第二十六キュン 生徒会はときめき発電を認めません
六月半ばの金曜夕方、寮に一人の来訪者があった。
「星見風寮の運営状況について、確認させていただきます」
玄関先で丁寧に一礼したのは、どこかで姿を見たことのある女子生徒だった。きっちりと着崩れのない制服に、腕には生徒会の腕章。艶のある黒髪をきっちり肩口で切りそろえ、細い眉の下の目は鋭くこちらを見ていた。
「生徒会長の、神崎冬華です」
「あ、どうも。管理人代理の寺坂です」
「存じ上げています。今回、星見風寮の実証実験について、学園から監査を命じられました。今回の監査は、私たち三年生が生徒会として担当する、最後の大きな仕事になる予定です」
神崎さんは淡々とした口調で、手元の資料に目を通している。
「監査って、具体的に何をするんですか?」
「まず、この寮で行われている『感情変換技術』の実態を確認します」
リビングに通された神崎さんは、部屋の中を見回しながら、壁のモニターに目を留めた。
「これが、キュン・コンバーターですね」
「そうです」
俺がそう答えると、神崎さんは資料から顔を上げ、まっすぐに俺を見た。
「率直に伺いますが、高校生の、他人には知られたくないような感情まで電力として利用する制度には、問題があると考えています」
その言葉には、迷いのない強さがあった。
「感情という極めてプライベートな領域を、数値化し、施設の運営に利用する。これは教育機関として、看過できるものではありません」
「それは、まあ……」
極めて正論だった。反論の余地が見当たらない。
「秋月先生は、この制度の危うさをどう説明されているんですか?」
「先生は……」
俺は視線を泳がせた。秋月先生の普段の説明が、あまり真面目に聞こえるものではなかったからだ。
「あと三キュンあれば炊飯器が使えるとか、そういう感じで」
「……それが説明ですか」
神崎さんの眉間に、はっきりと皺が寄った。
「これでは、住人の感情が単なる資源として扱われているようにしか見えません」
「いや、そんなつもりは」
「つもりの有無ではなく、実態の話をしています」
神崎さんは容赦なく続けた。
「私は、この制度を学園に廃止提案するつもりです」
リビングにいた水瀬たちが、一斉に息を呑んだ。
「廃止って、そんな急に」
「急ではありません。以前から問題視されていた案件です」
「でも、私たちの生活、この寮でやっと」
水瀬が言いかけて、神崎さんに鋭い視線で見返された。
「感情的な訴えは、判断材料にはなりません」
冷静な返しに、水瀬は言葉を失った。
「監査期間中、私はこの寮に数日間滞在させていただきます。実態を正確に把握するためです」
「泊まり込みってことですか」
「そうです。書類上の確認だけでは、実際の運用実態は分かりませんから」
神崎さんは淡々と、しかし有無を言わせない口調で告げた。
「異論があれば、学園に直接申し立ててください」
「異論って言われても」
誰も、その毅然とした態度に反論できなかった。
☆
そのあと、神崎さんは寮の空き部屋に荷物を運び込んだ。
しかも、俺の部屋のすぐ隣だった。
「あの、これ、夕食です」
台所の前を通りかかった神崎さんに、すずが控えめに声をかけると、神崎さんは一瞬驚いたような顔をした。
「……ありがとうございます」
「あの、生徒会の方が、この寮に泊まるの、初めてですよね」
「そうですね。初めての経験です」
神崎さんは淡々と答えながらも、少しだけ表情を緩めた。
「星見風寮の食事、こうして提供されているんですね」
「はい。寺坂先輩……亮太郎先輩が、いつも作ってくれます」
「管理人が食事の準備まで?」
「業務範囲、かなり広いですよね」
水瀬が横から口を挟むと、神崎さんは真面目な顔で頷いた。
「それも、監査項目に含めるべき事項ですね」
「そういう意味で言ったんじゃないんですけど」
「ちなみに共用部分の掃除や設備確認もやります」
「寺坂さんの労働環境についても確認が必要ですね」
「監査するところ、そっちになってません?」
☆
夕食の席、神崎さんは最初こそ距離を置いた様子だったが、リビングの賑やかな雰囲気に少しずつ引き込まれていった。
「有馬先輩、その絵は」
「今描いてる新作。見る?」
「あ、いえ、業務中なので」
そう言いながらも、神崎さんはちらちらとスケッチブックに視線を送っていた。
「白峯さん、この発電データの分析方法、興味深いですね」
「あら、理解できる人がいて嬉しいわ」
理央と神崎さんは、意外にも波長が合うようだった。
「神崎さんって、思ったより真面目な話が好きなんですね」
俺がそう言うと、神崎さんはわずかに眉を上げた。
「私は生徒会役員です。真面目であることは当然です」
「そういう意味じゃなくて」
「どういう意味ですか」
「いや、なんでもないです」
言葉を濁すと、神崎さんは少し不満げな表情を見せたが、それ以上は追及してこなかった。
☆
夕食が終わり、片付けをしていると、神崎さんが食器を運ぶのを手伝ってくれた。
「そこまでしなくていいですよ、監査中なんですし」
「私も、この寮の一員として過ごしている間は、相応の役割を果たすべきだと考えています」
生真面目な返答に、俺は思わず苦笑いした。
「変わってますね、神崎さんも」
「変わっているのはそちらです」
言い合いながらも、神崎さんの表情はどこか柔らかくなっているように見えた。
「……一つ確認してもいいですか」
食器を片付け終えた神崎さんが、浴室の方を見た。
「お風呂、借りても大丈夫なんでしょうか」
「大丈夫だよ」
奏がのんびり答える。
「亮太郎くん、一度も覗きに来たことないし」
「それ、褒め方おかしくないですか」
「でも事実でしょ?」
「最初にちゃんとルール決めたから」
水瀬が口を挟む。
「お風呂使ってる時間は浴室の近くに来ないとか、勝手に部屋に入らないとか。寺坂、そういうのはちゃんと守ってるよ」
「……そうなんですね」
神崎さんは少しだけ考えるように頷いた。
☆
神崎さんが泊まっていても、風呂の時間に俺がすることは変わらない。いつも通り、リビングでテレビを見て過ごした。
そのとき。
「ひゃっ!」
誰かの悲鳴が聞こえた。
……今の、神崎さんか?
あんな可愛らしい声も出すんだな。
「何かあったのか?」
俺はテレビの方を見たまま大声で問いかけた。
「大丈夫! お風呂場にゴキブリが出ただけ! 寺坂は来なくていいから。っていうか絶対来ないで! 有馬先輩がもう処理してくれたから!」
水瀬の声が返ってきた。
「そうか」
俺は引き続きテレビを視聴。
それからしばらくのち、みんなが風呂から上がってくる。
「広々として、心地よかったです」
神崎さんも何事もなかったかのように、髪を扇風機で乾かしていた。
「この寮、たまーにゴキブリ出るけど、神崎さんが来た日に出ちゃうなんて災難ね」
有馬先輩が伝える。
他のみんなも、空気を読んだかのように神崎さんらしき悲鳴のことについては何も触れずにいた。
俺も、聞こえなかったことにする。
☆
その夜、寝る前に、俺はしばらく一人でモニターの前に立っていた。
寮の存続に関わる、初めての明確な脅威。神崎さんの主張は正論すぎて、反論の糸口が見つからない。それでも、今日一日の彼女の様子を見ていると、単なる規則一辺倒の相手というだけではなさそうだった。
「……これから、どうなるんだろうな」




