第三十五キュン 発表原稿、書いては消してます
文化祭の発表方針が決まった翌日から、寮のリビングには、原稿用紙とノートパソコンが並ぶようになった。
「じゃあ、それぞれの担当パートを、まずは下書きしてみましょう」
理央がホワイトボードに、担当分けを書き出していく。
「技術的な説明は私。データのグラフ化は有馬先輩。デザインは小松さん。発表用の原稿は水瀬さん」
水瀬は少し緊張した面持ちで頷いた。
☆
その日の午後、リビングのあちこちで、各自が作業を始めた。
「こういう見せ方を考えるの、好きだから任せて」
奏が軽い調子でノートパソコンに向かい、すずも真剣な表情でタブレットのデザインアプリを操作し始める。
理央は、いつも通り黙々とデータをまとめていた。
水瀬だけが、テーブルの前で、真っ白な原稿用紙とにらめっこを続けていた。
「……」
ペンを手に取っては、少し書いて、すぐに消しゴムで消す。その繰り返しが、もう三十分近く続いていた。
「水瀬、進んでるか」
俺が声をかけると、水瀬は慌てて原稿用紙を隠すようにした。
「べ、べつに、順調」
「順調な人が、そんな隠し方しないだろ」
「うるさいな」
☆
夕方になっても、水瀬の原稿は、ほとんど進んでいなかった。
「今日はこれくらいにして、続きは明日にしましょう」
理央がそう提案すると、それぞれが作業を切り上げ始めた。
「水瀬先輩、大丈夫ですか?」
すずが心配そうに声をかける。
「大丈夫、明日には、ちゃんと形にするから」
水瀬は、無理に元気を装ったような声で答えた。
☆
翌日も、水瀬の原稿はほとんど進まなかった。
「これ、どういう風に書けばいいのか、全然分かんない」
水瀬が、リビングで一人、原稿用紙を睨みつけながら呟いていた。
「何に悩んでるんだ」
俺が尋ねると、水瀬はしばらく黙り込んでから、口を開いた。
「これまでの、私たちの発電の記録を、原稿にまとめる担当でしょ」
「そうだな」
「その中に、私自身の記録も含まれるわけじゃない」
「まあ、匿名化するとはいえ、内容としては、含まれることになるよな」
「それを、自分の言葉で説明しようとすると、なんか、うまく書けなくて」
水瀬の声には、これまでにない戸惑いが滲んでいた。
「例えば、どんな風に書こうとしたんだ」
「玄関でぶつかった話とか、勉強教えてもらった話とか、書こうとするんだけど」
「書こうとすると?」
「そのとき、自分がどう感じてたか、思い出しちゃって。それを文章にするのが、なんか、すごく恥ずかしくて」
水瀬は頬を赤くしながら、消しゴムのカスを手のひらで払っていた。
「無理に詳しく書かなくてもいいんじゃないか」
「でも、ちゃんと伝わる説明にしないと、審査員に納得してもらえないでしょ」
水瀬の責任感の強さが、逆に彼女を追い詰めているようだった。
その様子を見ていた奏が、ふと会話に加わってきた。
「ひよりちゃん、いっそのこと、私が代わりに書こうか?」
「え、いいんですか」
「うーん、でも、それだと、ひよりちゃんの言葉じゃなくなっちゃうよね」
奏は少し考えてから、そう続けた。
「発表原稿って、正確さも大事だけど、本人の実感がこもってる方が、絶対に説得力あると思うんだよね」
「本人の実感、ですか」
「うん。ひよりちゃんが、実際にどう感じてきたか、それを素直に書いた方が、きっと伝わると思う」
「素直に書くのが、一番難しいんですけど」
水瀬が、力なくそう答えた。
「そうだよね、簡単じゃないと思う。でも、時間かけて、少しずつでいいんじゃないかな」
☆
その夜、寮のリビングで、俺は片付けを終えた後も、水瀬の様子が気になって、しばらく残っていた。
「まだ書いてるのか」
「うん、少しだけ」
水瀬は、机の上に何枚もの丸められた原稿用紙を積み上げていた。
「これ全部、書いては消してるやつか」
「そう。全然うまくいかない」
水瀬は、疲れたようにため息をついた。
「試しに、声に出して話してみたらどうだ」
「声に出すって」
「文章にしようとすると、身構えちゃうかもしれないけど、話す感じなら、少しは楽になるかもしれないだろ」
俺の提案に、水瀬は少し考え込んだ。
「じゃあ、聞いてもらっていい?」
「ああ」
水瀬は深呼吸を一つしてから、ゆっくりと話し始めた。
「四月に寺坂がこの寮に来てから、こんな変な毎日になるなんて、思ってもみなかった」
「うん」
「玄関でいきなりぶつかって、変な数字が出て、それから、なんだかずっと振り回されてる気がしてた」
「でも、今思うと、それが全部、この寮での大事な時間の、始まりだったんだと思う」
水瀬の声は、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「最初は数字にされることが、すごく嫌だった。自分の気持ちが、勝手に測られて、みんなに見られるのが、怖かった」
「うん」
「でも、今は、少しだけ、考え方が変わった気がする」
「数字そのものが、大事なんじゃなくて、その数字の裏にある、私たちの毎日の積み重ねが、大事なんだって、最近、思うようになった」
水瀬の言葉には、これまでにない確かな実感がこもっていた。
「今の、そのまま書けばいいんじゃないか」
俺がそう言うと、水瀬は驚いたように顔を上げた。
「え、今の、そんなに、まとまってなかったけど」
「まとまってなくても、ちゃんと伝わったけどな、俺には」
「そう、かな」
「ああ」
水瀬は、少し照れたような表情を見せてから、原稿用紙に向き直った。
「もう一回、書いてみる」
今度は、先ほどよりもスムーズに、ペンが動き始めていた。
俺はその様子を見守りながら、大人しく隣に座っていた。
しばらくして、水瀬が顔を上げた。
「できた、かも」
「見せてもらっていいか」
「……恥ずかしいけど、いいよ」
差し出された原稿には、これまでの寮での出来事が、飾らない言葉で綴られていた。
派手な表現はなくても、そこには確かに、水瀬自身の実感がこもっていた。
「これ、いいと思う」
「本当に?」
「ああ、素直な言葉で書けてる」
「寺坂のおかげ、かも」
水瀬がぽつりと呟いた一言に、俺は少し驚いた。
「俺、話聞いてただけだけど」
「話を聞いてくれる人がいたから、言葉にできたんだと思う」
そのときだった。
――ピコン。
壁の外の予備モニターが、微かに光った。
「あ」
水瀬が慌てて自分のスマートフォンを確認する。
「表示、非表示にしてたはずなのに」
「予備の方は、記録だけは続いてるみたいだからな」
「もう、こういうタイミングで、いちいち鳴らないでよ」
水瀬は顔を赤くしながら、原稿用紙を胸に抱えた。
「まあ、今のは、悪い意味じゃないだろ」
「分かってるけど、恥ずかしいの!」
☆
その夜遅く、水瀬は無事に原稿を書き終えた。
「明日、理央に見てもらう」
「いいと思う」
「あと、ありがとう、付き合ってくれて」
「べつに、たいしたことしてないけど」
「ううん、たいしたことだよ」
水瀬はそう言うと、書き上げた原稿を大事そうに封筒に入れた。
「これで、少しは、ちゃんと寮のために、役に立てるかな」
「もうじゅうぶん役に立ってるだろ、これまでも」
「それは、寺坂の意見でしょ」
「みんなの意見だと思うけどな」
軽く言い合いながらも、水瀬の表情には、これまでの迷いが晴れたような、清々しさが浮かんでいた。
部屋に戻る前、俺は水瀬に一つだけ尋ねた。
「今回の原稿書いて、何か気づいたこと、あるか」
水瀬はしばらく考えてから、冷静に答えた。
「自分の気持ちを、言葉にするのって、思ってたより悪くないんだなって」
「そうか」
「今回、ちゃんと言葉にしてみて、なんか少し、自分の気持ちに、正直になれた気がする」




