第六キュン 管理人、学校でも管理してください
今日は始業式。新しい学年での学校生活が本格的に始まる。
その日の朝、寮のリビングで朝食を取っていると、理央がタブレットから顔を上げた。
「そういえば寺坂くん、一つだけ確認しておくけど」
「何だ?」
「学校では、寮の発電実験について話さないでね。学園の関係者以外には秘密にする契約になってるから」
「分かってる」
「水瀬さんも」
「分かってるって」
感情変換技術の実証実験。学園の看板事業でもあるらしいそれは、対外的には伏せられているという。校内でも知っている教師や生徒はごく一部らしい。
「……では、いってらっしゃい」
同じ寮に住んでいることがばれないように、俺は水瀬たち三人から少し時間をずらして、最後に寮を出ることにした。
すずは一年生なので、入学式は明日だ。今日は寮に残っている。
☆
制服のブレザーに袖を通して学校へ向かうと、久しぶりの校内は春休み中とはまるで空気が違っていた。
廊下には新学期特有のざわめきが満ちている。
張り出されたクラス表を確認してから教室に入ると、すでに席に着いていた水瀬と目が合った。
「寺坂、同じクラスじゃん」
「みたいだな」
「まさか同じクラスになるなんて。しかも席近っ」
「寮でも学校でも顔合わせることになるのか」
「それ、こっちの台詞だから」
水瀬はそう言いながら、少しだけ呆れたように笑った。
このあと体育館で始業式があり、その後もホームルームだけで、特に大きなこともなく終わった。
水瀬と同じクラスになったこと以外は、拍子抜けするくらい普通の一日だった。
秋月先生が担任じゃなかったことには、正直ほっとした。担当学年も違うらしく、学校内で関わることはほとんどなさそうだ。
次の日も、午前中は国語、英語、数学の前学年の復習テストとホームルームだけで、解散となった。
寮のことが誰かにばれるんじゃないかと少し警戒していたけれど、結局、何事も起こらなかった。
正直、少しほっとした。
午後には、一年生の入学式が行われた。すずも今日から正式に翠和丘学園の生徒になる。
朝、いつもより少し緊張した顔で制服を整えていた姿を思い出しながら、俺は寮で帰りを待った。
しばらくして、玄関の扉が開いた。
「ただいま、戻りました」
「おかえり。入学式どうだった?」
「すごく緊張しました……あと、在校生からの祝辞が生徒会長さんからあったんですけど……ちょっと怖そうな人だなって思いました」
「ああ、俺もそう思う」
☆
そして、新学期三日目。その日から、本格的に授業が始まった。
午前の授業が終わって、購買に向かう途中だった。
「水瀬、購買行くなら――」
声をかけようとした瞬間、水瀬のスマートフォンが小さく震えた。
「あ」
水瀬が慌てて画面を隠すように伏せる。
「なんだよ、その反応」
「な、なんでもない」
あからさまに動揺している水瀬の手元を、俺はつい覗き込んでしまった。
画面には、見覚えのある通知が表示されていた。
『本日の発電量 +2.1キュン』
「……これ」
「見るな!」
水瀬がスマホを胸元に抱え込む。
「寮のアプリ、学校でも通知来るのかよ」
「知らなかったの私も! 昨日、理央が勝手に設定変えたみたいで」
最悪だ、と水瀬が小声で呟いている。
廊下を行き交う生徒たちの声が、いつもより遠くに聞こえた。
「今の、俺と話しただけで発電したってことだよな」
「うるさい、言わないで」
水瀬の顔が見る間に赤くなっていく。廊下の途中で、これ以上ないくらい分かりやすい反応だった。
☆
そのあとも、何度も同じことが起きた。
教室で目が合っただけで、通知音。
五時間目の授業中、水瀬が落とした消しゴムを拾って渡しただけで、通知音。
次の休み時間、廊下ですれ違いざまに挨拶しただけで、通知音。
そのたびに水瀬はスマホを鞄の奥にしまい込もうとしたが、通知音だけはどうにも消せないらしかった。
☆
「もう限界」
放課後、水瀬がスマホをテーブルに突っ伏すように置いた。
「一日に何回鳴ったんだよ、それ」
「数えたくもない」
教室に差し込む夕方の光が、机の木目をオレンジ色に染めている。
そこへ、クラスメイトの女子が数人、興味津々の顔で近づいてきた。
「ねえ水瀬、さっきからスマホ鳴りすぎじゃない? 彼氏からLIME?」
「ち、違う!」
「じゃあ何、あんなに顔赤くして」
「本当に違うから!」
水瀬が必死に否定すればするほど、周囲の目は疑わしげになっていく。
「寺坂くんと最近よくいっしょにいるって聞いたけど」
「同じ寮に住んでるだけで、それ以上の意味はないから!」
「寮? 同じところに住んでるの?」
言わなくていいことまで口を滑らせて、水瀬は自分の失言に気づいたように口を押さえた。
「あ……」
「へえ、同棲じゃん」
「同棲じゃない!」
教室中の視線が、俺たちに集まっているのが分かった。教室の隅で誰かがひそひそと囁く声すら、やけにはっきりと耳に届いた。
俺は、これ以上ややこしくならないうちに割って入ることにした。
「寮の管理人代理をやってるだけだ。誤解されるようなことは何もない」
できるだけ平静を装って言ったつもりだったが、うまく伝わったかどうかは分からない。
女子たちは納得したようなしていないような顔で、それぞれの席に戻っていった。教室の空気が、少しずつ普段の放課後の喧騒に戻っていく。
「はあ……もう、今日一日で寿命縮んだ」
放課後の帰り道、水瀬が心底疲れた顔でため息をついた。
「悪いな、変な誤解させて」
「寺坂のせいじゃないでしょ。このスマホがおかしいの」
水瀬は憎々しげにスマホの画面を睨みつけている。
「明日、理央に絶対通知切ってもらうから」
「そうしろ」
☆
夕方の通学路には、桜の花びらがまだ少し残っていて、風が吹くたびに舞い散っていた。アスファルトの隙間に溜まった花びらが時折、靴の下でかさりと音を立てる。
「なあ」
「何」
「学校でも寮でも、同じことでいちいち騒がれるの、大変だな」
「本当にそう思う」
水瀬が投げやりに答える。その声には、疲労の中にも、どこか諦めきれない苦笑が混じっていた。
「でも」
少し間を置いてから、水瀬が続けた。
「べつに、迷惑してるとかじゃないから。ただ、恥ずかしいだけで」
その言い方が、いつもの強気な口調より少しだけ柔らかかった。
「……そっか」
俺はそれ以上、何も言えなかった。
スマホの通知音が、また小さく鳴った気がしたが、確かめる勇気はなかった。
夕焼けに染まった通学路を、俺たちはしばらく無言のまま並んで歩いた。
電柱の影が、道の端に長く伸びている。歩くたびに、その影を追い越したり、追い越されたりしながら、俺たちは並んで歩き続けた。
「そういえば、今日の通知、何回鳴ったんだっけ」
俺がふと思い出したように尋ねると、水瀬はうんざりした顔で答えた。
「五回……たぶん」
「たぶんって」
「数えたくなかったの」
「いや、五回って言えてる時点で数えてるだろ」
「うるさい」
軽口を叩き合いながらも、俺と水瀬の間には、これまでとは少し違う空気が流れていた気がした。
通学路の途中、コンビニの前を通りかかると、水瀬がふと足を止めた。
「アイス買おうかな。今日、色々あって疲れたし」
「春なのにアイスか」
「べつにいいじゃん。それに、今日ちょっと暑いでしょ」
「確かに、今日は初夏みたいだったな。奢ってやろうか」
「え、いいの」
「今日の慰謝料代わりだ」
「慰謝料って言い方、変じゃない?」
水瀬が小さく笑った。その笑顔は、教室で見せていたものよりも、少しだけ自然に見えた。
コンビニで買ったアイスを片手に、俺たちは再び歩き始めた。冷たいアイスの棒を咥えながら、水瀬は特に何も言わず、ただ夕焼けの空を見上げていた。
「なあ、水瀬」
「なに」
「明日からも、こんな調子で通知鳴り続けたら、どうする?」
「知らない。学校来るの、やめたくなるかも」
「それは困る」
「なんで寺坂が困るのよ」
「いないと不便だろ、テストの前とか」
「そういう理由?」
「そういう理由」
軽い言い合いを続けながら、寮に着く頃には、空はすっかり茜色に変わっていた。夕焼けの光が、寮の白い外壁を優しいオレンジ色に染め上げている。
「ただいま」
水瀬が門をくぐりながら呟いた声に、俺も続くように呟いた。
「ただいま」
その一言が、普段よりも少しだけ、実感のこもった響きに聞こえた。
玄関を開けると、リビングから理央の声が飛んできた。
「おかえり。今日の発電通知、記録見たわ」
「見なくていいから!」
水瀬が慌てて靴を脱ぎ捨てながら、リビングへ駆け込んでいく。
その後ろ姿を見送りながら、俺は玄関先でしばらく立ち止まっていた。今日一日、教室で何度も鳴った通知音のことを思い返すと、正直、恥ずかしさと申し訳なさが半々だった。
それでも、帰り道でアイスを食べながら見た水瀬の笑顔だけは、不思議と胸の奥に、温かい余韻として残り続けていた。
玄関の明かりが、ぼんやりと橙色に灯っている。
寮の照明は、今日も無事に灯っていた。学校でどれだけ通知が鳴っても、それがどんな形で寮の電力に変換されたのかまでは、俺には分からない。
ただ、これからも、こういう騒がしい毎日が続くのかもしれないと思うと、不思議と悪い気はしなかった。俺は靴を脱ぎながら、リビングから漏れ聞こえてくる水瀬と理央のやり取りに、小さく耳を傾けていた。




