第四十キュン 発電ゼロで文化祭をやります
そうして迎えた――文化祭当日の朝。
私立翠和丘学園の敷地には、朝早くから来場者の姿がちらほらと見え始めていた。
校舎の廊下には色とりどりの装飾が並び、中庭では飲食ブースの準備が進んでいる。焼きそばやクレープの香りが漂い、体育館の入口付近には、どこかのクラスが制作した巨大なアート作品までいくつか飾られていた。
呼び込みの声や笑い声があちこちから響き、校内全体が普段とはまるで違う熱気に包まれている。
グラウンドに設けられた大型の展示エリアでは、マンガ部、地歴部、鉄道研究会、科学部、手品部などが、それぞれ展示やパフォーマンスを行っていた。
その隅の方に、星見風寮のブースはあった。
派手な飾りつけはない。
長机と数枚の展示パネル、それから発表用の資料だけ。
周囲の展示と比べれば、正直かなり地味だった。見にくる人もほとんどいない。けれど、今の俺たちには、そのくらいでちょうどよかった。
「準備、大丈夫か」
俺が声をかけると、理央が展示用のパネルを最終調整していた。
「ええ、方針通りに仕上げたわ」
パネルには、これまでの寮生活で記録された様々な感情の記録が、匿名化された形でまとめられている。安心、嬉しさ、驚き、憧れ――発電量という数字ではなく、それぞれの感情の種類ごとに整理された展示だった。
「本当に、これで大丈夫でしょうか」
すずが不安げにパネルを見つめる。
「発電量そのものは見せないんですよね」
「見せないよ。今日はあくまで、この寮でどんな感情が積み重なってきたか、それを伝える発表にする」
俺がそう答えると、すずは小さく頷いた。
「学園の審査員、もう会場に来てるみたいよ」
奏が窓の外を確認しながら言う。
「緊張してきた」
水瀬が展示ブースの前で、深呼吸を繰り返していた。
「大丈夫だよ、私たちがやってきたこと、素直に伝えればいいだけだから」
奏がのんびりとした口調で励ます。
☆
審査員たちが展示ブースにやってくると、理央が説明を始めた。
「星見風寮では、感情エネルギー変換技術の実証実験を行ってきました。今回は、その中で記録された感情の記録を、皆様にご紹介します」
パネルには、これまでの日常の一コマ一コマが、文章とイラストで丁寧にまとめられていた。
「発電量の実演は、今回行わないのですか?」
審査員の一人が、怪訝そうな表情で尋ねた。
「発電効率だけで、人の気持ちの価値は決められないと考えています」
俺は事前に用意していた言葉を、できるだけ丁寧に伝えた。
「感情は、電力に変換できる部分だけがすべてではありません。この寮で暮らす中で生まれた、様々な感情そのものに価値があると、俺たちは考えています」
審査員たちは、しばらく戸惑ったような表情を見せていた。
「学園としては、明確な発電成果を求めていたはずですが」
厳しい口調で指摘されると、寮生たちの表情に緊張が走った。
そのとき、思わぬ助け舟が入った。
「その点について、補足させていただいてもよろしいでしょうか」
声の主は、あのお方だった。
「神崎さん」
俺が驚いて振り返ると、神崎さんは淡々とした口調で審査員たちに向き直った。
「私は生徒会の立場から、星見風寮の監査を担当してきました。当初、私はこの制度に強く反対する立場でした」
神崎さんの言葉に、審査員たちが耳を傾ける。
「感情を数値化し、施設運営に利用することには、確かに倫理的な課題があります。しかし、実際に寮で過ごす時間を通して、私はこの寮の在り方が、当初の懸念とは異なる方向へ変化していることを確認しました。彼らは、感情を利用することの危うさに、自ら気づき、方針を転換しています。それは、単なる技術的な成果以上に、教育的な価値があると私は考えます」
神崎さんの言葉には、これまでの規則重視の姿勢とは違う、確かな実感がこもっていた。
「神崎さんが、そこまで言ってくれるとは」
水瀬が小さく呟いた。
審査員たちは、しばらく互いに顔を見合わせていた。
「……分かりました。今回の発表内容について、改めて検討させていただきます」
その言葉に、その場の空気がわずかに緩んだ。
☆
審査員たちが去った後、寮生全員が展示ブースの前でほっと息をついた。
「終わった……」
水瀬がその場に座り込む。
「まだ結果は出てないけどな」
「それでも、今できることは全部やった気がする」
水瀬の言葉に、俺も頷いた。
「神崎さん、さっきはありがとうございました」
俺が声をかけると、神崎さんは少し照れたような表情を見せた。
「監査役として、事実に基づいた発言をしただけです」
「そういうことにしておきます」
「そういうことです」
「でも、正直、神崎さんの考え方が変わってて、私は嬉しかったです」
すずが控えめに言うと、神崎さんはわずかに頬を緩めた。
「……この寮で過ごした時間が、無駄ではなかったということでしょう」
☆
文化祭の喧騒が続く中、寮生たちは展示ブースの片付けを始めていた。
「発電量ゼロの文化祭って、なんか変な響きだよね」
奏がのんびりと笑いながら言う。
「でも、これでよかったんだと思う」
俺がそう答えると、みんなが頷いた。
☆
その日の夕方、審査結果はまだ発表されていなかったが、寮生たちの表情には、これまでにない充実感が滲んでいた。
「結果、どうなると思う?」
水瀬が不安げに尋ねる。
「分からない。でも、少なくとも、後悔するような発表はしなかった」
俺の言葉に、水瀬は小さく笑った。
「そうだね」
☆
夕暮れの学園を、寮生たちは並んで歩いていた。
文化祭の賑わいが、少しずつ遠ざかっていく。
「今日一日、本当に長かったな」
「うん」
水瀬の返事は短かったが、その声には、これまでにない落ち着きがあった。
寮に戻る道の途中、空は徐々にオレンジ色から紫色へと変わり始めていた。




