第二十二キュン ときめきは科学で説明できる。たぶん
六月に入り、寮の設備点検の時期がやってきた。
「今日は機械室のメンテナンスをするわ」
朝食の席で、理央がタブレットを見ながら告げた。
「キュン・コンバーターの経年劣化を確認する必要があるの」
「それ、俺がやるのか」
「一人だと危険な作業もあるから、手伝ってもらうわ」
理央は当然のように俺を指名した。
「他の人に頼めばいいだろ」
「専門知識がないと危ないのよ。有馬先輩は機械音痴だし、小松さんは体力的に心配、水瀬さんは――」
「私は何」
「単純に、あなたに任せると壊しそうだから」
「なんでよ!」
水瀬が食い下がるが、理央は取り合わなかった。
☆
機械室は、寮の地下にある狭い部屋だった。
銀色の配電盤とコンバーターの本体が壁一面に並び、換気扇の音だけが響いている。
「思ったより狭いな」
「そうね。設計段階では、もう少し広く取る予定だったらしいけど」
理央は懐中電灯を片手に、配線の状態を確認していく。
「寺坂くん、そこのパネル、押さえてて」
「こう?」
「もう少し右」
言われた通りに動くと、理央が身を乗り出して配線を覗き込んだ。
狭い空間で作業をしていると、自然と互いの距離が縮まっていく。
「白峯、もうちょっと下がってもらえるか。作業しにくい」
「これ以上下がると配線が見えなくなるわ」
「いや、でも」
「我慢して」
言葉少なに答える理央の横顔を、俺はちらりと見た。いつもの淡々とした表情に、心なしか集中の色が濃く見える。
「よし、ここの接続部分、劣化してるわね」
理央が工具を取ろうと手を伸ばした瞬間、体勢を崩して俺のほうへ倒れかかってきた。
「わ、危な――」
咄嗟に肩を支える。
「……」
「大丈夫か」
「え、ええ。ありがとう」
理央の声が、いつもより少し上ずっていた。
数秒の沈黙の後、壁際の予備モニターが小さく光った。
――ピコン。
『感情エネルギーを検出しました。二・六キュン』
「……は?」
理央が自分のタブレットで数値を確認し、固まった。
「今の、私?」
「他に誰がいるんだよ」
「機械の故障ね」
理央は即座にそう結論づけた。
「さっき自分で整備しただろ、その機械」
「なら測定条件の問題よ。狭い空間での圧力変化とか」
「無理やり理由つけすぎ」
「認めろよ」
「認めるも何も、これは単なる誤作動」
理央は淡々とした口調を崩さないまま、それでも視線だけは明らかに泳いでいた。
「じゃあ、もう一回検証してみるわ」
「なんだよ検証って」
「同じ状況を再現して、本当に誤作動なのか確認する必要があるわ」
理央はそう言うと、わざわざもう一度俺に近づいてきた。
「これで反応がなければ、さっきのは誤作動だったと証明できる」
「そんな検証方法あるかよ」
「科学的に正しい手順よ」
理央が肩の近くに立ち、じっと動かずにいる。
沈黙が続く中、モニターは静かなままだった。
「ほら、反応してないでしょ。さっきのはやっぱり誤作動――」
言いかけた瞬間、理央の頬がわずかに赤らんでいるのに俺は気づいた。
「白峯、顔赤いけど」
「気のせいよ」
「気のせいにしては赤すぎるだろ」
「体温調整の問題」
「機械室、そんな暑くないだろ」
理央は言葉に詰まり、視線を明後日の方向へそらした。
「……これ以上、この話を続けるつもりはないわ」
「科学者って、都合悪くなると研究終了できるんだな」
「研究倫理上の判断よ」
「絶対違うだろ」
☆
作業を終えて機械室を出る頃には、理央は完全にいつもの調子を取り戻していた。
「今日の点検結果、まとめておくわ」
「さっきの二・六キュンも、ちゃんと記録するのか」
「異常値として処理するわ」
「異常値って、都合よすぎない?」
「データの信頼性を保つためには、こういう判断も必要なのよ」
平然とした顔で言い切る理央に、俺は思わず笑ってしまった。
「なによ、笑うところじゃないでしょ」
「いや、悪い。白峯でもそういう反応するんだなと思って」
「私だって、ときめきという感情反応は、ある程度なら化学反応として理解できると思っているわ。反応が起きること自体は否定してない」
「じゃあ、さっきの反応も」
「化学反応の範囲内よ」
「認めてるじゃんそれ」
「認めてない。ただ理論上あり得る現象を説明しただけ」
理央はそう言い張ったが、俺の目にはただの照れ隠しにしか見えなかった。
「今月分のデータ、秋月先生経由で学園に提出するわ」
「提出?」
「実証実験の中間報告よ。発電量だけじゃなく、生活への影響も含めて」
「結構ちゃんと見られてるんだな、この寮」
「研究なんだから当然でしょう。結果が出ているかどうかも含めてね」
☆
夕方、リビングに戻ると、水瀬が興味津々の顔で待ち構えていた。
「機械室、どうだった?」
「べつに、普通に点検しただけだけど」
「理央から変な数値出てたって、秋月先生から聞いたけど」
「それ、もう先生にまで伝わってるのかよ」
「寮中に情報網張り巡らされてるからね」
水瀬が愉快そうに笑う。
「理央にしては珍しいよね。あの理屈っぽい子が動揺するなんて」
「本人は認めてないけどな」
「認めなくても、数字は嘘つかないでしょ」
水瀬の言葉に、俺は少し考え込んだ。
数字が示すものと、本人が言葉にすることの間には、まだ少し距離があるのかもしれない。
それでも、その距離こそが、それぞれの不器用な感情の形なのだろうと、俺はなんとなく思っていた。
その夜、機械室の予備モニターには、あの日の異常値がひっそりと記録され続けていた。




