

「私はいつも通りでいいよ」

「私も、あまり食べられないので、少なめで」

 すずが控えめに答える。

「量産型カレーでも作るか」

 鍋を火にかけながら、俺はふと、いつもより台所が広く感じることに気づいた。

 水瀬がいると、必ずどこかで口を挟んでくる。それがないだけで、こんなに違うものかと思った。

     ☆

 昼食を終えた後、理央がタブレット片手にリビングへやってきた。

「せっかくだから、今日は近所を少し歩いてみない?」

「珍しいな、白峯がそんな提案するの」

「研究のためよ。人数が少ない環境での感情反応データを取りたいの」

「結局データかよ」

「他に理由が必要?」

 理央はいつも通りの真顔で言い切ったが、その口調のどこかに、少しだけ弾んだ気配があった。

     ☆

 午後、四人で近所の商店街を歩くことになった。

 連休中の商店街は、いつもよりのんびりした空気に包まれている。

「あ、この和菓子屋さん、久しぶりに来ました」

 すずが、通りかかった店先で足を止めた。

「気になるなら入ってみるか」

「あ……はい」


 店に入ると、すずは楽しそうに団子の種類を見比べていた。

「亮太郎くん、これ食べてみて」

 奏が試食用の団子を、俺の口元にひょいと差し出した。

「え、いや、自分で食べます」

「いいから、味見」

 断る間もなく、団子が口の中に押し込まれる。

「……美味しいですけど、これ絶対必要なかったですよね、この渡し方」

「たまにはいいでしょ」

 奏はいたずらっぽく笑っていた。

 ――ピコン。

『感情エネルギーを検出しました。一・四キュン』

「あ、鳴ったわね」

 理央がすかさずタブレットを確認する。

「先輩、狙ってやってません?」

「狙ってないよ、ただの気まぐれ」

 その言い方が、逆に怪しかった。

     ☆

 商店街を歩いているうちに、すずが突然、小さな声を上げた。

「あ、あそこ」

 視線の先には、『喫茶こもれび』と書かれた古い看板があった。

「あの店、気になるのか」

「昔、家族でこの街に来た時に、入ったことがあって……まだあったんですね」

 すずの声には、懐かしさが滲んでいた。

「じゃあ、入ってみるか」

「え、でも」

「せっかくだし。今日はゆっくりできる日だろ」

 少し迷った様子だったが、すずは小さく頷いた。

     ☆

 喫茶こもれびの中は、昔ながらの雰囲気で統一されていた。

 窓から差し込む午後の光が、テーブルの木目をやわらかく照らしている。

「懐かしい感じ、しますね」

 すずが店内をゆっくり見回しながら呟いた。

「そんなに前に来たの?」

 俺が聞くと、すずは少し考えるように視線を上げた。

「小学生の頃だったと思います。家族でこの辺りに遊びに来て、その時に」

「じゃあ、この街に来たことはあったんだな」

「はい。だから、高校を選ぶ時も、少しだけ安心だったんです」

「安心?」

「まったく知らない街じゃなかったから」

 すずは窓の外の商店街に目を向けた。

「実家からは遠いですけど、ここなら知ってる場所が少しあるって思えて。それで、この学校を選ぶ理由の一つにはなりました」

「なるほどな」

「でも、寮に入るのはやっぱり怖かったですけど」

 すずは少しだけ笑った。

「すずちゃんの実家って、どんな感じなの?」

 奏が興味深そうに尋ねると、すずは少し考えてから答えた。

「その……あんまり、賑やかな家じゃなくて。だから、この寮に来て、みんなでご飯食べたりするの、最初はすごく戸惑いました」

「今は?」

「今は……嬉しい、です」

 小さな声だったが、はっきりとした言葉だった。

 その一言に、理央がすかさずタブレットを覗き込んだ。

「今の発言、発電量、地味に高いわね」

「わ、私、変なこと言いましたか」

「変じゃないわ。むしろ、率直な感情表現として、興味深いデータよ」

「分析やめてください……」

 すずが恥ずかしそうに俯く様子に、俺と奏は思わず笑ってしまった。

     ☆

 喫茶店を出た頃には、夕方に差し掛かっていた。

 商店街の明かりが、少しずつ灯り始めている。

「そういえば、水瀬先輩、今頃合宿でどうしてるかな」

 すずがふと思い出したように呟いた。

「テニス部の合宿だから、今頃走らされてるんじゃないか」

「想像すると、ちょっと面白いですね」

「水瀬先輩がいないと、なんか寮、静かですよね」

 すずの言葉に、俺は密かに同意していた。

     ☆

 寮に戻ると、夕食の準備の時間になっていた。

「今日は、四人だけだから、いつもより早く終わりそうだな」

「私、洗い物手伝うわ」

 理央が珍しく自分から申し出てきた。

「珍しいな、自分から手伝うなんて」

「効率的な作業分担を考えているだけよ」

「それ、手伝いたいってことでいいんだよな」

「否定はしないわ」

     ☆

 夕食の席は、いつもより静かだったが、その静けさには不思議と居心地の良さがあった。

「明日はどうする?」

「私は、引き続き作品制作かな」

「私は、データ整理の続き」

「私も、その、部屋で本読んだりして過ごそうかと」

 それぞれの予定を聞きながら、俺は少し考えて言った。

「じゃあ明日は、みんなで映画でも見るか。せっかくの連休だし」

「珍しく、あなたから提案するのね」

「たまにはいいだろ」

「賛成」

 奏がすぐに手を挙げ、すずも小さく頷いた。

     ☆

 翌日、リビングには即席の映画上映会の準備が整っていた。

「これ、何のジャンル見るの?」

「有馬先輩の趣味に合わせようかと思って、恋愛映画にしてみました」

「あら、亮太郎くんの選書、意外と乙女なんだね」

「選書じゃなくて映画選びです。あと、からかわないでください」

 照れ隠しに言い返す俺を見て、すずがくすっと笑った。

     ☆

 映画が進むにつれ、リビングの空気は次第に和んでいった。

 クライマックスの告白シーンで、すずが思わず両手で口元を覆う。

「わ、私、こういうシーン、なんか、緊張しちゃいます」

「すずちゃん、感情移入しすぎ」

 奏が笑いながら言うと、すずは慌てて首を振った。

「あ、す、すみません」

 その様子を見ていた理央が、ふと真剣な表情でタブレットを確認した。

「今の反応、発電量、いつもより高めね」

「え、私、発電してたんですか?」

「フィクションの登場人物への感情移入でも、実際の反応が出るのは興味深いデータだわ」

「分析対象にしないでください……」

     ☆

 映画が終わる頃には、外はすっかり夕暮れに染まっていた。

「なんか、今日一日、すごく穏やかでしたね」

 すずがぽつりと言った。

「水瀬がいないと、なんかバランスが違うけど、これはこれで、悪くないな」

 俺がそう言うと、奏が少し意味深に笑った。

「亮太郎くん、ひよりちゃんのこと、結構気にかけてるよね」

「べつに、普通に気にかけてるだけです」

「その『普通に』が、ちょっと気になるところなんだけどな」

 からかうような口調に、俺は思わず言葉に詰まった。

     ☆

 その夜、俺は洗い物をしながら、この二日間のことを振り返っていた。

 四人だけの寮は、いつもより静かで、いつもより落ち着いていた。

 それでも、賑やかな寮の日常に、確かに慣れてしまっている自分に気づいた。

 水瀬がいないこの二日間、リビングの空気にはどこか物足りなさがあった。

            ☆

 連休三日目の夜、寮のグループチャットに、水瀬から一通のメッセージが届いた。

『合宿、思ったよりハードだった。明日帰るね。みんな元気?』

 短い文面だったが、いつもの水瀬らしい調子が伝わってくる。

「元気だよって、返しとくか」

 俺がそう呟くと、奏が横から画面を覗き込んできた。

「亮太郎くん、返信早いね」

「べつに、普通の速度です」

「へえ」

 からかうような視線を向けられ、俺はそれ以上何も言えなかった。

     ☆

 窓の外には、五月の柔らかな夜風が吹いていた。

 寮の照明は、いつもより少し静かに灯っている。

 ひより一人いないだけで、これほど寮の雰囲気が変わるのだと、俺は改めて実感していた。それと同時に、この寮の賑やかさが、いつの間にか自分にとって当たり前のものになっていることにも、気づかされていた。

「早く、戻ってこないかな」

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