第二十八キュン 監査役、二日目も容赦なし
神崎さんの本格監査二日目の朝、俺はいつもより早くリビングに降りていた。
「おはようございます」
声をかけると、すでに資料置き場で作業をしていた神崎さんが、丁寧に頭を下げた。
「おはようございます。今日も、監査業務を続けさせていただきます」
「二日目も、ちゃんと来るんですね」
「当然です。一日だけの観察で、正確な実態は把握できません」
昨夜の柔らかい表情はどこへやら、神崎さんはまた、いつもの毅然とした調子に戻っていた。
「今日は、何を確認するんですか?」
「本日は、住人の皆さんの学業への影響について、詳しく調査します」
「学業への影響って」
「感情発電という特殊な環境が、学業成績にどの程度影響しているか、客観的に評価する必要があります」
神崎さんはそう言うと、手帳を開いて、今日の予定をびっしりと書き込み始めた。
「そこまで細かく確認する必要あります?」
俺は尋ねた。
「あります。曖昧な判断で、あとから取り返しがつかなくなることもありますから」
☆
朝食の席、神崎さんはいつも通り、控えめながらも観察を怠らなかった。
「小松さん、最近の成績はいかがですか」
「あ、えっと、中間テストは、まあまあでした」
「まあまあ、では不十分です。具体的な点数を教えていただけますか」
「そ、それは、その」
すずが困った様子で言葉に詰まる。
「神崎さん、そこまで詳しく聞かなくてもいいんじゃないですか」
俺が助け舟を出すと、神崎さんは真剣な顔で振り返った。
「監査は、詳細なデータに基づいて行われるべきです。曖昧な回答では、正確な評価ができません」
「それにしたって、朝からそんな詰問するみたいに聞かなくても」
「詰問ではありません。事実確認です」
神崎さんの生真面目な態度に、水瀬が小さくため息をついた。
「神崎さんって、いつもそんな感じなんですか?」
「そんな感じ、とは」
「その、規則とか、正確さとか、そういうのにすごくこだわってるっていうか」
水瀬の率直な指摘に、神崎さんは一瞬、言葉に詰まった。
「……私には、それが必要なことなんです」
神崎さんは、いつもより低い声でそう答えた。
「必要って」
「詳しくは、お話しするつもりはありません」
神崎さんはそう言うと、そのまま話を切り上げてしまった。
☆
その日の午後、神崎さんは寮の各部屋を回りながら、細かい部分まで確認を続けていた。
「この設備、点検記録はどこにありますか」
「あ、それなら、私がまとめてるファイルに」
「拝見してもよろしいですか」
「どうぞ」
理央が快くファイルを渡すと、神崎さんはそれを丁寧に確認し始めた。
「白峯さんの記録、非常に緻密ですね」
「当然です。研究データですから」
「素晴らしいと思います」
珍しく、神崎さんが素直に感心した様子を見せた。
「神崎さんも、こういう緻密な作業、得意そうですよね」
俺が何気なく言うと、神崎さんはわずかに表情を緩めた。
「……得意、というより、そうせざるを得なかった、というのが正確な表現です」
「せざるを得なかったって」
俺が興味を持って尋ねると、神崎さんは少し迷った様子を見せてから、ゆっくりと話し始めた。
「以前、生徒会の役員として、ある行事の運営を任されたことがありました。そのとき、私は、規則よりも、参加者の気持ちを優先した判断をしたんです。ルールを少し緩めれば、みんなが喜ぶだろうと思って」
「それの、何が問題だったんですか」
「結果的に、その判断が、大きな混乱を招きました」
神崎さんの声には、当時を思い出しているような苦さが滲んでいた。
「規則を緩めたことで、収拾がつかなくなって、最終的には行事自体が中止になりました。多くの生徒に、迷惑をかけることになったんです」
「それで、今みたいに、規則にこだわるようになったんですか」
俺が確認すると、神崎さんはゆっくりと頷いた。
「感情や気持ちを優先した結果が、あの失敗でした。だから私は、それ以来、客観的な基準やルールを、何より大切にするようになったんです」
「なるほど、そういう経緯があったんですね」
「あまり、人に話すことではないんですが」
神崎さんは少し気まずそうに視線を逸らした。
「話してくれて、ありがとうございます」
「……お礼を言われるようなことではありません」
神崎さんはそう言いながらも、どこか安堵したような表情を見せていた。
☆
その日の夕方、神崎さんはリビングで、秋月先生と寮生たちとの夕食に同席していた。
「今日も一日、お疲れ様でした」
秋月先生が声をかけると、神崎さんは丁寧に頭を下げた。
「監査業務、ご協力いただき、ありがとうございました」
「神崎さん、さっきの話、みんなにもして大丈夫ですか?」
俺は確認をとった。
「べつに、隠すつもりはありませんでした」
神崎さんは落ち着いた口調で言った。
「規則を重視する理由が、単なる性格の問題ではなく、過去の経験に基づくものだと知っていただけるなら、それでいいと思います」
「私も、規則って、時々窮屈に感じることあるけど、今の話聞いて、少し見方変わりました」
すずが控えめに感想を述べる。
「私も同意見。神崎さんなりの理由、ちゃんとあったんだなって」
奏も、いつもの穏やかな調子で頷いた。
「そう言っていただけると、私も、少し気が楽になります」
神崎さんは、珍しく柔らかい表情を見せた。
「でも」
理央が、ふと真剣な顔で口を挟んだ。
「規則を守ることと、感情を大切にすることは、必ずしも対立するものではないと、私は思うわ」
「白峯さんは、そう考えるんですね」
「私自身、感情を数値化する研究をしているけれど、数値だけがすべてではないと、最近気づき始めているから」
「なるほど」
神崎さんは、理央の言葉を噛み締めるように、しばらく黙り込んだ。
「規則と感情、両方を大切にする方法が、あるのかもしれませんね」
☆
夕食後、神崎さんは再び資料置き場に戻り、今日一日の記録をまとめ始めた。
「神崎さん、まだ仕事するんですか?」
「監査は、明日も続きますので」
「無理しすぎないでくださいね」
「ご心配、ありがとうございます」
神崎さんは、丁寧に頭を下げた。
監査は、あと少し続く。
けれど、神崎さんを見る目は、これまでとは少し変わっていた。




