第五キュン お花見まで発電実験にしないでください
その日の夕方、名前呼びの一件でまだ気まずい空気が少し残る中、奏がのんびりとした調子でリビングに顔を出した。
「明日、天気もいいみたいだし、近くの公園でお花見しない?」
「急ですね」
「だって、来週にはもう散ってそうでしょ。たぶん明日が最後のチャンス」
窓の外を見ると、庭の桜が、もう随分と花びらを散らし始めていた。
「それに、せっかく新しい管理人さんも来たんだし。親睦会ってことで」
言われてみれば、入寮してから数日間、発電だの実験だのに振り回されて、のんびり花見をする時間なんて、一度もなかった。
「行きたい!」
真っ先に反応したのは水瀬だった。
「花見弁当とか、そういうの憧れてたし」
「弁当なら、俺が作りますよ」
「え、また寺坂に全部やらせるの?」
水瀬が少し不満そうな顔をする。
「管理人に全部やらせるのも違うでしょ。私も手伝う」
「私はおにぎり係、やります」
すずが控えめに手を挙げた。
「私は場所取りと、レジャーシートの準備するね」
奏がそう言うと、理央がタブレットを片手に付け加えた。
「私は開花状況のデータを確認しておくわ。明日の午後二時頃が、一番花びらの落下密度が低く、鑑賞に適していると予測される」
「白峯、そんなデータまであるのか」
「気象庁の観測データと、寮の庭の桜の生育状況を照らし合わせただけよ」
「花見にまでデータ持ち込むの、白峯らしいな」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
☆
翌日、日曜日。朝から、雲一つない青空が広がっていた。
花見の準備もあるからと、朝早く寮を訪れた秋月先生も、そのまま俺たちと一緒に朝食を取っていた。
「絶好の花見日和ね」
秋月先生は、コーヒーを片手に上機嫌だった。
「先生まで来なくても良かったんですが」
「そういうわけにはいかないわ。責任者だからね」
いつもの調子でそう言う秋月先生に、リビング全体が小さく笑いに包まれた。
朝食を終えると、俺たちは台所で花見の弁当作りに取りかかった。
水瀬は意外にも、包丁の扱いに慣れていた。
「水瀬、料理するのか」
「たまにね。家でも、少しは手伝ってたし」
人参を刻む水瀬の手つきは、危なげなく、思っていたよりずっとしっかりしていた。
昼過ぎ、近くの公園に、レジャーシートが広げられた。
公園の桜は、盛りを少し過ぎながらも、まだじゅうぶんに花をつけている。風が吹くたびに、薄紅色の花びらがはらはらと舞い落ちていった。
「わあ、綺麗……」
すずが、シートの上に座りながら、桜を見上げて呟いた。
「私、この公園の桜、毎年見てるけど、何度見ても綺麗だなって思うよ」
奏がのんびりと言いながら、持参した水筒からお茶を注いでいく。
俺は弁当箱の蓋を開けて、みんなの前に広げた。
卵焼き、唐揚げ、彩り野菜、そしてすずが握ったおにぎりが、綺麗に並んでいる。
「わ、美味しそう」
水瀬が真っ先に箸を伸ばした。
「すずちゃんのおにぎり、上手だね」
奏がおにぎりを一口食べて、感心したように言う。
「あ、ありがとうございます。祖母によく教えてもらってて」
すずが、少し嬉しそうに頬を緩めた。
理央は、タブレットを片手に、桜の枝ぶりを写真に収めていた。弁当の横に、ちゃっかり小型の測定端末まで置いていた。
「白峯、花見中まで記録取ってるのかよ」
「せっかくのデータよ。開花のピークと満開時の花びら密度を記録しておくと、来年以降の予測精度が上がるわ」
「花見に来てるんだから、少しは休んだらどうだ」
「これが私にとっての休息よ」
理央はそう言いながらも、タブレットを置いて、弁当に手を伸ばした。
☆
しばらくの間、俺と寮生たちは他愛のない話をしながら、のんびりと桜を眺めていた。
風が吹くたびに、頭上から花びらが舞い落ちてくる。時折、誰かの肩や髪に、桜の花びらがそっと降り積もった。
「なんか、こういうの、いいですね」
すずが、ぽつりと呟く。
「正直、この寮に馴染めるか不安だったんですけど、少し不安が和らぎました」
その言葉に、この場の空気が、少しだけ温かくなった気がした。
「寮生活って、ただでさえ最初は不安に感じるものだし、こんな変な寮ならなおさら不安があって当然よ」
水瀬が、桜を見上げながら言う。
「変な寮って言うな」
「変な寮でしょ、実際」
軽い言い合いに、周囲から小さな笑いが漏れた。
俺は空いた湯呑みを見つけて、みんなにお茶を注いで回った。
「水瀬、お茶」
「あ、ありがとう」
差し出した湯呑みを受け取る水瀬の手が、一瞬、俺の手に軽く触れた。
その瞬間だった。
――ピコン。
『感情エネルギーを検出しました。一・五キュン』
モニターが、小さく光った。
「……は?」
水瀬が、飲みかけのお茶を吹き出しそうになる。
「花見まで実験にするなよ」
俺が思わずそう言うと、理央がすかさず反応した。
「してないわ。勝手に記録されたの」
「勝手にって、まさか常時稼働してるのか、あの装置」
「基本的に常時稼働しているわ。今日は花見だからといって、止める理由がないもの」
「止める理由、普通にあると思うけど」
水瀬が、顔を赤くしながら抗議する。
「せめて今日くらいは、休ませてよ」
「データの継続性が失われるから、それは難しいわ」
「理央、そういうとこ、本当に融通利かないよね」
奏が、のんびりと笑いながら口を挟んだ。
☆
軽いやり取りが続く中、俺はふと、桜の木を見上げた。
風にそよぐ花びらの隙間から、柔らかな春の日差しが、レジャーシートの上に、まだら模様の光を落としている。
「来年も、こうやってみんなで花見できたらいいですね」
すずが、小さく呟いた。
「来年か。気が早いな」
「そう、ですかね」
「いや、悪くない話だと思う」
俺がそう答えると、すずは嬉しそうに頷いた。
☆
午後遅く、花びらの落下が次第に激しくなってきた頃、秋月先生が伸びをしながら言った。
「そろそろ片付けようか。夕方になると、少し肌寒くなるし」
「もう少しだけ、いいですか」
水瀬が、まだ名残惜しそうに桜を見上げていた。
「いいけど、風邪ひくなよ」
「大丈夫、少しだけだから」
結局、みんなでもう少しの間、桜の下に留まることになった。
片付けを始める頃、俺は弁当箱を集めながら、今日一日を振り返っていた。
途中で発電騒ぎはあったけれど、それ以上に、ただみんなで過ごした日曜日だった。思いのほか、心地よかった。
「今日は、ありがとうございました」
すずが、レジャーシートを畳みながら、小さく頭を下げた。
「べつに、たいしたことしてないだろ」
「いえ、みんなで過ごせて、すごく楽しかったです」
片付けを終え、みんなで寮に戻った頃には、空はすっかり夕暮れに染まっていた。
窓から差し込む橙色の光が、リビングのテーブルの上に置かれた空の弁当箱を、柔らかく照らしている。
「明日から、新学期だね。今まで以上に慌ただしくなりそう」
水瀬が、ふと思い出したように呟いた。
「今日みたいな、のんびりした日は、また作ろうな」
俺がそう言うと、水瀬は少し驚いたように俺を見て、それから小さく笑った。
「うん、そうだね」




