第十キュン 連休中、俺だけバイトすることになりました
連休四日目の朝、俺は秋月先生に呼び出されていた。
「寺坂くん、ちょっとお願いがあるんだけど」
「なんですか、嫌な予感しかしないんですけど」
「そんな警戒しないでよ」
秋月先生は、コーヒー片手にリビングのソファにもたれかかった。
「学園の近くにある喫茶店、知ってる? 『喫茶りんどう』ってところ」
「あの、商店街の奥の店ですか」
「そう。オーナーの知り合いなんだけど、連休中、人手が足りなくて困ってるらしくてね」
「まさか」
「そのまさかだよ。今日だけでいいから、バイトしてもらえないかな」
「俺、寮の管理業務あるんですけど」
「連休中は緊急対応以外、業務そんなに忙しくないでしょ。むしろ、外で働く経験、いい息抜きになると思うよ」
軽い調子で言われると、断りきれない空気になってしまう。
「日当も出るし、悪い話じゃないと思うけど」
「日当って言われると、ちょっと心が揺れますね」
「でしょ」
結局、俺は喫茶店でのバイトを引き受けることになった。
☆
俺は動きやすい私服に着替え、財布とスマートフォンをポケットに入れた。
「よし、行くか」
リビングに降りると、奏がキャンバスに向かい、すずはソファで本を読んでいた。理央はいつものようにタブレットを操作している。
「じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい、亮太郎くん」
「あ、いってらっしゃいです」
「何か興味深いデータが取れたら教えて」
「バイトしに行くだけだからな」
理央にそう返して、俺は寮を出た。
☆
喫茶りんどうは、想像していたよりも本格的な内装の店だった。
「寺坂くん、だよね。よろしくね」
オーナーの女性は、忙しなく動きながらも、丁寧に挨拶をしてくれた。
「まず、これに着替えてもらえる?」
渡されたのは、白いシャツと黒いエプロンだった。
「制服、あるんですね」
「一応ね。サイズ、たぶん合うと思うから」
更衣スペースで着替え、鏡を見る。
普段の学校の制服とはだいぶ雰囲気が違う。
「まあ、店員には見えるか」
簡単な説明を受けた後、俺はすぐに仕事に取りかかった。
☆
想像以上に忙しかった。注文を取り、料理を運び、テーブルを片付ける。慣れない動きに戸惑いながらも、なんとか午前の営業を乗り切った。
「寺坂くん、思ったより動けるね」
オーナーが感心したように声をかけてくれる。
「寮の家事で、多少は慣れてるので」
「あら、家事得意なんだ」
「そんな感じです」
軽い会話を交わしながら、俺は午後の休憩に入った。
☆
昼過ぎ、休憩がてら店の外に出ると、見慣れた顔ぶれが店の前に立っていた。
「あ、いた」
水瀬の声だった。合宿から戻ってきたばかりらしい。
「なんでみんなここに」
「差し入れ持ってきたんだよ」
奏が、紙袋を掲げて見せる。
「すずちゃんが、管理人さんのバイト先気になるって言うから」
「わ、私、そんな強く言ってないです」
すずが慌てて否定する。
その横で、水瀬が俺をじっと見ていた。
「……なに」
「いや、その格好」
水瀬の視線が、白いシャツから黒いエプロンへと落ちる。
「なんか、いつもと違う」
「店の制服だよ」
「それは見れば分かるけど」
水瀬は少し言葉を濁してから、もう一度俺を見る。
「……ちゃんと店員っぽい」
「褒めてるのか、それ」
「たぶん」
その瞬間だった。
――ピコン。
水瀬のスマートフォンが、小さく震えた。
「あ」
水瀬が慌てて画面を確認し、そのまま隠すようにしまい込んだ。
「見なかったことにして」
「見えたけど」
「見なかったことにして!」
「私も、ちょっと分かります」
すずが小さく手を挙げた。
「学校の管理人さんと、雰囲気が違います」
「小松まで?」
「うん。結構似合ってるよ」
奏まで楽しそうに笑う。
理央だけは、いつものようにタブレットへ視線を落としていた。
「なるほど。服装と環境の変化によって、対象への印象が変化した可能性があるわね」
「また分析始まったよ」
「興味深いデータよ」
☆
休憩時間が終わりに近づき、俺は再び店の中に戻る準備をした。
「私たち、もう少しここで見てていい?」
奏がのんびりと聞いてくる。
「見物する理由があるんですか?」
「単純に面白いから」
「理由になってないです」
☆
結局、寮の四人はしばらく店の窓際の席に座り、俺の仕事ぶりを見物することになった。
注文を取りに行くたびに、四人の視線が痛いほど突き刺さってくる。
「亮太郎くん、意外と手際いいね」
「先輩、コメントしなくていいです」
「ご注文は」
「ホットコーヒーを、亮太郎くん風によろしく」
「普通に頼んでください」
すずが、恐る恐る手を挙げた。
「あの、私、オレンジジュース、お願いします」
「かしこまりました」
丁寧に応じると、すずは小さく身を縮めた。
「わ、私、こういうの、なんか緊張します」
「普通の注文だぞ、これ」
「知ってます、でも」
☆
注文を受けて厨房に戻る途中、オーナーが小声で話しかけてきた。
「寺坂くん、あの子たち、彼女さんたち?」
「いや、その、寮の同居人というか」
「へえ、賑やかそうな寮だね」
説明が難しく、俺は曖昧に笑うことしかできなかった。
☆
午後の営業が進む中、四人はしばらく店内でくつろぎながら、時折こちらを観察するように視線を送ってきていた。
「なんか、監視されてるみたいなんですけど」
俺が配膳のついでに小声で言うと、理央が真顔で答えた。
「監視ではなく、観察よ」
「同じことだろ」
☆
夕方近く、四人はようやく帰り支度を始めた。
「じゃあ、私たちはそろそろ帰るね」
「今日はありがとうございました」
「とくにありがとうって言われるようなことしてないだろ」
「いや、貴重なデータが取れたから、感謝はしてるわ」
「その理由、微妙に嬉しくない」
☆
「あ、そうだ」
水瀬が、帰り際にふと立ち止まった。少し何かを考えるような表情を見せてから、小さく続けた。
「このあとも頑張って」
いつもより素直な一言に、俺は少し意表を突かれた。
「あ、ああ、ありがとう」
「べ、べつに、深い意味はないから」
水瀬はそう言い残すと、逃げるように店を出て行った。
☆
夜七時前、寮に戻ると、奏はリビングでスケッチブックを広げていた。
「亮太郎くん、おかえり。バイトお疲れさま」
「ただいまです。先輩、まだ描いてたんですか」
「うん。でも、思ったより順調に進んだから、明日は少し休むことにした」
「珍しいですね」
「それでね。明日だけ、実家に帰ろうかなって」
「実家?」
「日帰りだけどね。せっかくだし、亮太郎くんたちも遊びに来ない?」
思いがけない誘いに、俺は奏の顔を見返した。




