第三十キュン 小松すず、寮がなくなる夢を見ました
寮の廃止候補が正式に通知された、その夜だった。
小松すずは夢を見た。
「……っ」
すずは自室のベッドで、小さく息を呑んで目を覚ました。
心臓が、いつもより速く脈打っている。
夢の中で、すずは一人、誰もいなくなった星見風寮の廊下に立っていた。
夢の内容は、断片的にしか覚えていなかった。
ただ、寮の扉に「閉鎖」と書かれた紙が貼られていたことだけは、はっきりと記憶に残っていた。
誰もいないリビング。電気の消えた廊下。自分の荷物だけが、玄関先に置き去りにされていた。
時計を見ると、深夜二時を少し過ぎている。
もう一度眠ろうとしたが、目が冴えてしまって、なかなか寝付けなかった。
「……お茶」
喉の渇きを覚え、すずはそっと部屋を出て、台所へ向かった。
☆
台所の明かりをつけると、テーブルの前に、先客がいた。
「あ……」
「小松、こんな時間にどうした」
亮太郎だった。手元には、飲みかけの麦茶が置かれている。
「わ、私も、喉が渇いて」
「そうか」
すずはコップに麦茶を注ぎながら、亮太郎の向かいの椅子にそっと腰を下ろした。
「亮太郎先輩は、なんでこんな時間に」
「なんとなく、眠れなくて」
「そう、ですか」
二人の間に、しばらく静かな時間が流れた。
「小松、なんか顔色悪いな」
亮太郎がふと気づいたように言った。
「……大丈夫です」
「無理してないか」
優しく問いかけられ、すずは少し迷った末に、小さく口を開いた。
「じつは、その、変な夢、見ちゃって」
「変な夢?」
「寮が、閉鎖されちゃう夢です」
すずの声は、少し震えていた。
「みんな、いなくなっちゃって、私一人だけ、取り残されてる夢で」
亮太郎は、真剣な表情で耳を傾けていた。
「そんな夢、見たのか」
「はい……起きた後も、なんだか胸がざわざわして」
「まあ、廃止候補の話聞いたあとだし、そういう夢見るのも、無理ないよな」
「私、この寮に来るまで、あんまり友達とか、うまく作れなくて」
すずはぽつりぽつりと、これまであまり話してこなかったことを口にし始めた。
「クラスでも、いつも一人で本読んでるタイプで。だから、この寮に来た時も、最初はすごく不安だったんです」
「でも、今は」
「今は……みんなと、ここで過ごす時間が、すごく大切に感じてます。だからこそ、寮がなくなるかもしれないって聞いた時、正直、すごく怖かった」
すずの目に、うっすらと涙が滲んでいた。
「せっかく、やっと見つけた居場所なのに、それが、また急になくなっちゃうかもしれないって思うと」
言葉の途中で、すずは声を詰まらせた。
「小松」
亮太郎は、優しくその名前を呼んだ。
「大丈夫だ、まだ何も決まってない」
「でも、基準、すごく厳しいって」
「厳しいけど、みんなで何とかしようとしてる。白峯も、水瀬も、有馬先輩も、そして小松も、この寮を守りたいって思ってるだろ」
「私、あんまり、役に立ててない気がします」
すずは、俯きながら小さく呟いた。
「そんなことないだろ」
「でも、発電量とか、あんまり高くないし」
自信なさげなすずの言葉に、亮太郎は少し考えてから答えた。
「発電量だけが、寮を支えてるわけじゃないだろ」
「そう、なんでしょうか」
「俺が来た頃より、小松はずっとみんなと話すようになったよ。それだけでも、この寮にとって大きな変化だと思う。それって、数字には出ないかもしれない。でも、寮にとって大事なことだと思う」
亮太郎の言葉に、すずは驚いたように顔を上げた。
「……私、そんな風に思ってもらえてたんですね」
「当たり前だろ。みんな、ちゃんと見てるよ、小松の頑張り」
すずの目から、堪えきれなかった涙が、一筋こぼれ落ちた。
「あ……す、すみません、急に」
「謝らなくていいよ」
そのとき、台所の扉が、そっと開いた。
「……こんな時間に、二人でどうしたの?」
顔を出したのは、水瀬だった。
「あ、水瀬先輩」
「すずちゃん、なんか泣いてる?」
水瀬が驚いたように駆け寄ってくる。
「寮がなくなる夢を見て、それで、不安になってたみたいで」
亮太郎が簡単に事情を説明すると、水瀬はすずの隣に座り、そっと肩に手を置いた。
「そっか、そういう夢、見ちゃったんだ」
「私も、じつは、今回みたいな話が出る前から、似たようなこと、何度か考えたことある」
水瀬が、冷静に切り出した。
「え、水瀬先輩もですか」
「うん。寮がなくなったら、みんなバラバラになっちゃうのかなって。それ考えると、結構不安になる」
「水瀬先輩でも、そういうこと考えるんですね」
「当たり前でしょ。私だって、この寮での生活、大事に思ってるんだから」
水瀬の言葉に、すずは少しだけ安心したような表情を見せた。
「でも」
水瀬は続けた。
「不安に思うのと、諦めるのは、違うと思うんだよね」
「違う、というのは」
「不安でも、今できることを、ちゃんとやっていけば、きっと大丈夫だと思う。少なくとも、みんなでちゃんと向き合ってるわけだし」
「水瀬先輩、なんか、いつもより頼もしいです」
「いつもも頼もしいけど」
「そ、そうですね」
すずが少し慌てて訂正すると、亮太郎が小さく笑った。
「なんだよ、その慌て方」
「い、いえ、その」
少し和んだ空気の中、すずの表情にも、ようやく笑顔が戻り始めていた。
「ありがとうございます、二人とも」
すずが、小さく頭を下げる。
「話聞いてもらって、少し、気持ち楽になりました」
「よかったな」
「はい」
「これからも、不安になったら、いつでも話してくれよ」
亮太郎がそう言うと、すずは素直に頷いた。
「はい、そうします」
「じゃあ、そろそろ寝ようか、三人とも」
水瀬が伸びをしながら言うと、亮太郎とすずも、それに同意するように頷いた。
☆
三人で台所を片付け、それぞれの部屋へ戻る廊下で、すずはふと立ち止まった。
「あの」
「なに」
「私、この寮、絶対、なくしたくないです」
すずの声には、これまでにない、はっきりとした強さがあった。
「そうだな。俺も、そう思ってる」
「私も」
水瀬も同じように頷いた。
「じゃあ、みんなで頑張ろうな」
亮太郎の言葉に、すずは、今度は迷わず頷いた。




