第三十二キュン 水瀬だけ、数値が見えなくなった
六月も残り数日となった頃、寮の管理システムに新しい機能が追加された。
「個人表示のオン・オフ機能、実装したわ」
理央がタブレットを操作しながら説明する。
「本人の希望があれば、自分の発電数値を非表示にできるようになったの」
「なんでまた、そんな機能を」
「以前、水瀬さんがタオルで無理やり隠していたでしょう。あれを正式な機能として実装した方が合理的だと判断したわ」
「あの応急処置、まさか正式採用されるとは思わなかった」
発表と同時に、真っ先に手を挙げたのは水瀬だった。
「私、それ、今すぐ設定したい」
「予想通りね」
理央が苦笑気味に頷く。
「さっそく、水瀬さんのアカウントを非表示設定にするわ」
「うん、お願い」
水瀬は迷いのない様子で頷いた。
「これで、もう誰にも見られない」
水瀬は自分のスマートフォンを確認しながら、ほっとしたような表情を浮かべた。
「本当にそれでいいのか」
「いいの。数字なんて、なくてもいいものだから……これで、私が何考えてるか、分からなくなるね」
「そうだな」
「それでいい。数字に教えてもらわないと分からないなら、その程度ってことでしょ」
水瀬の口調には、これまでのような焦りではなく、静かな決意のようなものが感じられた。
☆
その日以降、俺の目には、水瀬に関する発電表示が一切映らなくなった。
これまでなら、何かのきっかけで小さな数値が浮かんでいた場面でも、モニターは静かなままだった。
「なんか、変な感じだな」
台所で洗い物をしながら、俺はぽつりと呟いた。
「何が変なの」
隣で皿を拭いていた水瀬が聞き返す。
「いや、数字が見えないと、その、今の反応がどうだったのか、分からないなって」
「べつに分からなくていいでしょ」
水瀬はそう言いながらも、少しだけ表情を緩めた。
数値が見えなくなったことで、俺の中で何かが変わり始めていた。
これまでは、モニターの数字を見て、水瀬が何かを感じたかどうかを確認していた部分があった。
しかし今は、その手がかりが一切ない。
「なあ、水瀬」
「なに」
「数字がなくても、俺はこいつの気持ちを分かるのか?」
思わず声に出してしまった疑問に、水瀬が不思議そうにこちらを見た。
「今、何か言った?」
「いや、独り言」
誤魔化しながらも、俺の中でその問いは残り続けていた。
☆
その後の数日間、俺は水瀬の些細な表情や仕草に、以前より注意を払うようになっていた。
朝の挨拶をする時のわずかな声のトーン。
夕食の席で、何かに反応した時の一瞬の間。
目を合わせた時、逸らすまでの時間。
数値という分かりやすい指標がなくなったことで、逆に、水瀬という一人の人間そのものを見るようになっていた気がした。
☆
「最近、なんか私のこと、じっと見てくる気がするんだけど」
ある日の夕食後、水瀬が疑わしげに聞いてきた。
「べつに、そんなつもりないけど」
「絶対見てる。理由言って」
「いや、その、数字が見えないから、代わりに」
言いかけて、俺は言葉に詰まった。
「代わりに、何」
「……表情とか、見るようになったっていうか」
水瀬が一瞬、驚いたように目を見開いた。
「な、なにそれ」
「いや、変な意味じゃなくて」
「変な意味じゃなくてって言われると、逆に意識するじゃん」
水瀬の頬が、みるみる赤くなっていく。
――しかし、モニターは静かなままだった。
「今の、絶対発電してるはずなのに」
俺が思わず呟くと、水瀬は慌てて自分の顔を両手で覆った。
「見えないようにしてるんだから、見ようとしないでよ」
「見ようとしてるわけじゃなくて」
「いっしょでしょ!」
言い合いになりながらも、俺はどこか奇妙な感覚を覚えていた。
数字という客観的な証拠がなくても、水瀬が今、何かを感じているらしいことは、確かに伝わってくる。
それは、これまでのどんな数値よりも、はっきりとした実感だった。




